35 一度目の戦い

 イストリア地方は平原が多い。

 南は大陸最大の大森林に覆われているが、広大な平地と豊富な水量で、農業基盤は頑健なものである。

 そして北方には鉱山があり、また迷宮や魔境も多く、活用できれば豊かな地と言える。

 この広大な地を、おおよそ五つの国家と無数の集落が争い、覇権を獲得しようとしている。



 竜翼大陸の人間が多い地域の国家にとって、その支配の正統性を示すのは、かつて人種の領域を統治していた『帝国』の血統である。

 二回の千年紀を乗り越え、当時争っていた魔族を北方山脈の向こうに追いやり、大陸の中では間違いなく最強の国家であった帝国。

 それが物理的に消滅したのが、3200年前のこと。

 大魔王アルスと、名前を伝えられていない三番目の勇者の争いの余波による。

 この余波は凄まじく、惑星全体を破滅させるほどのものであり、当時の神竜の中でも最年長にして最強を誇る黄金竜クラリスが、己の魂と引き換えにそれを抑えたのだ。



 帝国の正当なる血統を受け継いでいた国が、当時の五王国であった。

 イストリアもその一つであり、3200年前には内乱もあったが、その内乱を収めた中興の祖によって、しばらくはこの地方の覇者として君臨していた。

 しかし国家というものは、腐るものである。あるいは寿命があるというべきか。

 徐々にその勢力を弱めていったイストリアは、セリナが前世でネアースに召喚された時、既に過去の大国となっていた。

 それでも有力な国家ではあったのだが、ついに力尽きた。正当な王は殺され、殺した者も殺され、この地の派遣を巡る、戦いの時代がやってきた。



 戦いが日常化するということは、まずもって農場が略奪されることが多くなる。人は何より、食べなくては生きていけないのだ。

 そして広域な地帯が戦争状態になるということは、どの勢力も安全な後背地を充分に持てないということになる。兵站の問題が出てくる。

 食料の現地調達が始まれば、戦争は泥沼だ。戦争という人類全てにとっての悲劇は、なくならない以上出来るだけ早く終わらせることが必要となる。

 それを成すには天の時、地の利を持った、政略と戦略の才を兼ね備え、なおかつ統治の正当性を持つ人物が現れるのを待つしかない。

 そしてそれがどれだけ低い確率かは、言うまでもないであろう。







 荒廃したかつての農地を突っ切る道を、ジークフェッドたちのゴーレム馬車が進んでいた。

 ゴーレム馬車はその名の通り、馬型のゴーレムが引く馬車で、魔法使いがいるパーティーでは足となることが多い。

 ジークフェッドはその馬車の中、わざわざ特注で作った寝台に寝転がっていた。



 彼のパーティーは大盾持ちの黒騎士カーズ、エルフの魔法戦士ケセルコス、神の眷属たる戦乙女のマリーシア、そしてジークフェッドの娘であるアルテイシアの五人である。

 誰もがレベル200を突破し、ジークフェッドに至っては300を突破している。

 竜殺しの七つの流星でさえ、彼らには勝てないであろう。そんなパーティーに対して、セリナたちは戦闘を挑もうとしているのだ。



 気付いたのは、やはり直感力に優れたジークフェッドだった。伊達に危機感知技能を持っているわけではない。

「来たぞ。後方から接近。戦闘配置」

 カースが馬車を止め、仲間が外に出ると、ジークフェッドは収納庫にゴーレムと馬車をしまった。生物を収納できない収納庫に、その点でもゴーレム馬車は便利である。



 進路の先、小高い丘がある。そこに点在する岩や木々の向こうに、一応姿を隠す場所がある。気配感知を使われれば無意味なのだが。

「さて、ゲルマニクスの坊やが言っていた通り、不殺で行くぞ」

 落ち着いた口調で言ったジークフェッドは、仲間たちの先頭に立った。







「ねえ、せっかく一緒に戦うのだから、愛称で呼び合いましょう」

 アホのジークフェッドとの戦いを前に、そんなアホなことを言い出したのはセラフィナであった。

「私はセラ、プリムラはプル、シズカはシズでセリナは…そのままでいいかしら」

 セラフィナがアホなことを言ったが、別にセリナは反対でもない。戦闘中の会話は、少しでも短縮された方がいい。

 そしてそもそも、セリナはそれが愛称なのである。正式にはセリナリアであるのだから。



「どうでもいいけど許可しましょう。で、作戦ですが」

 プリムラ――プルがかすかに顔をしかめる。愛称で呼ばれるとなんだか自分が幼くなったようで、あまりしっくりこない。

 それを無視してセリナとシズの二人が、主に作戦を話し合っていた。何しろ実戦経験では群を抜く二人である。実はプルはあまり、人種の少数精鋭武装集団との集団戦闘経験はない。

