第三部 幻想崩壊 ライザ編
39 闇の中で
星々の輝きさえない無明の闇の空間に、赤い炎が大きな存在感を示していた。
完全なる無の空間。そこには大地もなければ大気もない。おおよその生命が存在することも出来ない場所で、彼女は戦っていた。
火竜オーマ。
ネアースを守護する神竜の一柱にして、年若き娘の姿を取ることもある。
彼女の周辺には、彼女に比して豆粒ほどの大きさの古竜が泳いでいる。そしてそれよりもさらに小さな成竜も。
そしてその相手をするのは、無形の集団であった。
人とも亜人とも魔族とも見え、あるいは神とも悪魔とも見える、有象無象の輩。
その全てが、成竜と渡り合うほどの力を持っている。
火竜たちの中に一人、人間がいた。
「あと少し……もう少し……」
ゲルマンはそう呟きつつ、戦況を把握していた。
「今!」
火竜オーマの口が開き、惑星をも蒸発させる、紅炎のブレスが放たれる。
古竜により包囲されていた敵はその一撃で大半が消滅し、やがてこの空間から退いていった。
そしてその直後、オーマたちも通常の空間――ネアースの静止軌道上に帰還していた。
疲労困憊するゲルマンの肩に、ぽんと手が置かれた。
「お疲れ」
「……疲れているのはあなたもでしょうに」
「まあ俺は、嫁さんにサポートしてもらっているから」
先ほどまでの空間、それにオーマたちを接続させていたサージは、確かにゲルマンよりは疲労の色も薄かった。
ゲルマンは息を吐き、竜たちと共にネアースの大地へと転移する。
サージの時空魔法で、竜たちはその寝所へと転移する。残ったのは少女の姿をしたオーマだけであった。
「少しずつ相手が強くなってるな」
手と足をむき出しにした、南国の地の少女のような格好のオーマに対して、二人の大賢者は揃って頷く。
少し前まで、サージの創り出したあの亜空間には、敵はほとんど侵入せず、侵入したとしても彼一人で片がつく程度のものであった。
しかし今では、サージ一人で倒せる敵は、一度に一人か二人が限度。竜たちの支援をすべく、亜空間を保つのが精一杯となっている。
「あとどれぐらいもつか……」
暗い顔をするゲルマンに対して、サージは無理にでも笑顔を作る。
「お前はまだ若いから知らないだろうけど、大崩壊の時もこんなもんだったぞ」
あの時ほどのものではない。少なくとも、今はまだ。
サージの飄々とした様子に、ゲルマンの顔色が少し良くなる。
だがそれも、わずかのこと。
「……追ってきたな」
オーマの言葉に、二人の大賢者はびくりと体を震わせた。
空が歪む、雲が揺らぐ。そしてその中心から、人影が一つ現れる。
「人型か……こちらに侵入してきたってことは、かなりやばいやつか……」
オーマの視線に対して、サージは頷く。それに対してゲルマンは戦う力は残っていない。たとえ魔力が残っていても、五日間休まずに戦闘を行ってきたのだ。さすがに休息が必要である。
対してサージはまだ余力がある。戦闘経験においては、彼はゲルマンよりもはるかに豊富である。
「じゃあ、もっかい頼む」
サージが術式を構成し、オーマと共に敵を亜空間に引きずり込んだ。
その者は、小さかった。単に人種並の大きさであったというだけでなく、サージよりもさらに小さな人種であった。
真っ白な外套とフードで姿を隠しているが、肉体が華奢であることも間違いないだろう。
だがこれまでに戦ったどの敵よりも、強大であるとオーマは感じていた。
「行くぜ」
火竜と化したオーマ。それに対して白フードの周囲に集まるのは――。
(精霊!? どうしてこの空間に精霊が……いや、精霊を連れてきたのか?)
