4 学校
セリナは六歳になった。
日課の訓練はこっそりと行うようになった、特に魔法に関しては。
六歳まで成長すると、ほぼ世界の現状や、問題点が見えてくる。元々慎重に進めようとはしていたが、よりその重要性を確信したからだ。
この世界、ネアースには現在、転生者がいる。
かつてセリナがこの世界を訪れた時は、異世界から転移した者はいても、転生したものはごくわずかであった。そしてその理由も知っていた。
転生者が増えたのは、この200年らしい。そしておおよそ200年前と言えば、セリナがこの世界に召喚された時期でもある。
あれからネアースには転生者が増え、100人集めれば数人は転生者がいるという現状だ。保持する前世の記憶には、かなりの差があるようだが。
別に転生者自体が忌避されているというわけではないが、セリナは自分の異常性を認識しているだけに、周囲から突出することを少し抑えることにした。
もっとも魔力や剣術の件で、一部の者には既にその異常性は知られているのだが。
両親がセリナを転生者だと思わなかったのは幸いである。
そして世界の現状であるが、多くの箇所で戦乱が発生している。
ハーヴェイ男爵が属する神聖オーガス帝国もまた、その一端を担ってしまっている。
帝国の存在する竜骨大陸は、三つの超大国のうち二つが、静かな緊張感を持って対立している。
それがよりにもよってオーガスと、レムドリア帝国なのだ。
もう一つの大国であるガーハルト連合帝国は、地勢上の関係もあって、オーガスと緊密な同盟を結んでいるが、やはり地勢上の関係で、積極的に戦力の支援をしてくれるわけではない。
しかし背後の危険性を考えずにレムドリアに対抗できるのは、それだけでもありがたいものだ。そしてオーガスとレムドリアは、お互いが大国同士であるのを自覚して、直接的な戦争状態には入っていない。
もし戦争に突入すれば、莫大な国力を投入する総力戦になるだろう。そしてそれを調停出来るのは、オーガスと友好的なガーハルトだけであって、レムドリアはそれが分かっているから、戦端を切ろうとはしない。
もっとも両国の間には緩衝地帯的な国家が幾つも存在し、地球における東西冷戦のような、代理戦争が小規模に多発している。
そしてレムドリアはオーガスを国力で圧倒するために、オーガスの手の届かない地域の国家を侵略してきた。
だがこの侵略というのも、実は正確ではない。レムドリアという国は、元々現在のような超大国であったのだ。
それが古代末期から近世にかけて分割してしまった。それをこの200年でまた統合したのが、南レムドリア帝国である。
一度分解した国家がまた統一された要因には、科学と魔法の発展が関係してくる。
この200年間で、軍事技術は発達した。しかしそれを普及させるには金がかかる。
南レムドリア帝国は、当時としても大国であったが、何より経済大国であった。
主にケンタウロスが支配する北レムドリアを制圧したのが、その覇権拡大の始まりであった。
ケンタウロスはかつてはその機動力と魔力で、人間が主に支配する南レムドリアから独立し、さらには侵攻して略奪までしていた時代もあったのだが、現在の軍事技術によってその長所は完全に潰された。
そして北レムドリアを併合したレムドリア帝国は、西に割拠するかつての支配地域の国家も侵略し併合。
この辺りでついにオーガスも待ったをかけたのだ。
ガーハルトとの連名での、諸国家との軍事同盟。これによってレムドリアが直接、西の諸国家に対して侵攻することは防ぐのに成功した。
レムドリアはその手を東方に向け、都市国家の多い地域をこれまた併合していっている。これは現在進行形である。
東の山脈地帯によってレムドリアと隔絶された都市国家連合だが、かつてはやはりレムドリアの一部であったものだ。もっともその期間は短かったが。
間に広大な山脈があるという地理的な有利さもあって、レムドリアの侵攻も、そう上手くはいかないだろうと思っていたオーガスの思惑は、見事に外れた。
都市国家連合は、共同してレムドリアに対抗しなかったのだ。むしろ幾つかの都市国家は、進んでレムドリアの傘下に入った。
ここには種族間の問題があった。
レムドリア帝国は、主に支配階級が人間の国家である。そして都市国家連合の都市は、その都市によって支配する種族が違った。
種族の違いは町並みや生活の差ともなる。かつて一度レムドリアがこの地域を征服した折に、強引に種族を集めて分割したのだ。それが長き時を――具体的には3000年を超えて活きてくる。