 まして何事も正面突破のセラが戦術を考えて戦うなど、思いもよらないことであった。



「ふむ、地形など意味がないですか」

 シズが見るのはセリナが把握している、周辺の地形を三次元で投影したものである。

「しばらくは特に地形の変化もありません。沼地や水辺でしたら、何か考えるんですけど……」

 ジークのパーティーメンバーは、全員が飛行以上の魔法を習得している。それに対してこちらだが、騎士たちの中には魔法具を使わなければ飛べない者が過半数いる。

 空中戦でのアドバンテージとなるのは、速度と旋回半径、上昇限界、加速速度などであるが、この点ではこちらの方が弱い。シズは空気を蹴って移動することが出来るがそれには限界があるし、セラフィナは中身神様のくせに、浮遊の魔法までしか使えないという。

「まあ、魔法ではなく奇跡という形で飛ぶことも出来ますが、あまり得意ではありませんね」

 あからさまにセリナは舌打ちする。セラはそれにもにこにことした表情を崩さない。



 特別な地形が少ないというのは、一応この際セリナたちに有利なことである。だがジークたちの無茶苦茶な攻撃力を考えれば、足場が崩れることは想定しないといけない。

 戦いとはその準備の段階で八割方勝てる算段を立てなければいけない。理想を言うなら九分九厘勝った状態で、あとはそれを確定させるだけというものだ。

 もちろんそんな贅沢は、セリナたちには許されていない。そもそも戦力が足りないのだから。

 常識で考えれば攻撃側の方が、戦力を整え地形を選び、攻撃開始の時期も選べるので有利なのだが、やはり根幹となる戦力に、どうしても不安が残るのだ。

 セラの魔法と能力を考えれば、ゲリラ戦的な戦い方が出来るようだが、ゲリラ戦はそもそも消耗戦で、防御側の取る戦術である。

 先回りして罠を仕掛けるかとも考えたが、向こうの移動速度も相当速いので、諦めたのだ。



 問題として、騎士が邪魔である。

 戦力になるか、と問われればなると答えるのだが、運用が難しい。そして損失することは間違いないだろう。

 レベル100の騎士が十人。使い捨て出来るような戦力ではない。

「やってみるしかないですね……」

 前世においては、情報が少なく、勝算の立たない戦場など幾らでも経験してきたセリナである。それでもなんとか生き残り、寿命で死ぬことが出来た。

 シズにとってもそれは同じである。そしてこの戦いは拠点防衛や攻略、相手の殲滅を目的とした戦闘ではないので、自分が生き残るだけならたやすいことだ。

 問題は味方の損失を防ぐことだが、そこは聖治癒神の力をアテにさせてもらおう。

「さて諸君、戦闘を始めよう」

 いつの間にか仕切るようになっていたセリナがそう言って、ジークたち黄金戦士団との戦いは始まった。







 天空を切り裂き、流星の雨が降った。

 流星雨。広域破壊魔法であり、戦術級の魔法である。普通なら軍隊相手に使うような魔法であるが、攻撃力は折り紙つきである。

 大地を破壊しクレーターを量産し、爆風が地面を這い回り、熱量が大地を溶かす。

 神をも滅ぼすこの先制攻撃は、プルによるものだった。

 ジークたちのパーティーは全員が魔法戦士だが、純粋に魔法に秀でている者はいない。ケセルコスが精霊術に通じているのを除けば、あとは全て戦士よりの魔法使いだ。

 対してプルは魔法使い寄りの戦士。遠距離からの攻撃は、接近戦を得意とする者への常道である。



 地形が変化するのに合わせ、セリナの脳内の地図も変わっていく。そして舌打ちした。

 予想していた通りであるが、ジークのパーティーに損害はない。防御のために魔力を費やした程度だ。

「どうする? もう一度落とすか?」

 プルに問われたセリナは、魔法で掘った穴の中で、爆風が頭上を通り過ぎていくのを見つめていた。

「いや、たいした効果が出なかったみたいです。もちろん向こうの魔力を削りましたけど、効率が悪い。それに――」

