75 破滅の勇者

 セイたちがリーゼロッテの力によって転移した先は、荒野を突き進む街道の傍らのオアシスだった。

「へえ、こういうの岩砂漠って言うんだっけ?」

 マコが興味深そうに周囲を眺めているが、セイは難しい顔でラビリンスの地図を見つめている。



 せっかくリーゼロッテに転移させてもらったが、勇者との距離はまだ遠い。セイのマップの範囲内にはいない。

「凶神の勢力の範囲内だよな、これ……」

 精密地図と見比べる。もちろん勢力範囲内と言っても、国境線のような明確なものがあるわけではない。

「ここからは目算で100キロほどか? あっちの交通手段はたぶん徒歩だろうし……」

 それまでの動きからセイはそう推察したのだが、勇者が馬車のジークたちと合流したことなどもちろん分からない。

「三日以内には追いつきたいな。けれど……」

 セイのマップの範囲内には、魔物の反応が多数確認されている。

 その中にはただの魔物ではなく、悪魔の存在まであった。

 一応人種たちの集団もあるが、レベルの高い者は少ない。難民だろうか、集落に住んでいるわけではなく、ゆっくりと北に移動している。

「これは……どれを優先するべきか……」



 当初の予定では、一直線に勇者に接触するはずであった。

 だがこのままでは魔物や悪魔に殺されそうな人々を、気付いてしまってから見捨てるのは寝覚めが悪い。

 セイの指示を待つ御車台のククリに、苦い顔で伝える。

「……予定変更。少し東に難民らしい集団がいるから、それを助けようと思う」

 あちゃあ、という雰囲気が一行を包んだ。

 知らなければそのまま進んだろうが、知ってしまえばそう動かざるをえない。だがここでマコが解決策を出す。

「リアさんに連絡して、転移で保護してもらえば?」

「それだ」

 一行の声が揃った。







 リアは忙しく、自分が難民を助ける暇はないと言った。

 だが見捨てるわけではなく、竜の軍団を竜翼大陸の、凶神の勢力範囲に転移させたようだ。

「竜の軍団って……3000年前の大崩壊以来の出来事だよ……」

 ククリが唖然としていたが、ラヴィと同じぐらいの戦力が何頭か参戦するだけでも、事態は大きく変わるだろう。

 もちろんセイたちは知らないが、この時リアが投下した戦力は、成竜と古竜をまじえた千を超える数であった。

 これはネアース世界最強国家のガーハルトをも滅ぼすほどの戦力である。

 数頭の古竜が集まれば、上位の神をも滅ぼせる。

 完全に本気になったリアである。



 肝心の難民だが、とりあえずラヴィの転移を連続して使い、周囲に存在する脅威を排除していく。

 その敵というのが、魔物や悪魔だけではなく、正気を失った魔族であったりするのが憂鬱であった。

 ゴブリンやオーク、オーガなどといった種族は、この世界では人種として認められている。

 実際ブンゴルはハイオークであるし、ゴブリンやコボルトの冒険者は多い。

 しかし元々種族的に好戦的なのか、悪しき神々の影響を受けてその配下になっている者も多い。

 セイたちが排除していったゴブリンやオークは、まるで理性を感じさせないものだったが、それでも罪悪感があった。



 三日ほどもかけて、周辺の脅威を一掃した。

 南からどんどんと敵勢力が北進してくるので、いい加減で諦めるしかなかった。

 そしてその期間で、勇者との距離が開いている。

 どうやら徒歩以外の移動手段を見つけたらしい。

 セイたちも飛来する竜を見かけては、彼女たちに凶神の配下の対策は任せることにした。



 転移を使って、大陸を南下する。

 勇者はどうやら、凶神の勢力の中に点在する、人種の都市の一つに腰を落ち着けたようだ。

 凶神の軍勢は、戦略をもって動いているようには見えない。

 星の神殿で聞かされた情報でも、街を攻め滅ぼしたすぐ後に逆撃を受けて、戦力としては崩壊している場合もあるらしい。

 拠点を攻めるのも力任せで、満足な攻城兵器は使わないらしい。