この亜空間には精霊も生物も本来存在しない。真空以上の虚無に近い空間だ。そこに精霊が存在するというのは、敵が達者な精霊使いであることを示す。
白フードはオーマの吐き出したブレスに対して、精霊を白い巨大な狼の姿にして迎え撃った。
激しい戦いが、おおよそ一日以上展開された。
ネアースの地上で行われれば、大陸の一つや二つは崩壊するほどの戦闘であったが、結局オーマは敵の撃退に成功した。
むしろ敵が、亜空間を維持するサージの限界に合わせて引いてくれたような感じでもあったが。
オーマも相手も、全力ではなかった。本気で戦えば、オーマのブレスは惑星を簡単に蒸発させる。
草原の中、大の字で眠るサージを見下ろし、オーマは溜め息をついた。
あの敵は強かった。おそらく、最高位の神々でも敵わないほどに。
そして戦闘の中でわずかに見えた、フードの中の素顔。
青い髪のエルフ。即ち、ハイエルフ。
「全く、何がどうなってるんだか……」
呟くオーマに対して、答えられるものはいなかった。
大森林の外縁部を守るのは、比較的若いエルフである。その中の集団の一つを率いるのが、かつて前世でセリナと共に旅をしたライラである。
彼女は今、セリナと思い出話をしながら『森林歩行』の精霊術で、大森林の奥深くへと進んでいた。
「それじゃあクオルフォスは、もう長くないのか……」
最初に得られた情報は、あまり良いものではなかった。大森林を統べるハイエルフであるクオルフォスが、その長い命の終わりを迎えようとしているという。
もっともハイエルフにとっての「長くない」であるので、あと十年や二十年はもちそうだということだが。
「新しいハイエルフが生まれたから、引継ぎをしているところなんだけど、普通なら長老たちだけで物事は決められるんだよね」
エルフの寿命は通常で千年。ライラのように卓越したエルフとなれば、その三倍を生きることも珍しくはない。
「魔境の様子は?」
「それはまあ、前と同じように危険ね。レベル上げのちょうどいい相手になってる」
この200年で、ライラはそのレベルを200にまで上げていた。
200というのは成竜と一対一で互角に戦えるレベルで、これをもう一段階超えるのには壁があると言われている。
事実ライラも急にレベルが上がりにくくなったと言った。
このままライラに協力してもらってもジークたち相手に戦力になるだろうが、彼女には他の四人と違って、圧倒的に足りないものがある。
それは「死ににくい」という特性である。
セリナとプルは竜の血脈により。シズは戦場で得た危機感知により。セラは聖治癒神の力により、方向性は違うが死ににくくなっている。
だがライラは、強者ではあるがその点では常人だ。己より強い戦士と戦えば、あっさりと死ぬ可能性も高い。
後方から援護してもらうことはあるかもしれないが、相手と直接戦わせるわけにはいかない。
だからクオルフォスの力を借りたかったのだが。
「その点に関しては、協力してもらえると思うわよ」
ライラが説明するに、その幼い――と言っても50歳にはなるのだが――ハイエルフは、既にレベル300相当の実力があるらしい。
「名前がねえ。あたしと少し被ってるんだけどライザっていうの」
一文字違いは少しではないだろう。
クオルフォスと時折話をする立場にあるライラは、彼がライザを一度外の世界に出そうと考えていることを知っている。
大森林を守るためには、外の世界も知らなければいけない。それが彼の意見である。そして外の世界に出すに、うってつけの理由が一つやってきた。
「でもねえ、ジークたちとの戦闘に巻き込むのは、正直どうかな、と思うのよ」
ライザというハイエルフの少女の性格は、随分と内向的らしい。
将来は大森林を守護するエルフの頂点に立つのだが、実力はともかく性格が向いていない。
それもあって外の世界で鍛えてほしいのだが、あのジークたちと戦うというなら、命の危険がある。
ついでではないが、貞操の危険はさらに大きい。
会話の間の一行は森を進む。森の中ではエルフの足は速い。
やがて森が開けた所に出たとき、一行は世界樹の巨様を目に入れた。
