72 海峡を渡る

「うーみーだー! って、けっこう寒い!」

 馬車から走り出たマコは、すぐさまぬくぬくとした車内に戻ってくる。

 地球におけるベーリング海峡。その東端に、一行は到達していた。

 基本的にネアース世界は地球よりも陸地の面積が大きいのだが、残念なことにベーリング海峡の部分は埋まっていない。

 季節は初夏にあたり、ネアースにおいてはこの季節なら、問題なく竜骨大陸から竜翼大陸に渡ることが出来る。それでも海流や緯度、魔法の結界のこともあって、寒いことは寒い。

 実際に御者席のククリは、防寒対策をしっかりしている。

「ここから先は、地球ならイヌイットが住んでいる土地だよな」

 セイは耐性があるので、寒さはほとんど感じない。御者席のククリと並んで座る。



 この東端にある港から、地球ならアラスカと呼ばれる大地へ船が出ている。

 もちろん冬季はない。これより大分南下すれば冬季の船も出ているが、今度は向こうの大陸へ渡ることが出来ない。海の凍結していない場所を渡るのが危険だからだ。

 それならまだ飛行系の魔物を調教して、空を飛んで行った方が危険は少ない。

 ネアース世界における海の存在は、地球の何十倍も危険なのだ。

 ニホン帝国の巨大戦艦などは、深海の上の海も渡るらしいが、それでも巨大な海の魔物にやられることがニュースになっていた。



 そんな海の旅であるから、使う船も速度重視か頑丈さ重視かで、主に二つに分けられる。

 セイたちが今回選んだのは速度重視の船便で、甲板に出ると物凄い風を感じるため、扉はきっちりと閉じられている。

「タイタニックの真似したかった~」

 マコがそんなことを言っているが、身長的なことを考えると、ブンゴルにしてもらうことになるのだろうか。

 ハイオークによるタイタニック。誰得である。







「それにしても、やっぱり海の輸送量が限られているのが、神々との戦争が長引いてる原因なのかな」

 なんとなくセイがこぼす。

 この世界の物流は、陸運がまだ大勢を占めている。

 海は大陸棚までが人間の領域なのだが、それでもたまには魔物に襲われ、死者が出る。

 むしろ空の方が安全で、飛行種の魔物が出ない地域では、飛行船による移動がある。

 もっともそれは移動手段であり、輸送手段とするには格納量が少ないし、稀に生息域から外れた飛行種の魔物と接触すれば、破壊されることは間違いない。

 オーガスなどでは現在、戦闘力もある巨大な飛行船や飛行機の開発が進められているそうだが、まだ実験の段階である。



 というわけで、竜骨大陸から援軍をあまり出せないのも、この戦争が長く続いている原因の一つである。

 リアに言わせれば、自分が行けば単独で悪しき神々を全滅させることも無理ではないそうなのだが、悪しき神々自体は人種の敵ではあっても世界の敵ではない。

 神竜の立場からして、勝手に動くのは止められていたそうだ。

 これまでは。



 神竜の中でも古株のラナとテルーが、悪しき神々と、その生み出した新しい眷族の打倒を決めた時、既に未来は決まっていた。

 天の彼方で神々と神竜が戦っている間、こちらは地上でセコセコと、勇者たちの対策をするというわけだ。







 高速船の移動中には特に出来事もなく、一行は竜翼大陸へと足を踏み入れた。

 万が一の時にはラヴィが竜になって、船をつかんで飛んで貰う予定だったが、杞憂に終わった。

「くあ~、ここが竜翼大陸か~!」

 ククリが万感の想いで叫ぶ。

 彼の里のハーフリングで、竜翼大陸を訪れた者はいなかったそうだ。

 旅した距離と、作った詩の出来でハーフリングの偉さは決まる。

 ひょっとしたらククリは将来、あの里の長にでもなるのかもしれない。



 とにかく新たな大陸に足を踏み入れた一行だが、景観は一変していた。

 雪原が広がっている。

 海流の関係なのか、それとも神の悪戯なのか、竜骨大陸と同じ緯度とはとても思えない風景である。

