11 神託

 統一暦6012年というのは、セリナが地球へ帰還して間もなくの頃である。

 それは突然として、国家の首脳部や、強力な魔法使い、神殿関係者などはもちろん、著名な戦士や冒険者にさえにもたらされた。

 水竜ラナ。この世界を管理する神竜の中でも、最も長く生きるという最強の神竜の思念である。

『強さを求めよ』

 神竜に対抗する神々の神官にさえ届いたこの神託は、当時大きな話題になった。



 神竜は神をも超える、ネアース最強、最高の存在である。

 他の神々が人々の信仰を力に代えて、その代償に神聖魔法を使わせるのに対し、神竜を頂点とする竜は、そんなものを必要としない。

 神々の中でも最高位の力を持つ神でも、神竜の手にかかればあえなくその存在を滅せられる。

 だが神竜は、基本的に人間には関知しない。

 世界が危機を向かえるときにだけ、その力を行使するのが原則だ。

 例外としては古代帝国が黄金竜クラリスと盟約を結んでいたのと、神聖オーガス帝国が暗黒竜の庇護下にあること、そして大湿原のリザードマンが水竜の眷属であることぐらいか。

 もっともこの数百年で誕生した新しい神竜、天竜ラヴェルナと星竜リーゼロッテは、それぞれの迷宮の近くにある人種と関わりを持っている。

 数十億年の単位で生きている神竜と、1000年程度しか生きていない神竜では、さすがにその力に違いがあるからだ。人種と交流し、互いに支えあう必要があった。



 さて、この強さを求めよ、というのがどういう意図なのか、世界各国で議論されたらしい。

 当時は悪しき神々の復活から起こった、世界規模の動乱もようやく収束に向かっている途上であった。

 悪しき神々は魔神ルキエルを除いて、上位の神々は全て封印されるか滅ぼされた。

 もちろん戦火が完全に収まることなどなく、局地的にはまだまだ戦争が続いていたが、世界全体の傾向としては、平和に向かっていたのだ。

 そこへ、この神託である。



 まずレムドリアが動いた。

 この国が周辺国を併合していったのに合わせて、オーガスも軍備を拡張する。

 ガーハルトは秘密主義なので内容は分からないが、何も動いていないというのもありえないだろう。

 そして鎮まったはずの竜牙大陸が戦乱に逆戻りする。

 これは長年に渡って安定して治世を行ってきた指導者の死亡という、どうしようもない面もあったのだが、とにかくまた紛争は多くなった。

 竜翼大陸の諸国は比較的平穏だが、すぐ南の竜爪大陸がどうしようもない戦乱を繰り返しているので、やはり軍備を拡張する傾向にある。



 ここまでは情報媒体に目を通せば分かる情報である。

 問題は水竜ラナの真意と、それに対する大国の対応の内容である。







 セリナは自分が200年前にネアースに送られ、当時の事件解決に動いたことまでプリムラに話した。

 当時赤子であったプリムラに会っていることも話したし、弟弟子のことも話したし、ドワーフの里のことも話した。

 それらのことは、プリムラがどういう環境で幼少時を過ごしたのか知らなければ分からないことなので、セリナの過去をおおむねプリムラに信用してもらう役には立った。

 そして今、プリムラは腕を組んで考え込んでいる。



 セリナの話におかしなところはない。神々との戦いと勇者の召喚の話は、両親から聞いたことがある。

 だからセリナの言うことはおそらく事実なのだと、プリムラも思っている。だが問題もある。

「水竜ラナの真意は、私も知らない」

 吐息と共に、プリムラはそう洩らした。

「私は20歳までドワーフの里で過ごし、母様から魔法や剣術を習った。母上は忙しく世界中を飛び回っていたようだが、家に帰ってきた時は家族の団欒の時間だったからな。何をしていたのか詳しいことは聞かされていないんだ」

 そして20歳になった時に親元を離れ、10年ほど見聞を広め、冒険者となった。それからの活躍は知られた通りである。そして母親たちとはそれ以来会っていない。ドワーフの里の実家も、他の家族に貸している。

