6 剣の姫

 セリナの行動に、観衆たちが固まった。

 そして固まっている間に、セリナは話を進めた。

「あなたが勝てば、私はこの身をあなたに捧げましょう。私が勝てば、以降私との婚約などは間違っても口に出さないように」

 セリナが不利すぎる条件である。

 観衆たちもそう思ったし、何よりアルバートがそう思った。

 思わなかったのはオルフェッドぐらいだろうか。彼にとって世の中が自分のために上手く動くのは、当然のことなのだ。



「よかろう。その条件で決闘を受けよう。立会人は……」

 オルフェッドの視線を受けて、騎士が敬礼する。

 それに対してセリナは、アルバートに視線を向けた。

「アルバート、立会人をお願いします」

「セリナ様! いけません!」

 思わず愛称で呼んでしまう。セリナが剣術をやるというのはアルバートも知っていたが、それがどのぐらいのレベルなのかは知らない。

「このまま、ここで行っていいですか?」

 セリナが尋ねたのはオルフェッドだ。一応決闘をして、彼は多少疲れている。互角の条件ではない。

 あの程度の決闘で疲れるなど、セリナにはそれこそありえないのだが。

 まあ六歳であるので、そのあたりは仕方ないだろう。

「問題ない」

 オルフェッドは笑みを浮かべる。彼にはこの展開が不自然に思えない。



 愚かである。



 セリナとオルフェッドが対峙し、アルバートはおろおろとしているが、強制的に止めることも出来ない。

 主筋の令嬢に対して、決闘時の作法など行使することも出来ない。

 騎士がどこか気の毒そうにアルバートを見て、それからセリナに視線をやる。

「武器は、それでよろしいのか?」

 セリナが手に持つのは木刀である。腰の帯に短い短剣を差しているが、それを使わないのか。

 木刀は本当にただの木刀で、訓練用に使う物だ。アルバートの使っていた剣よりも、さらに殺傷力は劣る。

 そして防具もただの革鎧。子供が身に付ける、軽い物だ。真剣での決闘に、これは危険すぎるのではないかと、騎士でさえ思った。

「アルバート、良く見ておきなさい」

 そう言ったセリナが頷くのを見て、騎士は始めの合図をかけた。







 オルフェッドが攻撃してきた。

 男相手には防御に徹していたのに、女相手には果敢に攻撃する。

 とことん腐った精神の持ち主だが、セリナにとっては都合のいいことだ。

 オルフェッドが剣を振りかぶり、セリナが少しだけ構えを正す。

 次の瞬間、オルフェッドは転がっていた。



 ごろごろと二転三転するオルフェッド。その手からは剣が離れている。

「足を滑らせたようですね。では、始めの位置からやり直しましょう」

 セリナは追撃もせず、平然とそう言った。

 オルフェッドは舌打ちすると、剣を取って当然のように元の位置に戻る。

 剣を構えると、今度は少しだけ慎重に間合いを詰める。



 セリナが青眼に構えていた木刀を、すっと下ろす。それに合わせて、再びオルフェッドが剣を振りかぶる。

 それにしても、とセリナは思う。

(子供同士とは言え、女の子に真剣で怪我をさせたらどうなるのか、考えていないのかな?)

