第三部 幻想崩壊 プリムラ編

10 女癖の悪い女

 プリムラという女性に関して、セリナは事前に多くの情報を集めていた。

 まず彼女は170年前、帝国の中に数ある迷宮の探索者として、突如人々の前に現れた。

 出身地は他の種族の自治区であったらしく、それまでの記録には全く残っていない。

 迷宮に潜ることおよそ一ヶ月。その短期間で彼女は迷宮を単独で踏破し、帝国の全土に知られることになった。



 だがその時点で探索者としての活動を停止し、次には帝国主催の武闘大会に参加することになる。

 この大会において、他者を決勝まで全て秒殺。騎士団からスカウトされ、帝国に仕えることになる。

 それからの活躍は、枚挙に暇もない。

 他国との小競り合いでは単独で敵軍を壊滅させる。魔物の氾濫でも一人で数万の魔物を狩ることになる。

 帝国の人型最終決戦兵器という異名は伊達ではない。下級の神を単独で滅ぼした実績もあるし、おそらく成竜よりも強いであろうとさえ言われている。



 さて、ここまでは人々の口の端に普通に上る話。

 ここからは下世話なゴシップとなってくる。



 プリムラは、帝国で最も有名な同性愛者であるのだ。

 帝国では同性同士の結婚も認められているし、遺伝子操作で女性同士、男性同士の間に子供が生まれることもある。

 200年前には人間はエルフ種としか交配が出来なかったが、遺伝子操作技術を持つ国なら、今ではおおよその人種と交配が可能である。

 街中を獣耳の半獣人たちが歩いているのも、その成果である。

 ……男にしろ女にしろ、獣人と結婚する人間はいまだに酔狂と思われるが、特に蔑視されていたりはしない。

 獣人でさえそうなのだから、より人間に近いオーガや天翼人、果ては吸血鬼などとの混血児もいる。



 プリムラはとりあえず、人間の美意識で美しい、可愛いと思える女性には、見境なくその食指を伸ばすのだ。

 さすがに幼児にまでは手を出さないが、下限は12歳ぐらいらしいので、充分その守備範囲は広い。

 そして人妻や恋人持ちの女性までその毒牙にかけてしまうので、世の男共はプリムラの行く所、その戦力以上に脅威を感じている。

 そこまで女癖の悪い女であるのだが、女性からの評判は悪くない。

 同時に何人もの女性と付き合っていたりするが、彼女から別れを切り出すことはなく、皆を平等に愛するからである。

 男の敵であるが、ある意味女の敵でもある。そのくせ個人として接してみれば、誰もが親しみを覚える人格らしい。







 帝立大学が始まるまでの二ヶ月、セリナは親戚の家の一室で暮らすこととなった。

 面識はさほどないが、血は割と濃い関係にある男爵家である。帝都であるからには男爵家の屋敷もそれほど広大な敷地を得ることかなわず、裕福な商人の屋敷とそう変わりはない。

 男爵家には年上の子供が男女一人ずついて、セリナに紹介された。

 それからセリナは護衛の騎士を領地へ帰し、職員の男も本来の業務に戻ったため、セリナの他にはお付きのメイドが一人だけとなる。



 帝都は広大である。

 面積は東京都と同じぐらいであるが、巨大な施設や貴族の屋敷があるため、東京の都心部よりは面積の広い構造物が多い。

 セリナがまず男爵家に頼んだのは、様々な施設への入場の許可であった。

 まずは大図書館、それに研究所や大神殿といったところか。



 図書館はデータベースだけではなく紙ベースの情報が保管されてあり、意外と古くとも貴重な情報が埋もれていたりする。紙からデータへの移行は進んでいるが、昔の本は後回しにされる傾向が多い。

 研究所であるが、これは許可が下りなかった。やはり職員やそれに準ずる者でないと、貴族の子弟でも無理とのことだ。国家機密に関することも扱っているため、まあ仕方ないのだろう。