「師匠の居所に心当たりは?」

「……暗黒迷宮に行けばさすがに分かると思うが、さすがに一人では無理だと思うぞ」



 暗黒迷宮は暗黒竜レイアナの守護する迷宮であり、その配下の竜たちのほとんどが眠っている聖地でもある。

 前世においてセリナは、同じ神竜の聖地である迷宮を一つクリアしていたが、あの時は頼れる仲間がいたし、自身の不死性も今よりはるかに上だった。

「プリムラ様の伝手で、どなたか事情に詳しそうな方に紹介していただけませんか?」

「私は最強戦力とか言われているが、身分は一介の騎士だからな。母たちの知り合いも、里を出てからは連絡を取れていないし……」

 残念と思うセリナに対し、プリムラは「それよりも」と言葉を続けた。

「その、プリムラ様というのはやめてくれないか? 自分が赤ん坊のころのことを知っている人間にそう呼ばれると、なんだかむず痒い」

「じゃあ、プリムラさん?」

「プルだ。呼び捨てでいい。親しい者は……まあ今はいないんだが、そう呼んでもらうと決めている」

 どうやら美少女キラーは、そのモテ度に反して友達がいないらしい。



 プリムラに対して敬語もいらないと言われたセリナは、また質問をしていく。

「他に詳しいことを知っている人に会う手段はないかな?」

 神竜に会えればたいがいのことは分かるのだろうが、セリナが前世で最も仲の良かった神竜は、遠い竜爪大陸にいるはずだ。

 あとは大森林のハイエルフなら、面識もあるし情勢にも詳しいだろう。

 だがオーガス国内となると、ほとんど心当たりがない。

 ガーハルトの大魔王にも、連絡さえ取れれば会えるのだろうが、そもそも今生での伝手はない。

「知っているというか、なんとかしてくれそうなやつなら心当たりはあるな」

 セリナが必死な様子を見て、プリムラも脳裏からその存在を思い出す。

「試練の迷宮の主なら、何か分かるだろう」

「あ」



 言われて思い出した。前世でもセリナが旅のかなり早い段階で訪れた場所だ。

 試練の迷宮。あるいは不死の迷宮とも呼ばれる。シャシミールという4000年の歴史を誇る街を支える、世界規模で見ても特殊な迷宮だ。

 オーガス国内にある迷宮で、交通の便も発達している。だが現在は国の管理下にあり、普通の探索者は立ち入り禁止となってしまっている。

 情報自体は手に入れていたセリナは、そういった理由で頭から選択肢として除外していたのだが。

「今は帝国軍の演習に使われることが多いからな。完全に国の管理下にある。だがそれもそろそろ終わりそうなんだ」

 シャシミールの迷宮では、人が死なない。それを利用してこの100年、帝国は兵の育成に役立てている。

 だがプリムラの話によると、最近は迷宮の構造が一定時間で変わり、罠の数も増えているため、本来の目的に使うには支障が出てきているらしい。

 元々一層や二層は初心者の探索者に向いていたのだが、どうも迷宮の主はこういったことに迷宮を使われるのがお気に召さなかったらしい。

「それに私の口添えがあれば、迷宮に入ることは難しくないだろう」



 シャシミールの迷宮の主は、かなり特殊な能力を有している。

 無限魔法という、世界でもほとんど使い手のいない魔法を使えるのだ。それによって作成された世界地図を元に、セリナは前世でこの世界を旅したものだ。

 彼女なら神竜の真意を知っているか、そうでなくとも知っていそうな人物に接触できるだろう。

 帝国の管理下にあるのが、この場合はありがたい。プリムラが口を利いてくれるなら、セリナのような子供でも入れるかもしれない。

「あの迷宮なら、今の私でも踏破出来ると思う。……最下層の吸血鬼は厄介だけど」

「そうだな。その技能構成なら無理ではないと思うぞ。私も付いて行くし」

 その言葉はセリナにとって意外であった。

「一緒に来るの?」

「ああ、私もラナの言葉については、色々と考えることもあってな」

 帝国最強の騎士と言われても、それはあくまで人種の範囲。

 上位の竜や神と戦えば、まだまだ確実に勝てるとはとても言えない。

 わざわざ神竜が出したメッセージだ。今よりさらに強くなる必要を、プリムラも認めていた。

 国内であればプリムラの移動制限もほぼないし、迷宮の主にはプリムラも会ってみたいと思っていたのだ。



 セリナが帝立大学に編入するまで、およそ二ヶ月。

 それだけの時間があれば、試練の迷宮を踏破して、迷宮の主に会うことも出来るだろう。

 普段は居眠りしている彼女だが、その持つ力を思えば、神竜の真意を察するか、あるいはそれを知る者を特定してくれるだろう。

 後者の場合は、その者をさらに探す必要があるだろうが。

「決まりだな」

 プリムラが言って、セリナも頷いた。







 随分と長い時間話していたのだが、図書館の入り口にはプリムラを待つ二人の少女がいた。

 セリナを見ると敵意のこもった視線を向けてくるが、別に怖いものでもない。

 一言二言声をかけてプリムラが二人を抱擁すると、すぐに甘くとろけた顔になる。

