エピローグという名のプロローグ
統一暦6214年。
大陸縦断鉄道は、竜牙大陸東部における最も重要な路線である。
軍事物資の輸送にはもちろん、商業物資を運ぶコンテナ列車もあるし、長距離を移動する一般人も利用する。
現在その旅客車の一画を占める、若い女性だけのグループがあった。
ミスリルを思わせる銀色のショートカットの髪に、右目は金色、左目は蒼というオッドアイの十代前半の美少女。服装は普段着だが、腰には帯剣している。おそらく他国の貴族階級なのだろう。
長い黒髪を波打たせる、青い瞳の二十歳前後の女性。美しいことは美しいが、どこか気だるげな雰囲気を醸し出している。こちらもどこか浮世離れした、高貴な雰囲気を感じさせる。
黒髪黒目の少女は、十代後半か。明らかなニホン人顔で、柔らかな曲線を描くその面差しだが、瞳にはどこか凛としたものを感じさせる。そして頭の猫耳は、珍しい半獣人の証だ。
桃髪碧眼の少女はやはり十代の後半か。神殿の巫女服を着て、顔立ちも柔和な印象を与える。だがその瞳だけはどう見ても笑っていない。
そして残りの二人は、フードを深く被って顔を見せていない。
美女美少女だらけのそのグループは、当然のように注目を集めていたが、会話の内容は女性たちの集団がするには、珍しい内容のものだった。
「というわけで、問題はアセロア地方の持つ特殊性にあるのです」
巫女の少女が結論を述べると、オッドアイの少女が顔をしかめる。
「この世界へ渡ってきた当初の根拠地とは言え、どうしてそう聖地なんてものになるのかなあ。やっぱり人間って……というか原理主義って、根本的なところでは馬鹿なんだよね」
アセロア地方は現在魔族がその統治を行っている大陸南端の地方だが、近代以降人間が国家を作ろうと占領しては、種族差別問題で周囲の他種族国家から叩き潰される歴史を持っていた。
2000年前のアセロア王国が短いながらもほぼ人間だけによる統治に成功したが、それも愚かな理由で王都を破壊され、国としては解体されている。
現在は危険思想の人間組織が無差別テロを起こしたりして、厳戒態勢にある小国がいくつかかたまっている。
「同じ人間、というのでニホン帝国に協力を要請するのもあつかましいことです」
ニホン人の猫耳少女が容赦なく断言すると、ゆるい感じの桃色髪の少女も言った。
「人間と言っても、一括りには出来ませんからね~。まあ、私にとってはどれも皆、可愛い兎ちゃんみたいなものですが」
間延びした口調だが、どこか世の中と隔絶した言い様だった。
ひそかにその六人に注目していた、ゴブリンの老婆が好奇心に負けて声をかける。
「お嬢ちゃんたちは、アセロア地方に行くの?」
皺の入った老婆の柔らかな物言いに、オッドアイの少女が応える。
「はい。正確には、そこからニホンに向かう予定なんですけど」
「そう。あの辺りは危ないから気をつけてね。飴ちゃん食べる?」
いただきます、と言って少女は六人分の飴を貰った。フードで顔を隠した二人も、そのお相伴に預かる。
「それにしてもご夫人、私はこう見えても200歳を超えているんだ。あなたの方が年下だよ」
気だるげな雰囲気を醸し出していた女性が、一転凛とした青年のような口調で言った。
「あらまあ。そうなの」
エルフならともかく、人間にしか見えない容姿でその年齢というのは珍しい。高額な若返り治療を受けているか、高度な魔法の使い手であるのだろう。ゴブリンの老婆はそう思った。
「でも飴ちゃんはありがとう」
黒蜜飴を口に放り込んで、彼女は礼を言った。
ゴブリンの老婆は、とても好奇心を刺激された。
彼女は実はゴブリンの中でも魔法の心得があったので、なんとなく同じ魔法使いの雰囲気は分かる。
