38 懐かしの大森林
大森林。それは神竜の住処とも並ぶ、世界の秘境の一つである。
その面積はほとんどの国家よりも広大で、小さな国家の百や二百は入るほどのものである。
そのほぼ中心にあるのが世界樹であり、世界樹を守るようにエルフの大集落が存在する。
集落やその周辺の小集落に住むエルフの数は、おおよそ百万と推定されている。正確なところはやはりエルフしか知らないだろう。
百万という、多く思えて実は少ないその数で、エルフは大森林を管理している。
竜骨大陸にはエルフの住む森は二つあるが、もう一つのオーガス帝国内の自治領域に比べても、百倍以上の広さがある。
その中心にある大集落へ援軍を求めに行くというセリナの言葉に、セラは内心で少し驚いていた。
ハイエルフのクオルフォス。ちょっとした神よりも長い時を生きる男の実力を、セラは知識として知っている。
前世で彼と面識があったとセリナは言っていたが、まさか援軍として協力要請をするとは。
エルフは基本的に人間の社会とは一線を引いて自治を行っている。大森林の場合、人間が森に入る程度は許しても、樹木を伐採して開拓を行おうとすれば戦闘になる。
そしてエルフは強い。
長命な種族であることから、当然修行を積む期間が長いということもあるし、南方に存在する大魔境に備えて絶えず訓練を行っているからだ。
あえてエルフと敵対しようという国家はないため、それほど激しい衝突があったとは、これまでの記録ではない。
知り合いのハイエルフに助けを求めるというのは、確かにセラの知識では、有効であると思われた。問題は、セリナがクオルフォスを動かせるかということと、もう一点。
エルフの大集落への距離である。下手をすればそこへ到達するまでに、ジークたちは竜翼大陸へと逃れてしまうだろう。
「問題ありません」
セリナは言い切った。
「森の中でのエルフの足は速いですから」
その言葉の意味を、プル以外は知らなかった。
騎士たちをオーガスの勢力圏に帰らせて、四人の乙女たちは大きな街道を逸れて小さな街道を東へ向かう。
ちなみに乙女と言ったが、中身はジジイ一人、両性具有二人、邪神一柱である。
四人は少しでも速い移動手段を取る。即ち飛行手段である。街道を下に見ながら、東へ。もっとも多少ずれても、セリナの地図があるから問題ないのではあるが。
(それにしても、面白い)
飛ぶのが苦手なセラは必死で三人に付いて行くが、内心では色々と考えていた。
彼女は邪悪な存在である。人種に対する悪意にあふれている。
一番の好物は、自業自得で破滅に陥った人間を見ることである。死はある意味の解放であるので、それほど好物ではない。
セリナたちに随行しているのは、彼女たちの行く先には、その面白そうな光景が待っていると予想したからである。実際、自らの力の絶対的な不足にうな垂れる騎士たちの様子は、プギャるほど面白かった。
セリナたちが失敗するか、ジークたちが敗北するか、正直彼女にはどちらでもいい。どちらでも、失意にうな垂れる強者たちの姿は見れるだろう。
だが、どうもセリナとシズの精神構造は、セラの理解している人種の範疇を超えている。
プルはむしろ、人間に近い、ある意味弱い精神の持ち主だ。
だがセリナとシズは違う。おそらく普通の敗北や挫折では、全く心が折れることはないであろう。
転生者とは聞いたが、その前世は只者ではない。セリナは吟遊詩人に謳われる『神竜の騎士』であるし、シズは異世界にて『剣聖』とまで呼ばれた戦士だとか。
特にシズは魔法も技能もない世界で、そこまでの名声を得ていたのだ。精神力も高いだろう。
セラの知識によると、生まれつき弱い者は、やはり精神力も弱い。
転生者は前世知識のあるせいか、常人よりも優れた能力を発揮することが多いが、精神力では平均を下回る場合もある。
