84 勇者の誓約
セイたちの旅程は、困難なものだった。
まず野営の危険性が非常に高かった。他の大陸では魔境と呼ばれるような魔素の濃いところ以外ではあまり魔物は生息しないが、この大陸ではほとんどの場所で、危険な獣や魔物が生息している。
結界を張ってはいても、セイのマップには頻繁に敵性反応が現れる。
そしてもう一つが交通の問題である。
仮にも人種が支配していた大陸では、前線に近くても補給や物流のために街道が整備されていた。
だが竜爪大陸の道は、多くの部分で破壊されている。魔物や昆虫人なら森や原野も駆け抜けるだろうが、人種はそうはいかない。
リンクスから得た情報で、比較的まともな道を進めたのはせいぜい一週間。その範囲を出るとまた、視界の利かない森林歩行も使えない森や林を通り抜けていくことになる。
飛行船は速度が遅く、空を飛ぶ魔物や地上から攻撃する魔物が多く、これもまた危険で使いづらい。
結局頼りになるのはラビリンスからもらった地図だけで、文字通り右往左往しながらラヴィの転移を頼りに、一行は勇者の住む場所へと近づいていった。
「うお! 原っぱだ!」
一番背の高いブンゴルが歓声を上げる。丘陵地帯が目の前に広がっていて、はるか先には人工物にしか思えない城壁がある。
もっともまだセイのマップの範囲外なので、人が住んでいるかどうかは分からないのだが。
「ん~、間違いなく人はいるみたいだね」
ブンゴルの背中に上って遠くを見るマコが断言する。昆虫人を食べた影響か、彼女の視力は異常に上がっているのだ。それこそ20キロ以上先の風景が見えるぐらいに。
「人間が見えるのか?」
「うん、都市の城壁の周囲に畑を作って、その周りを柵で囲ってある。兵士も見回ってるし、人がいるのは間違いないよ」
「そうか……。地図からいっても、あの都市に勇者がいるのは間違いなさそうだな」
馬車を出して一行は草原を進む。地面が割としっかりしているのは、踏み固められているからだ。魔物を相手に森の近くまで兵を出すことがあるのかもしれない。都市に何人の人間がいるのかは分からないが、あの規模の畑で口を満たすのは難しいだろう。
そうして柵の近くまで来れば、セイのマップにも勇者の反応が表れる。
「これは……今までで一番楽な相手なのかな?」
その勇者の持つ祝福の名は『誓約』。
マコが説明した勇者の力の中では、相当戦闘力に特化したものでありながら、人種には無害なものであった。
誓約という祝福は、その名の通り、何かを誓うという祝福である。
その誓いが強いものであればあるほど、それに比例して大きな力を得る。それこそ、覚醒の勇者以上に。
誓約の勇者がこの世界にやってきて、まず誓ったのは、悪人以外を殺さないということだった。
この誓いによって、悪人に対した時には能力値が数倍に跳ね上がることとなった。
誓いは増えるごとに、そしてその誓約が狭まるごとに、力は増していった。
最後にマコが知っている彼女――そう、誓約の勇者は女である。彼女が誓ったのは、悪しき神々とその眷属以外とは戦わないという、非常に限定的な誓約であった。
逆にそれ以外、つまり普通の魔物が相手であっても、彼女の力は発揮されないどころか、普通の人間のレベルにまで落とされる。
つまりセイたちと戦うことになった場合、圧倒的に不利になるのである。
レベルは200を超えているが、ククリ相手でも勝つことは出来ないだろう。
「止まれ!」
柵に近づいたところで、兵士から叫び声が上がる。
それほどこちらを警戒していないのは、 御者台に座るのが無害そうなククリとセイだからだろう。
それでも不審な顔でこちらを見ているのは、そもそも人の往来がないからだ。
「どこから来た? いや、どうやってここまで来た?」
指揮官らしき男が、数名の兵士を連れてやってくる。この男はレベルが73もあるので、前線指揮官で間違いないのだろう。
