14 迷宮の変化

 迷宮第三層。そこはかつてセリナが挑戦した迷宮とは、明らかに変化のある層であった。

 階層の特徴は一層と同じ。だがこの迷宮は、時間の経過と共に変化している。一層二層が固定化した一般的な迷宮であるのに対し、三層以降は侵入するたびにその通路が変わるのである。

「だが、お前なら大丈夫なんだろう?」

「確かに」

 プリムラの問いに短く答え、セリナは一行の先頭に立った。



 地図の祝福を使えば、何度迷宮の構造が変化しても、その中心へは試行錯誤することなく一度でたどり着ける。もっともそれは、プリムラにも似たようなことが可能なのだが。

 騎士の二人がセリナを守ろうと前に出ようとするが、無用の心配である。

 通路の奥から現れたウッドゴーレムに、不思議な歩法で接近し、一太刀で破壊する。歴戦の戦士でも、そこまでの剣の腕はないだろう。

 驚愕の表情の二人の騎士。セリナが剣術をやるとは聞いていたが、まさか実戦で使えるほどとは思っていなかったのだろう。

「進みましょうか」

 何も恐れるものなどないというような微笑を浮かべ、セリナが促した。







 結局、この三層までが限界だった。

 食事や睡眠、入浴まで都市と変わりなく用意された迷宮行であるが、やはり少女二人には迷宮の環境は耐えられないものだったのだ。

 最大の理由は……汚物の処理であった。

 人間食えば必ず出す。出す時は誰もが無防備である。だから誰かに守ってもらわなければいけないのだが、騎士とはいえ男性にそれをお願いすることは出来ない。

 幸いこのパーティーは女性の比率が高いのだが、それでも快適な都市暮らしに慣れた少女たちは、ここまでが限界だったのだ。



「では、一度戻るしかないな」

 プリムラの言葉には誰も逆らわない。ただ、セリナの質問があった。

「ここから迷宮の外に転移出来ないのかな? あと、ここに転移する座標を作るとか」

「そういう迷宮もあるが、この迷宮は無理だな」

 シャシミールの迷宮は、階層を移動するために転移の魔法を使っている。

 つまり転移の魔法が既に存在するので、そこに他の転移の魔法を重ね掛けすることは出来ないらしい。

 もっともさらに高度な時空魔法の使い手なら別かもしれないが、少なくともプリムラは無理だという。



 行きよりも帰りの方がなんとなく早い足取りで、一行は迷宮を出た。少女二人は、都市では待たず、このまま帝都に戻るらしい。



 そして翌日、四人となったパーティーが、再び迷宮に挑戦する。

「さて、足手まといもいなくなったし、全力で進むか」

「プル、そういう言い方は良くない」

「だが事実だろう?」

 問い返されて、セリナは頷いた。



 実際のところ、騎士の二人でさえ、足手まといである。この迷宮の難易度がセリナの知るものとさほど変わっていないのなら、プリムラと二人でごり押しした方が早い。

 だがそれは騎士に与えられた命令を破ることになり、彼らが処罰されかねない。

 その程度には配慮して、セリナとプリムラは二人を連れて行く。

「じゃあ行くぞ。通常の三倍の速さで行くからな」

 プリムラの言葉に、騎士は些かの緊張をもって頷いた。







 先頭をセリナが駆ける。

 その後を必死で騎士たちが追って行く。彼らは身体強化の魔法をかけられているが、それでもいっぱいいっぱいだ。

 最後尾を涼しい顔でプリムラが行く。その表情には余裕がある。



 目の前に出てくる敵や罠は、セリナが物理的に排除していく。魔物は斬り、罠は爆破する。

 戦闘にいたるまでもなく、魔物たちはセリナの前で倒れていく。横や後ろから来たものは、プリムラが魔法で仕留めて行く。

 これはもはや迷宮探索ではなく、ほとんど持久走のようなものであった。魔物を狩っても魔石すら採取しないので、休憩がない。



 三層を突破し、四層を突破し、五層を突破する。

 さすがに騎士の二人も息が切れて、一行は休憩することにした。

 簡易な食事を済ませると、セリナはプリムラと話し合う。

「この調子なら、今日中に最下層まで行けそうだね」

「……まあ、この二人が付いて来れるかが問題だが……」

 近代以降、武器の発達した世界において、歩兵に必要なのは戦闘力ではない。ただ、どこまで移動できるかという体力である。

 アーロもダルカスも武装以外はプリムラに預けてあるが、それでも移動速度が速すぎる。強化と回復の魔法でなんとかしているのだが、それも連続で使えば効果が漸減していくらしい。

