7 冒険者は見た
冒険者という職業がある。
探索者や傭兵と混同されることもあるし、その両者と仕事の範疇が被ることもある。だがとりあえず、冒険者という職業が存在する。
その職務の内容は多岐に渡り、手紙の配達や単なる力仕事。探索者と被る迷宮や魔境の探索、傭兵と被る旅行者や商人の護衛もある。
だが一番多い仕事といえば、やはり魔物を狩って、魔石を得ることだろう。
この世界ネアースにおいて、火力や原子力によるエネルギーの供給は、きわめて限定され主流ではない。
魔石やそれをさらに純化させた魔結晶からエネルギーを引き出すのが、最も古くからあり、そして現在も主流となっている。
魔石や魔結晶は、主に魔物の体内に存在する。
逆に言えば魔物と他の生物を区別するのは、ほぼ魔石や魔結晶の有無による。
もっとも、高純度の魔結晶を体内に持つほどの魔物は、幻獣や神獣と呼ばれることもあるが。
これの究極は竜である。
竜の体内から採取できるのはもはや魔結晶とも呼ばれず、賢者の石と呼ばれる固体となる。
魔結晶を人工的にさらに純化させた物が魔核と呼ばれるもので、この魔核が世界に流布した3000年前の大崩壊から、古代と中世は分けられると考えられている。
話は逸れたが、冒険者は魔石を収集する鉱夫の役目も持っている。
レーンの街から線路一本で宿場町に至り、そこから歩いて行ける距離に、魔境と呼ばれる森がある。
魔境とは、主に魔物が住み着いた地を指す。
よって山や川、森や草原でも魔物が棲めばそこは魔境であり、これの例外は迷宮だけである。
宿場町自体は単純な魔物よけの結界に守られており、衛兵が置かれていることもあって魔物による被害が出ることはまずない。
あるとすれば強大な魔物が魔境の奥から出てくることだが、それは今までに一度としてなかった。
レーンの街の歴史は300年。その間に一度もである。
この魔境は深い魔境ではなく、危険な魔境でもない。それが共通の認識である。
よって冒険者もそれほどの強者は訪れない。初心者向けの狩場と言ってもいい。
だが、例外もある。
魔物の体内の魔石は、魔素から作られる。その魔素の濃度は、土地により異なる。よって魔境を攻略する冒険者には適切なランクが定められている。
レーンの近くの魔境のランクは2で、つまり2番目に低いということだ。
だがしかし時折、竜脈と呼ばれる地下を走る地脈から魔素が噴出される濃度が高くなり、突発的に強力な魔物を発生させることがある。
今レーンの近くのこの森は、その異常事態に陥っていた。
「これを待ってた」
森に溶け込むような暗緑色の服に同じ色の革鎧を身にまとい、セリナは短剣を腰に差していた。
レーンの街から宿場まで、列車で30分、森のこの位置まで徒歩で2時間。
さほどたいした魔物はいないといっても、単純にレベルを上げてステータスも上昇させるだけなら、やはり訓練よりも実戦の方が効率的である。
特に低レベルのうちはそうで、野生の獣とほとんど変わらない魔物でも、経験値は稼ぎやすいのだ。
これが逆に人間をやめたレベルになると、同レベルの相手と戦うか、訓練したほうが強くなりやすいのだが。
この二年セリナは夜毎、この森へとやってきていた。
そして数日前から、これを待っていた。魔素が地下から噴出するのを。
狼や熊系の肉食獣が強力になっている。そしてトカゲの親玉のような魔物も。
それは地竜と呼ばれていた。
地竜は亜竜であって、飛竜や水蛇竜と同じで、本物の竜ではない。
だがそれでもその脅威度は高く、低レベルの冒険者が挑もうとするなら、強力な武器を携帯している必要がある。
たとえば、対物ライフルのような。それでも充分ではないだろうが。
しかし冒険者が持っている武器は、携帯性を考えてせいぜいが小銃。万一のために使い捨ての強力な武器を一つ持っているだけだ。これでは一撃で地竜を倒さなければ、自分たちが死ぬ。
今セリナの感知できる範囲内には、ベテランだが低レベルの冒険者たちが地竜の近くにいる。
ステータスのレベルとは違う、冒険者としてのレベルは一番高い者が3。他の四人が2である。
地竜の討伐推奨レベルは7である。
彼らの前にセリナは、事前に倒しておいた鋼熊の死体を置いておいた。
魔石と毛皮、内臓や牙などの買取でちょっとした贅沢が出来るほどの魔物だが、どうやら彼らはそれでは満足出来なかったらしい。
鋼熊を自然死に見えるように倒したのも悪かったのかもしれない。大きな傷があれば、それを負わせるだけの魔物がいると思って帰還した可能性が高い。彼らはベテランなので。
仕方ないな、とセリナは思った。
セリナは冷徹だが、冷酷ではない。偶然出会った力なき人々を助けることは、日常的にあることだ。
それがたとえベテランの冒険者であっても。セリナにとっては力なき人々なので。