「竜翼大陸から。勇者の力で悪しき神々の軍勢は数十万単位で壊滅した。その隙を縫って、後は森の中の集落に寄って、ここまで来たんだ」
「森の中……第三拠点か? しかしそれより、勇者の力というのは……」
考え込んだ男だが、セイたちを改めて観察する。
「それでも、よくここまで来れたものだな。途中には魔物や昆虫人の生息地がたくさんあったはずだが?」
「それは俺の祝福と、あとこちらにも勇者がいたので」
「勇者だと!?」
幌の中からひょっこりとマコが顔を出す。
「どーも。暴食の勇者、マコ・ツバキです」
男たちは外見で人を判断するということをしなかった。
「確かに勇者で間違いありませんな」
都市の中に入り、北寄りにある城まで招き入れられたセイたちは、高レベルの魔法使いの老人から鑑定の魔法をかけられた。
マコの称号はともかくとして、全員のステータスは偽装してある。現在ククリやブンゴルでさえレベル100ほどあるステータスは、どう考えても異常だからだ。
そしてセイはマップを展開しつつ、部屋のすぐ外にある気配に注意していた。
誓約の勇者。猪熊沙羅。
姓と名前が不釣合いだと思える少女は、静かに部屋の中に入ってきた。
「久しぶり、椿さん」
「サラさん」
サラという少女は、美しかった。
少女の可愛らしさではなく、女の美しさを持つタイプだ。正直日本人の顔立ちの中では、学校で一番の美少女とか、そんなレベルではない。
事前情報で、中学生の時には既に雑誌のモデルなどをしていたとセイは聞いている。
そして名字で呼ばれるのを嫌っているとも。
再会した二人の勇者は、友好的に手を握り合った。
転移以降のお互いの話をするに、サラの方は大変だったようだ。
彼女の誓約は、悪しき神々に対するために特化してしまったもの。普通の獣や魔物と戦う時は、一般人と変わらないところまでステータスが落ちてしまう。
技能レベルが下がらないのは幸いだったが、支援してくれる味方がいて初めて、彼女の祝福は活かされるものだ。
セイとマコのみを古びた応接室に入れ、サラの周囲を高レベルの戦士たちが守る。
そんな中でかわされた会話で、誓約の勇者は告げた。
今はまだ帰れないと。
言いたいことは分かる。
誓約が発動している状態のサラは、おそらくマコよりも強い。それだけの戦力が抜ければ、この都市はどうなるか。
サラが転移してきてからのこの1年で、都市の防衛はかなり強固なものとなった。
だがそれでも、上位の悪魔が侵攻して来れば、それに対応できるのはサラだけだろう。
今までの勇者にも帰りたくない者はいたが、これは状況が切迫している。
「と言っても、いつになったら帰れるか分からないよ?」
マコの言葉にサラは顔を歪めたが、それでも真っ直ぐな瞳でこちらを見つめてくる。
「私はここの人たちにお世話になったし、関わりも持ちすぎたの。事情は分かったけど、帰るわけにはいかない」
説得されても、サラは首を縦に振らない。確かにこんな状況では、彼女が抜けるとかなり戦力的に苦しいだろう。
だが彼女の認識には間違いがある。
神々が本気になれば、勇者の能力とは言え対抗することは出来ない。
もっとも邪神や魔神はゲームのようにこの戦争を楽しんでいるようなので、直接前には出てこないのかもしれないが。
昆虫人や悪魔程度であれば、サラの力は無制限に使える。
しかしそれでも、まだ神々には至らないであろうとはセイたちには分かるのだ。
「神竜が動き出したから、そろそろ悪しき神々も年貢の納め時だと思うけどな」
セイはこの世界における最強の存在を口にした。彼女はまだ、神竜たちの方針の転換を知らない。
だがその言葉には、周囲の人間の方が驚いたようだ。
「竜が動くのか……」
「それなら神々相手でも、勝てる!」
