63 勇者たちの挽歌

「あああ……」

 長剣を握っていた両腕。その右腕が、半ばから断たれていた。

 セイは振り向き様、今度は左腕を狙う。

 金属音がして、セイの刀は弾かれた。



 切断された右腕は、まだ剣の柄を握ったままだ。憤怒の勇者は左腕だけの力で、セイの刀を弾いたのだ。

(これが憤怒か?)

 万能鑑定によると、確かに能力値が倍以上にまで上がっている。それこそ、片手で両手持ちの剣を使えるほどに。

 勇者が剣を振り回すと、切断された右腕が落ちる。少女の視線が怒りと共にセイに向けられる。

「殺す!」

 殺意をぶつけられたセイは、前に出た。

 片手で振り回される剣。おそらく今までにも、こんな窮地はあったのだろう。バランスを崩すこともなく、剣閃はセイを狙う。

 だが、拙い。

 どれだけ威力があっても、それは力任せの剣だ。そしてやはり、力だけではリアから伝えられた技には対抗出来ない。

 魔物や神々の眷属をいくら相手にしても、対人戦闘の経験が圧倒的に少ない。



 セイは防戦一方になった様子で、静かにその時を待っていた。

 憤怒。それは怒りの発動。

 脳内物質の分泌、周囲の魔力の吸収、そしてそれによる強化。

 見れば右腕の切断面は、既に血が止まっている。出血による戦意の喪失は、期待できないだろう。

 だがこれはセイの予定通りだ。怒りに我を忘れた勇者は、目を充血させてセイに剣を振ってくる。

 そしてその軌道が変化し、突きを放つ。セイはそれを避けなかった。



 勇者の剣が、セイの心臓を貫く。

 笑みを浮かべる勇者は、その一瞬油断した。セイは心臓を貫かれたまま、体を回転させて自分の肋骨で剣を絡め取った。

 呆然とした表情を浮かべる勇者の左手を、さらに回転したセイの刀が切断しようとした。

 憤怒の勇者はそれをかわそうとして、後ろに跳び下がる。しかし視界からは、セイの姿が消えている。



 短距離転移。



 ここにきて初めて実戦で使ったが、上手くいった。憤怒の勇者の背後に立ったセイは、彼女の左手を切断していた。

 舞うように動いたセイは、さらに勇者の片足を切断した。

 両腕と片足。これにて憤怒の勇者の無力化は成功した。

 完全復元の勇者が既に倒れている以上、あとは術式不要の勇者が、魔法で再生させるのを防げばいい。

 治癒や回復はともかく、復元や再生の魔法を使えるのは、残る中では術式不要の勇者ぐらいである。

 その術式不要の勇者は、ガンツを相手に有利に戦いを進めている。補助魔法を味方にかける余裕があるぐらい、術式不要の祝福は精神集中を必要としないものだった。



 だから最大戦力たる、憤怒の勇者を復帰させようとしたのは無理もない。

 しかしそこまで注意を他方へ向けてしまうと、必ず隙は出来る。

 そしてその隙を見逃さず、躊躇せずに突撃するのがガンツであった。

 体当たりで相手の姿勢を崩し、戦斧を鎧に叩きつける。

 金属の鎧がへこみ、肋骨が何本か折れた。

 ひゅうと空気が洩れて、術式不要の勇者は吹き飛ばされる。

 そして彼が見たのは、仲間である憤怒の勇者でなく、正面の敵であるガンツでもなく、心臓を貫いた剣を平然と引き抜き、こちらに向かってくるセイの姿であった。



 不死身。

 当然ながら、その祝福を、セイは隠蔽していた。

 心臓を破壊されながらもこちらに向かってくる敵は、術式不要の勇者にとって恐怖であった。

「な、なんで……」

 セイが駆け出し、ガンツが突撃する。二方向からの攻撃に、術式不要の勇者は対応しきれない。

 ガンツに対しては魔法の衝撃波で距離を稼ぐ。だがセイに対しては、一合と打ち合うこともなく、右腕を切断されていた。

 魔法の障壁を全く無視したセイの斬撃。

 思わず膝をつく勇者の顎を、セイは容赦なく蹴飛ばした。



 術式不要の勇者が失神し、残りの勇者は三人。

 次に向かうべきはどの相手か、セイは戦場を眺める。ガンツは魔法の連打がさすがに堪えていたのか、その場に座り込んだ。

 セイの視線に、残りの勇者が気付く。そして三人は同時に目の前の相手から距離を取り、武器を手放した。