冒険者パーティー『青き輝き』は前衛が三人と後衛が一人、そして回復役の一人で構成された、全員が年齢四十代半ばのパーティーである。
結成当初は六人で、夢にあふれていた彼らも、この年になると現実が分かっている。
冒険者は冒険しない。
特にベテランは安全マージンを多く取って、生活費を稼ぎ貯蓄を増やさなければいけない。そして何より生き残るのが第一の目的である。
ギルドの年金や保険にも入っているので、50歳ぐらいになれば引退し、新人の指導に当たり、その後は年金でささやかに慎ましく暮らしていくのが目標である。
全員に妻子があり、その中の一人は結成当初のメンバーだった。
さて、このパーティーには弱点がある。
攻撃的な魔法使いがいないというのは、弱点ではない。それは魔法の武器を持つことによって補えている。
より致命的なのは、斥候をする人間がいないことだ。
かつてはただ一人の女性メンバーがそれを行っていたが、それが抜けても人員を補充しなかった。
同じ魔境を繰り返し探索することによって、ある程度の斥候としての能力を皆が身に着けていたことが理由である。
だがあまりに例外的な事例において、それはやはり致命傷となる。
セリナが止めようとしたのは、彼女が地竜の力を正確に捉えていたからだ。
「こんばんわ、冒険者の皆さん」
野営を行う青き輝きのメンバーの前に、性別不明の小柄な人影が現れた。
時刻は10時ごろか。これから交代で睡眠を摂ろうとしていたメンバーは、突然の来訪者に危機感を覚えた。
ベテランの冒険者は、戦闘力よりも危機感知能力が高い。
その前に現れたのが、仮面で顔を隠し、周囲に溶け込むような装備。
同じ冒険者にしては、あまりにも小柄すぎる。そういう種族なのかもしれないが、それでも魔境を探索するには危険が多いだろう。見れば武器らしい武器も持っていない。
「……同業か?」
リーダーの言葉に、人影は首を振った。
「ボクはね、この森でレベルを上げているんだ。それでまあ、忠告しに来たんだよ」
敵意も戦意も感じ取れないが、本当に子供のような存在が、魔境にいる。このおかしさが分からないはずもない。
「それでね。ちょっと大物をやろうとしていたんだけど、あなたたちが巻き込まれると大変だから、それを言いに来たんだよ」
リーダーは何も言わず、話の続きを促した。
「この少し先に、地竜がいる」
セリナの言葉に全員が驚く。地竜などは魔物の中でも、相当に強い種に分類されるものだ。この魔境での目撃情報はない。
「……詳しく聞こうか?」
リーダーの言葉に、セリナは軽く頭を掻く。
「地脈が活性化して、魔素が多く出ている。本来なら発生しないはずの魔物が、それで強化されて発生している」
魔物の強化という話は冒険者なら誰でも知っている。鋼熊もまた、この魔境では滅多に見かけないものだった。
そして地脈の活性化による魔物の強化は異常事態である。これをギルドに報告したら、報奨金が出る類のものだ。
セリナは親切にそれを教えたのだが、冒険者たちは顔を見合わせた。
報奨金は少なくない。確実にそれを調査すれば、かなりの金が入ってくる。
実際の危険な討伐は、軍に任せるとしても、これを見逃す手はない。
「それが本当なら、確認して報奨金を貰った方がいいな」
セリナのことを疑いながら、リーダーが呟く。この展開をセリナは予想していた。
「ここの地竜は小柄で、その分足が速い。それに地脈が活性化していることで他の魔物も強くなっている。すぐにでも退散することをお勧めするよ。近々軍の出動もあるはずだし」
冒険者たちが目で相談する。ベテランの冒険者は冒険しない。まして今は、既に鋼熊を拾って、充分に収支がプラスになっている。
だがあまりにも簡単に手に入った利益が、彼らの警戒心を鈍らせていた。
地竜を見たこともないというのもマイナスに働いた。小柄であるなら地竜と言えど、トカゲとたいして変わらないと。
彼らは思ってしまったのだ。
「坊主かお嬢ちゃんか知らないが、情報はありがたくもらっておく。地竜を確認したら帰るさ」
そう言ったリーダーの言葉に、セリナは分かってないな、と首を振った。
「今からボクが地竜を倒すから、邪魔にならないように教えてあげたのに」
セリナは背を向けた。
「まあ少し距離があるから、このあたりなら大丈夫だとは思うよ」
立ち去るセリナに対して、冒険者たちは阿吽の呼吸で立ち上がる。
そしてセリナの後を追って、魔境の深くへと立ち入った。
忠告はしたのだから、巻き込まれても自業自得だとセリナは思った。
だがレーンの街での平和な生活が、自分の感覚を衰えさせているともセリナは感じていた。
かつて戦場では己の身を守ることが第一であった。
負傷した味方など足手まといでしかない。見捨てて行くのが普通だった。