「一応この迷宮は、下層に行けば行くほど狭くなるはずだから、なんとかついてきて」

 セリナの言葉に、二人は強張った笑みを浮かべて頷いた。







 六層まで降りたところで、セリナは少しだけペースを緩めた。

 襲ってくる魔物を、いちいち立ち止まって殲滅していったのだ。

 これは騎士たちに配慮したわけではなく、プリムラからの指摘があったからだ。

 即ち、少しずつセリナのレベルが上がっていると。

「今までベースレベルじゃなく、祝福や技能のレベルが高すぎたからな」

 多少ならずのレベル差を、技能のレベルで埋めてしまう。柔良く剛を制すといったところか。基礎ステータスも強化系の魔法を使えば問題にならなかった。

 レベルが上がることによって、元々高かった耐性のレベルも上がってくる。搦め手からの攻撃も、セリナには通用しなくなっていった。



 二人の騎士は、それを呆然と見ていた。

 もう自分たちのレベルでは太刀打ちできない魔物、むしろ部隊単位で攻略すべき魔物を、二人は平然と狩っていく。

 プリムラはまだ分かる。その戦闘を見たことはないが、魔法の訓練の教官として、その強大な魔法を見せてもらう機会はあった。なんといっても帝国の最終決戦人型兵器だ。

 だがセリナは異常である。



 ハーヴェイ家の神童。その異名はまだ帝都ではほとんど知られていなかった。

 護衛を命じられた騎士も、まさか10歳の子供が自分たちよりはるかに強いなどとは想像もつかなかった。

 おそらく誰かに話しても、絶対信じてもらえないだろう。それが常識である。

 ……いや、魔法都市の大賢者ゲルマニクスなども、10歳になる前には既に名前が知られていたか。

 とにかくセリナがプリムラと同じように、人種の規格外であることは納得した。







 九層。

 現代の冒険者でも相当の装備を持たない限り、挑戦はしないであろう階層の主。

 軍が装備を整えて討伐するような、この時代においても脅威度の高い魔物、ヒュドラ。

 その首の全てが、ほとんど一瞬で切断され、巨大な肉体が水の中に沈んでいった。

「さすがにこれはもったいないね」

 首を失ったヒュドラの巨体を、セリナは沼から引きずり出す。

 皮を素材として剥ぎ取り、魔結晶にまで純度の高くなった魔石を採取する。

 その手並みはベテラン冒険者の域にあり、騎士である二人の目から見ても卓越している。

 純粋な戦闘力より、そちらの方が不思議である。



「セリナ様は……どこかで魔物を狩ったことがあるのですか?」

 貴族の令嬢がそんなことをするはずもないのだが、アーロは思わず尋ねてしまう。

 それに対してもセリナは平然と答えた。

「実家の領地に魔境がありますから。そちらで」

 だがそれにしても、素材の剥ぎ取りや魔石の採取は家臣に任せるようなものであろうが。

 それ以上聞くのはまずいような気がしたので、アーロは口を閉じた。



 さて、第十層である。

 静謐な空間である石造りの迷宮。一本道となった螺旋階段が、地下へと続いていく。

 情報としては知っていても、まさか自分たちがここまで来るとは思っていなかった騎士二人は、ごくりと唾を飲み込んだ。



 最後の階層の守護者は、迷宮の主と契約した吸血鬼である。

 吸血鬼は、その戦闘力において、魔王や勇者を除けば、あらゆる人種の中で、最も強力な種族だろう。

 天翼族や三眼族、一部の巨人族も確かに強いが、吸血鬼の最大の能力は、その不死性にある。

 太陽の光という弱点はあるが、迷宮においてそれは意味をなさない。この世界の吸血鬼はアンデッドでもないので、聖なる力が効果的ということもない。

 筋力、魔力、耐久力、その全てが高い。まして真祖と呼ばれる純粋な吸血鬼同士の間から生まれた不死の王は、かつての魔王アウグストリアを挙げるまでもなく、武力だけで権力の頂点に立つことさえ可能だ。

