3 刀
――女とは生まれたときから女であり、己の美に固執するものである――
ジークフェッド・ラーツェン言行録より
セリナは美しい少女である。その美しさはだが、何かを圧するような、特徴的な美しさというものではない。
穏やかさを感じさせる程よいパーツが的確に配置されている、そういった類の容姿である。
おそらく詩人にその美しさを讃えよと言っても、かなり困惑されるだろう。もちろん神秘的なオッドアイは魅力だが、顔のパーツに極端な特徴がないのだ。両親に似た顔であるのに、微妙なバランスによって全体的には全く美しさのレベルが違う。そんな奇妙な美しさだ。
その幼女が、己の顔を見て美しいと言った。
それは母を驚愕させ、心配させるものであった。
男爵は妻からその話を聞いても、特に動揺することはなかった。
「女の子はお姫様ごっこが好きなんだろう?」
自分は美しいお姫様、確かにそれは貴族ならずとも、女の子が一度は試すおままごとである。しかし夫人の感じたのはそれとは違う。
セリナは確認していたのだ。思い込みではなく、自分が美しいということを。
それからしばらく、夫人はセリナから目を離さなかったが、なぜかセリナの姿を見失うことが多かった。
ようやく見つけたセリナに近寄ると、少女はにっこりと笑って言った。
「どうしました? お母様」
そう問われた夫人は、自分が心配のしすぎだと気付く。
だが母の意見として、どこかに行く時にはメイド一緒であること。また自分には行き先を知らせることを命じた。
「お母様、屋敷の中で何か危ないことがあるのですか?」
再び問われた夫人は、自分が何か間違っているのではと思う。
結局セリナは、屋敷の外、庭に出るときだけは誰かに告げていくことを約束した。
そしてセリナは、庭に出ることが多くなった。
彼女の現在のマイブームは、木登りである。
男爵家の広大な屋敷には庭園や林の中の小道があり、良く手入れされている。セリナはその木に登るのだが、それは木登りとは言えなかったかもしれない。
跳躍して背丈の何倍もの枝に飛び乗ると、そこから何度も同じことを繰り返し、屋敷の中を把握する。
そして高い木の上からは壁の外、レーンの街の様子も見える。
良く治まっている街だ、とセリナは思う。
人の往来は多く、それでいて混み合っていはいない。裏家業の人間がいることも確認出来たが、それは許容範囲内だ。
レーンの街近郊の村も男爵領だが、やはり上手く統治されているらしい。父の手腕はかなりのもので、近々子爵に陞爵されるかもしれないと、食事の話題に少し出ていた。
そしてセリナの視線は――いや感覚は、街の防壁の向こう、人の足で向かうには少し遠い場所にある魔境を捉える。
魔境。ただの森林や荒地ではなく、魔物の徘徊する、危険地帯。だがそこは魔物の素材や魔石を採集する、鉱山のような場所でもある。
魔石やその純度を上げた魔結晶は、ネアースにおいてエネルギー源として、生活になくてはならないものだ。
それを手に入れるため、レーンの街には冒険者ギルドがある。男爵家の騎士と私兵が訓練のために利用することもあるが、基本、魔境は冒険者たちの縄張りだ。
「早く、強くならないと」
誰かが、気付く前に。
――誰かがセリナの危険性に気付く前に。
まだ、魔境へ行くのは早い。だから今は、魔力の操作に重点を置く。
木から木へと飛び移るのに、無駄に膨大な魔力を消費する。そして枯渇しかけたところで、幼児に許されたお昼寝タイムで回復する。
魔力を増やさなければいけない。かつて前世の己がしたように、最大限まで魔力を使って。
「あれがあれば簡単に魔力は増やせるんだけどな…」
屋根の上から魔境を見つつ、セリナは呟いた。
セリナは四歳になった。
六歳になれば街の子供は学校に通うことになるが、貴族の場合は物心がつくころから家庭教師を付けられる場合が多い。
それは勉学にしろ、武術にしろ、魔法にしろ。あるいは音楽や芸術などの多岐に渡る。
そしてセリナは自分には、初等の勉学の必要がないことに気付いた。
必要なのは、常識と情報だ。
この世界における自分の立ち位置を決める。それが重要であった。
女子であるにも関わらず、貴族であれば武術の訓練を受ける者は多い。
戦争になれば、そして男子がいなければ、女であっても戦場に立つことがないわけではない。また貴族の子弟として、最低限の身の安全を確保する能力は、消極的にだが推奨される。
そしてセリナは下の兄と一緒に、家庭教師から訓練を受けることになった。
帝国は長子相続が基本の国家である。次男や三男は、ある意味生まれた時点で不利であるが、貴族としての教育を受ければ、官僚や騎士として栄達し、自分の家を新たな貴族として興すことも不可能ではない。
次男は官僚になるため、勉学に重きを置いている。そして三男は、騎士を目指している。
父や兄たちの話によると、実はその三男が一番頭の出来が良さそうなので、本当は官僚を目指したほうがいいのであるが、騎士としての資質も高いため、本人の意向を尊重しているのだ。
「それではお嬢様、武器をお選びください」
