32 大賢者との対話

ゲルマニクス。地球では蒼井空という名前であった男は、元々勇者として召喚される前からハッカーであったが、地球に帰還してからはさらに、その腕も神がかったものとなった。

 その腕一つで巨万の富を得、情報を操作し、ある意味世界を裏から支配した。

 召喚された勇者の半分以上は普通の男の子や女の子に戻ったのに反して、彼は戦乱の異世界の影響を強く受けたのだ。

 そして地球でさえ安全な国などは少なく、裏に回ればネアースと同様か、それ以上の悪徳が蔓延っていることを確認した。

 彼がネアース世界で手に入れたのは、それを直視する精神力であった。



 セリナを筆頭とする元転移者と組んで、彼は現実を変えようとした。もちろん、より良き方向に。

 だがそれは無駄な努力だった。権力は必ず腐敗する。信頼出来るはずの仲間も、あるいは平穏に魅かれ、あるいは権力に溺れ、最後にはセリナともう二人しか彼の仲間は残っていなかった。

 そして彼は、世界を――人間の社会をリセットすることにした。

 世界に存在する核保有国の全てのシステムに潜入し、アメリカを除く全ての国家のシステムの把握に成功した。そして、最後のスイッチを押した。

 核による破壊は、腐敗しながらも機能していた秩序を破壊し、地球のほとんどの地域が戦乱の時代へと突入した。



 核を筆頭とする化学兵器・生物兵器が無差別に使用され、世界中の環境が汚染され、人類全体の文明レベルさえ低下した。

 セリナは前線となった世界各地で戦い、個人の武力で組織を制圧していった。

 数十年の時が流れ、ようやく世界がある程度の平穏を取り戻したとき、世界人口は大戦前の5%以下にまで減っていた。

 まさに地獄の時代であった。



 そして戦争終結の最後のけじめとして、セリナはソラを殺害した。

 両者合意の上でのことだった。電脳空間がずたずたにされた戦後の世界では、ソラの力はもはや有効ではなかったと思われたからだ。しかし殺害されたはずのソラはそれから十数年をかけて、再び人類が進歩するように、システムを作り出した。

 それは中央コンピューターと便宜上言われ、人類によりマシな方向への進路を指し示すものであった。

 システムが稼動した翌日、今度こそ本当にソラは死んだ。

 その後はシステムの計算に従い、セリナはごくわずかに残った仲間と共に、人類の文明レベルを、その理性に適正なものへと導いていった。







「で、あれからどうなったんだ?」

 ゲルマニクスがまず求めたのは、彼が死後の地球の出来事であった。

 彼の死因は過労死であったので、セリナよりも地球に対する――いや、地球の人類の未来に対する思い入れは吹っ切れていなかったのだ。

「ああ……端的に言うと、人間が進化した。超能力者が生まれた」

「! それはネアースの魔法使いみたいなものか? それとも技能みたいなものが発生したとか」

「いや、私自身はオールドタイプだったから完全に理解できたわけじゃないのだが、なんというか、相互理解が可能になって、空間把握能力が発達したんだ」

 テレパシーみたいなもの、と言えばそうなのかもしれないが、あれはまさしくニュータイプの能力であったと思う。

 そして空間把握能力。本来人間が視覚や聴覚で捉えているものを、どこにあるのか分からない器官で把握していた。おそらく脳のどこかが発達したのだろうが。



 人類の種としての進化と共に、中央コンピューターの存在意義は変化し、汚染された地球を離れて宇宙へ進出する計画が立てられていた。それが軌道に乗りそうになったところで、セリナの前世の寿命は尽きたのだ。

「こっちの世界の人間とは、また別の存在になったわけか……。まあ、宇宙へ進出する意識が出てきたのは良かったのか」

「たぶんもう100年もしたら、MSの出てこないガ○ダムみたいな世界になるんじゃないかな? 宇宙のスケールに、人間の能力で対処できるんだから」

 セリナの地図の祝福などは、半径400キロを把握するというものだが、宇宙レベルの話になると、あまり役に立たない。それだけあの地球の人間は、まさに進歩ではなく進化したのだ。

