74 星竜
星竜リーゼロッテ。ネアース世界を守護する、七柱の神竜の一柱。
ラヴィと同じぐらい若く……そしてラヴィと同じぐらい、コミュ力に欠けた存在であった。
運ばれてきた紅茶とケーキを、ほとんど同じ動作で二柱は飲み、食べた。
そして食べ終えた後は、ほうと息を吐いて眠そうに半眼になる。
「リーゼロッテ様」
傍らに立つ武官が声をかけると、はっと目を見開く。
正面の席に座るラヴィを見て……しばらく時間が経過する。
「逃げたね」
その言葉に、ラヴィはぴくりと反応した。
「あれは戦略的撤退」
「そう」
別にラヴィが自分の迷宮から転移したことを、非難したわけでもないようだった。
単なる事実確認。ラヴィも平然とした表情は変わらない。
……そしてまた沈黙が訪れた。
沈黙の長さに耐えかねて、武官が声をかける。
「それで、ラヴェルナ様はどのような御用でいらしたのでしょう?」
その問いに、ラヴィはぐりんと顔をセイに向ける。
セイはその視線を受け、武官と目を合わせる。
どうやら神竜同士に任せていると話が進まないと、お互い気付いたようだ。
「ええと、私はセイといいます。神竜レイアナの弟子です。それで今回赴いた理由はですね……」
まず勇者を帰還させるために召喚されたことから始まり、途中はざっくりと端折り、この大陸での便宜をはかってもらうため、この地を訪れたということ。
……端的に言えばこれだけである。だがラヴィに任せておいたら、どれだけかかるか分からないが。
「承知しました。ではこの大陸の魔王陛下への紹介状も必要ですな」
そう、魔王がいる。
竜牙大陸と同じように、竜翼大陸にも魔王がいる。
神竜は象徴で、魔王が実際の権力を握っている。そして両者の仲は良い。というか、悪くはない。これよりやや南にある都市が、魔王の根拠地だ。
魔王は年齢4000歳ほどの三眼族の男で、若い頃はアルスに何度も挑戦し、何度も叩きのめされたほどの武闘派であった。
今ではすっかり丸くなったそうだが、この戦争では大陸南西の最前線近くで、竜爪大陸の神々の侵攻に対処しているらしい。
一応フェルナからの紹介状もあるのだが、親密度はリーゼロッテの方が高いかもしれない。
「南東の凶神も、もちろん脅威ですが……あの神の眷属は、知能に欠けたところがあるのです」
すっかり説明役となった武官さん、魔王と同じ三眼族で、魔王と神竜の折衝役として働くことが多いそうだ。
「配下の魔将軍にそちらは任せて、魔王陛下は魔神や邪神の対処をしているのです」
魔神と邪神は、悪しき神々の中でも相当に頭がいいらしい。
兵站線を破壊するというまともな戦略を採っていて、それを防ぐために最前線近くに魔王がいるというわけだ。
「凶神かあ……」
今のセイたちのレベルでは、まだ勝てない相手であろう。
イストリアに封印されていた、リアが倒した神よりも更に上の位階にあるという。
それは竜か大魔王に任せて、南西に行くのが正しい選択なのだろう。
だが問題が一つ。
勇者を示す光点が一つ、そちらの方へ向かっているのだ。
残りの二人は南西に向かっている。魔王軍に合流すれば、とりあえず不測の事態は避けられるだろう。
今後の旅の進路的にも、まず東の勇者を回収して、西へ向かうのが正しい。
「リーゼロッテ様の紋章を刻んだ短剣を用意します。それと身分を証明する書類も」
武官さんはまるで文官さんのように、素早く手続きを済ませていく。
後に聞いたところによると、彼は武官ではなく副官であったらしい。
もちろんリーゼロッテの、である。
神竜が基本的に人間と接触しないのは、既に分かっている。接触してもコミュ力に欠けるし。
つまりこの副官は、実質的な神竜を頂点とした組織のトップなのだった。
