8 悪魔召喚
ハーヴェイ家の屋敷には書庫がある。大半は内政に役立つ農業技術や商務関係、法律に関する本だが、中には魔法に関連したものもある。
セリナにとってそのほとんどは必要のないものだったが、精神魔法や死霊魔法、召喚魔法は今まで手を出していなかったところだ。
今回必要になるのは召喚魔法。
異界から悪魔を召喚するのは法で禁止されているが、召喚の方法自体はちゃんと確立されている。
戦争になったら小国が自暴自棄で悪魔の力を頼ることもあるので。
それに召喚魔法は条件が難しく、そう簡単に発動させることも出来ない魔法だ。
前世でとんでもない召喚魔法を見ていたセリナは、その術式をある程度覚えている。
そして問題であった、魔素の不足にも目処が立った。
「よし、やるか」
セリナは夜毎、魔境を訪れる。
魔素によって強化された魔物を、刀と体術だけで倒していく。
魔法は使わない。というか、使う必要がない。
一度だけ蟻の群れを相手に炎の魔法を使ったが、単体で強い魔物相手には素手で対応するし、刀でさえそうそう使う機会がない。
硬い甲殻を持つ魔物でも、内部に直接打撃を与えれば殺せるのだ。
この世界の冒険者は銃火器と、剣や槍などの武器に魔法を付与させたものを主に使って魔物を狩るが、実は魔法使いが実戦に出ることは少なくなっている。
魔法使いが直接戦うよりも、魔法を放つ魔法具を、体力に優れた戦士に預けたほうが効率がいいからだ。
少なくともオーガスやレムドリアでは、魔法使いというのは研究職に近い。
もちろん限定された攻撃しか出来ない魔法具より、魔法使いの方が汎用性は高いのだが、魔法使い自身があまり冒険者を志望しない。冒険者以外でも、魔法兵は少ない。戦闘にまで魔法が使えるようになるのは、なかなか時間がかかるのだ。
少なくとも冒険者を100人集めれば、魔法使いの人数はその内の一人か二人だろう。
対して回復手段を使う冒険者は比較的多い。
神の名の元に魔物を狩る神官がいるし、薬師が治療や解毒をする場面はよく見受けられる。
毒の種類や麻痺の症状、急な病気に対して適切な薬を持っているとは限らないので、回復魔法の使い手はそこそこいる。
先日の冒険者たちも、回復手段を持っていた。
高位の魔法使いというのは寿命が長いので、この、魔法使いが前線に出ないということを憂慮していたりする。
基礎レベルを上げるのは魔物を狩るのが一番手っ取り早い。研究を続けていくことでも経験値は溜まっていくのだが、前線の魔法使いとは全くレベルが違う。
200年以上を生きる魔法使いや、そもそも寿命が人間よりはるかに長い種族は、純粋な魔法使いとしての実力を残している。
基礎レベルが低いということは魔力も少なく、よって魔法もたくさん行使できず、魔法の技能レベルも上がりにくい。
ネアースの魔法使いは、科学者に近い存在となりつつある。洗練され、理論は高度になっているが、分野が細分化し、弱体化しているのだ。
かつての『竜殺しの聖女』カーラのような万能の魔法使いは、この100年はオーガスでは生まれていない。
さて、セリナの場合である。
彼女は毎日魔物を狩るが、その手段に魔法はほとんど含まれない、
屋敷に帰ってから、探知系や魔方陣を描く術理魔法を、魔力を無駄に消耗して使っている。
レベルアップと共に魔力枯渇の影響で、魔力の最大値は上がっている。
それでも悪魔の召喚には不安があったのだが、魔素の噴出を利用すれば、充分に可能であろう。
魔境の奥、まさに地脈から魔素の噴出する場所へ、セリナは立った。
岩場の大地が割れ、そこから魔素が噴出している。
セリナの頭の中で術式が構成される。現代の魔法使いであれば、機械を使って正確に演算するところだが、セリナの場合は術式に干渉して完全な魔方陣を発生させる。
巨大な魔方陣がセリナの魔力と周囲の魔素を吸い取って、魔法として発動する。
「よし、成功」
魔方陣が周囲の魔素を吸収していく。それにつれて魔方陣は強い紫色の光を発していく。
「……少し大きすぎたかな?」
セリナが予想以上の結果に警戒を抱く。だが今更止めることも出来ない。
というか、止めるのがもったいない。
やがて脈動する魔方陣が魔素を吸収しつくし、巨大な黒い影となる。
