36 不本意な敗北

 セラ――ラクサーシャはセリナの声に応えた。

 彼女が司る偽りの力。それは精神を支配する力でもある。

 オーガスの騎士たちの動きが、目に見えて変わった。まるで死を恐れない、狂戦士のように。傷を負っても骨を折られても、瞬時に治癒してケセルコスを狙う。

 まさしく死兵。その迫力に、ケセルコスは手加減をやめた。



 殺してはいけないのは、三人の女。桃色の髪の女と騎士は指定されていない。

 精霊の力を使って騎士たちを切り刻もうとするが、その精霊の攻撃に対し、騎士たちは抵抗する。

 明らかに実力以上の力を、無理やりに出されていた。



 そしてセラの力は、他にも及んでいた。

 対するジークたちに対して、幻覚が現れたのだ。

 通常なら幻覚などに惑わされる黄金戦士団ではないが、さすがに相手が悪い。高度な幻覚に、三人が動きを鈍らせる。

 神経の図太くて鈍感なジークと、人間ではないマリーシアには効果がなかったようだ。それでもこれだけで、戦況は一気に有利になった。騎士たちを除いて。



 幻覚により本格的に手加減が出来なくなったケセルコスの手によって、一瞬で騎士の半数が致命傷を負った。

 そのまま非戦力化、大地に倒れ伏す。だが彼らはすぐさま立ち上がった。

 聖治癒神ラエルテの力により、一瞬で治癒と回復がなされ、戦線に復帰したのだ。



「カーズ! その女を殺せ! 危険なやつだ!」

 本来足止めを得意とするカーズに、ジークがそう叫ぶ。

 セリナやシズの接近戦能力に、プルの遠距離攻撃、それに対してセラの攻撃はどちらの方向性でも劣るものだが、相手に戦闘の主導権を渡さないという点では、地味ながらも非常に効果的なものだった。

 カーズもそれには気付いていた。そして目の前の少女が、明らかに接近戦に慣れていないことも。



 セラは無表情のまま、棘の付いた戦棍でカーズの盾を叩く。衝撃はたいしたものだ。ステータス自体は高いのだ。

 それでも身体強化系の技能や祝福は少ないので、カーズの防御を突破することは出来ない。たとえ足枷をつけられたような状態でも。

 持久戦に優れ、相手を足止めするのが得意なカーズだが、もちろん攻撃力も高いものだ。たいした防御手段を持たない少女を無力化するのはたやすいが、今までは相手を引き付けておくことで満足していた。

 だがこの状況が彼女の魔法であるならば、確かに危険だ。カーズは一転して反撃に転じた。



 カーズの片手剣は、セラの戦棍を潜り抜け、右肩に深く突き刺さった。

 鮮血が舞い、カーズはこれで相手の戦意が弱まると思ったが、それは誤りであった。



 セラは、にいい、と笑った。







 セラの傷口は一瞬で塞がり、出血の痕さえもが消えた。簡素な革鎧に残された傷だけが、カーズの攻撃の痕跡である。

(まさか不死身か!)

