52 剣闘士
カラスリ半島、コルタ公国。
海に面した交易で栄える都市国家であると共に、この街には他にあまりない施設が存在する。
闘技場である。
この世界ではまだまだ戦争の形が近代以前の場所が多いため、剣術や槍術、または拳闘などといった武術が実戦のものとして存在する。
だがそれは、銃や兵器の発展で、少しずつ過去のものとなりつつある。魔法と組み合わせれば、それでもまだ一線の兵力ではあるのだが。
しかしその廃れつつある武術は、血なまぐさい出し物としては、これ以上ない娯楽である。
コルタの闘技場では魔物同士、人間と魔物、はては人間同士の対決が行われ、それに熱狂する人々がいる。
そんなコルタの闘技場に、最近一人の少年が現れた。
まだ十代半ばの少年だが、瞬く間に闘技場の頂点に立った。
その彼の異能は、相手の攻撃を受け流すことにある。
剣であっても、盾であっても、相手の攻撃を吸収してしまうのだ。
圧倒的な強さに民衆は熱狂するが、一部の者だけは知っている。
彼の祝福が、その強さの原因であると。
「うは、ついに出会ったよ『慣性制御』」
セイは呻く。白兵戦で戦ったなら、かなり面倒くさい相手である。
「姉弟子、慣性制御ってなんだ?」
ブンゴルの質問に、セイは答えられない。
マコも同様である。一応彼女はネオシスでの検証結果を知っているのだが、それを言葉にすると次のようになる。
「運動エネルギーの消失……かな?」
変わらず納得出来ないのはガンツやククリも同じで、ライラも首を傾げている。
「たとえば、だ。ブンゴルの今の武器は戦鎚だよな? それはどうやって使う?」
「そりゃこう、振りかぶって叩きつけるのが普通だ」
「それを、戦鎚が俺の体に触れた状態からならどうする?」
「……重さと力で押しつぶす」
「どっちが難しい?」
「そりゃ、振りかぶった方が楽だ」
「その、振りかぶるという動作の意味をなくすのが、慣性制御の一つだな。詳しいことは俺も分かってない」
慣性を制御するということは、地球でも概念上のものであり、ネアースの方が魔法で実現できる分、進んでいると言える。
時空魔法や創世魔法など、存在はするが原理に至っていない魔法が多いので、まあこれも今更ではある。
ちなみにこの祝福は、リアにかなり評判が悪かった。
対抗するのが難しいのではなく、武器での戦闘で圧倒的に有利になるからだ。
「でもこれ、完全な上位互換の祝福があるんだよね……」
マコが言うには、完全に外れの祝福と受け止められていたらしい。
もっとも魔法が使用不可な闘技場のルールでは、確かにかなり使えるだろう。
かの少年剣闘士はマッサという名前で登録をしているそうだ。
本名は山根正敏だから、名前を略しただけだろう。
「さて、どうやって接触するか……」
「っていうかさ、今から試合するみたいだよ?」
ククリが闘技場の受付で調べてきてくれた。相変わらず仕事が速い。
「じゃあ、見ておくか。あんまり参考にはならないだろうけど」
そして一行は一人銀貨一枚という微妙な金額を払って、闘技場の中に足を踏み入れた。
「なんだこりゃ……」
闘技場の観客席は、貴賓席と一般席に分かれている。
どうせ観衆など、むさいおっさんばかりだと思っていたのだが、女性も相当に多い。
これはあれか、スポーツ選手に群がる女どもの同類か。
「まとまって座れるところはないね。適当に分かれようか」
ガンツは前の方に座ってかぶりつきになるが、他は後ろの方で立ち見である。
試合はどんどんと進んでいくのだが、そのたびにライラの表情が歪んでいく。
「ねえ、他の種族の趣味にケチつけるのもなんだけど、これって野蛮じゃない?」
「同感だな。俺もそう思う。というか、戦ってみたいなんて思うのは、ガンツとブンゴルぐらいじゃないか?」
「ああ良かった。他の種族が全部こんなんだと、かなわないわ」
「まあ、血の気が多いやつのいい気晴らしにはなるんだろうけどね」
それにしても、見世物としてもこれはどうなのだろうか?