(だけどまあ)
地竜程度なら大丈夫だろう。
体長およそ25メートルの地竜。この冒険者たちの装備では勝てない。
遠距離戦にライフルを持ち、近距離戦用に小剣という装備は普通で、鎧も合成樹脂の軽くて丈夫な物、そして戦利品である鋼熊の素材を担いでいる。
鋼熊でどうして満足しないのかとセリナは思うが、人間はそういうものなのだろうと諦観もしている。
守りながら戦うのは趣味ではないが、苦手というわけでもない。
セリナはあえて気配も物音も気にせず、地面にくっきりと足跡を残してその場へ向かった。
そしてセリナは見た。冒険者たちも見た。
地面に横たわる地竜。それは既に息をしていない。
地竜の巨体の上に立つ、翼を持った黒い人型の存在。
それは悪魔と呼ばれる存在であった。
予想外だった。
トカゲが地竜に変化したところまでは確認していたのだが、それ以降は素の索敵能力を上げるため、地図を確認していなかった。
悪魔は異世界から召喚される存在であり、人間はおろか魔族とも全く違う価値観を持つ。
その性質は邪悪にして狡猾。例外はない。
そして強い。
地竜の肉体を貫いた魔法の痕を見るに、魔法に特化した悪魔か、それとも近接戦のどちらにも長じたものか。
予定が狂った。地竜であれば物理的な攻撃以外は考慮に入れなくていいのだが。
悪魔は魔法を使う。そして足手まといがいる。
悪魔の姿を見た冒険者たちは、呆然としてすぐには動こうとしなかった。
蝙蝠の顔をした悪魔がニタリと笑った。
悪意に反応して、冒険者たちが咄嗟に戦闘態勢に入る。しかしセリナの見たところ、冒険者たちでは悪魔に勝ち目がない。
「まあ、人型ならいけるか」
そう呟いたセリナは、素手で悪魔と対した。
「おい小僧、逃げろ。あれは悪魔だ。ある意味地竜以上に危険な相手だぞ」
リーダーがご親切にもそう言ったのを、セリナは無視した。
何気なく歩み寄る。悪魔に対して。
悪魔はニタリと口を裂けた笑みを浮かべ、跳躍してセリナに襲い掛かった。
攻撃は鉤爪。その殺傷力は刃物と変わらない。悪魔の筋力を考えれば、一撃で人間を殺すことが出来る。
振りかぶった悪魔に対して、セリナはあえて前に出た。
爪よりもさらに近い、拳の当たる距離。そこから悪魔へ攻撃する。
大地を踏みしめ、その力を腰の回転で腕に伝え、掌底で悪魔の胸を打つ。
そこからさらに音を鳴らして大地を踏みしめ、背中へ突き抜けるように掌底。
悪魔の器官は、不思議なほど人種と似ている。
よってセリナの攻撃は、悪魔の心臓へ衝撃を与えた。
普通ならこれで死亡、もしくは気絶。だがセリナに油断はない。
この悪魔は、心臓が二つある。セリナの上背では攻撃が難しいところにもう一つ。
セリナは悪魔の腹部に打撃を加える。それに合わせて屈んできた悪魔の、もう一つの心臓に向けて掌底を加える。
崩れ落ちた悪魔の首を、背中に向けるほどの打撃を蹴りで与え、それで終わり。
魔法を使うこともなく、悪魔はあっさりと倒された。
愕然としている冒険者たちに向かって、セリナは歩み寄る。
「お、お前、なんなんだ? 人間じゃないよな?」
敵意も殺意もないセリナに、リーダーは声をかける。
「人間ですよ? まあ、ちょっと規格外ではありますが」
答えたセリナは魔境の奥を振り返る。そちらからはより濃密な魔力を感じる。
「ギルドに報告してください。地脈が活性化して森が危険になっていると。しばらくは立ち入り禁止でしょうね」
そしてセリナは去った。
残された冒険者たちがその通りにしたことは言うまでもない。
しかしセリナは、自分の存在を口止めしておかなかった。
ハーフリングよりもさらに小さな人種が、悪魔を倒すなど、誰も信じると思わなかったので。
その認識はちょっと甘かったようで、しばらくの後、レーンの街では子供の姿の魔法使いがいるという噂が蔓延した。
正体まで判明しているわけではないので、セリナは特に問題とはしなかった。
さて、魔境の地脈の件であるが。
軍が動くには、少し時間がかかる。それまでにセリナは強化された魔物を利用して、レベルアップを考える。
それと、地脈を利用したある計画を。
セリナはこれまでも魔法の勉強を欠かしたことはない。むしろ武術の訓練よりもよほど、魔法の理論については学んでいるほどだ。
この200年に、魔法の理論やその応用は大きな変化があった。近代から現代への移行というところか。
単純に戦闘に役立つ魔法だけなら、セリナの魔力であればいくらでも使える。だが今考えているのは、全く違った系統だ。
召喚魔法。
セリナは己の鍛錬のために、強力な悪魔を呼び出すことを考えていた。
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