大陸の情報についても彼は詳しく、特に戦況に詳しい。
凶神が無差別に動き回っている南東部は、もう収拾がつかないようだ。
そういった性質の神なので、これは仕方がないだろう。神頼みならぬ神竜頼みである。大魔王が出てくるだろうとセイが言うと、かなり大げさに驚いていた。
南西部の戦線は、完全に膠着している。
しかしながら悪しき神々の眷属は、兵站を破壊すべく、後方に回って人種の拠点に攻撃をしているようだ。
倒した人種を食料にしてしまう眷族に比べて、人種はそうはいかない。中には昆虫人を食べる剛の者もいるらしいが。
この膠着状態は両軍の戦力が拮抗しているからではなく、人種側の戦力が前線を必死で維持しているという状態なのが本音だ。
神竜が動くのも遅かった。
1800年前に勇者が召喚された時は、黄金竜イリーナと火竜オーマが割とすぐに動いた。
しかし悪しき神々の封印が解けて数年、竜が戦線に投入されることはない。勇者が関連していなかったからだ。
下位から中位の神なら、成竜であれば問題なく圧倒できる。上位の神でも古竜なら互角だろう。
最上位の神はさすがに苦戦するだろうが、神竜の相手にはならないことは分かっている。
それでもようやく、竜は動き始めているのだが。
彼女たちにとっては、神より勇者の方が脅威なのだ。
星の神殿の中の客室に、セイたちは泊めてもらった。
広くしっかりとした造りだが、決して煌びやかというほどでもない部屋だった。まさに神殿の一画と言うべきか。
迷宮じみたところはまるでない。ラヴィの迷宮もこんな感じであったなら、それは確かに攻略されるだろう。
そしてラヴィは久しぶりに、竜の姿でリーゼロッテの部屋にお泊りらしい。
竜の姿で眠るのと人の姿で眠るのは、快適さはさほど変わらないそうだが、やはり竜の姿が本質であるのだ。
ちなみに夜遅くまで、セイは魔王軍の兵站部門責任者の一人と会い、必要そうな兵器を譲ってもらう交渉をしていた。
戦車が一台欲しかったのだが、整備出来る者がいないと無用の長物となると言われ、それは諦めた。
地球の戦車もそうだが、戦車とは案外壊れやすいものなのである。
代わりに求めたのが、機関銃や小銃である。
セイ自身は魔法を使えばいいが、ガンツやブンゴルの遠距離攻撃手段を求めたのだ。
翌日には用意すると言われたセイはようやく客室に戻ると、ベッドにダイブした。
「お疲れ~」
よしよしと頭を撫でるマコ。客室は女の子チームと野郎チームで分かれている。
「あ~、このまま寝たい気分だ」
「お風呂ぐらい入ってきなさいよ。ここのお風呂、広くて気持ちいいわよ」
エルフの里を出て、ライラはお風呂にはまってしまったようだ。
セイはどうにかベッドから立ち上がると、ゆったりと風呂に浸かった。
翌朝、全ての用意は整っていた。
全て有能な副官さんが一晩でやってくれたものだが、これで竜翼大陸の中では、セイたちは自由に動けるだろう。
兵器の準備はともかく、その使用方法についての説明の方が、時間はかかったぐらいだ。
昔ながらの戦士であるガンツやブンゴルには納得がいかないようだが、こちらの戦力も考えると準備はしておいてもいいだろう。
そして最後の締めだけは、リーゼロッテの力が必要となる。
ピラミッド型の迷宮から出た一行。そしてリーゼロッテに、彼女に従う衛兵たち。
「ではリーゼロッテ様、お願いいたします」
そう言って引き下がる副官。リーゼロッテは進み出て、ラヴィに手を振る。
「それじゃあまた。二度と会わないかもしれないけど」
聞きようによっては敵対的な言葉に、ラヴィは軽く頷いた。
そもそも神竜は、そう頻繁に会うものではない。
頻繁に会わなければいけない事態とは、まさに世界の危機なのだ。即ち彼女たちが惰眠を貪っている間は、世界は平和なのだ。
