19 神聖オーガス帝国

 神聖オーガス帝国は、立憲君主制の国である。建前上は。

 皇帝の下に貴族がいて、さらに平民がいるのだが、万民の上に法の存在がある。建前上は。

 これを変えるのは皇帝でさえも難しく、緊急の場合の対処以外は、議会や内閣で議論をして行政の内容を定める。これは建前ではなく実際にそうであった。以前は。

 帝国の歴代の皇帝は、3000年以上の歴史を持ちながら、驚くほどバランス感覚のある者が務めてきた。

 それが何故かと言えば、実際のところ帝国を治めているのは、皇帝でも議会でも市民でもなく、神であったからだ。



 神竜レイアナ。

 彼女の持つ力は強い。権力や権威としてではなく、純粋に神罰という名の暴力によって、社会の様々な負の要因が排除されていった。

 皇帝でさえ、その資質に疑問が持たれると交代させられた。

 穏当にか、過激にかは別にして。



 帝国は、実際はレムドリア以上の専制主義国家であった。

 神竜レイアナによる、聖人専制に近い国家。

 それが神聖オーガス帝国であった。

 過去形である。



 おおよそ200年前から、レイアナの帝国に干渉する頻度は極端に減った。

 そしてそれを待っていたかのように、帝国の中枢は腐敗していった。

 長命種が多い帝国の腐敗は、それでもゆっくりとしたものだった。

 だがこの数年――具体的には現皇帝が即位してから、その速度は増したようにプリムラは思う。







 現皇帝は知能はそこそこ高いが、人格に問題があった。

 猜疑心が強く、中途半端に能力があるため他者の才能を認めず、専門分野の人間の話を聞かない。

 阿諛追従の輩がその周囲を固め、皇帝の機嫌取りばかりが増え、よって中枢が腐敗していく。

 国境近くの軍団を指揮する軍団長たちは、先代から続く猛者が率いていたため、小規模な戦闘ではそれほど問題は起こらない。

 だがもしレムドリアとの代理戦争で大きな戦闘となれば、背後の命令系統が前線の足を引っ張るのは目に見えていた。



 その皇帝は、貴賓席の一番高い場所から、武闘会の舞台を見ていた。

 皇帝が市民と共に武闘会を観戦するというのは、庶民に近い立場にあることをアピールする意味もある。

 だがこの皇帝は純粋に、残酷で自らの安全が保障された戦闘を見物するのが、好きだったのだ。



 殺してやろうか、とプリムラは何度も思ったことがある。

 沸騰するような怒りのような感情ではなく、冷徹に計算した帝国の利益を考えて。

 それを制止するのは両親の教えと、こんな皇帝でも暗殺などされてしまえば、大きな混乱を帝国にもたらすことになるであろうという思いからだった。

 自分の正義で腐敗と汚職を排除することを、プリムラは出来るだけ避けていた。

 それは一人の人間が行うにはあまりにも尊大なことであるし、法治国家としては良いことではないとも思ったからだった。

 もちろん自分に直接被害が及んだり、可愛い恋人たちに関連したことは別だったが。







 貴賓席のプリムラから離れた場所で、皇帝はおおはしゃぎをしている。

 セリナやシズカという無名の、しかも若い女性が圧倒的な力で一次予選を通過したのと、前評判どおりのジークフェッドの強さに興奮していたのだ。

 その後も試合は続き、死傷者が出るたびに、皇帝は歓声を上げている。



 魔法の存在するこの世界で、傷を負ったものが死ぬ確率は低い。致命傷でもすぐに手当てが行われれば、一命を取り留めるところは、地球より優れたところである。

 だがそれでも即死であれば、蘇生の魔法を使える者など医師団の中にはいない。

 プリムラの両親は蘇生の魔法を使えたが、彼女にそれを教えることはなかった。

 死者の蘇生というのは、本来であれば禁忌であるし、為政者に利用されることは目に見えていたからだ。

 どの道プリムラの魔法適性では、蘇生の魔法を使うまでには至らなかったのだが。



 そんな非可逆な人命が失われていくのを、皇帝は喜んで見ている。

 取り巻きの連中も、その表情に哀れみを表すものはいない。自分たちがその立場にはないと、悪い意味での貴族の部分が出ている。

 本来貴族は戦争になれば、兵を指揮して前線に立つものであったのだが。

 現在は職業軍人が平民から選ばれ、最下級の貴族として前線の指揮をしている。一軍を率いるほどの将軍となれば、貴族でも武門の名家が適切な教育を受けた上で任命される。

 問題は後方、参謀たちの能力なのだが。



 危ういな、とプリムラは思うのだ。

 帝都には皇帝親衛隊という戦力があり、プリムラという存在もある。

 だが……だがもし、セリナとプリムラがその気になれば、皇帝を取り巻きごと消滅させることは容易である。

 そう想像すると、皇帝の周囲の不快な有象無象も、許せる気分になるものだ。







 一次予選が終了した。

 80名に絞られた戦士たちは、宮殿内の迎賓館で試合までを過ごすことになる。

 もちろん試合前の私闘は禁止されている。発覚すればすぐに不戦敗となる。

 それでもこれから戦う相手と同じ屋根の下というのは、選手の精神に不要なストレスを与えているのだが。



「女を用意しろ」

 大会の間、極力選手の要求に応えるように指示された係員に、ジークフェッドは横柄な口調で命令した。

 もちろんどういう意味での女かは、係員も心得ているのだろう。かすかな逡巡の後、うやうやしく頷いて広間を出て行った。



 選手たちは半分ほどが広間にいるが、もう半分は与えられた個室にこもっている。自分の戦法を、わずかなりとも知られたくない者たちだろう。そして逆に、相手の戦法を知りたいと思う者がここに残っている。

