93 裏切り
神竜のブレスは、最上位の神をも打ち倒す。ネアースでも竜の牙による物理攻撃と並んで、最も高い攻撃力を誇ると言われている。
その威力は核兵器の比ではない。収束された光は戦場を貫き、遠くの山を一つ蒸発させ、大気を超えて宇宙空間にまで達した。
大地も大気も分解され、強烈な刺激臭と陽炎で、五感がまともに利かない。そんな中で、ソラは膝を着き、大きく呼吸を乱した。
神竜の召喚。これこそが悪神を倒したソラの切り札であった。
魔力だけでは足らず、生命力や体力も限界まで絞りつくし、ようやく成功させた戦法。
悪神を倒してレベルが上がった今でこそ意識を保っていられるが、悪神を倒した時は一週間ほども目を覚まさなかったほどのものだ。
「……やったか」
ブレスで空気中の魔素が乱れ、探知魔法が使えない。そもそも魔力が残っていない。
ソラは時空収納から魔結晶を取り出すと、魔力を吸い出そうとする。それから肉体の苦痛を癒し、体力を回復させる。だがその手が覚束ない。
だから彼は迂闊であった。
やったと思った時、それはたいがい、やってないものである。
液状化した地面から、飛び出してきたものに対して反応が遅れた。
それはソラに接近すると、容赦なく顎を爪先で蹴り上げた。
脳を揺らされる。この状態で、魔法使いが魔法を使うことは出来ない。
防御のための魔力すら残っていなかったソラは、致命的な隙を見せていたのだ。
大の字に倒れたソラの腕を踏み、セイは刀を鼻先に突きつけた。
「まだやるかい?」
土に塗れていながらも、セイにダメージはない。
「あ~、土塗れ……」
そう言いながら、マコも地面の下から這い出てくる。
そして空の上からゆっくり降りてきたのは、ラヴィとその背に乗った仲間たちであった。
ソラの最大の攻撃手段を知ったとき、セイは防御することを諦めた。
自分の魔法防壁では確実に防ぎきれないし、不死身でもブレスで蒸発してしまえば死を免れない。ラヴィのブレスで相殺することも難しいと判断したのだ。
そして防ぐことが出来ないなら、あとは回避するしかない。ラヴィの転移で上空か相手の後方に転移することは決めてあったのだが、戦闘で分断されることも考えていた。
その場合の次善の方法として、魔法で土を掘り返し、そのなかに緊急避難することにしておいたのだ。
マコは土を掘る魔法を取得していなかったが、それは槍に術式を描いておいて、魔力を通すことで発動するように準備していた。
このような手段によって、セイは敵の攻撃を無効化したのである。
そして大技を出した後というのは、大概の者が無防備になるものだ。
やったか、などとは間違っても言ってはいけないのである。地球の常識をソラは忘れていたようだ。
「あ~、こんなんなってなんだけど、久しぶり、蒼井君。元気だった?」
元気だから悪神を倒したりも出来たのだろうが、マコの挨拶はどこか間延びしていた。
「この……裏切り者!」
セイに対しては静かな表情をしていたソラが、マコに対しては憎悪に塗れた声を上げた。もっとも地面に転がりセイに刀を突きつけられているので、その声は小さなものだったが。
「え……。まあこちらに味方したのはあれだけど、それは立場の違いと言うか……」
「とぼけるな! クラスの皆を殺していっただろ! 俺には分かってるんだからな!」
その台詞には、マコならずセイも怪訝な顔をするしかなかった。
セイたちが殺したのは一人だけだ。それもあれは、相手の自業自得と言ってもいい。
ケータに出会ってからこっち、セイは可能な限り相手を無力化して、物理的な説得も含めて帰還させていた。
「何か誤解があるみたいだけど……」
セイの言葉にも、ソラは憎憎しげな表情を変えない。
「とぼけるな! 俺はクラスの皆の場所をつかんでいたんだからな! お前が近づくたびにその反応が消えていったのは分かってるんだ!」
なるほど、とセイは納得した。
ようするに誤解である。
ソラは世界中に散ったクラスメイトたちに、あらかじめ位置が分かる何らかの魔法をかけていたのだろう。セイたちの接近に気付いて先制攻撃をかけられたのも、それが前提としてあったからだ。
だが彼には、勇者の反応が消えたのは分かっても、それがどうして消えたのかまでは分かっていなかったらしい。