セイの訪問目的を知って意気消沈していた幹部たちが、一様に明るくなる。
サラも表情に明るいものが見えた。本人はやはり、帰りたがっていたのだろう。
さて、では帰るためにどうすればいいかである。
「竜が動くにしても、敵の数は減らしておきたい」
都市の部隊長の話によると、神々の眷属にも、ある程度群れている場所はあるらしい。
竜翼大陸への侵攻軍は毒により全滅したので、この近くの拠点をいくつか潰せば、都市の安全性は飛躍的に高まるだろう。
「防衛に徹するのもいいが、確かに敵は削っておきたい。まして勇者が二人もいるなら」
期待の目がマコに向けられる。だが敵の拠点を破壊するというなら、向いているのはマコではない。
「それじゃあ、案内してください。一人の死者も出さずに、壊滅させて見せますよ」
セイの言葉に、幹部たちは当惑した。
詠唱を終えると、魔法が発動する。
『流星雨』
超遠距離からの広範囲殲滅魔法。
隕石が次々と落下して、拠点ごと神々の軍勢を駆逐していくその様子を、人種の軍勢は遠方の丘からあんぐりと口を開けて眺めていた。
「こんな……こんな強力な魔法があるのか……。これなら神相手でも勝てるのではないか?」
部隊長が愕然として言うのに、セイは首を振る。
「倒せません。下位の神ならともかく、上位の神にはわずかにダメージを与えるだけでしょう」
大森林南部の魔境の神と、イストリアの神を比べてみると、その差ははっきりしている。
前者はセイでも対処可能であった。しかし後者に関しては、神竜であるリアの力を頼らざるをえなかった。
そして邪神や魔神は、それよりさらに強力な神だという。
セイのマップに表示された敵性反応が消えていく。
その中には昆虫人や眷属となった魔族、亜人、人間まで含まれていた。
いくら悪しき神々に操られるようになったとはいえ、この世界では人種に含まれるものである。
それを一方的に殺すことに、さすがにセイは気分を悪くした。
残党の処理ということで、兵士たちがクレーターになった大地へ進んでいく。
赤熱化した地面は人種の侵入を拒み、遠くから目視での確認しか出来ない。
「大丈夫です。もう反応はありませんよ」
「分かるの?」
サラの質問にセイはマップの機能を説明する。
それに対してサラは「敵を先に見つけられるのは便利ね」と感想を述べた。
「じゃあ、次に行きましょうか」
軽くセイが言ったので、サラも部隊長も呆けたような顔をする。
「え、ちょっと待って。今の最上級魔法でしょ? 本当なら何人かで分担してやる。それを使っても、まだ余裕があるの?」
サラの疑問はこの世界の魔法の常識からいって間違いではない。
全てはセイの魔力を無理に上げたリアと、カーラ先生の魔法教室のおかげである。
「連続では3発ぐらいかな。休憩をはさめば、一日に何十発も使えるよ」
この時、サラは思った。
勇者なんていらないんじゃないかと。
セイは数日で神々の拠点を破壊して回った。
それによって殺された昆虫人や魔物、眷属化した人種は100万以上にも及んだだろう。
大地には凄惨な傷跡が残され、人種がそこに自分たちの集落を作るには、かなりの年月が必要になるだろう。
だがとにかく、目の前の脅威は払拭された。
昆虫人や魔物を狩ることで、人種の生存圏は大きくなった。
少なくともこの周辺には、都市の防衛力を脅かす存在はもうない。
それでも数年や数十年の先を考えたら、勇者の戦力が求められるかもしれない。
だが、それは酷な話だ。
地球から一方的に召喚され、竜に国を追われ、悪しき神々と戦う。
なんの報酬もなしにそれを行うなど、どう考えてもマトモな話ではない。ましてこの世界に来た勇者たちは、まだ高校生だったのだ。
サラもまたそうだ。
帰れるのなら帰りたい。そして彼女を戦力としてとどめておく理由はなくなった。
「それじゃあ」