 それでも港はあり、人はたくましく生活している。もっとも体毛の助けがある獣人が多いのは当然か。

 とりあえず港町でしたことの第一は、防寒装備の購入だった。



「この大陸では、神竜に挨拶したい」

 珍しく自分から言葉を発したラヴィは、精密地図の一点を示した。

 そこにはラヴィと同じ、まだ幼い神竜の住む聖域がある。



 星の神殿。

 星竜リーゼロッテの君臨する、まだ新しい迷宮である。

「地理的に考えると……まあ、少しだけの遠回りで済むかな」

 セイが出したラビリンスの地図によると、一度大陸の北部に飛ばされたこの大陸の勇者三人は、再び南を目指していた。

 大陸のほぼ中央にある迷宮に寄ってからでも、距離のロスは少ない。

「問題は、迷宮の難易度だな。神竜に会うことによるメリットは何があるんだ?」

 ただ会いたいというだけでも理由にはなるが、迷宮が難関で時間を取られるならば避けたい。

 それに対してラヴィは明確な返答をした。

「基本的に竜翼大陸と竜爪大陸の人種は、神竜を信仰の対象としている」

 まだ若い神竜、つまりラヴィとリーゼロッテは、百歳を越えた頃から迷宮を出て街や村を巡る事があったらしい。

 そして幼いながらも神竜である。その絶対的な力に触れれば、信者も生まれるというものだ。

 リーゼロッテの紹介があれば、竜翼大陸での行動が制限されることは、ほとんどないだろうとラヴィは言った。



 問題の迷宮の難易度だが、これもイリーナの黄金回廊に比べれば、月とすっぽんであるそうな。

 なにしろラヴィとリーゼロッテには、まだ眷属の竜がいない。身の回りの世話をしたりしてくれるのは、意志の疎通が可能な幻獣や、人種であるのだ。

 そんな人種が生活に困るほどの規模と難易度の迷宮は、まだ作るわけにはいかない。むしろ城や宮殿と呼ぶべき場所らしい。

 もっともそのせいで、ラヴィは悪しき神々に自分の迷宮を追われ、セイたちと出会うことになったのだが。



 しかし今思えば、あれは偶然のはずだが、どこか作為的なものを感じる。

 ラヴィがいなければ、セイたちの旅は大森林で終わっていたかもしれないのだ。

 あんなピンポイントにラヴィが転移したこと。

 何者かの意志が介在しているのでは、とふとセイは思った。

 その予想が正しいと知るのは、まだ後のことである。













 竜翼大陸で最も有名な迷宮は、星の神殿であろう。

 まだ迷宮としては新しいが、何より神竜の御座所である。

 重厚で壮大な建築物で、観光地としてもいいような場所である。

 しかし最も不可思議とされている迷宮は、星の神殿ではない。おそらくほとんどの者が一致して、その名を告げるだろう。



 時空迷宮。



 善き神々の中でも最上位に列せられる、時空神トラドが封印された迷宮である。

 もっとも彼は善き神でも悪しき神でもなく、中立の立場を示していたのだが。

 この迷宮の特徴としては、迷宮の中でどれだけの時間が過ぎても、外の世界ではほんの数秒しか時間が経過しない。

 リアの作った神聖なる時の部屋と同じ系統の魔法が発動しているらしい。

 そしてその内部は、入るごとに形を変える。地図殺しという異名のある迷宮なのだ。

 実質的に、短い時間で収穫を得るという意味では美味しい迷宮なのだろうが、そんな特徴もあって挑むものはそれほど多くない。

 そしてこの迷宮もまた、踏破した者はいなかった。

 そう、いなかった。過去形になるだろう。



 三つの人影が、時空迷宮の通路を進む。

 わずかな時間にもその内部構造が変化する、厄介すぎる迷宮であるが、その三人の足取りに迷いはない。

 いや、正確には三人と呼ぶべきではない。

 一人と二柱。

 大賢者サジタリウスと、神竜ラナ、神竜テルーの三者が、その迷宮を進んでいた。



(いくらなんでも過剰戦力だよなあ……)

