9 帝都マネーシャ
セリナは十歳になった。
レーンの街の神童。セリナはそう呼ばれている。
本人は「じゃあ二十歳過ぎればただの人ですね」と呑気に返していたが、領主の娘である彼女を、街の領民は畏敬の念と共に、誇りをもって褒め称えるのだ。
数百年に一人の強大な魔力を持ち、その年齢に反して繊細で圧倒的な治癒魔法を使う。
街で起こった建物の倒壊事故では、瓦礫の山を一瞬で排除し、多くの命を救った。
また暴漢や犯罪者を犯罪現場で拘束し、治安の維持にまで貢献している。
その事実は徐々に広がって、帝都へも届くことになった。
帝都には帝立大学がある。主に魔法の研究をするところだが、ネアースの魔法は既に完全に科学と融合している。
その最先端の研究施設があるのが、帝立魔法研究所であり、帝立大学に入学して卒業し研究所に入所するというのが、オーガスの魔法使いの最も順当な出世の階段とされている。
それとは別に、官僚を養成する機関もあるのだが、技術の先端は研究所である。
帝立大学は多くの俊英が学び競い合う所であると同時に、国内の偉才を集めてくるという場所でもある。
入学資格は特になく、12歳から100歳過ぎまで、様々な年代の魔法使いがやってくる。中には1000歳を超える亜人や魔族もいて、このあたりオーガスという国の多種族混淆を見せ付けている。
その帝立大学の職員の一人が、レーンの街を訪れることになった。
帝国は一人でも多くの、強力な魔法使いを求めている。向こうからやってくるだけでなく、こちらから探しに行くこともある。レーンの街は規模はそれほどでもないが、流通の要所の一つであり、情報が拡散するのも早い。
それでもセリナが十歳になるまで研究所の手が伸びなかったのは、セリナの行動がその素質を公にするようなものでなかったこと、鑑定不能による能力の判定が不能であったこと、そして貴族であるため金銭的な条件で親元を離れさせる手段が使えなかったことによる。
だがレーンの街が地震に襲われ、建物が多く倒壊した災害が、彼女の名前を広く世間に知らしめた。
「娘はやらん」
領主館にやってきた魔法使いに対して、ハーヴェイ子爵は断言した。
そう、セリナの父はこの度目出度く陞爵を果たし、子爵となっていたのだ。震災からの速やかな復旧の手腕が最後の一押しになった。
その貴族である男の目には、どこか狂気にも似た色が浮かんでいる。
「いえ、そうではなくてですね」
威圧されつつ、魔法研究所からやってきた、中年の職員は説明した。
この世界には、ステータスが存在する。そしてそれを測定する手段も存在する。セリナは例外だが。
だが鑑定不能のセリナのステータスでも、単純に測定することは出来る。筋力や持久力、魔力を放出して、その値を測るのである。
研究所の職員が持ってきたのは、最新型の魔力を計測する機械であった。
「今すぐお嬢様をどうこうというわけではなく、将来のためにその才能を確認しておきたいと……」
平民出身の職員は、同じテーブルに向かい合って座るという、客人をもてなすような位置にいながら、やはり威嚇されている気分になった。
「うむ、うちの娘は天才だからな」
上機嫌になる子爵だが、実際のところ心中は複雑である。
セリナは待望の娘であった。しかも多方面に突出した才能があった。
子爵の考えではこのまますくすくと成長し、12歳になったら公爵領にある上級の学校に通わせ、結婚可能年齢になれば良い縁談を、というのが当初の子爵の目論見であった。
可愛い娘ではあるが、いつまでも手元に置いておくわけにはいかない。貴族として出来るだけ格上の家に嫁がせたいとは思っていたのだが。
セリナは天才すぎた。
女性の社会進出が多いオーガスでは、貴族の女性でも何かの仕事に就くことが多い。ましてセリナのように何らかの才能が突出していれば。
結局子爵はセリナの能力測定に諾の返事をした。
学校から帰宅したセリナに、子爵は事情を説明した。
セリナはその特徴的なオッドアイで職員を見つめ、特に威圧しているわけでもないのだが、萎縮させてしまっている。
だが話は簡単だ。魔法の実力を見てみたいということなのだ。
ハーヴェイ家の屋敷には鍛錬に必要な屋内道場がある。
貴族の嗜みとして、ある程度の武術を鍛えるため、このような設備があるのだ。
