第三部 幻想崩壊 プロローグ

1 馬と少女

 荒野を貫く線路の脇道を、馬に乗った少女が進む。

 雄大な馬格の青鹿毛馬だ。そしてそれに跨るのは、非常に美しく、そしてそれ以上に特異な特徴を備えた少女。

 銀色の髪をショートカットにした、右目が金色、左目が青色というオッドアイの少女である。白地に銀糸の刺繍がされた礼服は、背中の家紋ともあいまって、彼女が貴族階級であることを示している。

 年の頃はまだ十代の前半か。いくら帝国が安全な国だとしても、ここまで辺境であれば、盗賊や、それより性質の悪い貴族の私兵に狙われることもあるのだが、それを全く気にしていないようである。

「平和だね、エクリプス」

 少女は馬に語りかける。馬が答えを返すはずがないと言えば、そうでもない。

「お前は周囲を武力制圧してから、血だまりの中で笑顔で平和とか言う人間だな」

 彼は馬ではない。少女が召喚し、契約した悪魔……でもない。

 召喚されたところまでは正しいが、一方的に物理的な暴力を加えられ、その配下となった悪魔が、馬に姿を変えているのだ。

「空が青いね」

「……まあ青いな」



 他愛のない会話が続く。

 エクリプスは普通の馬であれば全力であるような、およそ時速80キロの速度で道を走っている。

 それはまるで、走るというよりは飛ぶようで。

 普通の馬であれば、数分もしないうちに潰れてしまうだろう。

「おっと、またマップをチェックしないと。皆との合流に遅れる」

 私用で集団から遅れて出発した少女は、周囲を探知する。

 その範囲は通常時で半径400キロ。およそ常識的な探知能力ではない。

 彼女はこの能力――生まれつき持っていた祝福を、単純に地図と呼んでいた。



「ん?」

「どうした?」

 少女の地図に映った周辺の状況。その中に一つ、戦闘中の集団がある。

「北東におよそ40キロ。機動装甲車と、それを襲う集団がいる。これは……」

「モヒカンか? 肩パッドか?」

 中途半端に少女から知識を得ているエクリプスは、いささか興奮しているようだ。

 なにしろ機動装甲車を襲う集団など、この周辺ではそうそう見られないもので。

「とりあえず、行ってみようか。……襲撃側が悪党とも限らないけど」

「分かった。セリナ、しっかりと掴まっておけ」

 そう言ったエクリプスは、駆ける速度を上げる。もはや走るというよりは、跳躍の連続。

 地上を走る存在としてはありえない速度で、凹凸のある道をエクリプスは駆けた。







 セリナとエクリプスが見たのは、機動装甲車とその護衛。そしてそれに立ち向かう機動二輪車に乗る戦士たちの姿であった。

 戦士たちの装備はまちまちで魔法具は少なく、魔法の付与もそれほど高度なものではない。それに対して装甲車とその護衛は、統一された装備である。

「……貴族の奴隷狩りか……」

 冷たい声でセリナが呟く。装甲車の中には若い女性たちが密集している区画がある。よくあることだ。馬鹿貴族が自分の領地から領民を無理やり徴用するという。

 それに対して攻撃をかけているのは、おそらく村か街に雇われた奪還のための冒険者。正規兵に対抗できるのは、一般人ではありえない。傭兵ならばこのような依頼は受けない。それでも形勢は貴族の私兵に有利なようだが。

「で、どちらを殺す?」

 殺すことは決まっているというエクリプスの言葉に、セリナは思考を整理する。



 貴族による領民の徴用は罪ではない。それが女性に偏っているという状況も、法で禁止はされていない。

 もっとも女性ばかりを、事実上攫っていくというのは丸分かりの悪行だ。貴族の持つ軍事力を背景に、無理を通している。だいいち一定の年齢の女性だけを連れて行けば、村の人口構造が歪になり、税収にも影響を与える。