 ある程度の防衛力がある都市が落とされていないのは、そのあたりの理由があるそうだ。

 星の神殿や魔王の都市からの援助物資も、計画的に遮断しているわけではないという。

 頭が悪いと言うか、戦争の仕方を知らない軍勢である。



 そもそもこれを軍と言っていいのか、セイは疑問に思う。

 兵站線は確立されておらず、各個撃破に遭い、物資は現地調達。

 少なくとも文明的な戦争ではない。蛮族の移動のようなものだ。

 それに魔族や一部の亜人が加えられているのが問題なのだが。







 頻発する遭遇戦を、セイのマップで圧倒的に有利に勝ち進みながら、一行はその都市へと入った。

 都市の名はダール。

 巨人の進撃でも食い止められるほどの城壁を持った、城塞都市である。

 かつては交通の便が良く、商業都市としての面が強かったが、悪しき神々の復活の後は、最前線への補給基地となっている。

 ここから南東へ行けば、凶神の鎮座する迷宮へと向かうことになる。

 勇者がその手前で止まっていてくれたのはありがたいが、その祝福をマップで確認して、思わずセイは息を飲んだ。



「来たよ……」

 都市の城門前で通行の順番を待っていたセイは、吐息と共に言った。

「破滅の勇者だ」

 その言葉に、一行の表情に緊張が表れた。



 破滅の勇者、夏木美夏。地球においては名字にも名前にも夏の字があるということで、ナツナツというあだ名で呼ばれていた。

 些かの畏怖を込めて。

 どこか超然とした美貌で、勉強ではほぼトップ。肉体能力も女子の中では抜群に優れていたが、その特異性は性格面にあったと言っていい。

 とにかく人を誘導するのが上手いのだ。クラスで会議が行われた時など、彼女が意見を出せば、ほぼ確実にそれが通った。

 冷徹と言えるのだろう。年頃の少女には似合わない表現である。



 マコの感想としては、頼りになるが苦手なタイプだというとのこと。

 この世界に転移してからも、彼女の持つ一種のカリスマ性は発揮されていた。むしろ顕著になっていた。

 祝福としてならより強力なものを持つ者さえ、彼女には逆らうことがなかった。

 それは彼女が、現実主義者であったからだ。

 現実主義から見た正論。そして現実主義から見た現実的な解決法。

 あの日竜によってネオシス王都が滅ぼされるまで、勇者たちの方針は彼女によって決められていたと言っていい。

 突出した祝福を持っていた勇者の中で、彼女に正面から逆らっていたのはケータぐらいだったという。

 そしてそれも、力関係は美夏の方が上だったようだ。



 ケータはこの世界を――正確に言えば、自分たちを勝手に召喚したネオシス王国を憎んでいたが、共に召喚された級友たちを憎む理由はない。

 そして頭の良さはともかく、論理的思考と弁舌力に欠けるケータは、美夏の提案や意見の合理性に勝てなかったのだ。

 少なくとも彼女の目の届く範囲内では、他の問題性のある生徒たちも、無茶な行動は起こさなかった。

 そういう、祝福ではなく人間的に強い勇者が、今度の相手なのだ。

 もっとも敵対するとは限らないのだが。







「え? あれ?」

「どうしたの?」

 マコに声をかけられても、セイは動揺を隠せない。

「いや、破滅さんの周りに5人ほど仲間らしき人種がいるんだけど……いや、人種じゃないのもいるんだけど……」

 言葉を選びながら、セイは説明をする。

「一番高いのが……魔法剣士かな? レベルが297で、剣術のレベルが10ある」

 それは、とんでもないレベルである。

 ベースレベルもとんでもないが、剣術のレベルが10というのは、セイやカーラよりも上ということだ。それにレベル10以上は、存在しても反映されないのだから、実際は11かも15かもしれない。

「同じく剣士で剣術レベル9に盾レベル9とか、神聖魔法レベル9とか、術理魔法レベル9とか、とんでもないのばっかいる。一番レベルが低いのが勇者だけど、それでも200超えてる」



