34 追跡
偽りと裏切りの神ラクサーシャ。それが聖女セラフィナの正体。
だが偽りの神と言いつつ、彼女の語った言葉には嘘がなかったように思える。嘘とは真実の中に一つ紛れ込ませることによって、より効果的になるものだ。
そして彼女の本来の力である隠蔽能力は、セリナたちの当面の目的に役に立ちそうだ。
「さあ、私を仲間にしますか? 面白い出来事が続く限り、私はあなたたちを裏切りませんよ。あなたたちの力になると約束しましょう。偽りの神の約束が、信じられるならばですが」
またおっとりとした笑みを浮かべて、セラフィナはそう言った。
「信用出来ないな。だが、戦力にはなりそうだ」
気だるげに言ったプリムラを、セリナは驚きの目で見つめる。これは毒だ。飲み込めるような代物ではない。
だがプリムラの声が低くなったのは、別に相手が信用出来ないと分かったからではない。
「こいつみたいな女の子には、正直食指が動かないんだが…」
こちらも理解しづらい理由であった。
セリナはプリムラをもはや無視して、セラフィナのことを考える。
戦場でいきなり背中から撃たれる。そんな危険性があるだろうか。致死感知にさえ引っかからず、偽りの神は攻撃をしてきそうである。
だが戦力としては有用だ。偽装隠蔽を解いたセラフィナのステータスは、攻撃的なものも充分以上に備えていた。
何より偽装隠蔽に通じたこの神なら、今後の旅にも多いに貢献してくれるだろう。ステータスに偽りがないのであれば。
それにしてもこの神は、自分でも言ったように気まぐれそうだ。戦力として計算するなら、前衛に立たさなければこちらの身が危うい。
「とりあえず、今回は協力してもらいましょう」
セリナはそう判断した。そもそも現在の戦力での達成が不可能な任務なのだ。とりあえず戦力を揃えて、それでも無理なら報告するしかない。
ちなみにレベル100に達しているような最精鋭の騎士も本国の前線からプリムラと共に数人随伴しているのだが、それでもやはり肉の壁にもならない。
ジークフェッドたちは全員が3000年以上を生きる異常な面子である。全員が人殺しには全く禁忌を覚えない精神構造をしている。肉壁よりもむしろ、煙幕程度にしかならない。それもこちらからも相手が見えないという。
「彼女の能力があれば、シズカを仲間に出来る。彼女の死を偽装したことで、私たちは彼女に一つ貸しを作ったことになるから。私と彼女とセラフィナで前衛を務めて、プリムラに後ろから援護してもらえば、なんとかなる……んじゃないかな?」
数の差で負けそうな気もするが、なんとか戦闘が成立しそうな目算が立った。
「さて、そうと決まれば、次はシズカとの交渉か」
「彼女の居場所をご存知で?」
「聖山にいるんだよな? ……そういえばあそこまでの移動手段がないか」
プリムラの転移能力では、聖山キュロスへの直接転移は出来ない。セラフィナの時空魔法レベルはそう高くない。
そこはセリナのお友達に頼ることになるだろう。上手く話を運べば、今回の戦闘にも協力してくれるかもしれない。
「交渉してみるとするか」
セリナは端末に表示された、大賢者へと連絡を取った。
ゲルマニクスと会うのに、さらに一日の時間がかかった。
あちらはあちらで何やら動いているらしく、現れたときには何やら憔悴した色が表情に見えた。
「シズカを仲間にか。本国に知れたらまずいんじゃないのか?」
「まあ、こちらには隠蔽魔法の達人がいるからな」
場所はセラフィナの私室ではなく、神殿の一室であった。防諜機能は完璧である。
ある程度故意に結界を弱めて、ゲルマニクスが転移する。
しばらくして戻ってきた彼は、しっかりと半獣人の女性を連れて来てくれた。
「何やら、助けてくれたそうですね」
シズカは以前のごとく自然体で立っている。もっともその腰には変わらず刀を差しているのだが。
