33 偽りの聖女

 荘厳ではあるが美麗ではない、聖治癒神ラエルテの神殿の回廊を、神官に先導されながらセリナとプリムラは歩いている。

 聖女セラフィナに会うためであるが、一昨日とはまた事情が違っていた。

 シズカに関しては、偽装した無関係の女性の死体を、それらしく加工して上層部を納得させた。ちゃんと――と言っては問題があるだろうが、スラムで病死した人間の遺体を加工したものである。どうせ帝都の人間もそれが本物か確認しないだろうから、それは解決した。

 問題はジークフェッドの方である。

 一昨日の夜、逃げるように神聖都市から脱出した彼らを、プリムラが戦力不足で捕縛も抹殺も不可能と報告したのだ。

 だがそれで上層部が納得するわけがない。いくらアレとはいえ、最高権力者が衆人環視の下で殺されたのだ。何かしらケジメはつける必要がある。

 ヤクザ映画か! などとセリナは思うのだが、どこの世界でも社会でも、舐められたら負けという理屈はある。

 そこでオーガスの上層部が決定したのは、戦力を増やしてジークフェッドたちを追跡するという選択である。

 もちろんレベル200オーバーが基準のジークフェッドたち五人を相手に、ちょっとやそっと腕の立つ人員を寄越されても、肉の壁にもならない。そしてさすがに軍を動かすわけにはいかない。

 そこでオーガス上層部は、魔法都市と神聖都市に援軍の要請をした。

 具体的には大賢者と大魔女、聖女の派遣を求めたのである。



 大賢者と大魔女は、魔法都市にいないことになっている。どこにいるのかも分からず、連絡を取る手段もないことになっている。セリナのみはゲルマニクスと連絡を取る方法があるが、それは誰にも話していない。

 よって戦力として期待出来るのは聖女のみとなる。今日はそのために聖女と顔を合わせ、協力を仰ぐのが目的である。

(あの五人を相手にするとして……ゲルマニクスに転移魔法を使ってもらえるか?)

 元々ジークフェッドたちは竜翼大陸に逃がすつもりだが、もし実現性を弁えない上層部が、彼の捕獲か処刑を継続して命令した場合、どうやって戦うかのシミュレーションは済んでいる。

 前世でもあの5人とは戦ったが、あの時とは味方の戦力が比べ物にならないほど貧弱だ。セリナとプリムラの二人では、絶対に不可能である。

 ゲルマニクスの協力がいるが、彼の価値観から考えると、協力してくれる可能性はない。

 いくら聖女がいたとしても、強力な転移魔法の使い手がいなければ、五人の連携を相手にしては、治癒や補助の魔法もあまり効果はないだろう。

 逆に言えば一対一なら、今度こそジークフェッドに殺し合いで勝つ自信はある。



 戦術的に考えて、まずあの五人は絶対に分断させないといけない。そのために必要なのは、高度な時空魔法の使い手である。プリムラでは足元にも及ばないほどの。

 実のところゲルマニクスでも、五人を瞬時に分断させるほど時空魔法に通じてはいない。同じ大賢者でもサジタリウスか、それこそ前世のように大魔王を呼んでこないといけない。

 後方支援能力の高そうな聖女は確かに戦力になるが、この場合必要な方向性の戦力ではないのだ。

 ではなぜ聖女に会うかと言えば、とりあえず全力を出して駄目だったという言い訳が必要とのこと。

 その過程でプリムラが死にでもしたらどれだけの損失になるのかとか、そういうことは考えてある。

 前衛をセリナが務め、プリムラは後衛からの攻撃。

 補助や回復などの役割を聖女が担当するという、役割分担だけを考えれば妥当にも思える。



「戦力が全然足りないって……」

 前夜、思わずセリナは吐息したものだ。

 ジークフェッドのパーティーは、全員が魔法戦士である。もちろん得意な分野の傾向はあるが、全員がオールラウンダーというのは、連携して戦う場合、単純に戦力が足し算で増えるわけではない。