 サージはそう思いながら、先頭を行くテルーの背中を見る。

 迷宮の魔物は姿を現す前から、テルーの威圧だけで即死している。

 背後のラナはまだ穏当で、せいぜい気絶させるだけだ。

 この迷宮を踏破するだけなら、この二柱で充分だろう。しかし神竜だけでは大げさになりすぎる事態を避けるため、サージが同行することになったのだ。







 サージは正直不満であった。

 彼は基本的に自由人である。転移魔法を使って世界を旅するのが、彼の日常である。

 しかし神竜ラナから直接頼まれたのでは、断るわけにもいかない。

 彼女の予知能力が、時空神トラドと接触する必要を感じていたのだ。

 それはあるいは、勇者の召喚や、悪しき神々の復活よりも、よほど大きな危険の予感。

 それは神竜の消滅にも似た感覚で、大崩壊の直前にも感じたものだ。

 そこまで言われたら、さすがのサージも協力しないわけにはいかない。



 まるで危険もなく、一行はトラドの封印された場所へとやってきた。

 門番はテルーの拳の一撃で即死し、重厚な門が開かれる。

 広大な空間の中には、ロダンの考える人のポーズで封印されたトラドがいて、思わずサージは笑ってしまいそうになった。

「来たか、神竜よ」

 トラドがわずかに身動きして、三者に視線を向ける。

 話をするのは主にラナだ。予知能力に優れた彼女は、同じく予知能力を持つトラドと話せる。

「トラド、何が起こっているのです?」

 静かな威圧感に、トラドは小さく身動きした。そして告げた。



「世界の終焉が迫っている」



 そして四者による、長い話が始まった。













 ガーハルト連合帝国の帝都。

 眠りから醒めたアルスはフェルナと一緒に、溜まった政務を片付けていた。

 そして重要事項の中では一番優先度の低い報告書を見て、軽く驚いた。そして頭を抱えた。

「ジークフェッドはまだ生きてるのか……」

「ええ、相変わらず迷惑な人間ですが、アルがどうにか手綱を握り、報告もしてくれますので」

 ジークフェッド・ラーツェン。3000年前から生きる、伝説の冒険者。

 三代目の勇者を保護し、水の神殿を踏破し、幼きハイエルフと共に異世界へと送った人物である。



 この男、一言で言うと女好きである。

 己の欲望に忠実で、特に色欲には限りなく忠実である。

 一説によれば彼が関係した女性の数は、4万にも及ぶとされる。

 人妻でもOKだが、ロリコンではないらしい。その辺りはまだ救いだろう。

 アルスとの面識もあり、共に戦ったこともあれば、争ったこともある。アルスからジークフェッドへ依頼を出したこともある。

 そしてアルスは、彼のことが苦手であった。率直に言えば、嫌いであった。



 アルス・ガーハルトは理性の人である。

 殺戮も人助けも、理性の上で行うことである。

 もちろん間違うこともある。人間だもの。

 そしてそれを反省し、分析し、次につなげる人間である。

 大魔王などという地位に立つからには、社会の仕組みをしっかりと守るのが重要だと思っている。



 ジークフェッドは自由人である。

 出身は戦災孤児であり、神聖都市の孤児院で育った。

 ここでも神官たちに多大な迷惑をかけていたらしいが、決定的であったのは、次期聖女候補の少女を、言葉巧みに騙して手篭めにしたことだ。

 さすがにこれはまずいのが分かっていたので、彼はそのまま神聖都市を出奔。

 生来の武芸の天稟に加えて、神聖都市で習っていた神聖魔法、さらには意外なことに他の魔法にも精通していたため、冒険者として成功した。

「あいつ『絶対悪運』持ってるから、近寄りたくないんだよな……」

 思わず溜め息を洩らすアルスに、フェルナも深く同意した。



 絶対悪運はジークフェッドの持つ祝福である。

 危険な状況に巻き込まれるが、自身は無事で済む。あるいは行く先々で厄介ごとが起こる。

 そんな面倒な祝福を持っている男が、3000年も生きているのである。

 何しろ彼は、『神殺し』だ。

 それに水の神殿を踏破した時には、ラナにこう言ったらしい。

「一発やらせてくれ」

 ラナがそれに応じたのかどうかは、判明していない。



 ちなみに地球からの転移者や転生者の彼に対する印象は、次のようなものである。

「ラ○スみたいな人間だな」

「女で仕事選ぶのは冴羽○みたいだな」

「D・Sですなあ」

「リアル在原業平」

 とにかく色欲の魔人であることは確かである。







「そんなアホが……竜翼大陸に行ったのか。なんで?」

 アルスの問いに、フェルナは肩をすくめて答えた。

「おそらく……まだ見ぬ美女を求めて海を渡ったのかと……」

「あいつ、いてもいなくても邪魔だしなあ。どうせ悪しき神々と戦うつもりなんてないだろうし」

 それでもまだ、初期の頃に比べれば、ジークフェッドの起こす騒動は控え目になっている。

 パーティー仲間のアルテイシアとマリーシアが、行動を誘導しているからだ。

 あのアホの世話を進んでやってくれている二人には、頭の下がる思いのアルスである。



 それはともかく、騒動元がセイたちと同じ大陸にいるというのは、なんだか悪い予感がする。

「アルには連絡をして、セイたちの邪魔にならないようにしないとね」

 3000年前の大崩壊、降りかかる火の粉は払うという程度に、ジークフェッドは動いた。

 だが大崩壊でさえ、彼には他人事だったのだ。アルスは最初から彼を戦力として計算していなかった。



 ちなみに……リアは大崩壊の後、ジークフェッドをオーガスで雇おうと考えたことがある。

 しかし一度対面しただけで、あとは逃げ通した。嫁たちも彼に会わせようとしなかった。

 彼女がそれだけの反応を示した男は、3000年の時の中でも彼だけである。



 竜翼大陸の魔族へ念話で連絡し、セイのサポートとジークフェッドの監視を命じた。

 必ず男が監視するようにと、注意を添えて。

 女だと手篭めにされる可能性が高いのだ。

 ジークフェッドの色欲は、交配が不可能な吸血鬼や三眼族にも向けられる。

 さすがに獣人レベルには関心がないらしいが、人狼は人間形態ならいけるらしい。

「何もないといいのですが……」

「いや、何かあるのは前提だよ。あとはそれを、いかに小さな規模に収めるか……。早く死んでくれないかな、あいつ……」

 大魔王二人は、深く溜め息をついた。

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