セリナとシズは前世でも戦乱の世界を生きていたので、ジークのように「死なないための方法」に通じている。
生まれつきの強者だったプルとは、そこが違うのだ。セラの知る人間の精神構造とは、別の生命体のようにも思える。プルはプルで、やはり異質なのだが。
さて、それは置いておいて。
飛翔の上位魔法に、飛閃というものがある。音速前後を限界とする飛翔に対して、こちらは光速にどこまで近づくかという魔法であるが、四人の中でこれが使えるのはプルだけであったりする。
自転車競技よろしく、先頭を順次交代して東へ向かう一行だが、プルの負担が一番大きかった。
神の力を持つセラであっても、得意不得意はあるのだ。天空装備のシズや、飛翔を普通に使えるセリナがプルと三人で、セラを最後尾にして引いていく。
途中飛行する魔物を目にすることもあったが、その場合はプルが先頭に出て速度を増す。結果戦闘は一度もなく、四人は大森林へと到達していた。
「このまま一気に行くのか?」
プルに問われてセリナは首を振る。
「神竜の翼でも半日かかる距離だから、手前の村で一晩休もう」
一応現在も、エルフと人間の村の交流は断絶していない。
エルフの生産する特産物は珍しく、辺境とも言える場所の村でも、その交流のために宿を置いているところが多い。
セリナたちもそんな村の一つの手前で地面に降り、簡素な木柵で囲われた集落の中に入っていった。
想像通りこの村も、一つだけ大きな宿と交易所があった。
だが四人を見る視線は、明らかに異質な者を見るものである。行商人に慣れた人々の目ではない。
しかし考えてみれば、それも当然のことである。
護衛を連れた行商人が訪れることはあっても、年頃の少女たちが四人でこの村を訪れる理由など、とても村人たちには想像できなかったのだろう。
ましてセリナのオッドアイや、シズの猫耳は人間だけで構成されたこの村では、明らかに浮いていた。
とりあえず宿を取るが、こんな辺境の宿である。都会暮らしに慣れたプルやセラには、どうにも物足りない。聖女であるセラは清貧をモットーとしているかと問えば、実は豪華な食事を摂っていた。世の中、そんなもんである。
戦場で糞を出しながら丸三日戦っていたようなセリナとシズは、寝れるだけで充分という感想であったが。
宿屋では一応食事も出たが、これも舌の肥えた面子には満足出来るものではない。セリナは栄養的に足りていれば大丈夫だと思っていたので、折角の無限収納の中には、サプリメントとカロリーバーぐらいしか食料を入れていなかった。
「戦場で戦いながら食べるよりは、よっぽどいい」
これも嬉しそうに食べるシズは、今生でも傭兵としての経験から、こんな発言をしてくる。
セリナもそれは同様で、必要なら土や革靴、虫などを食べていた前世を思えばどうということはないのだ。
そしてその夜、シズはセラに重要な話を持ちかけていた。
「つきのもの、止められないか?」
セリナやプルでは思い至らない案件であった。竜の血脈持ちは、必要な時以外そういった機能が停止しているので。
シズは現在女である。半獣人の女性の肉体の生理機能は、ほぼ人間と同じである。
つまり生理が一ヶ月一度ほどあるわけで、その間はどうしても全開のパフォーマンスを発揮し得ない。
「なるほど、確かにあれは面倒でしょうね」
セラは頷く。彼女自身は肉体の機能を万全に発揮しえるようになっているが、他人のそれまでは気にしたことがなかった。
「一度止めてしまえば、私か高位の治癒魔法を使える者にしか、元に戻すことは出来ませんが」
肉体の機能を操る魔法は、一応治癒魔法の範囲にある。もしくは神聖魔法である。
「まあ、しばらく子を産む予定などないでしょうし、それでかまいません」
シズの反応は淡々としていて、セラもそれに応じた。