 全員が仲間のフォローを出来るというのは、相手をする立場からすると悪夢である。

 どこから崩せばいいのか分からない。そしてオールラウンダーであることとは相反するようではあるが、五人全員が何かに突出した能力を持っている。

 連携されたらその力は何倍にもなるのだ。







 プリムラと話し合って、セリナはとりあえずジークフェッドとすぐに対決することは避けると決めていた。

 一当てして、とりあえず死なない程度に負けてみる。それから上層部に報告する。その間にジークフェッドたちは国外に逃げているだろう。

 そこで追跡を断念したら、それはそれでいい。もしまだ諦めないとしたら、国外に出た時点でセリナは戦力の補充にかかる。アテはあるのだ。

 竜翼大陸に逃げるなら、イストリア地方を通過しなければいけない。そしてあそこには隣接して大森林がある。

 エルフの大長クオルフォス。ハイエルフである彼に助勢を頼めば、ジークフェッドたちとの戦力差は縮まるだろう。

 もっともそこまで逃げられてしまえば、セリナは追跡を断念する方向で考えている。



 世界中を旅するのだ。

 大森林に行くのは、戦力の増強ではなく、クオルフォスから情報を聞き出すのが目的である。

 プリムラがはたしてどうするのかは分からないが、そこで別れるかもしれない。

 出来れば一緒に付いて来てほしいのだが、オーガスでの立場上、そう簡単にもいかないだろう。



 それに、戦力の増強という点では、既に一つアテがある。

 シズカだ。いくら死を偽装したと言っても、帝国の領域内にいる限り、その生存が発覚する可能性は高い。

 前世を考えれば、セリナの目的である諸国漫遊武者修行に付き合ってくれそうな人物である。何より足手まといにならないところがいい。

 そんなことを考えながら、セリナたちは神殿の最奥へ足を踏み入れた。







 簡素な部屋だった。

 寝台と最低限の家具以外は何もない。聖女と言われていても、その生活は質素なものなのだろう。

 わざわざ私室に出向いたのだが、予想通りと言うべきか否か、聖女の脇にはそれを守るように神殿騎士が二人立っている。



 聖女セラフィナ。桃色の髪に青い瞳という彼女は、元々は孤児であり、神殿の孤児院で育てられた。

 その資質が判明したのは早い。三歳の時には魔法を操り、十歳の時には聖治癒神ラエルテの神聖魔法を究めたと言われている。世界を見回しても五人といない、蘇生魔法の使い手でもある。