「あのね、話せば長くなるんだけど……」
それからマコとセイによる、ソラへの長い釈明が始まった。
ソラは明晰な頭脳を持つ少年である。物事の道理を弁えているし、この世界にも適応している。
だからまず、分身の勇者を殺したことには、理解を示した。
そこで改めて立ち上がり、セイはフォルダから椅子を取り出して、それに座り込んで話を始めた。
時折質問が出るものの、セイとマコの説明にはだいたい納得した。要所要所でククリが詩を歌っているのが、果たしてどういう影響を与えたのか。
「そうか……。じゃあ、もうこの世界に勇者は必要ないんだな……」
勇者の存在がむしろ世界にとっては害をもたらすというのは、彼も納得してくれた。
そしてマコだけが例外的に帰還していないというのも、地図を広げて見せれば理解してくれた。
問題となっている悪しき神々も、一柱は倒しておいた。
「それじゃあ、帰るとするか」
ソラは立ち上がると、視線を空に向けた。
青空にゆらゆらと白い雲が漂っており、その一部はブレスで消滅した跡を残している。
「こっちの世界の知人に、何か言わなくてもいいのか?」
セイは問いかけたが、ソラは乾いた吐息を洩らした。
「仲間は皆、悪神との戦いで死んだよ」
南部の神々の勢力は、ソラが既に徹底的に叩いてある。心配事がないわけではないが、いつまでもこの世界にいるわけにもいかない。
この世界のことは、この世界の人々が決めるべきだ。勇者は例外だったのだ。
そのとびきりの例外が、最後に残ったソラだったというのも皮肉だが。
そして魔法創造の勇者は帰還した。
セイの役目は終わった。
「終わったね……」
マコの呟きは小さく、それでいて万感の思いが秘められてた。
「ああ、終わった……」
セイもまたマコと同じ気持ちだった。
「かれこれ二年近くか。地球に戻ったら勉強しないとなあ」
「うわ、セイってば真面目君?」
「茶化すなよ。勉強はしておいて損はないものだろ。それに肉体の能力が地球に帰ったらどれだけ落ちるか。ちょっと憂鬱だな」
「あ~、そうだね。でもとりあえず、ドワーフの里に戻るんでしょ?」
リアに連絡したところ、豪勢な料理を用意して待っているという答えがあった。
そこでたっぷりと食事をして、一晩眠り、それでこの世界とはさよならだ。
「……地球に帰って寿命で死んだら、こっちに転生するのも悪くないかもな」
「そうね。少なくとも私は生きてると思うし」
ライラが口を挟む。長命なエルフの彼女なら、100年ぐらいは余裕で生きられる。
「転生してくるなら、それまでに詩をいっぱい作っておくよ。世界中を旅した神竜の騎士の詩。世界中で歌われるだろうねえ」
ククリも楽しそうに笑った。ハーフリングの寿命を考えると、彼やガンツも100年ぐらいは生きるはずだ。ハイオークのブンゴルの寿命はちょっと微妙だが。
世界間では時間の流れが違う。それをセイは知っているが、あえて口にはしなかった。
転生して記憶が残っているのかも定かではないが、それも口にはしなかった。
今はただ、共に旅をして戦ってきた仲間たちとの別れを惜しみたい。そんな気分だった。
「とりあえず、ドワーフの里に戻ろうか」
セイが転移石を取り出し、ラヴィも人の姿に戻る。全員が一箇所に集まった。
否、一人だけその場から動かない者がいた。
「? マコ?」
セイが呼ぶ。だがマコは動かない。目の焦点が定まらず、セイの声にも反応がない。
その手が懐の中に入れられ、何かを取り出した。
それは何本かの黒い糸に見えた。
何かが起こっている。これまでの旅で経験を積んだセイにはそれが分かった。ただし、何が起こっているのかは分からない。
黒い糸をマコはゆっくりと持ち上げ、それを己の口の中へ持っていく。
そこでセイは気付いた。あれは糸ではない。
髪の毛だ。それも、黒い。
直感的にそれを止めようとセイは動いたが、マコの動きの方が早かった。
勇者たちの髪の毛を、暴食の勇者は己の中に取り込んだ。
マコの状態は、明らかに正常ではない。それは鑑定してはっきりと分かった。
状態:憑依となったマコは暴食の効果により、勇者たちの一部――髪の毛――を取り込むことによって、その力をも取り込んだ。
(どういうことだ!?)