「あなたの身代わりは用意しました。別に誰かを殺したとかではなく、その辺の死体を利用しただけなので、ご心配はなく。ただ一方的に恩を売っておいてなんですが、ジークフェッドの追跡に力を貸してほしい」
シズカと交渉するのはセリナである。プリムラでもいいのだが、シズカとセリナの間には、特定の価値観が刻まれている。
戦乱の中、狂気が支配する戦場で戦った、戦士という共通点だ。
あの男か、とシズカは少し目を細めた。
「あの試合では、本気を出していませんでしたね。おそらく周囲に知られては困る何か、切り札を持っている」
ジークフェッドの切り札の一つは、彼の装着する鎧の機能だ。解放すると共に肉体の能力を向上させ、レベル差のある大魔王と互角に戦っていた。
まあ切り札を一つも切っていない大魔王が相手であったが。
「それで、ご助勢願えますか?」
セリナが真剣に見つめてくるのに、シズカも気配を変えた。
「いいでしょう。仲間たちは魔法都市で保護されていますし、私がオーガスの勢力圏にいるのは、やはり色々とまずい」
セリナはその答えを聞いて、ようやくにっこりと笑った。
「それで、ゲルマンは手伝ってくれるのですか?」
ゲルマニクスをそう略して、セリナが問いかける。彼が味方してくれるなら、数の上では五対五。数字の上では互角である。
だが勝てない。
相手を分散させなければ、即席のパーティーなど、あの五人の連携の前では鎧袖一触で敗れ去ることが分かっている。
さらにおまけがついた。
「私は不参加だ。仕事がある」
ゲルマニクスが断言してくれた。セリナが困った顔をしても、それにほだされるような男ではない。
『お前、前世で俺がどれだけ苦労したと思ってんの? お前が死んだ後、尻拭いして回ったんだけど?』
事実である。あの混沌とした乱世の中、どれだけセリナが人を斬ったか。
『だが断る。俺にもやらなければいけないことが山ほどあるし、そもそも俺の時空魔法では、あいつらを分断させることは出来ない』
分断して各個撃破。それがジークフェッドたちを倒すための前提である。
睨みあうセリナとゲルマニクス。その会話の内容は日本語だったので、シズカ以外には分からない。
だが雰囲気で察したのか、セラフィナが手を上げた。
「私の魔法を使えば、充分に勝算はありますが」
セラフィナの持つ魔法の技能。その中でも最も優れているのが、精神魔法である。
相手を欺き、混乱させ、あるいは洗脳する。魔法の中でも禁忌に近く、習得者は登録の義務と行使の制限を受ける魔法だ。
「……幻覚を見せたり、視界を防ぐことが出来るのですか?」
戦場の経験が豊富なシズカが問う。普通の幻覚などではレベルの高い戦士たちを惑わすことは出来ない。だが神レベルの魔法であれば話は違う。
セラフィナの出自についてはシズカにも話してある。この世界の戦場の経験が一番高いシズカは、腕を組んで考え込んだ。
「歴戦の戦士相手には難しいが、まずは一当てしてみるべきか」
それで無理なら、また戦力の追加を考えなければいけない。
そしてその戦力に関しては、セリナにはアテがあった。
ジークフェッドが逃げていく先は、竜骨大陸の北東。竜翼大陸に向けてである。
そしてその途中にはイストリア地方、大森林が存在する。
大森林のハイエルフ、クオルフォス。彼の力を借りれば、ジークフェッドたちとの戦いに勝算も見えてくる。
まずは移動だ。オーガスの騎士たちを集めて、プリムラがそれを命じた。
ゲルマニクスの転移で送ってもらおうかと考えたが、そもそも彼の時空魔法では、自分以外の人間をそう遠くまで移動させることは難しいらしい。大会のときのように、一人が随伴するのが限界だとか。
よってセリナたちの移動手段は装甲車となった。
オーガスの勢力圏を完全に抜ける。その先には列車の路線がない。
竜骨大陸北東のイストリア地方。かつてイストリア王国が存在したこの地方、伝統あるこの国だがついに100年ほど前に滅びている。