そしてこの戦乱の大陸で生きてきたゴブリンの魔法使いであれば、やはりなんとなく相手の力量は分かるというものだ。
200歳を超えているという女性の身にまとう魔力は、抑えられていても感じられた。おそらく彼女は、この集団のリーダーなのだろうと思った。
好奇心のままに、ゴブリンの老婆は会話を続けようとした。
しかし突然、オッドアイの少女が手を上げてそれを制する。
「急停車。何かにつかまって」
少女の言葉からわずかの後、列車は急激にスピードを落とした。
こんなところに駅はない。そしてアナウンスもなかった。突然の事態に、フードを被った二人以外の三人がオッドアイの少女を見る。
「セリナ、何があった?」
「……プルは自分もちゃんと探知の魔法を使った方がいいと思う。それはともかく、線路に障害物が置かれている」
セリナの言葉に、プルと呼ばれた女性も額に指を添える。
「……岩か。人為的だな。それに……盗賊か?」
プルの言葉を肯定するべく、車内に線路上の障害物が置かれているアナウンスが流れる。
「盗賊ですか。悔い改めるように説得しなければいけませんね」
巫女の少女が巫女的なことを言いつつも、なぜかその顔には物騒な笑みが浮かんでいた。
「いや、解放軍だね。盗賊の方がまだマシだ」
ゴブリンの老婆はその言葉を聞いて、混乱すると共に戦慄していた。
解放軍。竜牙大陸を人間の手にしようとする、狂気の集団。亜人や魔族を抹殺しようとする、人間至上の原理主義者共だ。
人間ならば奴隷にし、亜人や魔族は虐殺する。竜牙大陸における最悪のカルトである。
「左右からそれぞれ25騎ずつ、装甲二輪車に乗って追ってきている。この列車の護衛兵では、ちょっと対応出来ないだろうね」
いつの間にか、周囲は静まり返っていた。
大陸を往来する列車には、必ず護衛兵がつけられる。だが一般人の移動車両の優先順位は低く、護衛兵の質も量も抑えられたものだというのが常識だ。
解放軍の人間の残忍さは、亜人や魔族の恐怖の的だ。武装した組織ではあるが、軍などではなく犯罪者集団としてしか見られない。
そしてこの列車に乗っているのは、半分以上は人間以外の種族だ。
しかし、この者たちは幸運だった。
「25ですか。それでは私が片方を受け持ちます」
半獣人の少女が、そう言って立ち上がる。ゴブリンの老婆が感じるに、彼女は魔法使いではない。だが良く見てみれば、その身のこなしは年齢に似合わず隙がない。
「じゃあ、あとの半分はプルが――」
「面倒くさい。他の誰かがやってくれ」
その反応に、フードの二人が反応する。片方はプルプルと首を振り、もう片方はフードの下から死にそうな声を出す。
「……こんな遮蔽物のない所で、昼間からあたしが動けるわけないでしょうが……」
「じゃあ私が」
巫女の少女が言うのを制し、セリナは自分から立ち上がった。
「私が片付けるよ。解放軍なら、説得も無理だろうし」
狂信的な人間原理主義の解放軍は、聖戦を謳いながら無差別殺戮を繰り返す。これを根絶する手段は二つ。根切りにするか、相手の要求をそのまま飲むしかない。
そして後者は支配階級にとって、絶対に選択出来ない方法だ。また、公平でもない。要求があまりにも一方的だからだ。
「それでは、行きましょうか」
半獣人の少女はそう言って、厳重に密閉されたドアを軽々と開けた。周囲の視線が集中し、あんぐりと口が開けられる。半獣人の筋力でも普通は可能なことではない。
そしてセリナは、いつの間にか列車の外にいた。
転移――。理論上は存在するし、活用もされている技術だが、個人でこれを使用するというのは物語の中の英雄たちだけだ。
線路から飛び降りた半獣人の少女は、高らかに叫ぶ。
「武装! 烈火!」
赤い光が少女を包み、どこからか聞こえてきた太鼓の効果音と共に、それは渦を巻き、赤い鎧となって少女にまとわれた。