 そして大神殿であるが、ここは許可というよりも、入場するのにいくらかの寄付をするというシステムである。

 ちなみに神聖オーガス帝国は、宗教の自由が保障されているにも関わらず、八割ほどは神竜を信仰している。

 神竜はこの世界の秩序の維持者であり、神ごときが相手になる存在ではない。

 何よりこの帝国は、神竜が建国した国である。もっとも神竜が人の願いをかなえることは滅多にないので、ある程度は神々も信仰されている。

 そしてこの大神殿にセリナが求めたのも、情報である。



 前世において地球からネアースに送られた時、ある程度はこの世界の知識を教わったし、転生してからも貪欲に知識を吸収してきた。

 それでもこの200年間、科学と魔法の融合による技術の進歩は著しい。

 異種族間の交配もそうだが、戦争の様相も変化しているし、情報の伝達手段も発達している。

 まずセリナが仕入れた情報はこの200年のものであったが、どうも自分が必要としているのは、古代の終わりごろの情報であると分かった。

 そのためまず大図書館と大神殿という、歴史書を管理しているような二つの施設に用事があったのだが……。



(まさか、ここで出会えるとは)

 初めて訪れた大図書館で、無意識に地図を発動させる。

 多くの人々が知識を求めてここを訪れているのだが、本来はこういった場所には来ない人物がいる。



 鑑定不能。



 プリムラが、この大図書館の中にいる。







 プリムラは彼女にまつわる噂を払拭するかのように、テーブルで真剣に古文書を読んでいた。

 もっともその周りに美少女が二人いて、プリムラの邪魔をしないように、だが少しつまらなそうに読書をしている。

 そのプリムラが、急に振り向いた。

 彼我の距離、およそ30メートル。

 階段を丁度上がったところで、セリナはプリムラに認識された。



(何だ?)