 柔和な微笑を浮かべた美しい少女に対して、だがプリムラは膝の力を抜いた。いつでも飛びかかれるように。

「初めまして閣下、この神殿にて聖女の称号を受けたセラフィナと申します」

 聖女に姓はない。しいて言うなら、セラフィナ・ラエルテと名乗るべきだろう。

 大好物の美少女を前にしても、プリムラの表情は硬かった。

「プリムラ・メゾ・ウスラン名誉伯爵です。お目にかかれて光栄です、聖女殿」

 交渉は一応プリムラが前に立って行う。交渉と言うよりは、ほとんど命令なのだが。

「詳しいお話をする前に、お人払いを願いたい」

 プリムラの要求に、騎士たちが気色ばむ。その動作をセラフィナが止める。

「あなたたちは、部屋の外に出ていてください。それがあなたたちの役目です」

 その瞬間、騎士たちの表情から人間性が抜けた。機械のように動き、部屋を出る。

 明らかにセラフィナの使った魔法か能力である。だが当の彼女は涼しい顔で微笑んだままだ。



 人を操り人形にして、なおも微笑んだままでいる。それが聖女と呼ばれていることに、セリナとプリムラは警戒した。

「そんなに身構えないでください。こちらの方が話しやすいでしょう?」

 セラフィナはそう言って、空中から椅子を二つ取り出した。それを二人へ勧める。

 セラフィナの技能にも祝福にも、時空魔法の類はない。それであるにも関わらず、使ったのは収納系の力。明らかにステータスを偽っている。

「まず、結界を作ったほうがいいですね」

 何気なく言ったセラフィナに対して、プリムラが反応した。一瞬で部屋の外との空間が断絶する。

「これでいいかな?」

「ええ、これで中で何を話しても大丈夫でしょう。誰かが勘付いても、私がどうにかしますから」

 そう言ったセラフィナの笑みは、邪悪度を増している。

 とりあえずセリナが確認したいことは一つであった。



「聖女セラフィナ、あなたは何者ですか?」

「竜眼を持つ閣下なら。それも分かるのでは?」

 セリナの問いに対して、セラフィナはプリムラに問い返す。

「……竜眼も万能ではない。少しは大賢者ゲルマニクスから聞いているが、聖治癒神を喰らい悪しき神々を倒したにしては、そのレベルに達するための、技能が足りない」

 セリナとプリムラ、二人の鋭い視線を受けてなお、セラフィナは微笑を絶やさなかった。

「私の前世が神であったとは、ゲルマンからは聞いているのですか?」

 セリナとプリムラが頷くと、セラフィナはなぜか花の咲いたような笑みを浮かべた。

「そうですね。では私の前世の名も名乗りましょうか」

 ちょっとした秘密を打ち明けるかのような気楽な声音で、セラフィナは囁いた。



「私は悪しき神々の裏切り者。偽りと裏切りの神、ラクサーシャという神でした」







 神という存在は、案外気まぐれなものである。

 自分への信仰心を試すために、信者に理不尽な逆境や災厄を与え、それでも自分への信仰を失わないか試すことがある。

 地球においての一神教が代表だが、ネアースの神でもそれは同じだ。もっとも善き神々は比較的まともで、理不尽ではない程度の試練を神託で与えることがある。

 善き神々と悪しき神々の境界線。それは案外と曖昧なものなのだ。中立の神さえ存在する。最上位の悪しき神である魔神でさえ、どちらかというと立場は中立に近い。



 さて、ラクサーシャという神は、善き神か悪しき神かと問われれば、まず間違いなく悪しき神と答えられる。

 偽り、裏切る。それを行い悪しき神々から善き神々へと陣営を変えた神だ。

 司るのは何かを隠蔽すること。人々を欺き、人々が信ずることを忘れ、絶望の中自暴自棄になることを楽しむ神だ。

 だが、それを己のアイデンティティとしていたのは統一暦1000年前後までのこと。つまり第一次千年紀で、勇者たちと戦い破れるまでだ。

 己の力を上回る勇者たちに対して、彼女は降った。そして以後は助言者となったのだ。

 悪しき神々の情報を伝え、当時はまだ多く地上に顕現していた神々を、勇者たちに売ったのだ。その途中で裏切り者に怒った悪しき神々に、肉体をバラバラにされて封印されそうになり、それよりはと自ら肉体を捨てた。



 輪廻の輪の中で彼女は自我を保っていた。そして転生先に人間を選択した。選択先は豊かな商家の娘であったが、それが幼児期に没落して捨てられたのは計算違いだった。

 しかし神殿に入り込めたのはかえって幸運であった。偽りの神である彼女は、善き神の目をも欺き、人間として成長していったのだ。

 そして、またも裏切った。

 悪しき神々を討伐、封印する合間に、ラエルテをはじめとする善き神々を喰らったのだ。

「神喰らい……」

「本来なら邪神の系譜が得意なのですが、私にも使えたので。暴食の力に近いですね」

 そこまでの言葉をセラフィナは、全く笑顔を崩さずに続けた。



 それにしても、とセリナは思った。

「そこまで私たちに話す目的は何ですか? 神殿に知れたら、大事どころの騒ぎではないでしょう」

 セラフィナの笑みが深くなる。

「こんなことを知って、神殿の上層部が動けると思いますか? 必死に隠蔽するでしょうね。私のことは封印しようとするでしょうが、もう遅い。神聖都市の全戦力使っても、私を封印するのは無理。せいぜい屍の山を築くだけです」

「……分からんな。なぜ、それを私たちに教えた? 私たち二人が神聖都市の戦力と協力すれば、お前の封印ぐらいは出来るかもしれんぞ」

 プリムラの指摘に、セラフィナはついに声を上げて笑った。

「それはね、あなたたちに付いて行きたいと思ったからですよ」

 偽りと裏切りの神は、詐欺師のような誠意ある笑顔で言った。

「神聖都市にいて聖女の役をするのも、もう飽きたので」

 その言葉には偽らざる真剣みがあった。

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