 不死身。そう言われる祝福や技能を持つ者は、少なからずいる。

 そもそも高位の吸血鬼などは皆がそうだ。もちろん本当に不死身なわけではなく、体の大部分を損傷したり、脳を完全に破壊すれば、おおよそは死ぬ。

 それに治癒に魔力や体力が使われるので、戦闘の継続力が無限というわけではない。

 だがセラはそもそも聖治癒神の力を持っている。単なる不死身ではない。

 超高速再生、不死身、不老不死、そして超高速回復。

 前世においてセリナが散々な修行の果てに得たものを、既に持っているのだ。



「ジーク! こいつは時間がかかる!」

 カーズの返答に、ジークは舌を鳴らした。カーズが言うなら無理なのだ。それほどの信用が、昔からの仲間にはある。

 よってジークは切り札の一枚を切る。

「解放」

 鎧が金色の輝きを放ち、肉体の能力を爆発的に引き上げる。



 ジークの斬撃はそれまでとは比較にならない威力をもって放たれたが――それでもシズはそれを受け流した。

 単純な威力では、技を打ち破ることは出来ない。熟練の剣術を持つシズに、既に一度破れているにも関わらず、ジークは驚愕した。

 しかしそれも一瞬。受け流したシズに対して、ジークは離脱を試みた。

 蹴り出す力で足元が爆発し、ジークの姿は瞬時にセラの背後にあった。そのまま躊躇いなく、セラの背中に斬りかかる。

「ちいっ!」

 ジークの斬撃は空を切った。セラがかわしたのではなく、その姿が幻影だったのだ。

 偽りの神の真髄発揮である。



 戦闘の趨勢は徐々にジークたちの有利へと傾いていった。

 セラの幻影には確かに驚いたが、ケセルコスが騎士たちを完全に始末したことで、戦力が増したのだ。

 アルテイシアはマリーシアと交代し、幻影を破壊する魔法を使う。

 最初の状態から考えると、騎士十人を失ったセリナたちが不利になった。だがある程度は相手を消耗させたし、足手まといがいなくなったとも言える。



 プルが全開で攻撃魔法を使う。戦車の装甲をも貫く物理的な力の槍だが、ジークのパーティーでそれを受けるような軟弱者はいない。カーズの場合はそれが役目なので平然と受け止めていたが。

 セリナがアルテイシアとマリーシアを相手にするのは変わらない。状況に応じて前衛と後衛を交代するので、セリナの攻撃パターンも乱される。

 シズがジークの背後から斬りかかったが、セラの幻影を潰したジークは、それを真っ向から受け止める。

 そこへケセルコスの精霊術が襲い掛かった。



 上位精霊の力が、見事な制御下でセリナたちに襲い掛かる。それで即劣勢になるような仲間ではないが、一人がフリーになったことで、攻撃の幅が広がったのは事実である。

 ここでセリナたちも、切り札の一つを切った。

「セラ! 治癒魔法を!」

 その言葉を聞いて、セラは魔法を使った。



 聖治癒神の魔法。あるいは奇跡。本来は治癒、回復、再生、解毒などに効果がある能力である。

 だがこの魔法はそもそも、対象の肉体に干渉するものだ。そしてその干渉は、良い方向にばかり働きかけるわけではない。

 セラの魔法が発動した瞬間、ジークたちは全員が、体調が急激に悪くなるのを感じた。

 疲労、集中力の低下、吐き気、眩暈、発汗などの症状である。

 人間はホルモンのバランスが少し変わっただけで、途端にまともに動けなくなるものだ。

 たとえば甲状腺ホルモンが低下すると、それだけで立つのも苦しくなり、横たわるのも苦しく、睡眠薬で無理やりに眠ることしか出来なくなる。

 思考も劣化し、鬱の状態となる。これはメンタルの問題ではなく、単に脳の分泌物質の問題だ。

 戦局はセリナたちの圧倒的有利に傾きかけた。







 ジークは英雄である。そして歴戦の戦士でもある。

 戦場で生き残るのは、体調が悪くても装備が悪くても、とにかく戦える者である。

 セラの魔法は確かに効果的ではあったが、致死性のものではなかった。

 そしてジークたちには状態異常耐性がある。

 神の呪いとも呼べる体調の悪化に対して、肉体が自然と抵抗する。普通なら立つのもやっとの状態にも関わらず、なんとこちらの攻撃をいなしていく。



 もっとも肉体の状態異常は確かにあって、セリナたちにとってみれば、最大の攻撃の機会でもある。

 五人の中で一番戦況に変化のないのはカーズで、セラの攻撃が拙いこともあり、彼がすぐに落ちることはない。

 シズは再びジークと相対したが、ジークは五人の中で一番レベルが高く、魔法の影響にも抵抗しているようだ。

 しかし他の三人は明らかに動きに精彩を欠き、瀕死の病人のようにふらついている。



 セリナは前衛にいたアルテイシアの剣を、音高く弾き飛ばした。

 懐に潜り込むと、肘を鎧の上から入れる。衝撃は浸透し、アルテイシアは悶絶した。

 これで一人、とセリナが次の獲物に向かうべく顔を上げると、動きの回復したケセルコスが迫っていた。

(早い)