「降参だ! 俺たちの負けだ」

 手を上げた三人は、敗北を宣言した。







 元々、それは決まっていたらしい。

 勇者が半数以上戦闘不能に陥った時、セイたちの人数が半分を割っていなければ降参する。

 それが非主戦派の提案であり、主戦派の勇者たちもそれは認めていた。

 魔法破壊、絶対感知、能力操作。

 この三人は絶対感知の勇者以外は主戦派だったらしいが、それでも決められたことは守ったのだ。



 重傷なのは憤怒の勇者とブンゴルであるが、死者は出ていない。

 イリーナに頼んでいた保険も、今回は使わずに済んだわけだ。

 完全復元の勇者の意識を取り戻させ、順番に治療させていく。

 憤怒の勇者の四肢がすぐさま生えてくるのは、ちょっと不気味なほどであった。



「あたしらの負けか……」

 憤怒の勇者が呟き、気絶した勇者も意識を取り戻す。

 地面に座り込んだ勇者たちは、皆がうな垂れていた。

「敗因は……やっぱり竜が味方したことかな」

 術式不要の勇者は、まだその場に留まって寝転んでいる竜の姿を見る。

「いや、そもそも将軍が参戦するのを許した時点で、間違ってたんやと思う」

 ちーちゃんの意見も間違っていない。接近戦でレイが完全復元の勇者を倒していなければ、憤怒の勇者が回復して、増加した能力でセイを圧倒したかもしれない。

 結局のところ、人数が足りていないことと、セイたちの実力を見誤ったことが大きい。



 敵を知り己を知れば、百戦しても危うからず。竜という想定外の因子と、セイやマコの偽装されたステータスが、やはり敗因と言えるのだろう。

 勇者たちは戦歴を積み、自分たちの能力はよく分かっていた。だからせめて、相手の数も自分たちに合わせるべきだったのだ。

 考えていくと、色々と敗因はある。その全てを統括すると、情報不足という一つの言葉であらわされる。

 セイたちは勇者たちの取り巻きから、彼らの実績や戦闘について訊いて回っていた。対して勇者たちは、ククリとマコの控え目に表現された冒険を信じた。

 勝つための舞台を整え、当然のように勝った。それだけである。







「それじゃ。帰ろうか」

 それまで皆を率いていた勇者の二人が意気消沈しているので、仕方なさそうにちーちゃんが声を上げた。

「マコっちは、まだ残るんやんな?」

「まあね。一人はこちらにいないと、地図が使えないし」

「あたしらん中でも何人か、協力した方がええんちゃう?」

 これまでに対峙した勇者とは違って、この七人は実戦経験も豊富で、レベルも高い。完全復元や万能結界、術式不要などの後衛の祝福は、確かにセイたちの戦力になるだろう。

 セイとマコが不死身に加えて、高い回復力を持っているためこれまでは問題としなかったが、回復の専門要員がいないのは確かなのだ。

「大丈夫だよ。なんたって不死身なんだから」

 マコが力強く握り拳など作ってみせると、それでも不安そうな顔をしながら、ちーちゃんは溜め息をついた。



「絶対やで。必ず無事に戻ってきいな」

 そう言い残して、ちーちゃんは地球に帰還した。

 残りの勇者も複雑そうな顔をしながらも、おとなしく地球に帰っていく。

 最後に残った憤怒の勇者も、セイに物騒な視線を向けながらも、地球へと帰還した。



「さて、これで俺たちの仕事は終わったんですけど……」

 セイが眺めるのは、いったんは散り散りになった傭兵たちと、それと対峙する魔王軍である。

 魔王軍の先頭にはレイが立ち、その両翼には10を超える数の、レベル100オーバーの魔族が控えている。

「ああ、君はよくやってくれた。残りの集団の始末は任せたまえ」

「まさか、皆殺しとかしないですよね?」

 魔王軍が正規軍としたら、傭兵は盗賊に近い存在だ。果たしてレイがどう処理するのか、心配がないではない。

「心配するな。勇者は別格としても、傭兵の中にも功績を上げた者は多いし、まとめ役はいる。荒廃してしまった大地だが、また再興させるのが次の私の役割だ」



 レイの言葉はおそらく嘘ではないだろう。悪しき神々との戦いで荒れたこの大陸は、これからは復興の段階に入る。

