5 立会人

 決闘。それは男のロマン。

 などとはセリナは思わない。

 大人の決闘でさえみっともない理由が大半であるのに、この決闘は貴族の子供同士が駄々をこねているだけである。いや、そう言っては一方の少年には気の毒であるが。

 しかしそもそもの発端は、セリナにあった。

 被害者であるが、確実に原因はセリナにあった。







 入学式初日。学校についての説明と案内が終わり、放課後となる。

 まずは図書室へ行こうかと思ったセリナの周囲に、数人の男女が集まってきた。

 中にはこのレーンの街で働く、貴族や商人の子弟の顔もある。わずかながら、セリナとはこれまで交流を持っていた。

 改めてお願いします、と控え目に挨拶をしていく紳士淑女のヒヨコたちを割って、セリナの前に少年が現れる。

「私はリアルデ伯爵家の次男、オルフェッドだ」

 小太りの少年は、挨拶も無しにそう名乗った。

「初めまして。ハーヴェイ男爵家のセリナリアです」

 優雅に頭を下げながらも、セリナは少年の本性を見切っていた。



 下衆い。



 一方的な物言いに、こちらを舐めるような視線。

 リアルデ伯爵家というのは知らないが、わざわざそこの次男坊がここまで入学してくるのだから、何らかの理由はあるのだろう。

 オルフェッドはじろじろとセリナの顔を見て、ふんと鼻息を吐いた。

「なるほど、これなら我が妻に相応しい」

 言葉の内容よりも、言葉遣いにセリナは呆れた。

 自分が絶対的な上位者であるという思い込み。

 威圧的、かつ高慢。未熟。それは幼いからといって許されるものではない。



「何の御用でしょう」

 セリナは特に嫌悪を露にするでもなく問うが、周囲の取り巻きの感情は悪化している。

 伯爵家という言葉がなければ、すぐにでも反応する男児たちがいる。

「何、将来の妻の顔を見にきただけだ」

 その言葉に固まったのは、セリナの周囲の学友だけであった。

「そのような話は聞いておりませんが」

 セリナの穏やかな物言いに、オルフェッドはさらに調子に乗ってきた。

「男爵家の娘が伯爵家の妻となるのだ。光栄に思うがいい」

 会話が成立しない。

 この少年はおそらく、先天的に脳に異常があるか、後天的に間違った教育を受けている。おそらくは後者だろうとセリナは判断した。

「お断りします」



 この言葉に、オルフェッドはきょとんとした顔をした。何を言われたか分からないという表情である。

 そのまま帰っても良かったのだ、目の前には少年がいるため、まずどいてもらわなくてはいけないし、それを期待するのは無理であろう。

「貴様、この私にどういう口をきいている!」

 呆然から激昂へと表情が変化し、オルフェッドはセリナの腕を掴んだ。

 振り払うことはたやすい。だが――。

「セリナリア様になにをする!」

 叫び声と共に、オルフェッドの腕をつかんだ少年。

 ハーヴェイ男爵家に仕える騎士の子息、アルバートであった。







 その後の幼稚なやり取りの間、セリナは一言も発しなかった。

 ただ、念のためにオルフェッドのステータスを『万能鑑定』で確認しておく。ステータス看破を阻害する魔法具も持っているようだったが、セリナの持つ祝福の一つ万能鑑定の前にはその能力も効果はない。