「うん」
セイに促されて、サラは目を閉じた。
帰還石により、誓約の勇者は地球へと帰還した。
改めて都市の幹部たちに礼を言われて、一日ゆっくりと休んだセイたちは、翌日にはまた旅立った。
「というわけで、勇者はいよいよ残り三人となりました」
「……そうか」
リアに報告するセイは、その反応の鈍さに怪訝な顔をする。
「何かありましたか?」
「いや、お前たちに関連することではない。引き続き、勇者の帰還に専念しろ」
珍しく歯切れの悪いリアの言葉だったが、色々と調整が大変なのだろうとセイも突っ込まなかった。
そしてリアは話を変えるべく、爆弾発言をした。
「悪神が勇者に倒されたぞ」
悪しき神々のうち、最上級の位階を持つ四柱の神々。そのうちの凶神がアルスの手によって倒されたことは聞いていた。
だから、神々が倒されることは予想していた。予想外だったのは、勇者がそれを行ったということだ。
マコの暴食や美夏の破滅、勇者の祝福は強力だが、それでも上位の神々には及ばないはずであった。
だが、誰かが――。
どの祝福かが、それを可能にしたのだ。
「まあ、悪神は魔神や邪神と比べると弱いそうだから、精鋭を数十人集めたら倒せるのかもしれないがな」
リアはそう言うが、ほとんどの勇者よりも強くなったセイですら、上位の神には勝てる気がしない。
「どの祝福の勇者が倒したか分かりますか?」
「いや、悪神の様子は探っていなかったからな」
悪神は竜爪大陸の南方で、人種や生物を虐殺し、大地を荒廃させていた神だ。
魔神や邪神がまだ人間味があるのに対し、その存在は完全に天災のようなものだったという。
それを倒した。
逆に言えば、それを倒せる祝福があったのだ。
リアとカーラが注意していた中で、最も危険だと思われていたのは『破滅』と『暴食』であった。
破滅の勇者は帰還し、暴食の勇者は味方として存在する。
ならば残る三つのうちのどれだというのか。
「残りの三つは『絶対反射』『魔法創造』『概念武装』だったよな……」
セイの確認に、マコは頷く。どれも強力な祝福だが、魔法創造と概念武装は癖の強い祝福だった。
「絶対反射でしょうか」
「いや、それはありえない」
相手の攻撃を、武器であろうが魔法であろうが反射する、絶対反射の祝福。普通に考えたら、無敵の能力に思えるだろう。
だが神の力を前にしては、それでも足りない。無敵に見えるが、実は無敵ではない祝福だ。
「ブレスを乱射して、相手の周囲の大気を呼吸不可能にしてしまえば終わりだ」
そう前にリアは言っていた。流星雨の範囲攻撃でも、反射が反射を呼び、結局はダメージを与えることになるだろう。
ならば、他の二つの祝福はどうなのか。
魔法創造は、現在この世界に存在しない魔法の術式を、強制的に構築するというものだった。
発展した使い方としては、流星雨や天地崩壊といった禁呪レベルの魔法を、全く違う構成で発動させることが出来るものである。
それこそ発想力さえあれば、破滅の祝福と同じことまで出来る。
もっとも、それに要する魔力が足りれば、という制約はあるが。
そして概念武装である。
これもまた、尖った性能の祝福であった。
たとえば『切断』という概念を武器に与えると、その武器は何でも切断してしまう。
防御面でも『鉄壁』という概念を服に与えるだけで、刃物を通さない防具となってしまう。
もっともレベルが低い段階では、素のステータスが低いので、あまり有効には使えていなかったようだが。
どちらにしろ、残りの勇者の一人は、上位の神を倒して大幅にレベルアップしているのは間違いない。
リアの態度に不信感を抱くこともなく、セイは迫り来る激戦の予感に暗澹たる気持ちになった。
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