 貴族の責務は統治である。支配ではない。

 自らも貴族の生まれであるセリナには、その差異が分かっている。

「帝国も末端は腐ってきてるのかな……」

 そう呟いたセリナは、決断する。

「装甲車を潰す。中の人を助ける」

 腰に差した刀を抜く。脇差サイズのそれが、馬上でも使えるほどの大太刀へと変化する。

「行こう、エクリプス」

 黒い暴風が、戦場へ飛来した。







 何がなんだか分からなかった、と後に冒険者の一人は述べた。

 馬に乗った少女が、装甲二輪車に乗った冒険者たちを追い抜き、装甲車の甲板へと降り立ったのは確かだ。

 そして次の瞬間には、装甲車が真っ二つになっていた。

 中にいた人間はそのままに、装甲車の機能を完全に破壊していた。



 それから兵士たちを制圧していった。

 素手で。

 魔法の付与された装備で身を固めた、悪名高いモードル伯爵の領地騎士たち。それを紙のように蹂躙していく。

 やがてその場に立っていたのは、少女と馬が一頭。

「殺さんのか?」

 馬が喋った。

「頭を潰さないと、末端はいくらでも補充できるからね。幸いモードル伯爵の領地は、ここからそう遠くもないし」

 そう言った少女は馬にまたがると、冒険者たちに振り返る。

「あ、拉致された人たちの護衛はよろしく。こっちも忙しいんで」

 そしてセリナはまた、エクリプスと共に大地を駆けていく。

 残された冒険者と拉致被害者は、呆然とそれを見送った。







 モードル伯爵の居館は、その支配する街を見下ろす高台にある。

 馬鹿と煙は高い所に昇るというが、防衛的に考えて城や砦が高い場所にあるのは当たり前である。

「さて、じゃあ行こうか」

 セリナは礼服を着替え、家紋を隠す。そして取り出した仮面を着けた。

 白い仮面に、目と口の部分だけが露出している。視界が制限されるので普段は使わないが、認識阻害の効果もあるので、正体を隠すにはうってつけの装備なのだ。

 黒い大太刀を肩にかついで、セリナとエクリプスは、居館の門へ突撃した。



 鋼鉄製の門扉が、エクリプスの蹄の一撃で曲がり吹き飛んだ。

 門を守る衛兵は、それに巻き込まれてやはり吹き飛んでいる。HPは減っているが死んではいないので、セリナはそのまま館の玄関を同じように突破し、廊下を馬に乗ったまま進んでいく。