「近づいてきたな」

 シズが呟く。感知系の技能は彼女も持っている。魔法ではないものだが、性能に差はない。



 予定ではプルの攻撃魔法で、遠距離から相手の魔力を削る作戦だった。プルは両親による修行で、魔力が高速で回復する技能を持っている。

 だが相手はやはり歴戦の猛者である。自分たちの戦法に持ち込むべく、距離を詰めてきた。

 ここで罠でも仕掛けられれば有利なのだが、流星雨で地上は地形が変わるほどに破壊されている。

 ちなみに騎士たちは初めて見る大規模戦術魔法に、顔を蒼白にさせていた。

「騎士は五人ずつに分かれて左右から牽制。プルは遠距離から攻撃を続け、相手の強化魔法を解除。こちらに補助を。私たちは二人で正面から突撃。セラは――なんとかして」

「聞いたな? 行くぞ野郎共! オーガスの騎士の誇りを見せてやれ!」

 顔色を変えた騎士たちも、女二人が正面から攻撃するとなれば、男の意地で動かざるをえない。まだ砂煙の舞う地上へと、セリナたちは飛び出していった。







 一対一の状況を作りたい。それがセリナとシズの目的であった。

 ジークはともかく他の四人は、接近戦で戦えばこちらが確実に勝てる。問題は、その状況を作り出し、かつ維持させることだ。

(難しいな)

 騎士たちの牽制に動くのは、恐らくマリーシアかアルテイシアであろう。遠距離攻撃に備えて、ケセルコスは精霊術の準備をするはずだ。

 正直、最先端の武装をした騎士たちであっても、積極的に戦えば一瞬で壊滅するだろう。だから牽制をまかせたのだが。

(カーズが厄介すぎる)

 黒騎士カーズは、大盾を持った戦士である。仕える魔法も防御系で、集団戦では一人で前線を支える能力がある。

 セリナかシズなら一対一で戦えるが、すぐさま倒せるほど弱い相手では断じてない。ならば――。

「セラ! 黒い鎧を相手にして!」

 相手の盾を、こちらのジョーカーで足止めする。その間に他の駒を落とす。



 セリナがまず相手にしたのは、アルテイシアだった。

 ジークの娘にして、父親の複数ある外付け良心回路。魔法で治癒や防御、補助が得意。それが200年前の時点でのデータである。

 視界の隅でシズがジークと相対したのを見つつ、セリナはアルテイシアに襲い掛かった。

 刀が舞う。その軌道にアルテイシアは対処するが、一瞬後には防戦一方になっていた。

 出来るだけ早くの無力化。それを狙ったセリナだが、横から魔力の槍が飛んで来た。



 なんとか回避する。そこにいるのはマリーシア。彼女が放ったのは、一撃で竜の鱗を貫く戦乙女の槍。

「ありがと!」

 それに並ぶアルテイシア。二対一。連携の取れた強敵相手に、これはきつい。

 マリーシアの援護を受けて、アルテイシアが飛び込んでくる。セリナはそれを受け流す。

 切り札を使うべきか。セリナは迷う。そして迷った時点で、自分の誤りに気付いた。



 この戦闘の目的は何か。

 ジークを殺すことではない。戦って、どうしようもなかったと証明するのが目的だ。

 勝たなくても、負けて退却してもいい。そういう戦いだったはずだ。

 戦況を確認する。アルテイシアの剣術を相手に、マリーシアの魔法攻撃も加わっても、まだセリナには余裕があった。

 セラとカーズは拮抗している。セラの攻撃は全くカーズに通用していないが、セラもカーズの攻撃を受けていない。

 シズはジークと互角に戦っているように見える。お互いに切り札は切っていないのだろうが。



 そして騎士たちは一方的に蹂躙されていた。

 ケセルコスの精霊術に、近距離での戦闘という同時攻撃。確実に一人一人を無力化している。

「セラ! あれを!」

 戦場にセリナの大声が通り、そしてセラは酷薄な笑みを浮かべた。

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