「まあ、人類がちゃんと方向をもって進み始めたならいいか。どうせもう干渉する力はないしな」

 そう言ってゲルマニクスは思考を切り替えた。



 二人は神殿の中庭に移動して、さらに話を続けた。

「こちらからもいくつか訊きたいことがあるんだけど」

 セリナの転生してからの12年は、さほどゲルマニクスを驚かせるものではなかった。女体化とシズカに勝ったことはさすがに驚いていたが、彼女の前世が上泉伊勢守だと言っても、ゲルマニクスはその知識を持っていなかった。

 日本人が誰でも知っているような剣豪は、宮本武蔵とか新撰組の面々、あと強いて言うなら柳生十兵衛ぐらいまでなのだろうか。柳生新陰流の師匠が上泉伊勢守であるのに。

「まず、オーガス皇帝の暗殺は、どういう経緯でああなったんだ?」

 ゲルマニクスが転生してからのことは、既に調べてあるので割愛した。

「あれか。まずジークフェッドとシズカはそれぞれ別に、聖女の力を頼ってきたんだ。ジークフェッドは神々の呪いから仲間を解放するために。シズカは後遺症の残った仲間を治癒してもらうために」

 シズカの目的は、オーガスが原因により自分の仲間が受けた、後遺症の残る重篤な障害の治癒であった。

 そして皇帝の暗殺は、聖女に伝手があるゲルマニクスとサージがそれぞれ別に依頼したもので、ちょっとした情報交換の齟齬で、お互いが目的を知らなかったらしい。

 なぜ皇帝が暗殺されなければならなかったかというと、それは彼が無能、と言うのが酷であれば不適格であったからである。

 強さを求めよという水竜ラナの言葉は、国家の軍事力の増強を求めたものでもある。レムドリアと違ってオーガスでは、国力がさほど軍事力に注力されていなかった。その分オーガスは、レムドリアよりも『人間的』な国家であったが。

「あのままならレムドリアが侵攻を開始していたかもしれないし、それに対抗して軍事力を減らされるのも困る。冷戦状態で軍事力を高め、これから起こる混乱に備えてほしかったんだ」