ユダヤ人の2000年をも超える気の長い政策であった。
レムドリアに進んで併合された都市国家は、人間の支配する都市であった。
その数は都市国家のおよそ半分にあたり、戦力がおおよそ半減したということも重大であるが、それ以上に問題となったのは、レムドリアから都市国家連合の地域への通行が容易となった点である。
レムドリアと都市国家連合の地域の間には天然の要塞となる山脈が連なり、陸上からこれを攻めるのは大変に難しい。
だが一度兵力を通過させることが出来、そして兵站の心配もないとなれば、あとはレムドリアの軍事力による一方的な蹂躙になるはずであった。
それが停滞しているのは、併合した西の小国家における反抗運動と、皇帝の死去による内紛があったためである。
セリナは別に、レムドリアを悪と考えているわけではない。人間が貴族階級の多くを占めるという種族差別的な傾向はあるが、それも明確に法によって定まっているわけではないし、地球での覇権国家のように他種族、他民族を虐殺しているわけでもない。
都市国家連合を調略して寝返らせたのは、戦闘を避けたという意味ではむしろ善であるとも言える。
もっとも今後併合していった地域に対してどのような政策が行われるか、それによってはオーガスも全面的に敵対する可能性はある。
なにしろオーガスは貴族の半分以上が人間以外の種族であるので。
竜骨大陸に関しては、おおまかにはこんなところである。そして他の大陸に関しては、竜骨大陸よりもさらにひどい状況の大陸もある。
まず竜骨大陸から見て南西にある竜牙大陸は、完全に戦国時代となっている。そしてその原因も明確である。
即ち魔王アウグストリアと、魔将軍ブラッドフォードの死である。
ガーハルトの大魔王フェルナーサを頂点に、各大陸には魔王がいる。この魔王とは世襲制ではなく、完全な実力主義をもって選ばれる。魔王と魔将軍は3000年の時を生きた、権威と武力と狡猾さの象徴であった。それが重石として機能していたのだ。それがなくなった。
200年前の時点では悪しき神々の手によって、竜牙大陸南部は多少混沌としていた。しかしそれは神の封印と共に終息している。
問題はやはり、魔王の座が空いたことである。
魔王は直接大陸全体を統治する存在ではないが、その権威は人種の中では群を抜いた存在である。そしてその武力が抑止力として機能していた。
だがこれが世襲制でないということはつまり、他の適格者を暴力で排除すれば、魔王の座に就けると、竜牙大陸の有力者たちは判断した。
人間、亜人、魔族。それぞれの国家や部族が、あるいは争い、あるいは和平を結んでいる。大陸南西の巨人族領が比較的穏便なのが救いであるが、それでも各地で本格的な戦争が始まっている。
中には禁断の秘奥に手を出して、竜に滅ぼされた国もある。200年前にもあったことだが、愚かなことだ。
しかし重要なことはそこではない。
国を滅ぼした竜が、人の手によって倒されたことである。
竜はこの世界において最強の存在である。
神をも圧倒し、国をも滅ぼす。かつては今よりもさらに絶対的な存在であった。
だが兵器の発達により、大国が多大な犠牲を払うのであれば、倒せない存在ではなくなっている。
事実レムドリアは一匹の竜を殺し、その肉体を使って軍備を増強した。
しかし本当に重要なのは、もう一匹、竜牙大陸で竜が殺されているということである。
竜を殺したその集団は『七つの流星』と呼ばれる傭兵団であった。もっとも竜を倒すことと引き換えに、その傭兵団は壊滅してしまったようだが。
そんな修羅の大陸である竜牙大陸でも、最も最悪な状況にあるのが、最南端のアセロア地方である。かつて異世界から人間が竜牙大陸に入植した時に、最初に手を付けた地だ。
ここは、人間至上の原理主義者どもが巣食っている。
かつて地球から人間がこの世界に移住してきたとき、特定の宗教と思想についてはほぼ完全に抹殺した。しかし人間というのは他の種族と比べても、種族差別の要因を作るのが最も上手い種族であるらしい。
彼らはアセロア地方を人間の聖地と考え、そこに住む亜人や魔族を殺しまわっている。
もちろん亜人や魔族もやすやすと殺されるわけではなく、逆に反攻して原理主義者を皆殺しにしていたりもする。
人間とその他の種族は、和を結ぶことが不可能な状態にまで関係が悪化している。原理主義者ではない人間は他の地に逃げるか、原理主義者に裏切り者呼ばわりされて殺されているので、泥沼具合はどうにもならない。