「まあ、それでも血の気が多いやつがいれば、迷宮に放り込むなりなんなり、方法はある」

 ぽんぽんとセイの頭を叩いて、レイは微笑んだ。

「さあ、君たちはまだ役目があるのだろう? 後のことは任せて、そちらに注力したまえ」



 セイは頭を下げると、仲間たちの元へ向かった。

「あとは任せろってさ。俺たちはじゃあ、またいったん師匠のところへ戻るわけだけど」

 ルイともここでお別れだ。短い間だったが、戦力的にはとても頼りになったし、ためになる話も聞けた。

 視線を受けて、ルイは優雅に頭を下げた。セイも頭を下げる。

「それじゃあ、ありがとうございました」

 セイが転移石を使うと、一行はその場から消えた。



「ようやく終わったか……」

 戦乱は終わった。だがここから復興が始まる。

 その前に傭兵どもをどう扱うか、難しい問題もある。それに……レイの寿命は尽きかけている。

 長命のダークエルフとしても、3400年というのは平均の3倍を超えている。最近少しずつ、死が迎えに来ているのを感じる。

(アスカ一人に任せるわけにもいかないし、なんとか基盤だけでも整備しないとね)

 決意も新たに、レイは目の前の傭兵共に向き直った。







 ドワーフの里。

 リアの店の前に、七人は戻ってきていた。

「今だから言えるけど、七人も揃っていてくれて、結果的には助かったよな」

「そうだね。アフリカ大陸中を探してたら、またどれだけ時間がかかったか……」

 マコは同意するのだが、ククリは少し不満のようだ。

「もっと色んな場所へ行ったら、詩の題材になったのに」

 そうは言うが、優先順位は彼もちゃんと分かっているのだろう。



 店の扉を開けると、カウンターで帳面を見るカーラの姿があった。

 こちらに顔を向けて、柔らかな笑みを浮かべている。

「お疲れ様でした」

「ただいま帰りました」

 ここはセイの家ではない。

 ただ自然と、そんな言葉が口から出ていた。



 夜になって、鍛冶場からリアも帰ってくる。

 セイたちを一瞥すると、笑みを浮かべる。

「なかなかの経験だったようだな」

 食事の準備が整い、全員が椅子に座る。地味にブンゴルの巨体が邪魔だ。

「勇者もですが、オリハルコンゴーレムが手強かったですね」

「黄金回廊のあれか。私も手伝って作ったんだよな。どうやって倒した?」

「魔力を無茶苦茶こめて虎徹で斬りましたよ。師匠がオリハルコンを斬るところは見ていましたから」

「ほう……」

 それを聞いたリアは、少し凄みのある笑みを浮かべた。







「さて、これからの旅路だが」

 畳の上に地図を世界地図を広げ、ラビリンスの地図と比べる。

「この里から少し南西の街に、列車の駅がある。そこからオーガスの首都、マネーシャに向かってもらう」

 おそらくはその首都に、一人の勇者がいる。

 だが不思議なことに、ラビリンスの地図におけるその勇者の点は、きわめて弱い光を放っている。他の勇者とは明らかに違う。

「実は私も時間を見つけては、マネーシャを探索してみたりもしたし、王やギルドにも依頼を出していたんだが、まだ捕まったという知らせがない。つまりこの勇者の祝福は……」

「『絶対隠密』……」

 マコが呻くように言った。



 絶対隠密。つまりは絶対感知の対極にある祝福である。

 自らの存在を認識させない。レベルが低い場合は気配を消す程度だったが、ある程度レベルが上がってくると、目の前に立たれてもその存在を認識出来なくなっていたという。

 それをなんとか示してくれるラビリンスの地図は、まことにありがたいものである。

「お前のマップに表示されないと……かなり難しいことになるな」

 セイのマップは、ここまで大いに役立ってきた。これがなければ勇者の探索は、倍以上の時間がかかっていたかもしれない。

「今までとは全く違う能力が要求されるかもしれん。大変だろうが、頼むぞ」

 腕組みをして眉をひそめるリアに、それでもセイは強く頷いた。







  竜牙大陸編  了

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