「それでは」

 短く告げて、セリナはその場を後にした。

 おそらくこれから、プリムラは三人で遊ぶのだろう。大人の意味で。

 いつか本当に刺されないかな、と他人事ながらセリナは心配になった。



 プリムラとは携帯端末のアドレスを交換したので、いつでも連絡はつくようになっている。

 一応お互いの住所も確認したし、魔法で連絡を取ることも可能だ。だがオーガス国内なら端末を使うのが一番簡単だろう。

 屋敷に帰ったセリナは男爵に、シャシミールへ短期間旅行することを告げた。

 大学への編入にあたっての準備はもうしてあるので、特に手続きな問題はない。

 問題は同行者にあった。



「あの美少女キラーと同行なんて、とんでもない!」

 男爵は顔を真っ赤にして叫んだ。後に知ったことだが、彼は以前に、妻をプリムラに寝取られたことがあったらしい。

 今は元の鞘に戻っているが、男にとって最も屈辱的なことは、女に女を寝取られることだろう。

 人妻でも問題ないというのは、事実であった。性質の悪いことに、オーガスの法律では夫婦間の姦通罪は、異性間にしか適用されない。まあ体裁が悪いので、貴族がそんな騒ぎを起こすことは滅多にないのなだが。

 ……それにしても、プリムラのせいで近いうちに法律が変わるかもしれない。



 まあ、プリムラはロリコンではないので、その心配はない。

 それでも男爵は反対し、セリナに説得されて護衛を付けることで、ようやく納得した。

 配下の騎士を二人付けてくれるとのこと。ありがたいことである。セリナにはすぐに返せるものはないが、男爵には親切にしてもらったと父への手紙には書いておこうと思った。







 翌日セリナは、帝都のあちこちを巡って観光した。

 プリムラの準備が一日はかかるということで、その合間に帝都の姿を見ておきたかったのだ。

 200年前と比べても、帝都の範囲は拡充されている。

 外壁はない。帝都周辺の魔境は開発され尽くしたし、近くにある難易度の低い迷宮の前には軍が駐留している。

 前世で訪れた時はろくに観光も出来なかったが、かつて自分が見た新しい街並みが、今では古くなっているというのは感慨深いものがある。



 昼は食堂で食べたのだが、ここには流しの吟遊詩人がいた。

 そしてハーフリングの彼が歌っていたのは、神竜の騎士の物語であった。

(ククリの影響がこんなところに……)

 なんとなく頭が痛くなる。前世の自分の、おもいっきり美化された伝承を聞かされて、セリナは顔を赤らめた。



 しかしこんなところで前世の仲間とつながるとは。

 ハーフリングのククリは、セリナとの冒険の後も世界中を巡り、現在まで残る多くの詩を残した。

 レムドリアが現在の北部にハーフリングの自治区を認めているのは、そこがククリの生誕と死去した地であるからである。

 あれほど偉大な芸術的業績を上げた人物の故郷を蹂躙するのは、それこそ世界中からの非難が殺到したらしい。

 一人の芸術家が、世界を動かした一例である。

 お前はジョン・レノンか! とセリナは亡き友を偲んだ。



 それ以外にも、博物館や美術館で、前世の自分の業績が残っていたりする。

 剣聖とまで呼ばれるに至ったブンゴルの、生前の所持品が美術館にあったりもした。

 そもそも神竜の騎士の物語が、あちこちの場面を切り取って絵画にされていたりする。

 いやいや、そこはそんなに劇的なシーンではなかったって。

 思わず頭を抱えそうになるセリナだが、これはフィクションであるので仕方がないだろう。



 精神的に疲れたセリナが男爵家に戻ったとき、既に時刻は夕方を迎えていた。

 夕食の席でも男爵は遠まわしに、セリナに翻意を促す。しかしもちろん、セリナが頷くはずもない。

 結局護衛の騎士が二人という条件で、セリナはシャシミールに向かうことになった。







 翌日、帝都の広大な駅で、セリナとプリムラは再会した。

 特にどこでとは決めていなかったのだが、セリナの地図にはプリムラの存在がはっきりと分かっていた。

 そしてそれに付いて来る、女性が二人。



「やあ」

 本人はラフに外で動ける程度の格好だったが、随伴する少女二人は、まさに迷宮に突入でもしようとする冒険者の格好をしていた。

 ちなみに先日の少女たちとは違う。

「……彼女たちは?」

 半ば分かってはいたが、セリナは問う。

「シャシミールに行ってみたいと言うんでな。他にも何人もいたんだが、戦力になるのがこの二人だったんだ」

 恋人二人と迷宮探索。セリナはものすごく久しぶりに頭を締め付けるられるような気分になったが、まあ確かに戦力にはなるのだろう。



 セリナ、プリムラ、騎士が二人に、魔法使いの少女が二人。

 なんだか妙にバランスのいいパーティーが、即席で誕生していた。

 目指すはシャシミール。その最奥である。

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