それは馬の姿をしていた。
青鹿毛に額に流星の入った馬、象ほどの巨大な馬が現れた。
悪魔はその姿や大きさで実力が計れるものではない。
鑑定の魔法を使えばステータスは見れるが、偽装の魔法でそれを隠している場合もある。だが確実に言えるのは、この悪魔が莫大な魔力を持っているということだ。
そしてセリナは、この悪魔を鑑定しようとしなかった。雰囲気だけで、ある程度の実力は分かる。
「馬か……。ちょうどいいな」
巨大な威圧感をものともせず、セリナは呟いた。
「我を召喚せしものよ、望みと対価を言うがいい」
悪魔が案外と渋い声で語りかける。それに対してセリナは笑った。
「望みはない。私に従え。ならばより大きな力を手に入れられるだろう」
悪魔がその目を細めた。
「……ただの人ではないな。我を従えようとするなら、その力を示すがいい!」
殺気を放つ悪魔が、震える雄叫びを上げると、魔法が発動した。
セリナは脇差に片手を添えつつ、悪魔の魔法を回避し続けた。
(上位の悪魔か。これはついている)
最初は経験値とする予定だったが、この悪魔は周囲の魔素を喰らいつくし、上位の悪魔として顕現した。
単に殺してしまうには惜しい。己の眷属とするに充分な存在だ。
悪魔と人間の関係は、契約による関係が多い。というかほとんどだ。
人間は対価を支払い、悪魔に願いを叶えてもらう。その対価が少なかった場合、悪魔は人間を殺してしまうこともある。
またこちらの世界で肉体を持った悪魔は、願いを叶えた後も残ることが多い。
そしてついでに、召喚した人間をとりあえず殺してしまう場合がある。よって悪魔の召喚は国の機関ぐらいでしか行われていない。行えないというのが正確なところか。
魔法使いにとって悪魔というのは、まず契約で自分に害を成さないようにしてから、改めて願いを叶えてもらうものである。
だが古の魔法使いは違った。
悪魔を召喚し力尽くで従え、自分への従属を強制する。
ただしそれだけ強大な魔法使いの眷属としてあるなら、悪魔も自然と成長し、恩恵を蒙ることになる。
こうなった悪魔は魔法使いの忠実な僕であり、待遇を変えない限りはむしろ人間より信頼出来るものとなる。
なにしろ悪魔は実力主義であるので。このあたりの価値観は、古代の魔族と似ているかもしれない。
馬の姿をした悪魔は、雷や風の刃を発生させ、それをセリナに叩きつける。
セリナはそれを、とにかく回避する。光速である雷の攻撃をどうしてかわせるのかというと、悪魔が狙いをつけた瞬間にその場所から移動するからである。
その人間離れした動きに、悪魔も本気になっていた。
魔法が回避されるとなれば、近距離から肉弾戦を挑めばいい。悪魔はその額に角を生やし、セリナに襲い掛かる。
それに対してセリナは、回避ではなく受け流した。
悪魔が――象のように巨大な四足の動物が、人間が投げられるように回転しながら地に落ちた。
「よし」
技が通用する。片手だけで、セリナは悪魔を投げ飛ばした。
足場が柔らかかったのであまりダメージは与えていないが、それでもあの巨体である。体重が自分を傷つけることはあるのだ。そしてもう一つ。
悪魔は精神的な存在だ。己が勝てないと心が折れ、相手に屈服せざるをえない。
だがこの馬の悪魔は、まだまだ旺盛な闘争心を失っていなかった。
夜の森の中で、大きな戦闘音が断続的に続いている。
100年を超える大木が、その戦闘の余波で何本も倒れている。
争う二者はそれを省みることもなく、ただひたすら目の前の敵を相手にしていた。
かたや、象よりも巨大にして軽快な馬。
こなた、ひたすら打撃と投げ技でそれと対する幼い少女。
悪魔の一撃で少女は肉塊と変わるのだろうが、一度もその攻撃を受けていない。
魔法も肉弾戦も、全てかわすか受け流される。人の持つ領域の武術ではないのだが、悪魔にはそれは分からない。
「貴様! さては勇者か!?」
悪魔の指摘はニアピンであった。
かつて勇者といえば異世界から召喚されるものであった。初代トールしかり、二代目アルスしかり。200年前の36人しかり。
だがこの200年では、勇者という言葉の意味が違っている。神や竜からの加護を受けた者。それが勇者である。
「神とは仲が悪いし、残念ながら竜とはまだ会っていない」