月経というのは男性の体感できない現象である。肉体のパフォーマンスを確実に下げるものであるが、ネアースにおいてはそれを止める事も出来る。女の兵士や傭兵、冒険者が意外と多い理由のもう一つである。
セラは簡単にシズの肉体を調整した。念のために、三年間は機能しないようにという調整である。
「いっそのこと、男性に戻してもらえばいいのでは?」
セリナなどはそう思うのだが、実はこれが聖治癒神の力を持つセラでも難しい。事が肉体だけでなく、魂にも関連することだからである。
男と女は肉体の機能が違う以上、魂もそれに合わせて変質する。肉体や精神を癒し変質させる治癒魔法でも、魂にまでは干渉出来ない。
「これが終わったら、神竜に頼んで男の肉体に戻した方がいいだろうな」
神竜の力を知るプルの真っ当な提案に、シズはなんと首を振った。
「この肉体には慣れてしまっている。暇な時があればともかく、しばらくはこのままがいいでしょう」
それとは関係ないことだが、シズは言葉遣いを変えた。
今までの女性的なものから、ジジイ、あるいはババア、もしくは侍に近いものに。
「拙者のことはまず置き、エルフの里へ」
一晩の宿を後にし、四人は大森林へ入って行った。
大森林は、普通の森とは違う。
とても100万のエルフでは維持できないほどの広さを誇りながら、まるで人の手の入ったような森となっている。
間伐材は撤去され、大樹と大樹の間を歩くのは難しくない。野生の生物は時折見かけるが、魔物の類は存在しない。
この大森林へ、一行は徒歩で入って行った。
もちろん空を飛ぶ方が早い。だが大森林の上空には、精霊による結界が存在する。
200年前には存在しなかった結界だ。何か理由があるのだろう。精霊の結界を突破するのは無理ではないが、エルフたちに与える印象が悪化するかもしれない。
それにエルフたちの力を借りれば、大国よりも広大なこの大森林も、さほどの労力を費やせずに抜けることが出来る。
そしてセリナの地図では、森の入り口近くに、エルフの集落があることは分かっている。
そんな木々の間を四人は進むのだが、セラだけはセリナの呼び出したエクリプスの背中に乗っていた。
本人曰く、足が疲れるからとのこと。
実際のところ馬に長時間乗るのも、尻が痛くなるのであまり変わりはないと思うのだが、セリナもエクリプスもそれを了承した。
セラが馬に揺られ、お尻が痛くなった昼頃。
セリナだけでなく、一行の全てが気付いていた。
「止まれ!」
木々にこだまして響く声。そしてこちらを狙う複数の視線。
「エルフの森へなぜ訪れた!? 商人ではあるまい!」
エルフは完全に人間と没交渉というわけではない。それでも見知らぬ人間がここを訪れるというのは、彼らにとって訝しいことだろう。
だがセリナがこの道を選んだのは、ちゃんとした理由があった。
「俺だよライラ! 姿は変わっているけど、セイだ! クオルフォスに会いに来たんだ!」
そう、セリナの地図に示されていた光点の一つは、かつて世界を旅した仲間のもの。
この広大な大森林の中で彼女と邂逅する奇跡を、セリナは何かの必然と感じていた。
「セイ?」
大樹の枝陰から、細身のエルフが姿を現す。
変わっていない。いや、少しは大人びただろうか。あの頃は100歳ほどであったから、今は300歳。エルフとしてはまだまだ若者の内に入る。
進み出たセリナの前に、ライラが飛び降りる。風の精霊がその体を、ふわりと地面に着地させた。
ああ、変わらない。
あの時代、あの世界を旅した仲間の内で、生き残っていたのは一人と一柱。
セリナの頭から爪先まで眺めたライラは、訝しげな顔をして言った。
「また女の子なの?」
「竜の血のせいで……」
些か苦笑して頭を掻いたセリナに対して、ライラは満面の笑みを浮かべた。
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