そう言われたセリナは、その日初めて、屋敷内の武器庫に入った。
通常は厳重に鍵がかけられた一室だが、その中には色々な武器がそれなりの数を揃えてある。
ちなみに心配性の両親も、一緒に入ってきた。
セリナの目的は、最初から決まっていた。
「お嬢様の体格からいって、最初は短剣あたりがよろしいでしょう。成長すれば細剣などを推奨しますが……」
家庭教師の意見を聞かず、セリナは奥へと進む。そして静かに安置された、脇差――あるいは短剣とも言われる物を手に取った。
「それは我が家の家宝の一つだな。なんでもハーヴェイ男爵家が興ったときに、ウスラン侯爵家から送られた物だそうだが」
父が説明する。だがセリナには、そのようなことは既に分かっている。
ここにある武器の中で、これだけは別格なのだ。
「そう言っても、今の戦争ではあまり役に立たないものなのだが……」
父の呟きは、セリナには聞き逃せないものであった。
「どうしてですか?」
「ああ、防御力が低いんだ」
その言葉を、セリナは理解出来なかった。
この武器は凄い。戦うための武器としては、間違いなく優れている。
だが父は苦笑いを浮かべて言った。
「自分の身を守るための魔法が付与されていないのだ。攻撃するためだけの武器では、戦場で使うには危険すぎる」
なぜ、武器に防御力が必要なのか。
そしてなぜ、それを父は当たり前のように言うのか。
それはこの世界の戦場の、現代の常識による。
貴族であれば兵を統率する立場にある。当然ながら、死んではいけないし、最前線に立つのも好ましくない。
だから装甲車や要塞の中に入り、さらに鎧を装着し、武器にまで防御の魔法を付与する。
つまりこの武器は、性能は高いが必要とされる性能は持っていないのだ。
「なんなら、お前が嫁に行くときにでも持っていくか」
父はそう呟いた後、ひどく寂しそうな顔になった。娘の嫁入りという風景を脳裏に思い浮かべたのだろう。
それはともかく、この武器をセリナは欲しい。
だが今は必要ない。とりあえずは隅に無造作に置かれた、丈夫さだけがとりえの木刀で充分だ。
「それはお嬢様の体格では、まだ合わないと思いますが…」
家庭教師の言葉の通り、この木刀は少女が振るうには重い。
だが重過ぎて使えないというほどでもない。
とりあえずということで、家庭教師も両親も、セリナがそれを持って出ることを許した。
武術の訓練は、芝草の生えた中庭で行われる。
既に素振りを終えていた兄が、家庭教師から今日の指導内容を教えてもらっている。それを傍目に、セリナは木刀を握った。
木刀である。木剣ではない。
刀には反りがある。この反りが、刀を剣とは全く違う武器として成立させている。
木刀の重さに、体が振り回される。だがそれも、わずかな間。
初めて武器を握るセリナを、両親が心配そうに見つめている。
木刀は充分に人間を殺せる武器である。そして木刀での素振りで多いのが、自分の足へ当ててしまうというものである。初心者が陥りがちな誤りだ。
これが真剣であれば、己の足を切ることさえある。もちろんセリナはそんな間抜けなことはしない。
片手ずつ、軽く木刀を握ってみる。
バランスは掴んだ。
青眼に構えたセリナは、左足を引いて、木刀で空間を斬った。
ひゅん、とも、ぶお、とも聞こえる音がした。
「え?」
「え?」
両親の目を気にせず、セリナは再度それを繰り返す。
刀は、剣とは違う武器である。
剣とは鉄塊に刃を付けた、叩き切る武器であるのに対し、刀は鉄で出来た刃である。
剣道のような素振りは、実際の刀では行わない。頭や胴を「叩く」剣道と、斬る「剣術」では全く違うのだ。
刀は剣道と違って、叩いて終わりではない。振り切らなければ対象を切断出来ない。
そして振り切るときにまま起こるのが、自分の足を斬ってしまうということである。
セリナは刀を振るう。型をなぞる。
槍や単純な打撃武器と違って、刀の型は多い。そしてその型には意味がある。崩し、反らし、撥ね。それ以外にも様々に。
小手を打つことはない。むしろ指を、特に親指を狙う。
それ以上に足を狙う。相手の足を止めてしまえば、戦うにしても逃げるにしても、一方的な蹂躙が可能になる。
もっともそれは、地球における古流剣術の話。
四歳児の動きを兄と家庭教師が顎が外れそうな顔をして見ている。それに気づきながらも、セリナは型をなぞり続ける。
戦場において、あるいは日常においてさえ、人を殺すための型を。
「これは……驚きました。お嬢様は身体強化系の祝福をお持ちなのですね。そしておそらくは、剣の天稟の祝福もお持ちである。神に愛されたお方だ」
興奮気味に家庭教師は語るが、セリナの祝福は鑑定不能なのである。
だが知能はたかく、知性は豊かであり、魔力は多く、そして肉体能力が高い上に、剣に関する天稟まで持っているようだ。
ここまで揃えば、確かに神に愛されていると言ってもいいだろう。
四歳児の才能は、誰の目にも明らかであった。
そしてこの日、男爵家の三男は、騎士になることを諦めた。
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