せめて魔王がいれば、魔族を束ねて圧力をかけられるのだろうが。
竜骨大陸の東、北半球に存在する竜翼大陸は、それに比べると随分と平和である。
200年前に復活した悪しき神は、ガーハルトの大魔王の手によって打ち倒された。そして今は、その配下である魔王を中心として、多少の摩擦はありながらも、安定を保っている。
その理由は魔王の持つ軍事力や権威だけではない。魔王をも上回る存在が、魔王の権威をさらに増している。
その存在こそ神竜。
世界に七柱しかいない、神をも超える存在。この両者の協力により、竜翼大陸の安全はほぼ保たれている。
だが、完全にではない。
竜翼大陸の南、比較的細くなった部分は、南半球の竜爪大陸と繋がっている。
そしてその竜爪大陸からは、難民や侵略集団がやってくる。
かつて200年前、悪しき神々と人種との、最大の激戦地となった竜爪大陸。
首魁である悪しき神は、あるいは倒され、あるいは封じられ、あるいは逃げ出した。
しかしその影響下にあった竜爪大陸では治安は崩壊。人種の有する領域は、ごくわずかとなっている。
竜爪大陸を支配するのは、異世界から召喚された悪魔、悪しき神々に与した人種、そして昆虫人である。
悪魔はその名の通り人種の悪意をむさぼり、堕ちた人種はその残忍性を露にし、そして昆虫人はその単純な頭脳で悪魔に支配されている。
200年前に勇者は悪しき神を倒したが、その眷属まで倒しきる時間は与えられなかった。
悪しき神さえいなくなれば後は大丈夫だと、当時のセリナも思ったのだが、どうやらその考えは甘かったらしい。
いずれは、竜爪大陸に渡ることになるだろう。
そこにはかつての仲間がいるはずだ。その仲間の力となるために。
さて、それはまだ未来の話として。
セリナは学校に通うことになった。
レーンの街には幾つかの学校があり、市民は六歳から十二歳まで学校に通う義務と権利がある。義務とは親が子を通わせる義務であり、権利とは子が学ぶ権利である。
市民一人一人の生産性を高めるためにも、学問は絶対に必要であり、帝国の臣民は必ず六年間の教育を義務付けられる。
もっとも、優秀なものはその内容を短時間で吸収し、さらに上級の学校に通うこともある。
貴族であり、しかもレーンの街の領主の娘であるセリナは、当然のように一番評判の良い、所謂上流階級が集う学校に通うこととなった。
レーンの街は城壁で区画が割られてあり、上流の貴族は街の中心部に近い学校に通う。
両親が箱入り娘として育てたため、セリナにとっては初めての社会との接触となる。
入学式には貴賓席に座る両親の姿があった。
それどころでなく、校長や理事の後に、男爵自身が生徒たちに語りかけた。
学ぶことは大切であると。
それは学問だけでなく、戦闘の技術であり、魔法であり、人との交流であり、社会生活であるとも。
六歳に話すような内容ではなかったが、セリナは珍しく、父が威風堂々としているところを見た。
学校は友人を作るところでもある。そしてセリナの立場の友人とは、将来の交友関係をも考えたものでなければいけない。
男爵が教育に力を入れているだけあって、この上流学校には、わざわざ隣の領地からやってくる貴族の子弟もいる。
さすがに子爵以上の家の者はいないだろうとセリナは思ったのだが、子爵家や伯爵家の長男はともかく、次男や三男、次女や三女がやってきたりもしている。
これは将来の婚姻関係の布石である。
貴族の家では普通、婚姻は政治的な意味でしか行われない。
だから顔つなぎは重要であるし、どうしようもなく相性の悪い相手とは、早めにそれを選別する必要がある。
そんな中でセリナは、自らの考えとは関係なく、一つの派閥を作ってしまった。
豊かな男爵家の長女であれば、その嫁ぎ先も男爵家や子爵家、あるいは没落したさらに上の貴族である場合さえある。
オーガス帝国の貴族は、決して全てが富裕な者であるわけではない。
官僚や騎士、つまり文官や武官は平民でもなれるし、栄達すれば一代貴族に列することは簡単である。そして一代でも貴族になれば、そこから永代貴族になることも珍しくはない。
階級はあっても流動的。それがオーガスの社会構造であるのだ。
そして入学二日目の昼――。
セリナは同級生同士の決闘に立ち会うことになってしまっていた。
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