 ……まあ、ジークフェッドのような例外もあるが。

 そしてセリナとシズカは、許可を取って迎賓館に入ってきたプリムラと、広間の隅でひそかに女子会を開いていた。

 もっともその内容は、極めて物騒なものであったが。







「あれはどう?」

「レベル70か。技能も高いが……」

「問題にならないでしょう」

 セリナとシズカは、なんとなく仲良くなっていた。

 セリナが気になった選手を挙げて、プリムラが竜眼で正確なステータスを看破し、シズカが対処を述べる。

 広間にいる選手たちの中でも、セリナが気になった者を挙げていく。

 それは万能鑑定で測定出来るステータスとは別の、セリナの直感によるものであった。

 プリムラはステータスの面から判断するが、シズカはそれ以外の点で判断する。

 体幹、歩き方、筋肉の付き方、そういったものを総合的に判断して、シズカは実力を計るのだ。

 プリムラの評価とシズカの評価は、かなりかけ離れることがある。それでも数名のことであったが。



 結局、システムの限界なのだとセリナは思う。

 前世においてもネアースの強者たちは、特に技能において最大であるはずのレベル10を超えていた。

 そしてレベルが同じでも、ステータスの能力値が隔絶した者同士がいる。

 それは促成栽培と言われる、パワーレベリングを行った結果である。



 この世界には経験値とレベルがある。

 そして経験値を得る最も簡単なことは、魔物を倒すことである。

 瀕死になった魔物に止めをさしたり、レベルに差のある強敵と戦ったり、あるいは神や竜と戦うと、特に多い経験値が入る。

 武器の発達によって遠距離から魔物にダメージを与え、安全に始末することも出来るようになっていた。

 だがそのような手段によってレベルを上げても、能力の上昇率が低いらしい。

 実際シズカのステータスはレベルに比して、筋力や敏捷性に優れている。

 もっとも彼女の真髄は、10レベル以上の技能にあるのだろうが。



 そうやって広間の選手たちを評価していくのだが、二人の相手になりそうな者はやはりジークフェッドだけであった。

 彼のかつての仲間が出場していれば、かなりの激戦が予想されたのだが、理由は知らないがいないものはいないのでありがたい。

 セリナは地図を発動させて部屋にこもっている選手たちのステータスも見たが、やはり特筆すべきレベルの者はいない。

 レベルに比したステータスを持っているので、戦闘経験はそれなりなのだろうが。







 一通りの選手をチェックした後、セリナは自分に割り当てられた部屋に入った。

 簡素だが清潔な部屋で、生活が出来るような設備も整っている。

 そしてなぜか、プリムラも一緒にいた。

「さて、今後の展開だが」

 雑談ではなく、まともな話がしたいようだった。

「二次予選はあの二人以外のグループに入れ、決勝トーナメントではあの二人の反対の山に入れればいいんだな?」

 プリムラにはリーグ戦の組み合わせを決める運営委員の一人でもある。それが一選手と接触しているのは問題なのだが、その辺りは少し甘い。

 転移で侵入することも出来るのだが、それだと魔力感知に引っかかる。



 セリナの目的は騎士爵を得ることなので、優勝する必要はない。

 過去の例から言えば、三位までは確実に爵位を得ることが出来るが、優勝者以外は騎士団への入団が求められる。