リーゼロッテはセイたちに手を向けると、魔力で一行を包む。
『転移』
そしてセイたちの姿は、その場から消えた。
リーゼロッテの知る限りにおいて、最も勇者に近い場所に転移させたのだ。
「お疲れ様です。リーゼロッテ様」
副官の言葉にリーゼロッテは頷く。
これで役割は終わり。あとはまた寝て過ごすのがリーゼロッテの役目である。
だが副官に促されながらも、彼女はその場を動かなかった。
「リーゼロッテ様?」
副官の言葉を無視するように、彼女は空を見上げる。
神竜の張った結界。その結界を創造したリーゼロッテならともかく、他の者がそれを破って転移することなど、出来るはずがなかった。
だが実際、結界を優しく通り抜けて、リーゼロッテの眼前に転移する者がいた。
たった一人の、全く武装もしていない、その辺りを歩いているような青年。
異常に気付いた衛兵が対処すべく動こうとして、それを副官が止める。
「待て! そのお方に逆らってはならん!」
そう、長命の三眼族の彼は知っている。
まだ若かりし頃、竜翼大陸の魔王ギリウスが何度も挑み、一度として勝てなかったその存在。
「大魔王陛下……」
アルス・ガーハルトは先触れも出さずにその場に現れた。
「入れ違いだったみたいだね」
魔力の残滓から、アルスはセイたちの存在を感じ取っていた。
副官の言葉に、衛兵たちは顔を見合わせる。彼らにとって大魔王とはフェルナのことである。1000年も生きない短命の魔族には、アルスの名前は伝説の存在でしかない。
「目覚められたのですか。しかし、この地にはなぜ?」
「ああ、神竜たちと話し合った結果ね」
アルスは各地を転移して回ったのだが、さすがに年経た神竜の作り出した結界の中には転移出来ない。
よって話し合うことが出来たのはリアとイリーナ、そして結界も大雑把に作るオーマだけであり、お互いの役割を分担した。
「暗黒竜レイアナが、凶神を滅ぼすことになった。私はその間、厄介な存在を監視することになったんだ」
厄介な存在。それは神でもなければ、勇者でもない。
ジークフェッドだ。
「君たちに伝えておきたいのは、ジークフェッドが来ても、絶対にリーゼロッテと会わさないことだね」
「ジークフェッド……あの色欲魔人ですか」
「彼にとっては神竜であろうがなんだろうが、美しい女性だったら何も関係ないからね」
アルスの視線を受けて、リーゼロッテはぷるぷると震えていた。
竜は恐怖を知らない。
竜は絶対的な強者である。まして神竜であれば。しかし目の前に立つ人間は……おそらく己を滅ぼすことすら出来る。
「大丈夫。君は私やフェルナが守るよ。さすがにジークフェッドの一味でも、機械神を使った私なら……殺すことは難しくても、撃退することは簡単だ」
人の良さそうな笑みを浮かべてアルスは語るが、やはりあの歩く迷惑を片付けるのは容易ではないのだ。
「さて、それじゃあ話を詰めるとしようか」
全く悪意も覇気もないその微笑に、副官は多大な恐怖を感じた。
「ぶへい!」
荒野の道を行く馬車の中、盛大なくしゃみをした男が鼻をこする。
「あ~、またどこかのカワイコちゃんが俺の噂をしているな」
年の頃は30手前。見事な金髪に緑色の瞳。顔はそれなりに整っているが、野性味が激しく、女性からの好みは分かれるだろう。
ジークフェッド・ラーツェン。
様々な異名を持つ彼であるが、本人は『黄金の戦士』と呼ばれることを好んでいる。
……ちなみに普段よく言われるのは『色欲魔人』『女と男の敵』『強姦魔』などである。
「戯言を……」
同じ馬車に乗る女戦士が、嫌悪のこもった口調で反応する。
マリーシア。ジークの仲間であり、白金色の髪に碧い瞳を持つが、実は人間ではない。