 考えていないのだろう。

 オルフェッドの目の前にあるのは勝利のみで、元々の目的など忘れている。

 これは六歳であろうと、年齢に合わない愚かさである。分別が全くついていない。

 どれだけ甘やかされれば、このような人格が形成されるのか、むしろ興味さえ出てきたセリナである。



 そしてオルフェッドは、またも転がった。

「また、足を滑らせたようですね」

 セリナは微笑みながらそう言って、オルフェッドが立ち上がるのを待った。







 オルフェッドは15回転がされた。

 その異常さに、観衆も気付いている。

 セリナが足をかけた様子はない。だがもしも、剣術ではなく武術の達人がそれを見ていれば、セリナのやっていることを看破したかもしれない。

 そして驚愕しただろう。

 それは、木刀を使った合気道の投げであった。



 柔道に、空気投げという技がある。

 足を払うでもなく、担ぐでもなく、ただ相手のバランスを崩して投げる――というか横向けに倒す技である。

 合気道における投げ、または転がすというのは、相手のバランスと可動範囲を利用して行う技である。

 柔術にもこれはあり、およそ組み合う格闘技では、この種の技は必ずあると言っていい。

 少なくとも古流の武術には多い。

 セリナがやっているのはそれの、木刀を使った技である。

 柔軟に動く関節を持つ自分の腕ではなく、腕の延長ではあると言っても木刀でそれを成す。

 オルフェッドとの間にある、あまりに大きな力量の差がそれを可能としていた。



 もういいか、とセリナは思った。

 16度目の投げを仕掛けることなく、セリナはオルフェッドが振った剣を戻そうとするのに合わせて、その剣を木刀で打った。

 キン、音がして剣が折れた。

 木刀が、金属の剣を折った。

「武器が折れてしまいましたね。代わりの武器は?」

 静かに尋ねるセリナに、ようやく愚劣な貴族の次男は怖れを抱いたらしい。

「だ、代理人を立てる!」

 叫ぶように言ったその内容に、観衆たちは冷笑を浮かべた。



 決闘の代理人。決闘の直接の対戦者が何かの都合で戦えない時、あるいは決闘に自信がない時。

 代理人というのを立てて文字通り代わりに戦ってもらうことがある。もっとも代理人にもいくつか条件はあるのだが。

 そしてこの時点で、代理人になれる資格があるのは、立会人である騎士しかいない。

 騎士叙勲を受けた大人を、子供同士の決闘の代理人に立てる。

 相手も大人を代理人に立てる前提なら、それもありえるだろう。だが一方的にそう宣言するのは、貴族社会においても醜悪である。

 セリナにはこれを拒否する権利も、こちらも代理人を立てる権利もある。そして期日を延期する権利もある。

 だがもちろん、セリナはそんな権利を行使しない。

 気の毒そうな目で、騎士を見つめる。

 少女の視線に、騎士は恐怖を覚えていた。







 何をやっているのか分からない。

 騎士の目から見ても、セリナのやっていたことは異常だった。戦場での組打ちを想定して、騎士は多少の体術を学ぶが、あくまでも多少である。

 弾丸や魔法が飛び交い、最接近しても武器を使う騎士にとって、無手での戦闘はあまり想定されていないのだ。

 騎士は士官であるからして、小隊以上の指揮も担当する。戦場で必要なのは、武器の取り扱いである。無手での武術ではない。

 護身術、というものはあり、レーンの街にもそれを教える元軍人などはいるが、セリナのしていたことはそれと比べても異常である。



 格闘技というものはあり、それが観衆の見世物として成立はしている。

 しかしセリナの使うそれは、あまりにも異質だった。

 正直に言えば、騎士は逃げたかった。

 六歳の少女に対して、決闘を行う。それは勝って当たり前で、勝てたとしても逆に名誉を失う。

 つまり騎士にとってこの戦いは、全くメリットのないことなのだ。



 だが、セリナは逃避を許さない。

「六歳の女から逃げたと言われれば、騎士の名誉は地に落ちるでしょうね」

 騎士は覚悟を決めた。

「それでは、お相手いたします」

 最低限の怪我、もしくは武器を破壊して、こちらの勝利とする。

 騎士が考えたのは、それぐらいのことであった。

 最も無難な選択である。オルフェッドがどう思うかはともかく、世間体というものがある。



 騎士とセリナは向かい合って対する。

 騎士が片手半剣を両手で構えるのに対し、セリナはやはり木刀を手にしたままだ。

「……その腰の短剣は使わないのですか?」

「これは脇差と言って……まあ、短剣でもいいでしょう。これは予備です。その剣を相手にするなら、木刀の性能でも充分ですから」

 騎士はそれを侮辱とも挑発とも取らなかった。信じられないことだが、おそらくこの目の前の少女は、自分より強い。本能でそう感じる。

 木刀を破壊して決着をつけるというのは、自分に都合の良い妄想でしかないのかもしれない。だが、騎士にはそれ以上に良い選択肢が考えられなかった。



「始めろ!」

 オルフェッドの怒声が響き、決闘が始まった。

 騎士は静かに間合いを詰める。セリナは動かない。

 互いの距離が縮まる。そしてセリナは既に、相手の騎士の力量を見切っていた。

 単に技能レベルで表示される強さではなく、もっと根源的な強さ。

 足運びや体感の動き、そして剣の構え。



 弱すぎる。



(もういいか)

 セリナは接近しすぎていた騎士に、さらに一歩近づいた。

 間合いが縮まりすぎたと、ようやく騎士は気付く。これで剣術レベルが1もあるというのは、何かの冗談のようにも思える。

 騎士が剣を振りかぶり、そして振り下ろすのに合わせて、セリナも木刀を振った。



 木刀が砕け、剣が折れた。

「武器がなくなりましたね。この続きは、明日か……都合のいい日にでも持ち越しましょう」

 セリナが宣言し、決闘は中断された。

 いや、終わった。







 翌日オルフェッドはレーンの街にある伯爵家の屋敷で、原因不明の心不全で死亡した状態で発見される。

 死因は病死とされたが、特に解剖されることもなく遺体は焼却され、ほとんどの人間に望まれなかった愚か者が、この世界から消えた。

 セリナは普通に学校に行ったが、両親は弔問に伺ったようである。



 セリナには二つ名がついた。

 本人には少しばかり不本意な『剣の姫』という二つ名である。

(剣ではなく刀なのだけど)

 貴族の子息が亡くなったことで、何か不具合が起こるかと思ったがそうでもなかった。

 伯爵家には長子の男子がいて、下にも二人の男子がいた。

 伯爵はオルフェッドの教育にはさほどの関心がなかった。いや、全てにおいて関心がなかった。

 ただ、使える手駒が一つ減った。その程度の感想だったのだろう。



 思えば、哀れな少年だった。

 学校で最もオルフェッドに絡まれたセリナが、最も彼の哀れさを知っていたのかもしれない。

 そんな訳で、日々は穏やかに過ぎていくことになる。













 ところで――。

 セリナの貰った竜の牙から作られたという脇差には、幾つかのギミックが仕込まれている。

 単純なところでは、その大きさが自在に変わるということである。

 日常的に脇差として腰に差しているが、そのつもりになれば野太刀の長さにまで変わるし、実は槍などの刃を付けた武器にも変わる。

 そして重要なことだが、この脇差は、鍼よりも細くすることも出来るのだ。

 そう、針ではなく鍼。

 皮膚に打たれても、痛点を突かなければ痛みを感じないという鍼である。



 その鍼を体の中枢に打たれればどうなるだろうか?

 例えば――心臓に鍼を打たれ、その後にさらに形状を変化させ、心臓の弁を破壊したらどうなるだろうか?



 オルフェッドの死因は病死である。

 前日の運動の激しさが、日常的なものではないとは周囲も知っていたが、彼は死の前日の夜までは元気だったのだ。



 そして伯爵の屋敷には機械的な、あるいは魔法的な、さらには人間の目による監視がある。

 それを潜り抜けて誰かを暗殺することなど、およそ不可能というものだろう。

 オルフェッドは病死だ。突然性の心不全による病死である。

 誰もそれに疑問を持たなかった。

 自ら手を下した、一人の少女だけが真相を知っていた。

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