闘技場内は完全に魔法の結界が張られ、魔法で身体能力を高めることも禁じられている。
単純な技術と力の勝負となるのだが……セイの能力値であれば、魔法の補助がなくてもまず負けないのではないか。
試合は進み、本日のメインイベントとなる。
西の入り口から進み出てきたのは、2メートルを超える戦斧使いのオーガ。
そして東の入り口から出てきたのは、両手に剣を持つ少年であった。
「あ、山根君だよ。間違いない」
「そうか。まあ、能力自体は問題ないな……」
ベースレベル、技能レベル、共にそうたいしたことはない。せいぜい剣術が少し高いぐらいか。
しかし慣性制御自体のレベルが10まで上がっているのは問題だろう。
「さて、どういう戦い方をするのか……」
セイは一瞬たりとも目をそらすまいと、マッサに注目する。
そして気付いたのだが、用いる剣が、厚刃である。
(どういうことだ?)
その疑問は、すぐに解消された。
試合開始と同時に、マッサは両手に剣を持ち飛び出した。
その攻撃を、オーガは戦斧を細かく使うことで防ごうとしたのだが、予想以上の衝撃に体勢を崩した。
そこにもう片方の剣が襲い掛かり、オーガを傷つける。
つまり、そういうことである。
慣性制御は、運動エネルギーをなくすのではなく、操作する。こちらの攻撃の運動エネルギーも加えられているのだろう。
「これは……魔法を使わないと勝てないんじゃないかな……」
セイの眼下で、オーガの戦士は血まみれになっていく。
剣は踊るように動き、戦斧の動きを止め、次第にオーガの動きは鈍くなっていく。
止めをさすことなく、オーガの出血による昏倒で、勝負はついた。
「弱いよね」
「ああ、弱いな」
とりあえず宿に戻って食事などしているが、マコとセイの見解は一致した。
「そうだな。いくらなんでもあのオーガは弱すぎだ」
ブンゴルは賛同するが、セイとマコの見解は違う。
「弱いのは、勝った方だ」
「もちろんオーガさんも弱かったけどね」
「そりゃ、姉弟子たちが強すぎるだけじゃ……」
「それにしても、相手は弱いんだよ。問題は……」
「完全に順応しちゃってるね……」
そう、問題はそれなのだ。
かつての覚醒の勇者のように、マッサはこの世界――闘技場という場に順応しているように見えた。
「まあ、地球では普通の男子だったしね」
剣闘士というのは、ある意味花形の職業である。
腕一本で稼ぐという意味では、探索者や冒険者よりも戦闘力に特化し、そして名声というか、ちやほやされるのはその比ではない。
「どう接触するかなあ……」
セイが悩んでいるのは、まずその点だ。
闘技場の花形剣闘士に接触する。そして説得して帰還させる。
言葉にすればそれだけなのだが……帰りそうにない。
「ここはあたしがやってみようか」
マコが言い出して、作戦を立てた。
「槍というのは、刀よりも習熟が早く、しかも戦争では有効な武器だ」
そう言っていたのは、刀狂いの師匠であるリアだった。
セイはその時、何度目の死から目覚めて、それを聞いていたのだと思う。
「師匠は、刀が一番強いと思ってるんじゃないんですか?」
その問いに対して、リアは軽く首を振った。
「古い刀が地球で現存していたのは、使われなかったからだ。槍にも確かに名槍と呼ばれるものはあるが、刀に比べると消耗品、つまり実用で使って残らないものだったんだな」
リアは刀に対する執着を持ちながら、素人には槍が向いていると言ったものだ。
「刀の方が技術は多い。携帯も楽だしな。だが実際の戦では、私も槍を使ったほうが多いぐらいだ」
3000年前、総大将にも関わらず騎兵の先頭に立って戦った人の言葉である。
「だがなんといっても最大の理由は、単なる趣味だ」
槍の方が刀より強い。
そう意味がとれることを、リアは言っていた。
「山根君! 久しぶりだね!」
どこかであったようなパターンで、マコはマッサの前に立った。
街路を歩くマッサは両手に花の状態で、舎弟のような用心棒のような男も侍らしていた。
その前に現れた、槍を持った少女。何処から見ても……なんだろう?