一番多く使っているのは、もちろんセリナである。
「それではまず、この水晶体の部分を握って、魔力を流してみてください。
職員が取り出したのは先端に水晶が付いたような物で、逆側の先端に板が付いている。それを操作すると、準備が整ったらしい。
セリナは言われた通りに魔力を流してみると、板に表示された数値が上がっていく。
「5300…平均的な魔法使いの10倍強ですな」
とは言ったものの、職員の表情に驚愕の色はない。平均的な魔法使いの10倍強というのは、あくまで平均の範囲なのだろう。
「もっと流してもいいのですか?」
「は? ええ、全力でやってみてください」
そう言われても、全力で魔力を流せばこの機械が壊れることはセリナも予想している。
お約束を回避するために、セリナは徐々に流す魔力を上げていった。
「え? えええ? えええええ!?」
とりあえずセリナは53万の値が計測されるまで、魔力を流していった。
「まだ出来ますが、壊れませんか?」
「――いあ、いえ! 止めてください。一応100万までは計れるはずですが……そんな……こんな……」
職員は同席していた子爵夫妻に、極めて重大な事実を述べた。
「……お嬢様の魔力は、帝国の人種の中では二番目に強大です……」
機械の故障かと思わないでもない職員だが、彼も魔法使いの端くれ。セリナの魔力を感知出来ないはずがない。
「て、帝国で二番目?」
想像以上の結果に、子爵は目を丸くする。
「はい、魔法騎士団筆頭の、プリムラ・メゾ・ウスラン騎士爵の次です」
その名前に、セリナはぴくりと反応する。
プリムラ。その名前には覚えがある。
そう、前世においてこちらの世界に赴いた時に出会った赤子の名前だ。
あれから200年。魔法使いなら人間でも生きていて不思議ではない。若返りの魔法や加齢を止める魔法もあるので、確かに生きていても不思議ではないのだ。
それに彼女は。純粋な人間ではなかった。
「プリムラ卿というと、あの名誉伯爵の……」
子爵も名前は知っている。そしてその力も。
「はい。帝国で唯一、戦術級の等級を持つ魔法使いです」
魔法使いはその使える魔法と魔力量によって等級が分かれている。初級、下級、中級、上級、特級というのがその分類だが、単なる魔法使いを超えてしまった攻撃魔法の使い手は、特級の中でも戦術級と呼ばれる。
それはたった一人で戦争の局面を変えてしまう力だ。
セリナは驚愕してこちらを見つめる、両親や職員の視線を感じながらも、考えていることは別であった。
プリムラ。もし彼女があのプリムラなら、ぜひ会っておかなければいけない。
前回召喚された時から200年。問題は解決されたはずなのに、世界の情勢は悪いほうに向かっているとしか思えない。
その理由を知る者は、ごくわずかだろう。しかし絶対に知っていそうな者には心当たりがある。
「お父様」
凛とした響きを持った声で、セリナは宣言した。
「私は、マネーシャに行ってみたいと思います」
子爵夫妻は盛大に顔を歪めた。
レーンの街から遠出したことはほとんどないセリナだが、不安は全くなかった。
帝都に向かっては交通が整備されているし、親戚の貴族も在住している。何より一番上の兄が3年前からその親戚の屋敷に下宿しているのだ。
それでも可愛い娘を一人で旅立たせるわけはなく、子爵は二人の騎士を護衛につけることになった。
たとえ二人がかりでもセリナに軽く捻られる護衛だが、両親の精神の安定上は必要なものだろう。
それに加えて身の回りの世話をするメイドがいるので、職員と合わせて五人の旅となる。
職員は既に帝都に連絡を入れているので、セリナが行くことには問題ない。なんとか引きとめようとする両親の言葉にも、セリナははっきりと首を振った。
こちらの世界に転生して10年、セリナは慎重に行動してきた。
前世でこちらの世界に送られた時には、ほぼ不死身の祝福を与えられていたので、多少の無茶でも通ったものである。
また前世では旅の仲間たちがいた。だがエクリプスと二人で、この200年の動向を知る者たちを訪問するのは、セリナであっても不安があった。
仲間を集めなければいけない。
世界に何が起こっているのかが分かれば、自然と200年前の強者たちとも会えるだろう。
何よりセリナが会いたいのだ。
あれから200年、旅の仲間で確実に生きているであろう者は、種族的にエルフと竜ぐらいである。