セイは刀を抜いた。他の仲間たちも何かが起きたことは察知している。しかしすぐさま攻撃態勢には移らない。
マコの異常は分かるが、こちらに対して敵対行為をするわけでもない。
だが、それは悪手であった。
異常事態に気付いたとき、すぐに動けばよかったのだ。
マコの顔に、彼女がしたことのないような笑みが浮かんだ。
「まずはおめでとう、神竜の僕よ。よくもまあ、神々の祝福を受けた勇者を、全て帰還させたものだ」
その口調には確かに賞賛の意図があったが、どこかこちらをからかうような、無意識の悪意も含まれていた。
「お前……何だ? マコをどうした?」
刀をしっかりと構えたセイに対して、マコを乗っ取ったそれは、場違いな軽い口調で応えた。
「君は考えたことはないかね? 異世界から召喚された勇者に対して、誰が祝福を与えたのかを」
「……神々だろ? 封印されていても、上位の神々にはそういう力があると聞いている」
それは正解だが、全てではない。
「そう。だが祝福を与えた神々は、善き神々や中立の神々だけでなく、悪しき神々もいるのだよ」
そこまで言われて、セイも気付く。勇者たちの持っていた祝福の種類を。
破滅、暴食、即死眼、憤怒や毒などは、善き神々という名前から与える印象とは違うものだ。
「……自分たちを倒すはずの勇者に、悪しき神々が祝福を与えたのか?」
それは辻褄が合わないとセイは考えたのだが、マコの姿をしたものは正解とばかりに拍手した。
「勇者の力は神をも殺す。思考を誘導して善き神々や、その眷属たちを倒すために利用するのは案外簡単なことだ。だがしかし、本当の目的は……」
そこで言葉を切ると、彼女はにっこりと笑った。
「暇つぶしだよ」
悪しき神は悪意の欠片も見せずにそう言った。
凶神などは明らかに自分の陣営を強化するために、勇者に祝福を与えていた。だが邪神と魔神は違った。
「そうそう、この娘の中に入っている私の自己紹介をしていなかったね」
邪神と魔神、特に魔神は本来悪しき神々ではなかった。そして邪神は、善き神々と称される傲慢な神々を嫌悪していた。
「私の名前はバグ。君たちの言う邪神と呼ばれる存在だ」
悪しき神々の中でも最強の存在だと、セイはリアに教えられている。
戦うことはせず、接触も避けろとまで言われていた。
「……その邪神が、今更何の用なんだ? マコを連れて行く気か?」
マコを戦力として取り込むというなら、それは絶対に阻止してみせる。気迫を込めてセイは邪神を睨む。
「いやいや、実は魔神と賭けをしていてね。どちらの祝福を与えた勇者が最後まで残るか、随分と楽しませてもらったよ。そのお礼をしようと、一時的にこの娘の体を借りようと思っていたんだが……」
マコの顔が朗らかに微笑んだ。
「もう一つぐらい、試練があっても面白いだろう?」
「つまり?」
「私が乗っ取ったこの勇者と、戦ってみたまえ。最後にどんでん返しがあるほうが、物語は面白くなるものだ」
思わずククリは頷いていたが、他の皆にとっては冗談ではなかった。
セイは邪神の悪意に憤りながらも、冷静な部分では戦力の比較をしていた。
即ち、自分たち六人とマコ一人の。
マコが暴食で吸収したのは、全ての勇者の能力ではない。たとえばケータなどは、髪の毛を入手するタイミングもなかったらしく、鑑定しても即死眼はない。
(けれど無限魔力に破滅に分身に覚醒に……)
暴食。食えば食うほど強くなる。
そして食った相手の祝福や技能さえも奪えてしまう。ある意味では確かに、最も強大な祝福である。
「あんたがマコにとりついていたのはいつからなんだ?」
「召喚されたときに一度、空腹で死に掛けたときに再度、支配下に置かせてもらったよ」
二度の接触で、マコの心の底に潜んでいたということか。
そしてここまで、全くその挙動が怪しまれることはなかった。あるいは本当に、最初はこちらの様子を覗うのが目的だったのかもしれない。
しかし、この最後の瞬間に、わざわざ出てきたというところに作為を感じる。
セイは内心で舌打ちつつも、彼我の戦力分析をしていた。
「おいマコ! 本当に操られてるのか!? どうにかならないのか!?」
呼びかけたセイに対して、マコはその槍を向けてきた。
「そもそも蓄積された力のほとんどが、私の祝福の影響下にあるからね。この少女が抵抗するのは無理があると思うよ」
つまり、やるしかない。
「マコは不死身だ……。心臓を貫いたぐらいじゃ死なない……」
自分に言い聞かせるように、セイが呟く。
「姉弟子、やるしかない」
ブンゴルがそう言って、ガンツと共にセイの隣に並ぶ。ライラは後衛で、ラヴィはまだ竜のままの姿だ。そもそも人間形態のラヴィでは、マコの技に太刀打ちできない。
「しゃーねー。やるか」
セイの肉体が一瞬脱力する。
次の瞬間には、マコの槍の間合い内に入っていた。
錯綜する刀と槍。
本当の最後の戦いが始まった。
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