 地図によって伯爵の位置をつかんでいるセリナは、一直線に進んでいく。通路はもちろん、壁まで破壊し、立ちふさがるものは一方的に蹂躙する。

 やがて醜く太った、それでいて豪奢な寝巻きを着た男を、数人の騎士が守っている現場に到着した。

「な――」

 何者だ、と言いたかったのだろう。だがその騎士は、何気ないエクリプスの蹄の一撃で、壁に吹き飛ばされ気絶した。

 残る騎士も、エクリプスの体当たりや後ろ蹴りで戦闘不能状態だ。一応死んでいないのは確認してある。

 武装した騎士を一撃で制圧した一人と一頭に、伯爵は恐怖と屈辱を覚えた。

「き、貴様、この私にこんなことをしておいて――」

「村から女ばかり徴用しているのはお前の命か?」

 豚の言葉をぶった切って、いつもより低い声で、セリナは問うた。

「な、なんのことだ?」

 虚言感知に反応あり。そもそも目が泳いでいるので、あからさまに誤魔化そうとしているのは分かるのだが。

「とぼけるな。女たちを集めてどうするつもりだ? 帝国法では奴隷は禁止されているぞ」

 そう、帝国内では。いや、周辺国でも奴隷などは禁止されているのだが。

「馬鹿が! 領民の十人や二十人をどうこうしたところで、どうこう言われる筋合いはない! それよりも貴様、おそらく冒険者なのだろうが――」

「分かった。もういい」

 セリナは一度だけ太刀を振るった。

 そしてそのまま、その場を立ち去った。



 腰を抜かしていた伯爵は、怒りと羞恥で真っ赤になりながら、役に立たない周囲の護衛に声をかけようとする。

 どれだけ装備に金をかけているか。どれだけ良い待遇で迎えているか。たった一人の冒険者に、こんな醜態を晒すとは。

 こいつらは全員処刑だ。そしてあの冒険者も必ず捕らえて思い知らせてくれる。



 そう考えていた伯爵の視界が、ぐるぐると回った。

 何が、と考えられる時間は短かった。彼の意識は永遠に閉ざされた。

 最後に見たのは、頭を失った自分の首から、勢い良く血が流れる様子であった。







 面倒なことだ、とセリナは自分のしたことながら、溜め息をついていた。

 屋敷中の監視装置を全て破壊し、魔力の流れもズタズタに切り刻む。その場にいた直接の人間以外には、何が起こったのか調べられないように。

 これでもセリナは穏便な解決をした、と自分では思っている。

 もしこれがプルなら、使用人や騎士ごと、居館を破壊していただろう。その意味でセリナは非常に穏健な人間であった。

 ……基準がおかしいことはさておいて。



 回り道をしたせいで、仲間との合流には少し遅れるだろう。セリナは夜にも関わらず、エクリプスにかなりの速度を出させていた。

 もっともこの馬の姿をした悪魔は、夜中であっても真昼のように周囲が見える。セリナもそれは同様なのだが、彼女の場合、特殊なのは右目だけなので、いささか不便でもある。

「もう少し殺しておけば良かったのではないか?」

 疾風のごとく駆けながら、エクリプスが声をかける。馬は鼻からしか呼吸せず、エクリプスもその例から洩れないので、言葉を話すのに問題はない。

「まあ、本質的に解決するのはキリがないからね」

 セリナは伯爵の居館に乗り込むまでに、どう行動するかを何通りも考えていた。



 まず、伯爵に責任は取ってもらう。もしかしたら部下が勝手にやったことでも、監督責任がある。まあその場合は、首を物理的に切断することはなかっただろうが。

 伯爵の命に従って徴用をしていた面々にも、責任がないとは言わない。だが貴族の権力に雇われた人間が逆らうのは難しい。そこで命まで取ることはやめておいた。

 もっとも伯爵の護衛に失敗したということで、居館の騎士の面々は責任を取らされるだろうが。

 この場合は法に則れば、罰金を払って解雇というのが一般的だ。もっとも伯爵の後継者がどういう処分を下すかまでは分からないが。

 父を殺された怒りに任せて、騎士たちを処断することもあるかもしれない。だがそこまで配慮していては、自分の生きたいようには生きていけない。それがセリナの考えだ。

 そもそもあんな豚に仕えていたのが悪いという考えもあるが、世間の人間が皆、セリナのように自由に生きられるというわけでもないのだ。

「ままならないものだね、人生も、世の中も」

「何を言っているのか分からん」

 エクリプスの遠慮ない言葉に、セリナは苦笑した。







 モードル伯爵家は、結局普通に若い長男が跡を継ぐことになる。

 貴族が自分の居館で殺されるというのは、事件ではあるが不祥事でもある。

 自分の身を守るという、為政者にとって重要なことが出来ていなかったのだから。

 セリナがそれを知ることになるのは、旅の先、宿で操作した端末による。



 人を殺すことに、セリナは全く躊躇がない。

 前世で殺しすぎたこともあるし、転生してからも何人もの人間や亜人、魔族を殺してきた。

 人が人を殺すことがなぜ悪いのか、セリナは答えを知らない。

 秩序を必要とする為政者にとっては悪なのだろうが、論理的な説明に納得したことはなかった。

 だから自分で戒めているのは、殺しすぎないように、ということだけだ。



「何を見てるんだ?」

 横から端末の画面を覗き込んできたのは、長身の美女。

 帝国における最強戦力にして、軍を個人で相手に出来る、女癖の悪い女。

 ゆるやかなウェーブの黒髪に、空の色のように青い瞳。切れ長の面立ちは母親に似ているな、とセリナはいつも思う。

「プル、人の見ているものを横から見るのはよくないよ」

「お前が言うかね。で、セリナ、どうしたんだ? ……ああ、モードル家の豚が死んだか。これでまた世の中が少し良くなったな」

 生きているだけ空気の無駄、とまでプルが言った前モードル伯に対して、セリナはもはや何の感慨もない。



 明日にはこの街を出て、二人はしばらく一緒に行動していた一行から離れ、魔法都市を経由して神聖都市に向かう。さらにその先は大森林へ進路を取る予定だ。

 目的は、大森林のエルフの長に会うこと。そして情報収集だ。

「まあ、早めに寝ておけよ。あまり睡眠が必要ないと言っても、限度があるんだからな」

 そう言うプルにとっても、睡眠というのは欲求というよりは娯楽である。

 夢の中の世界というのは、長命な彼女にとっても面白いものであるらしい。



 それからしばらくの後、宿の部屋の灯りが二つ消えた。

 美女と美少女は違う部屋で、それぞれ眠りに就く。

 統一暦6213年。

 世界はまだ、本物の動乱を知らずにいた。

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