 よって二人とトーナメントの緒戦で当たらなければそれでいいのだが、この大会が終わればセリナは、今度は国外への武者修行を予定している。

 だからやはり、一番良い結果は優勝することなのだ。

 そしてジークフェッドとシズカと反対の山に入れば、倒すべき強敵は一人に絞られる。



「ところでセリナ、お前、今の帝国をどう思う?」

 話し合うべきことが終わって、不意にプリムラはそんな質問をしてきた。

「どう?」

 抽象的に問われても、セリナには答えようがない。帝国の何を問題にしているのかも分からない。

「そうか、私とは生きてきた年月が違うからな……。帝国の変わりようも分からないか……」

 そしてプリムラが話したのは、現在の帝国の腐敗というものだった。



 皇帝の奢侈、貴族の横暴と収奪、富の偏り、貧困。

 プリムラが帝国に仕えるようになってからも、それらの度合いはますますひどくなっていく。

 長命種の人種に言わせると「昔は良かった」ということになる。

 その昔というのも、神竜が干渉していた200年前と、当世の皇帝が帝位に就いた時代では、全く違うという。

 1000年を生きる長命種が実在するこの世界では、昔は良かったというのは単なる郷愁ではない。



「少なくとも私の父上は、領地を上手く治めていたけど……」

 10年間。セリナは支配階級の側で、指導する立場の父を見てきた。

 そして思ったのが、必要悪が多すぎるということだ。

 さらに統治機構が複雑になりすぎている。利権団体も多い。

「大胆な改革が必要だけど、よほど慎重に行うか、逆に一気に行うかが問題だと思うよ」

 セリナのごく当たり前の言葉に、プリムラは溜め息と共に頷いた。

「帝国は滅びるかもしれん」

 口に出すだけで危険視されかねない言葉だが、セリナは肯定も否定もしなかった。

「レムドリアは専制国家だ。頭に傑物が座れば、一気に内部を粛清することも、改革することも出来る。特に今の内乱が終わったら、その勝者は間違いなく強い指導力を持った非凡な者になるだろう」

 内乱は国力を弱めるが、レムドリアはその状態にも関わらず、周辺国への影響力を失っていない。

「対してオーガスは……多民族の自治を認めた連合国家だ。本来ならもっと繊細に政治を行っていく必要があるんだが……」

 大喜びで武闘会を観戦するような皇帝に、自己制御の能力を求めるのは難しいだろう。

「お前がこの国を出るなら、私も付いていこうと思っている」

「それは……」



 難しいだろう、とセリナは思うのだ。

 プリムラの力は帝国の最終兵器とも言える。だがその力は、国家に守られてこそ十全に発揮できる。単体でいれば、暗殺されかねない。

 なるほど、だからセリナと一緒に行こうというのか。

「名分はなんとでも考えるが、どうかな?」

「確かにプリムラが背中を守ってくれるなら、旅の危険はないと思う」

 プリムラの力は成竜にも匹敵する。接近戦は不得意だが、それをフォローするのがセリナである。

「まあ、この大会が終わるまでには、考えておいてくれ」

 そういった女誑しの女は、男らしい笑みを浮かべてセリナの部屋を出て行った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る