 だが螺旋階段の終わりにある扉を開けた時、セリナが見たのは別のものだった。

「あれ?」

 広大な空間には、巨人が蹲っていた。



 侵入者を感知すると、巨人が立ち上がる。人間の10倍ではきかない。最も巨大な巨人族である山巨人と同じ程度か。

 そしてその巨人には角があり、単眼であった。

「サイクロプス?」

「サイクロプスだな」

 セリナの疑問に、プリムラが応じる。

「なんで?」

「……なんでって……なんでだろうな?」

 セリナは前世でこの迷宮を攻略している。その時は確かに最終層の守護者は吸血鬼であった。

 殺し合った仲ではあるが、貴重な前世の知り合いである。久闊を叙することもあるかと思っていたのだが。



「セリナ様、さすがにあれは無理です。撤退しましょう」

 アーロが平凡な意見を出し、ダルカスもコクコクと頷いている。

 一般に知られているサイクロプスの能力を考えれば、常識的な判断である。

 サイクロプスは巨体であり、その皮膚を通す刃はなく、魔法ですらまともな効果はなく、兵器でさえ携行出来るようなものは効果がないという。

 巨人族と思われがちだが、魔物である。古代の生物兵器というのが学者の見解である。

 神に近い巨人。それがサイクロプスなのだが、セリナはそれほどの脅威とも思っていない。

「プルなら倒せるよね?」

「当然だが、手を出していいのか?」

 セリナは首を振ると、改めて刀を構えた。







 セリナは前世で、オリハルコンゴーレムと戦ったことがあった。

 その時、ゴーレムを切断したのは、最上大業物の切れ味を誇るとは言え、炭素鋼の刀であった。

 今、その手にするのは竜の牙より生み出された神刀。

 しかもギミックが組み込まれた、常識外れの武器である。



 野太刀よりも長くなった刀が、サイクロプスの足首を簡単に切り刻んだ。

 高速振動。刃の切断面は、セリナの魔力により電気鋸のように振動する。

 その刃は、サイクロプスの強靭な皮膚でさえ阻むことは出来ない。

 姿勢を崩したサイクロプス。その体を身軽に跳躍し、頭部へ攻撃を行うセリナ。

 サイクロプスの首筋がぱっくりと割れ、そこからものすごい勢いの鮮血が噴出し、セリナはそれを大きく後退して避けた。



 かくして迷宮の攻略は終了した。

 しかし目的はまだ達していない。

 静かになった空間に、うつろな拍手の音が聞こえる。

「お見事。まさか剣でもってサイクロプスを倒すとは、見た目通りの存在ではありませんな?」



 いつからそこにいたのか、広間にある巨石の一つに座る、細身の男が喋った。

「久しぶりだね、ジャン」

 セリナの言葉に、男は手を止めて首を傾げる。

「はて? あなたのような少女には、見覚えがないのですが?」

 迷宮の十層、真の守護者。

 吸血鬼であるジャンがそう言った。

「ああ、会ったのは前世だからね。姿は変わっているはず」

「……転生者で、私と会ったことがあるとなると……200年前ほどの話ですかな?」

「そう。彼女にかじられた首はまだ痛むかな?」

 その言葉に、ジャンはこちらの正体に気が付いたようだ。



 軽く確認を行うと、ジャンは深々と礼をした。

「本来なら私が最後の相手を務めるのですが、結果の分かった戦いなど、無意味なことでしょう。それで、あなたはどうしてここに?」

「ああ、ラビリンスに用があって。彼女はまた寝てるのかな?」

 ふむ、と顎に手をやったジャンが、他の三人を見つめる。

「そちらの女性はともかく、男二人は私がお相手していましょうか」

 ジャンの言葉に思わず剣を構える騎士二人だが、彼はそれに対して敵意のない微笑を浮かべた。

「ああ、そういう意味ではありませんよ。まあ望むなら、お相手もしますが」



 ジャンが目を瞑る。その意識がどこか遠い場所に向けられている。

 次の瞬間、セリナとプリムラは、一面の花畑の中にいた。

「お?」

 さすがのプリムラも驚きを隠せなかったが、セリナには突然の変化も特に意識することはない。

 彼女の目の前には、小さな羽妖精が浮かんでいた。

「久しぶりね。もっともあなたにとっては、どれだけど時間が経ったのか分からないけど」

 羽妖精が光と共にエルフの姿に変わる。それに対してセリナは親しみを込めた笑みを浮かべた。

「こっちにとっても久しぶりだよ、ラビリンス」



 4000年を超える時を生きる、シャシミールの迷宮の主。

 ラビリンスに向かって、セリナは右手を差し出した。

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