飛び膝蹴りで間合いを取って、セリナはそう応じる。だんだん戦いが楽しくなってきていた。
「では……転生者か!」
「正解!」
久しぶりに大声を出したセリナは、滑るように地面を動いた。
足運びは古流柔術、合気道、古武術の良いとこ取り。
体の動かし方、体幹の鍛え方は中国拳法が入っていたりする。
とにかく戦うための術を、ありとあらゆる方法で学び、それを実践した前世であった。
八歳のセリナに、既にレーンの街で相手になる人間はいない。
そして悪魔を相手にして、セリナは笑っていた。
ステータスを上げるには、地味な訓練も有効である。だがこの世界の神竜システムでは、実戦経験がより多く換算される。
かといって本気でやればレーンの街で相手になる者はおらず、全力を出すこともない。
魔境での狩りも、相手が弱くてさほどの経験にならない。あえて全力を出さずに戦うのも何か違う。
だからこの悪魔を相手に、制限つきとはいえ全力で戦えるのはありがたいことだった。
たとえ刀すら使わず、魔法も全く使わずとも。
これがセリナの本気であった。
数時間の攻防が続き、悪魔の魔力が枯渇してきた。
それに対してセリナは構えを崩さず、息も乱していない。
数歩前に出たセリナに対して、悪魔は後退した。
ここで初めて、セリナは刀を抜いた。
ハーヴェイ家の家宝『黒竜の牙』である。
それを青眼から八双に構え、セリナはするすると歩み出る。
その異様な歩法に、異世界の存在であるはずの悪魔も驚愕した。
刀が脇差から野太刀、それよりもさらに長大な刀身となる。
セリナは左足を引き、右足を踏み込みながら、刀を振り下ろした。
悪魔はさすがの反射神経で首を捻ったが、セリナの振り下ろした刀は、そのまま悪魔の右前足を切断した。
示現流でいうところの雲耀の太刀に近い形だが、セリナはそれを魔改造している。この攻撃は、セリナの持つ剣術の中で、二番目に速い攻撃だ。
足を一本失った悪魔は、そのままそこに倒れこんだ。足一本ぐらいで戦闘力を失う悪魔ではないのだが、彼我の戦力差を思い知らされたのだろう。
「参った」
そう言った悪魔の頭を、セリナはぽんぽんと叩いた。
悪魔との契約は、様々なものがある。
セリナの場合は相手を圧倒したので、契約内容もセリナに有利なものとなるが、実際のところそれほど望むものはない。
「……戦闘の訓練の相手か……」
「あとは移動手段としても活躍してもらう」
セリナが払う対価は、魔力の持続的な供給である。
魔素の薄い地上では、通常悪魔はその力を維持できない。セリナの魔力であれば、充分に悪魔の飢えは満たされる。
悪魔をどう連れ回すかも問題だったが、それは悪魔の異能が解決した。
セリナの影の中に隠れるというものである。この悪魔は色から判断しても、暗黒魔法を多く使うらしい。
そして肝心なことがもう一つあった。
「名前かあ……」
悪魔には通常、名前などない。
だが召喚した魔法使いが名前をつけることにより、完全にその従属化に置くことになる。
セリナはサラブレッドサイズまで縮んだ悪魔を見て、名前を考える。
「エクリプスとセントサイモン、どっちがいい?」
悪魔に『セント』と付けるなど異常であるが、ネアースの言語ではその意味は存在しない。
もっとも世界の一部で通用している英語を知る者がいれば、おおいに驚嘆しただろうが。
「その二つなら、エクリプスかな」
かくしてこれより長くセリナの足となる、エクリプスという名の名馬は誕生した。
一人と一頭は、ほとんど同じ時を過ごすことになるのだが、それは契約によるもので、当然のことなのだ。
セリナはエクリプスの存在によって、ようやくマトモな訓練相手を手に入れることになった。
地脈からの魔素の噴出はエクリプスの体内に吸収され、調査団は何も収穫のないまま街に戻ることになる。
ちなみに、セリナの渇望した戦闘訓練の相手という理由だが、それもわずか二年で不要になる。
二年後、セリナが10歳になったその春。
帝都マネーシャから、一人の老魔法使いがレーンの街を訪問する。
そしてそれはセリナを故郷から旅立たせることになるのだった。
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