「え? 椿さん?」
「選びなさい! 私と戦わず素直に地球に戻るか、私に負けて嫌々地球に戻るか!」
「え? ごめん、意味が分からない」
「問答無用!」
槍を構えたマコに、護衛のようは男たちが立ちふさがり、そして一瞬で弾き飛ばされた。
「え? なんで?」
そう言いつつも、マッサは双剣を構える。マコに敵意はないが、明白に武器を向ける相手である。この世界の常識としては、こちらも武器を持つのが当然である。
マコは槍を振りかぶり、そして振り下ろした。
マッサの剣が、それを受け止める。運動エネルギーを失った槍は、その一本の槍とマコの筋力だけでマッサの剣と対抗する。
だが、ここに槍のギミックが加わるとどうなるだろう。
重量増大。
普通武器の取り扱いにおいては、軽量の方が立ち回りは有利である。しかし質量が必要な武器も当然ある。
マコの槍は、普通の戦鎚の数十倍の重さを加えた。
マッサの剣は下がり、マコの槍は彼の頭を強く打った。
「あぐ……」
ぴよぴよ状態のマッサの鳩尾に、マコは石突の部分を突き入れる。
慣性制御が効かなかったのか、マッサはその場に倒れ伏した。
「ではさらば!」
マッサを肩に抱え、呆然とする周囲の人物をスルーして、マコはその場から走り去った。
「あのさ、もっといい方法があったと思うんだよ」
意識を取り戻した山根君は、とても嫌そうな顔でマコを睨んだ。
「ああ、俺もそう思うよ」
宿の一室に拉致された山根君に、セイは事情を説明した。
その後の第一声が、それであった。
「だって山根君、スターみたいだったじゃない。地球に素直に帰ってくれるか疑問だったんだよ」
「世界の危機なんて言われたら、普通は帰るよ」
「悪いね。前に駄々こねて帰りたくないって言ってたやつがいてさ」
「ちなみに俺が帰りたくないって言ってたらどうしてた?」
その問いに対して、セイは嫌そうに答えた。
「殺してたよ。この世界に来て、誰も殺さずに済まそうなんて思ってない」
「あんた、魔法使いか?」
「魔法戦士かな。だから正直、強引に君を帰還させる方法は、いくらでもある」
その言葉に、山根君は天井を仰いだ。
セイは自分がまた勇者たちを殺せるか、疑問に思っている。だが一度は殺したのだ。もしまたそういう状態になったら、殺さなければいけない。
「分かったよ。帰るよ」
承諾した山根君は、それ以上は何も言わなかった。
「っていうか、馬鹿なの? アホなの? 死ぬの?」
山根君を帰還させた後、マコに対してそう言ったセイは、盛大に溜め息をついた。
「もっと穏便と言うか、人目に触れない方法があっただろうに……」
「で、でも解決は早かったよね?」
そう、事態解決にはスピードが命。それは基本方針だ。
「だからと言って、闘技場の花形選手を真昼間から拉致するなんてねえ……」
ラヴィの転移で、既に一行はコルタ公国を後にしている。
「あとこの辺りでいる勇者は一人だけか……」
「これで残りはちょうど半分だね」
「そっか、旅もこれで半分終わりか……」
どれだけ過酷で長い旅も、終わりが見えてくると寂しくなる。
「でもまだまだ先は長いよ。大陸三つが残ってるし」
「そうだな。じゃあ油断しないように慎重に、進むとするか」
山の道を馬車は行く。
この旅が終わったとき、自分が何を感じるのか。
セイは少しだけ不安になった。
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