 セラの魔法は事前に一度経験してみたが、魔法への抵抗のないシズなどはうずくまったまま動けなくなっていたものだ。

 それからのあまりに早い回復は、マリーシアの回復魔法による。

 彼女は元々善き神の眷属。こういったバッドステータスに対処する魔法に長じている。



 アルテイシアを完全に無力化する前に、セリナはケセルコスに対処することになった。

 彼の接近戦能力はセリナほど高くはないが、明らかにその動きは防御に徹している。しかしカーズほどの防御力はない。カーズは大魔王アルスすら「変態的な防御力」と言ったぐらいの戦士である。

 マリーシアにより回復したケセルコスだが、やはりセリナの超人的剣技には対抗出来ない。

 しかし稼いだ貴重な時間で、マリーシアは仲間の状態異常を回復し、アルテイシアの治療に回る。

 そしてまた、騎士たちが全滅したことによって、こちらが使える札が増えていた。



「武装水虎」

 皇帝暗殺犯が使っていた装備が、騎士たちの目がなくなったことで使えるようになったのだ。

「やっぱりお前か」

 シズの攻撃にジークは見覚えがあったが、外見が偽装されていたので正体は分からなかったのだ。

 獰猛な笑みを浮かべたジークと、シズの対決が始まった。

 これは試合ではない。殺し合いだ。しかしジークは出来るだけ、シズを殺すなと言われている。

 まあそれも、出来るだけという話だ。



 各戦線がまたも膠着する。一人で二人を相手にするセリナだが、むしろこれでも接近戦では有利である。

 ケセルコスとプルは遠距離からの攻撃を行い始めたので、補助魔法はセリナたちはセラ、黄金戦士団はマリーシアかアルテイシアが受け持つことになる。

 一瞬の油断が致命的な機会をもたらすこの戦闘において、最初に崩れたのはなんとセラであった。

 カーズの盾による体当たりだ、その小柄な体を弾き飛ばしたのだ。

(おい、そこから復活するよな!?)

 セリナが視界の隅でその姿を捉えるが、確認することは出来ない。



 そして次に均衡が崩れたのは、プルのところである。

 単純にプルの魔法より、ケセルコスの精霊術が上であったのだ。

 プルは倒れたわけではないが、その魔力は防御一辺倒となる。

 打開策はないか。セリナは考える。自分が三人を相手にしても、ジークさえシズがどうにか引き受けてくれるなら、まだ戦いは続けられる。

 だがそれは続くだけで、勝利へと繋がるビジョンは見えない。



「――! 撤退!」

 苦渋の選択であった。

 重い一撃を与えた後、セリナは後方に大きく跳躍した。

 シズも同じように、槍を投げてジークの注意を引き、武装を変化させて後退した。

 プリムラの傍まで下がった二人を、ジークたちはまだ警戒の目で見ている。

 徐々に距離が開いていく。そして背中を見せたのは、ジークたちの方であった。



「追撃は……出来ないか」

 肩で息をしているプル。シズはまだ余力がありそうだったが、決定打を打てそうになかった。

 地平線の向こうへジークたちが消えていく。それを待っていたかのように、地面に頭を突っ込んでいたセラがむくりと立ち上がった。

 セリナたちの方へ向かってきた彼女は、悪気のない笑みを浮かべていた。

「いや~、失敗でしたね」

「……お前、まだ全然限界まで戦ってなかっただろ」

 低いセリナの声に、セラは深く微笑んだ。

「ええ。足手まといを蘇生させる必要がありましたから」

 その目が見つめるのは、明らかに骸となった十人の騎士たち。中には体が千切れている者もいる。

「帝国の戦力を削るのはまずいので、蘇生させるために必要な魔力は取っておいたんですが」

 なるほど、そういう目的であったか。



 セリナは納得した。プルもシズも、その言葉に理があるとは分かった。

 だが決定的な、結果がそこにあった。

 セリナたちはジークを仕留められず、つまるところ敗北したのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る