腰の双剣を両手に持ち、少女は接近しつつある狂信者どもへと駆け出した。
およそ時速400キロほどの速度で。
そしてセリナもまた、腰から脇差を抜いた。
漆黒の刀身の脇差だ。だがそれは見る間に、刀身を伸ばして大太刀のサイズまで大きくなる。
「エクリプス」
セリナの呟きに応え、その影から青鹿毛の巨大な馬が現れる。
その背には鞍が置かれ、鐙も装着している。だが轡と手綱はない。
「呼んだか、主よ」
馬が喋ったという異常事態にも全く動じず、セリナは簡潔な説明をする。
「頭のおかしい人間を殺しに行くよ。嬉しいだろ」
「ふふ、脆弱な魂の上げる絶望の声は、我ら悪魔にとっては最上の果実」
「はいはい、さっさと行くよ」
セリナを背にした漆黒の馬は、およそ時速600キロほどで敵へと向かって行った。
およそ数分後。
半獣人の少女とセリナは、なぜか同じ方向から戻ってきた。戦闘の痕跡など何も感じさせず。
「いや~、装甲二輪車はいい代物だよ。これは高く売れるね」
満面の笑みのセリナに対し、獣人の少女は相変わらずきりりとした生真面目な表情を崩さなかった。まるで犬の半獣人のようである。
列車に戻ってきた二人の少女に、周囲の乗客が何か尋ねようとする。だが適切な言葉が思い浮かばず、沈黙を続ける。
「それで、線路の障害物を取り除いて、また出発か?」
プルの問いに対して、セリナは首を振る。
「線路が歪んでるから、まあそれは復元すればいいんだろうけど、それよりも解放軍の基地を探知したから、それを潰したい」
セリナの言葉に、プルは眉を寄せながらも、面倒そうに立ち上がった。
「じゃあ、私たちも行きましょうか」
巫女の少女が立ち上がり、残りの二人のフードの少女もそれに倣った。
ゴブリンの老婆が声をかけようとする。しかしその時、開け放たれた扉から風が吹き込み、片方の少女のフードをめくった。
若い。まだ十代の前半だろう。しかし――。
長い耳と秀麗な容姿。それはエルフに特有のもの。しかしその髪の色は、エルフにはありえない青い色。
物知りのゴブリンの老婆は、物語の中で知っている。エルフの髪の色は金から銀、稀に緑。そして青い色の髪を持つエルフは――ハイエルフ。
「それではご夫人、飴をありがとう」
ホストのような美麗な微笑で、プルがゴブリンの老婆の手の甲に口付けた。
列車から飛び降りた6人は、そこで馬と合流する。セリナがどこからともなく取り出した装甲馬車を、馬につなぐ。
一頭で装甲馬車を引く馬など、この世界には存在しない。ならばその馬は、やはり姿は馬でも馬ではないのだ。
「あつ~。死ぬ~。マジで」
もう一人のフードを被った少女は、一目散に日光を遮る車中に入り込んだ。
仲間たちが乗り込むと、セリナは御者台に座る。そして列車の窓からこちらを見つめる人々――様々な亜人や魔族、そして人間に手を振った。
「それじゃあ、すぐに近隣の街から軍も来ると思うし、それまで待っててね」
手を振る。ついでに線路を直してもいいのだが、どの道こんなことが起これば、列車が通常通り再開することはないだろう。
セリナが軽く手綱を引くと、エクリプスはどこか不本意そうに歩み始めた。そしてすぐに駆け足となる。その目的地は、解放軍のアジトの一つ。
「なんだったんだ……あれは……」
残された乗客の一人が、ようやくといった感じで声を出す。
だがそれに答えを返せる者は一人もいなかった。
竜牙大陸。魔王アウグストリアが永い眠りに就いて以来、100年以上もの戦乱が続く大陸。
この混沌とした大陸で、また一つ、物語が始まる。
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