「混乱……。つまりこれから何が起こるか、水竜ラナの真意を、お前は知っていると?」

 ゲルマニクスは首を傾げた。

「いや、正確には理解していない。ただ、大崩壊規模の混乱が起こるから、それに備えろと言われているだけだ」

「……おいおい」

 思わず素に戻って言葉を返すセリナである。



 大崩壊というのは、平行世界間の距離が縮まって、激突するというものである。

 当然どちらの世界も崩壊するが、ネアースには神竜という規格外の存在があるため、向こうの世界を破壊することで、これまで二度その危機を逃れてきた。

 それと同じ規模の混乱が起こると言われて、セリナはさすがに冷静ではいられなかった。

「まあ、大崩壊そのものではないらしいんだが、とにかくそれに対抗するために、神竜は軍事力の増強を推奨しているわけだ」

 これで幾つかのセリナの疑問は解消された。シズカとジークフェッドの目的。それとゲルマニクスの立ち位置だ。

「だいたいは分かったけど、あの『聖女』はなんなんだ? 実戦ならともかく、レベルだけなら大魔王を超えてるだろ」

「ああ、彼女は……いや、直接会ってみた方がいいかもしれないな」

「もったいぶってないで、答えろよ」

 ゲルマニクスは顎を傾げて、まあいいかと言った。

「彼女は神が人間に転生したものだ。それから神々を喰らって、あの領域に達した」

 その回答は、セリナが半分ほど納得出来るものであった。

 しかし充分とは言えない。



「とぼけるな。レベルはともかく、あの技能構成で高位の神を倒せるわけないだろう」

 プリムラが看破したセラフィナのステータスは、防御面や補助面に偏った技能や、魔法の構成をしていた。

 レベルを上げるために、神を殺すというのはありえる。セリナも前世で下位の神を殺したことがある。

 だが接近戦にしろ魔法攻撃にしろ、神を倒すほどの攻撃手段を彼女が持っているというのは、ちょっと想像できなかった。

「プリムラというと、オーガスのプリムラか。彼女は竜眼が使えるのかな? それに対しては、竜眼にもレベルがあると答えておこう」

「……つまり、竜眼での看破を隠蔽していると?」

「神眼や竜眼でも、レベルがあると言っている」

 その答えで、ようやくセリナは納得がいった。

 レベル100というのは表向きの話、レベル420というのが裏向きの話。

 そして真実はまた違うということか。そういう特性を持っている神なら、神竜以外の竜眼なら誤魔化せるのかもしれない。



 それにしても、神を喰らう神。

 それは善き神々とは思えない存在なのであるが。事実聖治癒神を喰らっているわけだし。

「まあ対面して話してみれば、ある程度は分かるんじゃないか? 実質的な戦闘力なら、お前の方が高いと思うぞ」

 ステータスで戦闘力が決まらないのが、セリナの感じるこの世界の現状である。実際自分よりレベルの高いゲルマニクスでも、この距離から戦闘をしかけたらセリナが一瞬で勝てる。それこそ、相手が死んだと認識しないほどの早さで。

「だいたいは分かったが……しかし大崩壊規模か。もう少し詳しく知りたいところだな」

「それに関してはサジタリウスさんが良く知っているはずだ。あの人は時空魔法を10レベル以上で持っているから、異世界を観測することも出来るらしいからな」

 またレベル10オーバーである。しかも異世界にまでその影響が及ぶとは。

 ゲルマニクスも大概だが、大賢者は上位の神をも上回る異能を持っているのではないか。



 色々と疑問は思い浮かぶが、セリナはゲルマニクスに今後の展開を相談した。

 とりあえずシズカには、表向き死んでもらうということは了承してくれた。そもそも彼女自身が、皇帝の暗殺に成功したら腹でも切ろうかと言っていたらしい。上泉さんの転生であるので、冗談とは思えないところがまずい。

 神聖都市から離れたところで、セリナと合流してもらえばいいだろう。

「で、お前は今、具体的に何をしてるんだ?」

 ゲルマニクスの仕事が、これだけとは言えないだろう。神竜とも絡んで、軍備増強を世界各地で行っているはずだ。

「まあ世界中に転移出来るからな。対立を煽ったり、見所のありそうなやつを強制パワーレベリングしたりな」

「私が特にやるべきことはあるか?」

「転移を使えないんじゃなあ。ま、世界中を旅して、強そうなやつを集めてくれ」

 転移便利である。



 お互いの役割を確認し、二人は別れた。

 一応連絡手段は端末があるが、ゲルマニクスは通信阻害のかかった場所に行くということも多いというので、そうそうは会うこともないだろう。

 あちらが転移を使えるので、一方的に呼び出すことは出来るだろうが。







 思わぬゲルマニクスとの邂逅で、セリナが一行の宿へ戻った頃には、日も暮れていた。

「明後日、聖女セラフィナとの面会が出来ることになった」

 二人きりの密室で、プリムラはそう告げた。ちなみに二人きりなので、部屋の外では騎士たちが、セリナがプリムラに襲われないか心配していたりする。

「こちらはゲルマニクスとの接触に成功した。まあ、だいたいは予想通りだった」

 大崩壊の再現、というところは省いて、セリナはシズカとジークフェッドの目的について話した。

 シズカは偽物の遺体を用意し、ジークフェッド一行には竜翼大陸へ逃げてもらうという話で合意した。



「それにしても、大賢者も転生者だったとはな。なんだ、転生者には怪物になる要素があるのか?」

「いや、私とゲルマニクスは例外だと思う」

 そう言っても世界の強者を見れば、転移者や転生者の割合は多い。

 幼少期から前世での経験をシステムで活かして、上手くレベルを上げられるからだろうか。

 もっともレイアナ、セリナ、ゲルマニクス、シズカなどは前世から力はあったのだ。

 魔法使いであるゲルマニクスは今回、前世で勇者として呼ばれた時の祝福は持っていないが、一度獲得した魔法の術式構成を操る力は前世並である。

 接近戦にさえ気をつければ、今度はセリナでも勝てないだろう。



 だがとりあえず気になるのは聖女セラフィナである。

 直接会えば分かるとゲルマニクスは言っていたが、人間に転生した神という時点で色々ツッコミどころが多い。

(どういう性格なのか分からないが、念のため準備はしておいた方がいいだろうな)

 ちりちりと背中をはいずる致死感知に、セリナは彼女なりの準備を始めた。

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