 プリムラはこちらを見つめる少女を、どこか警戒しながら見つめる。

 そして気付く。膨大な魔力と、それを完全に制御していることに。

 魔力の高い人間は、帝都であればそれほど少なくもない。だがこの少女は魔力を有するだけでなく、それを制御している。

 制御してもなお、これほどか。

 外見で判断してはいけないと、プリムラは判断する。

 何よりこの少女は、『鑑定不能』だ。







 一方のセリナも、プリムラの外見を観察していた。

 鑑定不能であるから、あのプリムラであろうとは予想はしていたが、これは間違いない。

 髪の色は黒。瞳の色は青。顔立ちは師匠に似ているが、長い髪の髪質は先生に似ている。



 ゆっくりと歩み寄るセリナに、プリムラは警戒の目を向ける。帝国最強などと言われていても、自分がまだ二人の母の足元にも及ばないことは承知している。

 そんなプリムラの様子に、取り巻きの美少女が反応する。貴族の高慢さを少し見せた、金髪巻き髪の少女が立ち上がる。

「そこのあなた。こちらはプリムラ・メゾ・ウスラン伯爵様です。読書の邪魔にならないよう、少し離れていなさい」

 自分たちの邪魔をするな、という意味である。プリムラはなにしろ女誑しなので、10歳ぐらいの少女でも油断ならないのだ。

 ちなみに名誉伯爵でも、名乗るときには伯爵と普通に名乗る。

 だがセリナは歩みを止めず、プリムラも本を置いて立ち上がった。



 大きい人だな、とセリナは最初に思った。

 師匠も女性にしては背が高かったが、それ以上かもしれない。そして美貌をそのままに受け継いでいる。

 魔法使いとして有名であるが、その立ち姿だけを見ても、肉弾戦の能力も高いだろうと分かる。



 だが、魔法なしの接近戦なら勝てる。

 セリナはそうプリムラの戦力を分析した。

「初めまして、いや、お久しぶりです。プリムラ様」

 刀の間合いのすぐ外で、セリナは頭を垂れた。

「私はハーヴェイ子爵家の長女、セリナリアと申します。前世では、あなたの母君様たちの弟子でした」

 この言葉に取り巻きの二人は困惑するが、プリムラは逆に警戒レベルを上げた。



 プリムラが物心ついたとき、家には一人の魔族が内弟子として共に住んでいた。

 その魔族が言うには、自分ではとてもかなわない姉弟子がいたという。

 プリムラのことも知っているが、彼女自身の記憶にはなかった。その人がどうなったのかも、両親も内弟子も話してくれなかった。

 そして今、目の前にいる少女は、前世のことを語っている。

 前世持ちというのは、それほど珍しい存在ではない。

 だがこの少女の持つ雰囲気は、ただの前世持ちというには不可解だ。



「ふむ。それで、私に何か用かね?」

 鷹揚に聞こえるように務めたが、はたして成功しただろうか。

 セリナは正面からプリムラを見つめている。オッドアイという珍しい特徴を持つ少女だが、プリムラへの敵意は感じない。

「この200年の間に起こったことを訊きたいのです。そして、師匠たちの居所を」

「……場所を移そうか。ここでは人の耳がある」

 図書館はお喋りをするところではない。

 しかし学習用の個室があるため、そこならば密談にも適しているだろう。

「そういうわけだから、すまないね。君たちとの時間はまた作るよ」

 プリムラを挟む位置の美少女たちに、彼女は順番に口付けをしていく。

 のぼせあがったような二人の少女を置いて、プリムラはセリナの肩を軽く叩いた。

「行こうか」

 そして二人は密室へと移動した。







「話には聞いていましたが、とんだ女誑しぶりですね」

 先を行くプリムラの背中に、セリナは呆れたように声をかける。

 プリムラの異名は『最終人型決戦兵器』というのもあるが『美少女キラー』というものもある。

 眼力一発で、ノンケから人妻まで、その心を捕えてしまうらしい。

 その嗜好は人間だけに及ばず、エルフや吸血鬼、つまりは亜人や魔族にまで及ぶという。

 さすがに獣人にまでその毒牙が及ぶことはないらしいが、ノンケの少女にはきわめて危険な存在である。



 だがそんなプリムラにも、最低限の倫理観はある。

 彼女は12歳以下の少女には手を出さない。

 まあ帝国の法で、12歳以下の少年少女に対する淫行が、罰せられるようになっているからだが。

 ちなみに現代地球に比べてオーガスの淫行年齢がかなり低いのは、貴族の政略結婚が低い年齢で行われることによるのと、種族によっては12歳で成人と認められる場合があるためだ。



「心配しなくても、セリナ嬢、君は私の興味の対象にはなっていないよ。少なくともあと3年ほどは」

 全く安心出来ないことをプリムラは言ったが、セリナもその心配はしていない。

「私はおそらくどちらもいける口なので、その心配はいりませんよ」

 セリナの場合、おそらく性別よりも美醜の方が問題になるだろうと、自分では思っている。

 前世では男だったが、転生してからは女としての精神の働きもある。

「……少しステータスを見せてもらってもいいかな?」

 足を止めたプリムラは、振り返って問うてくる。

「むしろそれは望むところです」

 目を細めたプリムラの瞳は、黄金色に変わっていた。



 竜眼。

 竜の血脈の中に含まれる祝福の一つ。セリナにはまだ解放されていない祝福だ。

 その金色の瞳はセリナの奥深いところまでを見抜き、どんな機械でも鑑定不能であったセリナのステータスを丸裸にした。

「これは……なるほど、ただの転生者じゃないな」

 笑みを含んだ驚きの表情がプリムラの顔に浮かぶ。

 プリムラは携帯端末を操作すると、ステータスをメモする。そしてその情報をセリナに渡した。

「ありがとうございます」

 受け取ったセリナは、生まれて初めて、己のステータスを知った。



 主に肉体を使う接近戦系の技能の、多くが上限に達している。剣術や槍術、体術や柔術といったところか。

 それに対して魔法の技能はまだ低い。必須と思っていた魔力の回復技能も、あまり高くない。

 強さ自体は既に前世を上回っているかもしれないが、耐久力ではかなり劣っている。心臓を貫かれたら普通に死ぬだろう。いや。

「……不死身のレベル1ってなんなんですかね?」

「出血や外傷によるショック死になりにくいのと、心臓が破裂しても魔力があれば再生するはずだ」

 さすがに200年以上生きているだけあって、プリムラはそのあたりには詳しい。

「まったく、戦術級が二人とは、国防省に知れたらえらいことになるな」

 そういうプリムラだが、セリナを警戒する様子はない。おそらく戦えば勝てると思っているのだろう。



 それ以上はその場では話さず、二人は空いている個室に入った。本来は数人で利用するため、二人程度ならなんの問題もない。

 プリムラは結界を張って盗聴を防ぐ。監視カメラも存在するのだが、その機能も操作して、自分たちの会話を完全に分からないようにする。

 魔法でも機械でも突破不能な状態にしてから、二人は椅子に座る。

「さて、じゃあ何から話そうか」

「私としては、200年前の天啓の話からしてほしいですね」

「ああ、あれか」

 セリナも調べたのだが、当時に実際に生きていた人の意見はまた別だろう。

 それにプリムラなら、世間に流れているような情報以上のことを知っているはずだ。

「あれは統一暦6012年の話だから、私もまだ子供のころだな」

 200年前の天啓。

 それは水竜ラナによる、世界に存在する全ての人種への言葉だった。

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