しかし旅の最中に出会った、この世界の真の支配者たちは、確実に生きているはずだ。国内だけならず他国の情報まで、今のネアースでは手に入るようになっている。
しかし、前世のこの世界において最初の拠点であったドワーフの里に、あの二人の師はもういないと調べてある。
確実に居場所が分かっているのはエルフの大森林と、ガーハルト連合帝国の首都、そして星の神殿ぐらいか。
どこも帝国からは遠く、そして危険な場所を通過する必要がある。ガーハルトは例外だが、皇帝でもある大魔王に、すぐに会うのは難しいだろう。
まずプリムラに会う。そして彼女があのプリムラなのか確認してから、両親の行方を聞けばいい。
それを別にしてもプリムラは強いと聞いている。帝国の決戦兵器とまで言われているが、なんとか仲間にしたいものである。
そんな考えで準備を整えるセリナに。両親は不安な視線を向ける。
マネーシャは同じ国の首都である。別の危険な国に行くわけではない。
だがなんとなく、両親は感じ取っているのだろう。この別れが長いものになるか、あるいは永遠のものになるか。
セリナもまた、それを感じていた。
旅立つまでの短い間、彼女は両親や兄たちと、いつもよりも長く傍にいるようにした。
果たして両親は、セリナが転生者であることに、本当に気付いていなかったのだろうか。
気付いていてもなお、愛情を注いでくれていたのか。今更だがセリナはそう思う。
他の転生者が前世の記憶を断片的にしか覚えていないのに対し、セリナはそのほとんどを記憶している。転生者でも特別だ。
それでも――両親の愛情は本物だったと思う。
旅立ちの朝、セリナは両親から長い抱擁を受け、帝都マネーシャへと向かった。
整備された交通網でも、首都から遠く離れたレーンの街からでは、それなりの時間がかかる。
途中の侯爵領には首都直通の転移門があるのだが、それを使うほどの喫緊の事態ではないため、一行は地味に列車を乗り換えていく。
あれから200年、ネアースの人種は飛行技術を発達させ、まさしく空母と呼べる巨大飛行船を開発したが、その路線を使うよりも地上を行くほうが、手間がかからなくて早い。
結局レーンの街を旅立ってから四日目、ようやく一行は首都圏に入った。
地球における東京をも凌駕する、巨大な都市の群れ。
そこでセリナは初めて、地図を発動させた。
さすがは帝都。800万を超える人口が集中している。種族も多く、レーンの街とは比較のしようもない。
だが、同時に思った。この程度なのか、と。
かつて帝国の騎士団長は、100近いレベルの猛者であった。しかし現在セリナの地図には、レベル70を超える人種が存在しない。
地図とリンクした万能鑑定で見たところ、体力の優れている戦士はいる。だが、圧倒的に技能レベルが低い。
さすがに騎士団の者はレベル50を越えている者が多いが、それでも剣術や槍術といった、近接戦の技能レベルが低すぎる。
平和に慣れて戦闘力が落ちているということはないはずだ。帝国はレムドリアを仮想敵国としている。軍事費に回されている予算は多い。
魔法具が発達したため、素の肉体技能の必要性が低下したのか。
オーガスだけの傾向なのか、それともこれが世界的な流れなのか。もし前者であれば、かなり問題である。
だがここはマネーシャ、帝国の首都である。そこに戦力を集中させておくというのもおかしな話だ。
戦力は常識的に考えて、他国との国境近くに配備されているのだろう。事前に調べた情報でも、各軍団の駐屯地は、南東の方角に多かったはずだ。
しかし。
しかしここには、プリムラがいる。
鑑定不能。セリナの万能鑑定でも分からない、帝国最強の戦士。
どの軍団の駐屯地へも、帝都からなら転移門を使って移動できる。
そしてプリムラのいる位置も、セリナには分かっている。
『鑑定不能』
都心部の中でもより宮廷に近い官庁街に、彼女はいた。いや、彼女であろう存在がいたというべきか。
万能鑑定でステータスを見抜けない人種は、この大都市圏でただ一人。
プリムラ・メゾ・ウスラン。
戦術級の魔法使いと呼ばれる存在が、セリナを待っている。
プロローグ セリナ編 了
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