 その結果分かったことだが、この伯爵家の少年は、弱い。

 肉体的能力は平均より劣る。意外と知力は平均であるのだが、精神力も低い。

 貴族らしく耐性の類は付与されているようだが、それもたいしたレベルではないし、武術や魔法の技能もない。

 六歳の子供であるのだから、それはおかしくないのであるが。



 これをセリナの能力と比べたら、現在の自分の実力が比較できるのだが、セリナにはそれが出来ない。

 彼女には、自分自身のステータスが見えないのだ。

 祝福で『鑑定不能』と出るのは、己自身でも同じである。万能鑑定ですらも、その壁は突破できないのだ。

 自分自身の正確な強さが分からないというのは、セリナにとっては厄介なことである。凄く強いのは分かっているのだが、成長の方針を定めることが出来ない。

 祝福を選ぶときに『自己確認』を選ばなかったセリナの痛恨のミスであった。



 さて、そんな過去の過ちを脳内で反芻している間に、事態は悪化していた。

「決闘だ!」

 オルフェッドが懐から取り出したハンカチを、アルバートに投げつけた。

 アルバートはそれを避けもせず、決然とした瞳でオルフェッドを睨みつける。

 周囲がざわめく中、ようやく教師がやってきたのだが、少しそれは遅かった。

「決闘を受ける」

 アルバートがそう言って、落ちたハンカチを拾ってしまったのだ。



 決闘。貴族による決着の一つである。

 法の違反や明らかな事故ではなく、互いの名誉を賭けた戦い。

 一応成人になっていない子供には決闘を行うことは許されていないのだが、それでもこれを避けたり、敗北することは不名誉だとされている。

 なんとも前近代的なことである。セリナにとっては手っ取り早い解決法だとは思えるが、問題は別のところにある。

 アルバートでは、オルフェッドには絶対に勝てない。

 肉体的な能力や、単純な戦闘力では確実にアルバートが優る。だがそれでもセリナには分かる。



 アルバートは一介の騎士の息子。毎日剣を振るっているが、財力が違うのだ。

 伯爵家であれば次男であっても、それなりには魔法の付与された武器や防具を持つのだろう。六歳であるから、訓練用の合成素材鎧と、短剣か小剣であろうか。

 そしてその魔法の付与は、身の安全のためにある。かつてセリナが聞かされたように。

 アルバートの攻撃は、間違いなくオルフェッドには通らない。オルフェッドが決闘を仕掛けたのは、そんな計算があるのだろう。

 おそらくこれまでに剣の稽古を受けたにしろ、その防御力を秘めた武具防具を使ってのことだ。そんな相手に、アルバートが勝てるはずがない。



「それなら、立会人は私がしましょう」

 セリナがようやく声を発した。それに対し、オルフェッドは不思議そうな顔をする。立会人というのは本来、両者から一人ずつが出て、決闘の結末を見守るものだ。

「アルバートは我が家の者です。私が立ち会っても、問題はないでしょう」

 普通なら決闘が死に至るまでに止める、そんな役割も立会人にはある。だが子供同士の決闘の立会人が子供であるというのは例がない。

 だが、確かにセリナがアルバートの側の立会人になるのは自然なことなのだ。







 それから話はトントン拍子に進んだ。

 明日の昼、学校の訓練場にてオルフェッドとアルバートの決闘は行われる。

 オルフェッドは実家の者を立会人に選ぶようだ。最後までその見下した視線は変わらなかった。



 そして家に帰ったセリナは、ことのあらましを両親に報告した。

「リアルデ伯爵の領地は、レーンからは離れているが、隣にあたる」

 父の説明には、珍しく苛立たしさが含まれていた。

「そのボンクラ次男にセリナをだと? 話にならん!」

 憤慨する父ではあるが、この決闘の結果がセリナの未来に直結するわけではない。

 だがセリナが立会人になるというのには、渋い顔をした。

 立会人は決闘をする者に対して責任がある。そんな重大な役割を、愛娘に任せるというのか。

「大丈夫です。けれどお父様、あの脇差を貸していただけませんか?」

 あの、と言った時点で父は把握した。

 決闘の決着がついても、片方が刃を止めるとは限らない。それを止めさせるのが立会人の立場だからして、強力な武器を持たせるのも当然だろう。

 セリナの剣の腕が通常の子供の埒外にあることは知っている父だが、それでも万全は期したい。

 親バカ男爵は、すぐにその許可を出した。







 翌日、訓練場の観覧席は満員であった。

 学校で貴族同士が決闘をするなど、現代ではまずありえない。しかもそれが入学したばかりの初年生である。

 上級生の中には、また教員の中には、何かあればすぐに止められるようにと、準備している者もいる。

 その第一候補がセリナなのだが。



 オルフェッドが姿を現すと、何割かの顔が嫌悪に歪んだ。

 全てではないのは、貴族の下劣さを既に存分に知っているものたちがいるためだ。

 アルバートが姿を現すと、セリナの知人たちから声がかけられる。

 前後関係を知る者も多いため、何割かの顔は期待に満ちたものになる。

 もっとも冷静な者は、彼が勝利することはありえないと分かっている。セリナでさえもそうだ。

 引き分けに持ち込むことは出来るかもしれないが、相手が少しでも頭が回れば、それも無理だろう。オルフェッド自身はともかく、周囲にはその程度の頭が回る人間はいるに違いない。



 いや、ひょっとしたらいないのだろうか。



 セリナが疑問に思うのはオルフェッドのあまりの愚かさである。

 貴族というのは選民思想に支配された愚か者、などではない。

 多少の選民思想はともかく、それだけでは領地を統治出来ない。特にこの帝国においては、領民から反乱などを起こされた貴族は、領地没収や爵位の降爵。果てには平民に落とされることも法によって定められている。