もちろんその血を受け継ぐ末裔はいて、小国に分かれて王国継承戦争という戦乱の時代となっている。
レムドリアもオーガスも、またガーハルトも地政学的には接触したい地域なのだが、どの勢力を援助すればいいのか分からないため、結局手を出していないという地域だ。オーガスに関して言えば、ここ数十年の政府の動きが鈍かったこともあるが。
そんな紛争地帯を、ジークフェッドたちはゴーレム馬車で移動しているらしい。おそらく明日には追いつくだろう。
追跡するのはセリナとプリムラ、オーガスの騎士が10人と、セラフィナとシズカの合計14人である。
シズカの姿は変わっている。猫耳が消え、肌は褐色、髪の色は銀色となっている。これはセラフィナの変身魔法によるものだ。この程度でも、シズカは始末したという情報を与えられた騎士たちには通用するらしい。
もっとも実際は、セラフィナが多少、騎士たちの認識力を操作してしまったらしいが。
セラフィナの動きはそれだけではない。神聖都市の神殿の上層部を、自分の存在を都合の良いように洗脳した。
聖治癒神の神殿だけでなく、有力な神殿の上層部のほとんどを、意のままにしたのだ。そして自分がジークフェッドの捕縛に動くことを了承させた。
精神魔法の恐ろしいところは、一度かかってしまえば、しばらくその状態が続くと、本当にそれを事実と認識してしまうことである。
もちろんこのような危険な魔法、セラフィナは自分のステータスを偽装して隠している。
そして中間、下層の神官たちの疑惑や反対を抑えて、神聖都市からは単独で参加したのである。やりたい放題である。
正直セリナなどは、ジークフェッドたちより彼女単体の方が危険なのではとさえ思っていた。
それにしても、とセリナは装甲車の窓から、イストリア地方へ向かう風景を眺めていた。
「荒廃してるなあ……」
「内乱だからな」
セリナの呟きにプリムラは返す。セリナもプリムラも、この地方が比較的平和だった時代を知っている。
イストリア王室に、まがりなりにも権威があった時代だ。その頃はまだ、街道から見える村や街に、高い防壁が築かれているということはなかった。
「竜牙大陸に比べれば、それでもマシですが」
追加で言ったのはシズカである。六年前まで竜牙大陸で傭兵をしていた彼女は、修羅の国を経験している。
竜牙大陸はその八割が紛争地帯。武装しない人種など存在しない。
一応最北端の魔都アヴァロンは治安も良いが、それ以外には巨人族の領地が断絶して平穏なだけである。
そこから来たシズカは「戦国時代の方がまだマシでした」とさえセリナには言っていた。
この問題が解決したら、竜牙大陸に行くのもいいかもしれない。
本来なら竜爪大陸にいるであろう、前世の戦友に会う予定だったのだが、情報を集めてみると、移動手段が非常に限られていて、とても民間人が行く場所ではないと言われている。
セリナが民間人かどうかはともかく、オーガスの手もそこまでは伸びていない。
ゲルマニクスがもっと協力してくれたら話は早いのだが、確かに彼も色々と動いているのだろう。
竜翼大陸を経由して竜爪大陸に単独行くのは、セリナの戦闘力と生存能力をもってしても危険がある。
それにセラフィナという爆弾を見つけたことにより、これから目を離すのは危険すぎるとセリナの良心が言っている。
考えることは増えた。戦力も増えたように見えるが、それ以上に厄介ごとが増えた。
溜め息をつくこともなくセリナは、情報の整理を頭の中で行っていた。
そしてついに、装甲車はジークフェッドたちに追いつく。
前世において戦術を駆使してようやく勝利した相手と、正面から激突する。
その勝率を考えると、今度こそセリナは溜め息をついた。
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