13 迷宮初心者
この時代の魔法使いの、基本的な装備について説明しよう。
研究職の魔法使いは、そもそも魔法を日常的に使用することを考慮していない。持っていたとして、初級の魔法を補助する杖や指輪などの発動体だ。
これに対して戦闘に参加する魔法使いは、ほぼ必ず杖を持っている。
杖には魔力回路が刻印され、また魔石や魔結晶を内臓し、魔法の行使を助けてくれる。
面倒な術式構成を最初から杖に刻み、魔力を通すことによって何種類かの魔法を発動させるのだ。
無詠唱で自力の魔法を使っているセリナやプリムラと比べると、いかに魔法使いとしての実力が劣っているか分かる。
そして騎士たちも同じようなものである。
彼らの鎧や武器には魔法が付与され、魔力を流したり呪文を唱えることによって、魔法の効果が発動するのは杖と同じである。
まあ、あまりその機能は必要ではなさそうだが。
『魔法付与』
プリムラの魔法によって、騎士と少女の肉体能力が底上げされる。
身体強化に加えて、武器の攻撃力増加、防具の防御力増加などである。
セリナは自分以外への魔法を付与するのは得意でないため、やはりプリムラの存在は大きい。
迷宮一階層の通路を、一行は予定通りの隊列で進んだ。
騎士二人はレベルこそ30あるものの、あくまで騎士としての訓練をしてきただけであって、探索者としての経験はない。
だが戦闘をする者としての、最も基礎的なものは備えている。
それは体力である。
少女二人は魔法使いとは言え、その体力はほぼ一般人と変わらない。男性と女性のステータスが地球ほど違わないネアースであっても、やはり女性は体力的に男性より劣る。
戦闘とは単に戦闘を行うだけでなく、戦場へいたる行軍までが戦闘である。
軽量化されたとはいえ鎧を着た騎士二人だが、それでも体力の消耗は二人の少女より少ない。
まずはある程度レベルを上げて、体力を上昇させなければ、少女二人は戦力にならないどころか足手まといだろう。
第一層の主、死霊騎士。
スケルトンが武装した魔物であるが、これが意外と強い。
アーロとダルカスが近接戦をし、ミリエラが治癒魔法の準備をしながら火魔法で攻撃。パンドラは雷魔法で最も多くのダメージを稼ぐ。
セリナとプリムラは観戦である。もっとも大事になればすぐ参戦する準備はしてあるが。
多少の苦戦をしながらも、四人は主を倒した。
騎士二人は息を切らしているだけだが、少女二人は酩酊感にも似たようなもので足元がふらつく。
レベルアップ酔いである。
ポーション酔い、MP消費酔いと並んで、探索者を悩ます三つの酔いの一つである。
レベル10の魔法使いが、35の死霊騎士を倒したのだから、得た経験値は多い。
一度にレベルが上がってしまうと、立っているのもままらない状態になる。
だが今回に限っては例外であった。
セリナは二人の背中に手を触れると、体内を循環する魔力に干渉する。
そしてその流れを正常なものに戻すと、レベルアップ酔いはなくなった。
前世において知った方法だが、これはプリムラでさえ驚いていた。
やろうと思えば彼女も出来るのかもしれないが、魔力の制御がよほど上手くないと不可能である。
魔力自体はセリナより多いプリムラだが、その操作の精密さは負けているかもしれない。
「嘘っ、なんか楽になった」
「え? どうして?」
「レベルアップは体内の魔力を上げ、身体能力を向上させるものだから、その魔力を調整したら酔いはなくなる」
簡単に説明したセリナは死霊騎士の魔石を採取すると、プリムラに投げつけた。プリムラは無言でそれをしまう。
「じゃあ二層に行こうか」
まだ釈然としない様子の二人を尻目に、セリナは鏡に向かった。
迷宮第二層。
ここは天井から明るい光が差し、植物が繁茂し、動物系の魔物が多い階層である。特に肉食獣系の魔物が多い。
熊や狼、虎といった獣が魔物化したものが主な敵となる。足元が見難く、草がまとわりつき、地味に体力を削ってくれる。
行軍に慣れた騎士たちでさえ、足元が凸凹なこの地形は体力を消耗する。ましてや二人の少女をや。
結局階層主の間までたどり着くこともなく、一行はその日の行程を終えた。
騎士二人は、さすがに軍人である。
行軍は一週間も装備を負ってひたすら進むという訓練もあり、もちろん疲労はあるのだが休息で回復する程度のものだ。
だが魔法使いの二人の少女は違う。
疲労もそうであるが、普段は快適な都市住まい。それがトイレも寝床も制限され、魔物がいつ襲ってくるか分からない迷宮での就寝となる。
しかしそれに対しては、セリナもプリムラもある程度対策を考えていた。
一つは回復魔法。セリナの魔法によって、体力は休息を取ることによって万全に近くなる。
そしてもう一つが風呂魔法である。
火魔法と水魔法と土魔法を混合して行使するこの魔法は、騎士たちから見たら贅沢にすぎるものだったが、少女二人にとってはありがたいものだった。