 これは危険である。

 パーティー同士の戦闘というのは今までにもあったが、どれも結果的にはセイとマコとラヴィの力押しで勝ってきた。

 しかし今度の相手は、明らかに格上だ。人数はこちらが一人多いが、戦力は向こうが圧倒的に上だろう。

 それにマップによる鑑定によれば、神殺しの称号や、不老不死の祝福を持っている者もいる。神の血脈を持っている者までいるのだ。

「それで、名前は?」

 ククリの問いに、セイは何も意図せず答えた。

「一番強いのが、ジークフェッド・ラーツェンって魔法戦士だな。あと、カーズ・ルドキアっていう戦士、マリーシアっていう戦乙女……って人間じゃないじゃん」

「マジで!?」

 ククリが叫び、ブンゴルも驚愕の表情を浮かべた。

 ガンツの鉄面皮も、眉のあたりがぴくりと動いたくらいである。

「え? 有名人なのか?」

 セイが仲間たちを見ると、男の子組みは全員が知っていて、女の子組は一人も知らないようだ。

「ああ、そりゃ女の子は知らないかな。別に歴史上の偉人ってわけでもないし、人格には問題あるし……」

 そしてククリによるジークフェッドの英雄譚が語られた。







 神殺しのジークフェッド。最も彼を象徴するのは、その異名であろう。

 3000年前にレムドリア王国付近にあった迷宮を一つ踏破し、迷宮の主である神を滅ぼしたのだ。

 単に殺しただけなら、神は甦る。だから神は普通、倒されても封印されるのがせいぜいだ。

 しかし彼は神の持つ神核を奪い、我が物とした。

 下位のものであっても、神は神である。その力は呪いとなって、彼と仲間のカーズ、ケセルコスを不老不死とした。

 不老不死は呪いである。

 いずれは誰もが死の眠りを願うようになる、気の長い悪意の呪い。

 だが彼にとっては祝福だったようだ。



 とにかく美女や美少女に目のない彼は、この3000年で数々の偉業をなしたが、人種の歴史に何か影響を与えたかと言えば、それは一つもない。せいぜい数多の中の神を一つ滅ぼしただけである。

 英雄譚は多い。神殺しの他にも神竜の迷宮踏破、魔物の大軍勢の討伐、巨人との対決など様々だ。だがそれは、ニュースになるにしてもスポーツニュースに該当するようなものだ。

 だから歴史や地理、常識を教えるカーラ先生の授業にも出てこなかったのだ。

 大森林のエルフであるライラも知らなかったし、ラヴィにいたっては教育上の配慮から教えられなかったのだろう。

 だが男の視点から見ると、彼は間違いなく英雄である。

 魔物を退治し、迷宮を踏破し、美女や美少女と浮名を流す。

 それでいて一所にはとどまらず、放浪の旅を送っている。まさに冒険者の名を体現したような男である。

 ……婦女暴行の罪で多くの国で指名手配されていたというのもあるのだが。

 そしてその一行は、五人の軍団と呼ばれている。

 五人で軍団に匹敵する力があるのではなく、一人一人が軍団に匹敵する力があるのだ。

 国によって軍制も軍の強さも違うが、少なくとも3000年前ほどからはそう呼ばれていた。







 そして今の状況で彼らの戦闘力は、セイたちの目的に有害であるようだ。

 美夏はジークのパーティーに同行している。ひょっとしたらパーティーの一員になっているのかもしれない。

 レベル的には最低だが、セイやマコとほぼ同じである。祝福を考えれば、正面から戦うのは危険が多すぎる。

 セイのパーティーと戦闘になった場合、どういう組み合わせになるだろうか。

 ジークのパーティーは、全員が近接戦闘と魔法が使える魔法戦士のパーティーだ。

 まず分かりやすく、精霊使いの能力を比較した場合、ライラはケセルコスというエルフの男性に、全く敵わない。レベル差が倍ある上に、技能もはるかに向こうが上だ。

 アルテイシアとマリーシアは、ラヴィとマコでどうにか対抗出来るだろう。だが竜になったラヴィでも、そう簡単に勝てる相手ではない。マコとラヴィの戦闘に関する技能を向こうと比べると、向こうの方がはるかに高い。

 カーズという魔法剣士は、ガンツには荷が重いだろう。ククリが後ろから援護しても、やはりレベル差がありすぎる。ブンゴルをつけても、時間稼ぎにもならないぐらいか。



 そしてジークフェッドである。

 冷静に考えて、セイの勝てる相手ではない。不死身であるので粘ることは出来るだろうが、伝説の戦士だ。何か不死身の祝福を打ち消す方法を知っているかもしれない。

 単に粘るだけであっても、破滅の勇者がいる。レベルと技能はセイの方が上だが、ジークフェッドと一緒に叩ける相手ではない。

 単純に戦力が足りないのだ。こんなことならリーゼロッテについてきてもらえばよかった。



「そういうわけなんだけど、どう思う?」

 とりあえずセイはマコに訊いてみた。勇者が帰還を望むなら、黄金戦士団とか事を構えずに済む。

「ナツナツは正直、何考えてるか分からない」

 マコの意見はそういうものだった。

「でもなんていうか……この世界ではあの子の力は、地球よりもよっぽど発揮されていると思う」

 ネアース世界では個人の力が、地球よりもはるかに高い。

 一騎当千が文字通りの意味で通用するのだ。そしてその中でも、彼女の破滅の祝福は強力だろう。かなりの戦闘を繰り返したマコと同じぐらいのレベルなのだから、転移して以降も激戦を繰り返したに違いない。



 この世界で生活し、立身出世する力を持っている。野心があるなら地球よりもネアースの方が成功しやすいだろう。

「そうだね、彼女はなんていうか、野心家っていうか、権力志向があったから」

 だが悪い情報だけではない。彼女は冷徹な人間だという情報もある。

 計算高いなら、地球に帰還するメリットも考えられるのではないだろうか。

「まあ、最初は普通に接触するしかないか」

 いつも通りの結論を出して、セイは話を打ち切った。

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