 帝国初代の宰相ギネヴィアが制定したという憲法などの帝国法だが、これがなかなか良く出来ている。

 最も良く出来ていると思う点は、時代に合わせて改める必要があれば、改めるように決められていることだろう。

 法の柔軟な用法は、国家の健全性の一つの目安である。

 そこが優れているところが、オーガスの強みであるのだ。







 セリナと相対する位置に立つのは、帯剣した騎士であった。オルフェッド側の立会人である。

 そしてオルフェッドとアルバートが進み出て、剣を眼前にかざし、始まりの合図を待つ。

 騎士が視線で問いかけてきたので、セリナは頷いた。そして決闘が始まった。



 最初の一合で分かった。アルバートの方がオルフェッドよりも強い。

 なにせ六歳で剣術の技能レベルが1あるのだ。新人の冒険者などなら、下手すれば技能レベルにまで昇華していない程度の技術しか持っていない。

 さすがは騎士の息子というところだが、圧倒的な不利は免れない。

 オルフェッドの持つ剣、そして鎧には、徹底的な防御の魔法が付与されている。

 それに対してアルバートのそれは、訓練用の革鎧に、刃が付いただけの普通の剣である。



 訓練課程の模擬戦であれば、アルバートの圧勝は確実であったろう。しかしこれは決闘だ。

 何をしてもいいという殺し合い――いや、殺し合いでも場合によってはルールがあるが。

 とりあえずこの戦いで、アルバートには勝ち目がなかった。

 アルバートの剣は確実にオルフェッドの鎧を打つが、打撃のダメージさえ与えられていない。

 あらかじめセリナが策を授けていればアルバートが勝つか、引き分けることもあっただろうが、当人に問われなかったことをあえて忠告することもない。

 アルバートは負けていい。世の中の理不尽を知って、一歩大人になるだろう。



 それよりもセリナの関心は、立会人の騎士の方にあった。

 帯剣し、合成素材に金属を重ねた、紛れもない騎士。その装備はオルフェッドの物さえ上回る。

 だが、レベルは15しかない。

 剣術の技能レベルも低い。かつて騎士であれば3は必要だった剣術の技能レベルが、この騎士は1しかない。

 それ以外の技能も、戦いに向いたものは高くない。ステータスは平均だが、突出してもいない。



 この世界の戦士は、弱くなっている。いや、戦闘技術が低下している。

 兵器が発達したことにより、戦闘力は向上したのだろう。だがそれが、戦闘技術の部分的な退化を招いた。武装がないと戦えない騎士など、以前にはいなかったはずだ。

(オーガスでこれなら、他の国はどうなんだろう? 紛争地域ならそうでもないのかな?)

 セリナがそんな考え事をしている間に、決闘の決着はつこうとしていた。

 アルバートの体力切れである。



 アルバートがオルフェッドに勝つ方法は、実はいくらでもあった。

 まず、自分から攻撃を全くしないこと。相手の攻撃を捌くだけなら、体力はさほど消費しない。そしてオルフェッドに攻撃させ続ければ、逆に相手の体力切れが狙えたろう。

 しかし今、アルバートの体のキレはなく、攻勢に出たオルフェッドに追い詰められている。

 少年の瞳には涙が浮かび、悔しげに敵を睨みつけている。

 己の及ばぬところで勝敗が決する。さぞや悔しかろうとセリナには分かる。



 だがそれは、アルバートの怠慢なのである。

 本気で勝つつもりなら、男爵家だろうが実家だろうが、魔法の付与されている武器を用意するべきであった。

 相手が下衆なら、こちらもそれに合わせるべきだった。どうしてこちらだけが、一方的に気高く戦わなければならないのか。

「そこまで」

 セリナの木刀が、反撃に転じたオルフェッドの剣を止めた。

 木刀が、真剣を止めた。その異常さに周囲の人間は驚くが、実際のところ下手糞が剣を振るっても、木刀を斬るのは不可能に近い。

 まして、防御力しか付与されていないような剣では。

「セリナリア様、私はまだ……」

 荒い呼吸のアルバートを、そっとセリナは手で制す。そしてわざわざこのために着けていた手袋を、片方外した。



 手袋は、オルフェッドの胸に当たった。

「次は、私が相手をしましょう」

 セリナリア・ウノ・レーン・ハーヴェイ。

 転生して最初の相手は、なんとも下衆で脆弱な相手になりそうだった。

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