見られないように壁を作り、その中の風呂に、プリムラと少女二人が入浴する。
はしゃぐ声の合間に、時折悩ましげな声が混じる。苛々としている騎士二人に対し、セリナは端然と水を飲んでいる。
「あ~、いい湯だった」
上気して倒れそうな少女二人と共に、プリムラは壁の中から出てきた。タオルを首にかけているところなど、ここが迷宮の中だということを忘れさせる。
「アーロとダルカスも、順番に入ってください」
「いえ、私たちは結構です。お嬢様が入っている間、見張りをしていますので」
騎士二人は当然、風呂にも入らず着替えもせずという、戦場を想定した訓練を受けている。
オーガスの騎士の訓練課程には、高山を踏破したり岩砂漠を行軍するというものもあるのだ。たかが一日迷宮を探索した程度で、弱音を洩らすことはない。
「勘違いしないでください。入浴して身奇麗にするのは、戦闘力と体力を維持するためです。私は何度も迷宮を探索するつもりはありませんから、万全の状態でいてほしいだけです」
セリナの言葉に、騎士二人は呻いた。確かに風呂に入ってくつろぐことは、体力も精神力も回復させる。だが迷宮の中にあってそれは、油断にならないのだろうか。
「心配要りません。私とプルがいれば、この階層の魔物なら問題になりません」
二人の騎士はしばし顔を見合わせた後、ゆっくりと頷いた。
最後にゆったりと風呂に入ったセリナが出てきたとき、既に魔法使いの少女二人は寝入っていた。
騎士二人は交互に睡眠を摂るようで、プリムラは座った姿勢で目を閉じている。だが眠ってはいない。
セリナはその横に座ると、小声でプリムラに囁く。
「やっぱり、連れて来なければ良かったのでは?」
プリムラは細い吐息を洩らし、苦い笑いを浮かべた。
「私が会ったばかりの女の子と一緒に旅をするというのは、多くの美しい少女たちにいらぬ心配をかけてしまうのだよ」
「つまりあの二人は、監視役だと?」
「まあそうだ。もっともこの迷宮を一度経験すれば、さすがにもう付いてこようとは思わないだろうが」
プリムラ曰く、最も気が強く実力もある二人を同行させたらしい。
だが実力があるといっても、所詮は社交界の華、机上で魔法を学んだ程度のものである。おそらく三層まで行けば、その辺りで音を上げるだろう。
セリナとプリムラは騎士二人と順番で、睡眠を摂ることにした。最初は遠慮していた騎士二人だが、プリムラが彼ら二人よりも強いのは明らかであるので、最後には承諾した。
セリナはずっと眠るように言われ、実際横になって目を閉じていたが、いつでも起きられるように意識を半覚醒させていた。
前世では三日間睡眠を摂らず、全力で戦場を往来していたこともある。それに比べれば、少女二人に併せたこの行軍は何ほどのものでもない。
迷宮の外で日が昇るであろう時間に、セリナは身を起こした。
日課となる訓練を行う。滑るように地面を進み、音もなく刀を振る。
型稽古である。また刀を振るだけでなく、槍のようにした刀を振るったり、無手での型も行う。
その静かな動きに、プリムラは内心驚嘆していた。
プリムラにとって世界で最強の存在は母である。そしてプリムラ以外の者でも、おそらくほとんどはプリムラの母を最強と言うであろう。
だがそれは神竜としての力である。神と人間を同格に比べるというのは、なきにしもあらずではあるが珍しいことではある。
そしてプリムラは人としての母の剣技は、間違いなく世界最強だと思っていた。
あまりにも隔絶していていて、自分では身に付けることが出来ない。だからプリムラが使うのは刀ではなく剣だ。それももう一方の母から習ったのだが、やはり及ばない。
オーガス最強の魔法戦士と言われているが、プリムラは自分の真髄は魔法のほうにあると思っていた。
「起きましたか。少し相手をしてくれますか」
そう言われてプリムラは立ち上がる。自分の時空収納の中から、母から授かった剣を取り出す。
「その剣……先生に貰ってたんですか……」
セリナにも見た記憶があるその剣は、名前を持っている。
破竜剣エクドラ。かつて成竜に止めをさしたと言われる、伝説の武器の一つだ。
「母が旅立ちの時に渡してくれたものなんだけどな。なんだかんだ言って、私は魔法の方に頼っているから、あまり使うことはないんだが」
そう言ったプリムラだが、その構えはセリナの目から見ても相当の腕前だと察せられる。
もっともセリナに比べれば、やはり剣術自体は劣るのだろうが。
対峙した二人は、ゆっくりと間合いを詰めた。
金属の打撃音ではなく、鞭で何かを叩くかのような音で、アーロと二人の魔法使いは目が覚めた。
最初から見ていたダルカスは、呆然とその様子を眺めていた。
セリナとプリムラ。どちらも魔法を使わない、素の肉体能力での近接戦である。互いの武器が傷まないように魔力でコーティングしているが、それ以外は本気だ。