「これはまた……神木とさえ言えぬ大きさですな」
シズが言葉に洩らした通り、世界樹は小さな街が丸々入るほどの大きさを持った木である。
プルやセラも見たのは初めてあり、セリナにとっては懐かしい光景であった。
集落の中を歩く一行を、里の中のエルフが興味深げに見つめてくる。
その中には「あれはレイアナではないのか」と囁く声もある。おそらく暗黒竜レイアナを知る、長命のエルフなのだろう。プルの外見はそれほどまでレイアナに似ている。
ライラは一直線に世界樹を目指し、他よりも大き目の木製の家へと入っていった。
「大長、ライラが外からの客を連れてきました」
「うむ、入りなさい」
部屋の中、椅子に座るクオルフォスは、セリナの記憶と全く変わらない姿でそこにあった。
だが、何かが違う。精霊に祝福された存在感の塊であった彼が、姿がやや透明になったようにも思える。
「お久しぶりです。前世ではお世話になりました」
我ながら変な挨拶だとは思ったが、セリナの言葉にクオルフォスは頷いて椅子を勧めた。
「またあの男か……」
詳しい話を聞いたクオルフォスは、好々爺然とした表情を苦虫を潰したようなものへと変えた。
3200年前、エルフの里はあの男によって精神的に大きなダメージを受けた。取り返しのつかない損失もあった。
200年前にはその意趣返しとして、クオルフォスはジークのパーティーと戦ってくれた。
「だが、今の私の力では、あの者たちと戦うのは難しい」
精霊の恩寵を大いに受けたこの森ではともかく、外の世界に出ればクオルフォスの力は相当に減じると言う。
だがクオルフォスは、対ジークへの戦いについては、こちらを援助すると断言した。
「ライラに率いさせ、エルフの強兵を十人付けよう。それと、ライザを任せる」
ライザ。ライラにも聞いていたが、クオルフォスの後継となるはずのハイエルフである。
そしてクオルフォスはジークの件が片付いた後も、ライザをセリナたちに同伴させようと言ってきた。
ジークを始末した後、セリナたちの動向は決まっていない。セリナ自身は竜爪大陸か竜牙大陸に行く予定だが、どちらを取るかは迷っている。
プルはいったん帰国する必要があるだろうし、シズとセラは基本的にセリナに同行する予定だが、シズ個人としては竜牙大陸に行きたいと言っている。
竜爪大陸も竜牙大陸も修羅の国であるが、シズの伝手は竜牙大陸の方にある。対してセリナは竜爪大陸の方に伝手がある。
あるいは今度こそ平穏を享受しているガーハルトに行くべきなのかもしれないが、どうするにしてもプルとは別れなければいけない可能性が高い。
忘れることもあるが、彼女はオーガスの最終兵器なのだ。
だがまずは、当の本人であるライザと面会することであろう。
「それで、ライザというのは今どこに?」
セリナが尋ねると、クオルフォスはかすかに視線を動かした。
精霊たちが動く。その動きに合わせて、道が開けた。セリナの目にはそうとしか思えない事象だった。
一瞬前まで誰もいなかったそこに、小柄なエルフが立っていた。
青い髪には癖があり、ところどころ跳ねている。エルフの例に洩れず美形であるが、まだ幼さを感じさせる。
「今のは精霊術、ですか?」
こんな精霊術は見たことがない、転移にも思えたが、魔力は感じなかった。
クオルフォスは応えず、ライザを見つめる、セリナの視線を受けたライザは、こっくりと頷いた。
なるほど、これは強い。
ステータスを見る限りにおいては、レベルの300突破に加え、精霊術のレベルが10に達している。おそらくこれもレベル10オーバーなのだろう。
セリナの視線に対してライザは俯いている。見知らぬ人間とすぐ仲良くなれるタイプではないというのは本当のようだ。
「ライザ、彼女たちと同行し、外の世界を見てきなさい」
クオルフォスの言葉に、ライザは顔を上げる。ハイエルフの大長老の慈愛の表情に向けて、彼女は言った。
「やだ」
ハイエルフのライザ。セラとはまた違った方向で、面倒な性格をしているようである。
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