かつてジークが踏破した迷宮の門番である、戦乙女だ。
ジークの手綱を握る女性その一であるが、だいたいジークの毒牙から乙女を守ると、自分がその性欲を満たす犠牲になってしまう。
……不憫な戦乙女である。
「まあ、竜骨大陸の誰かが、噂をしているんじゃないかな」
馬車に乗るもう一人の男性、全身黒い革鎧の戦士カーズが苦笑しながら言った。
ジークの昔からの旅仲間であり、腐れ縁とも言えるのだが、神を殺してしまって不老不死になったのは彼も同じである。
本人は自分のことを、ジークの『外付け良心回路』と自嘲することが多い。
ジークはこのパーティーのリーダーだが、実際の交渉は彼が受け持つことがほとんどだ。
「良い噂ではないでしょうね。そのうち呪い殺されることを祈っています」
物騒なことを真剣な口調で呟くのは、本人は遺憾ながら、ジークによく似た容貌の少女である。
ジークがこの世で唯一手を出さない女性。つまり彼自身の娘、アルテイシアであった。
ジークの手綱を握る女性その二であり、実際ジークも自分の娘だけはやや苦手である。
……彼女の母親に対する負い目もあるのだろう。
ちなみに彼女が不老不死なのは、神を殺したからではない。
この三人に加えて、現在は御者をしているエルフの男性ケセルコスの五人が、パーティー名『黄金戦士団』のメンバーである。
パーティーの名前を決めたのはジークであるが、他の四人はそう呼ばれることを嫌がっている。
特にカーズなどは鎧も黒いし髪も瞳も黒いので、どこが黄金戦士団なのか、という主張を度々している。
ゆったりと街道を行く馬車だが、がこんと音がして速度が鈍り、やがて止まった。
「あん、どうしたケス?」
馬車の中からジークが問うと、エルフのケスが短く答えた。
「旅人だな」
ひょいと馬車の幌から覗き出すと、大きな荷物袋を背負い帯剣した、十代半ばの少女が街道の真ん中をふさいでいた。
「余裕があれば乗せてもらえませんか? 少しですが謝礼は払います」
黒髪黒目。同じく覗き出したカーズは、かなり危険なこの街道を、少女が一人で旅していたことに疑問を持つ。
そこにまた覗いたアルテイシアの表情が固まった。
このパーティーの中で、最も術理魔法に精通しているのはアルテイシアである。当然鑑定や看破の魔法も使える。
そして彼女が見つめる少女のレベルは200を突破していた。
年齢を考えてもありえない数字である。だがその疑問は、彼女の持つ称号を見れば霧散する。
勇者だ。
アルテイシアは勇者にして大魔王であるアルスや、その先代の勇者であるトールと面識がある。あのアホの手綱を握ってくれてありがとう、と感謝もされたし憐憫の情を向けられたりもした。
勇者とは規格外の存在で、大賢者や大魔女といったものと同じ、伝説的な存在だ。
それがこんなところにいる。ネオシス王国で勇者が召喚されたとは聞いていたが、王都が消滅したため、勇者のその後の動向はほとんど知られていなかった。
まさかこうも唐突に、偶然に出会うとは。
ジークの悪運の影響かもしれない。
「ふむ」
ジークは少女の容姿を観察する。すらりとした手足に、旅塵に塗れてはいるが整った顔立ち。
地球だったら年齢制限でアウトだが、ネアースの成人年齢は、だいたいどの国も15歳なのでセーフである。
「いいだろう。乗れ」
「ちょっと馬鹿、この子『勇者』よ」
小声で囁くアルテイシアに、ジークは何でもないことのように答えた。
「可愛い子なら何も問題はない」
断言したジークに、一行は溜め息をついた。
これが『破滅』の勇者、夏木美夏と、ジークたちとの出会いであった。
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