そしてこの本気の手合わせにおいて、プリムラは全くセリナに太刀打ち出来なかった。
セリナの動きはおかしい。傍目でもそう分かるのだから、対しているプリムラにはさらにそう思えるだろう。歩くでもなく駆けるでもなく、滑るように地面を動いている。
そして刀の動きもおかしい。振り上げた刀が、次の瞬間には振り下ろされている。その合間がない。まるで時間を飛ばしているように見える。
プリムラの剣技も、騎士二人の目から見て常軌を逸しているほどの力と速さに満ちているが、セリナの剣技は不気味ですらある。
たとえばプリムラが剣を振り下ろす。体格からいってセリナはそれを受けるしかない。そして上から圧力をかける方が、重力と体重を味方に出来る分、有利なはずだ。
だがセリナは軽々とプリムラの剣を弾き返す。そこには物理の法則が働いていないかのようにさえ見える。
だが、セリナに言わせればこれが正しいのである。
上から攻撃する者は、確かに体重を重力に乗せて圧力をかけることが出来る。だが、体重以上の力ではない。
下から攻撃する者は、大地を踏み台に、自分の筋力を全て使うことが出来る。押し合いならば、下からの方が有利。そんな非常識を、セリナは常識にしている。
結果、プリムラは弾き飛ばされて、そこへセリナが追撃する。セリナの刀の動きはゆっくりとしているようにも傍からはみえるのだが、プリムラがそれを受け止めるのは難しい。
何度となく、寸止めでセリナはプリムラを圧倒していた。
「……剣術レベル10ってのも、実際はもっと上なんだろうな」
軽く汗をかいたプリムラは、女の子からタオルを受け取って、それを拭く。
「私が修行したのは古流だけど、現代戦ではあまり役に立たなかったから」
セリナが前世で修めたのは、関口新心流である。剣術や柔術を含んだ実戦的な武術であったが、それも幕末までの実戦に対応したにすぎない。
彼女はそれに、小銃などの火器に対する手段を加えて、一流派を興した。結果的に戦場で役に立つ武術となった。武術の達人でも銃には勝てないという理屈は、彼女の流派では正統ではない。
朝食を摂りながら、セリナとプリムラは話をする。
前日まで棘棘しい視線でセリナを見ていた少女二人は、畏怖の念がこもった視線でセリナを見つめている。
「関口新心流と言っても、他にも色々つまんだから。新陰流とか一刀流とか、中国拳法にブラジリアン柔術に、ボクシングや柔道、合気道まで。でもそれを実戦に落とし込むのは難しかったなあ」
しみじみとセリナは呟く。実際のところ古流で一番役に立ったのは、抜刀術、居合いの類であるかもしれない。
ネアースには魔法があるが、地球にはなかった。魔法で力押しするところを技を磨くしかなかったので、ひょっとしたら純粋な接近戦の能力では、セリナはプリムラの母以上になっているかもしれない。
「セリナ様は、いったいどこでそれほどの技を……」
ダルカスが興味深げに尋ねてくる。オーガという種族は、戦闘に対して強い関心を持つ。
「前世で」
「……転生者でしたか」
食休みを終え、一行は二層の中心へと進んだ。
隊列は相変わらず変わらない。そして昼食前に、階層主の部屋へと到達した。
ここの階層主はヘルハウンド。巨大な漆黒の犬である。レベルも高く、騎士二人と魔法使い二人では、相当厳しいだろう。だがひとまずはセリナもプリムラも観戦である。
アーロが慎重に攻撃をしかけ、ダルカスと連携して後方へヘルハウンドが向かうのを妨げる。魔法使い二人は攻撃魔法もだが、騎士二人にたいしての補助魔法を多くかけている。
だがそれでも、鉄壁とは言えなかった。ヘルハウンドが前衛を突破し、脆弱な後衛へと跳躍したのだ。
プリムラも動こうとしたが、セリナの方が早かった。
ヘルハウンドは空中でその動きを止めた。四肢を縛られ、身動きできない。その動作を縛るのは糸だ。
もちろんただの糸ではない。糸にまで細めた、セリナの脇差である。
脇差は様々な形に変わるが、糸にまで変えようとしたのはセリナが初めてだろう。
前世では古流の武術を極めたセリナだが、同時に古流の限界も感じた。
古流は戦国時代から研鑽された武術であるが、現代兵器の前には役に立たない場合も多い。また、技術の発展で新たな武器が開発されたこともある。
セリナが武器としての価値を認めたのは、糸である。
1ミリの太さで1トンをつるし上げるような糸、はたまたその鋭さで肉をも断つ糸。
これは戦闘だけでなく、行軍や罠の設置にも大いに役立った。
そして今も、完全にヘルハウンドを拘束している。
「糸か…。そういえば糸使いの暗殺者がいたな」
プリムラが懐かしそうな声で言う。だが暗殺者とは穏やかではない。
結局ヘルハウンドは、魔法使い二人の経験値として処理された。
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