41 魔境の氾濫

「うわ~、こんな物があったなんて……」

 ククリが立っているのは、土を魔法で究極まで固めた城壁の上である。高さはおよそ50メートルといったところか。

 人間相手なら充分と言える城壁なのだが、クオルフォス曰くこれでもまだ安全ではないらしい。

「まあ、他の種族がここへ来ることはまずないからな。君は幸運なハーフリングということだ」

「おいらとしては、伝説のハイエルフに出会えただけで、充分に幸福なんですけど」

 クオルフォスは微笑を浮かべながら、城壁の向こうを眺めている。

 おそらくは意図的に作られた、城壁と魔境の間の空白地。

 そこに向かって今、魔境から魔物の大群が湧き出ていた。







 ようよう姉ちゃん、ちょっとレベルアップしてみない?

 そこまで軽くはなかったが、クオルフォスの言葉は事態の重要度を表してはいなかった。

「うわ~、出てくる出てくるよ~」

 マコもここまでの光景は予想していなかったのだろう。膝ががくがく震えている。

「昔から、弱い魔物は西へ、強い魔物は北へ出てくるのだよ。おそらく魔素の濃度の関係だと思うが」

 クオルフォスの言葉はのんびりしたもので、城壁の上のエルフたちにも無駄な緊張はない。

 入念に準備して、獣を狩る。それ以上のものではないのだ、彼らにとっては。



 勇者を帰還させた後、クオルフォスが告げたのは、魔境からの魔物の氾濫が、大森林へ向かってきているとのことだった。

「神竜であれば危険もあるまい。せっかく魔物が向かってきてくれるのだ。レベルアップのいい機会だ」

 そしてクオルフォスはライラに命じてガンツとククリを里へ呼び寄せ、セイとマコ、ラヴィの5人に、魔物を一緒に狩ろうぜと提案したのだ。

「……弓?」

「使えないの?」

 ドワーフのガンツには、エルフの弓は長すぎる。

「仕方ないわね。これを使って」

 ライラが渡したのは弩である。これならガンツも使える。折角の彼の筋力は無駄になってしまうが。



 そして他の面子は魔法での攻撃に専念する。ククリは弩でさえ重くて使いづらいので、補給部隊をしながら見学だ。まあ、いい詩の題材になるだろう。

「魔物はおよそ100万前後。まあ一人で100減らせば済む。それほど難しくはないだろう」

 すぐ横でそんなことを言っているクオルフォスだが、魔境から出てくる魔物のレベルは、どれも50はある。

 対するエルフの戦士たちは1万ほどで、レベルはほとんどが100を超えている。精霊術に魔法も使えるようで、おそらく大国の軍団でも相手に出来そうではあるのだが、いかんせん数が少ない。

「レベルアップ酔いになりませんか?」

 強固な城壁に魔法の遠隔攻撃と言っても、それだけがセイは心配だった。

「まあ、9割がたは私が引き受けるから、問題にはならないだろう」

 クオルフォスはそう言って、セイの背中を叩く。

「折角だ。君の魔法を合図に、迎撃を始めよう」

 そう言われたセイは、己の知りうる中で、最もこの状況で有効な魔法を選択する。

 詠唱付きだ。少しでも魔力の消費を抑えるため、無詠唱は使いたくない。







 長々とした詠唱が朗々と響き、そして魔法が発動する。

『流星雨』

 実戦で使うのはもちろん、訓練でも使ったことはない。広範囲の戦略級魔法。

 一発でごっそりと魔力が抜けていく。そして回復が始まる。

「なかなか派手な魔法を選んだものだね」

 クオルフォスはのんびりと言うが、セイはそれどころではない。

 この魔法の危険性は、さんざんカーラも教えてくれた。それに使い勝手がひどく悪い。

 戦争か魔物の氾濫以外では、ほとんど使いようのない魔法なのだ。逆に今こそ使いどころとも言えるが。



 天空から、赤熱した隕石が降ってくる。

 何十、何百、何千。あるいはそれ以上に。

 セイのマップのぎりぎりに、それは落下した。



 魔境が削れていく。

 クレーターが出現し、頑強なはずの魔物を数千単位で倒していく。

(やば、レベルアップ酔いが……)

 想像したはずのそれは、なぜか来なかった。

 クオルフォスの手が、セイの背中に当てられている。そして、その手がセイを支えているのだ。

「魔素の吸収をコントロール出来れば、レベルアップ酔いなど起きないんだよ」



 爆風が城壁を襲い、魔境の樹木と魔物の死体を叩き付けていく。

 どれだけの強度があるのか、それにも城壁は耐えている。

 衝撃波を避けエルフの戦士たちは身を屈め、そしてそれが過ぎ去った後には、魔境がえぐれていた。

「こんな魔法、神相手にしか使いようがないよ……」

 セイはそう言ったが、魔境の中央をえぐっても、左右からはまだ魔物が進撃してくる。

「ならば左右は私が引き受けよう」



 クオルフォスの周囲の魔力が動く。だがそれは魔法ではないような発動をした。

『炎の精霊王』

 炎の巨人が2体現れ、魔物の群れへと突っ込んでいく。

 炎に焼かれて魔物は死んでいく。そして炎は木々に延焼し、生き残った魔物も焼いていく。

『大地の精霊王』

 地面が裏返り、魔物の群れを飲み込んだ。

 炎の蹂躙を避けた小さな魔物が、それで命を絶たれていく。



 圧倒的だった。

 魔物たちの数が、圧倒的だった。

 これだけ減らしても、まだ半分以上。魔物は残って進撃を続けている。

「さあ、じゃあ君の出番だ」

 クオルフォスが軽く叩いたのは、ラヴィの鱗。

 神竜の姿となったラヴィが、魔力を高めていく。

 攻撃は予想できる。誰もが知っている、世界で最も強大な破壊の力。

 神竜のブレス。



 ラヴィの口から放たれた光が、地平線を薙ぎ払った。







「圧倒的ではないか、我が軍は……」

 わざわざフラグを立ててみたセイだが、戦況は変わりようがなかった。

 こちらには敵の密集地を狙って放たれる大規模魔法があり、こぼれた魔物もマコやエルフの戦士が、魔法と弓で殺していく。

「なんていうのかな……すごく作業的です」

 マコはそう言って、ガンツも頷く。

 ククリは既に詩にする準備か、ぶつぶつと呟いている。



 それにしても、規模はこちらより小さいとは言え、よくもケータはこんなのを相手にしたものである。

 もし地球に帰って出会えたら、どちらが凄かったか話し合ってみたいものだ。

「はいこれ」

 ライラが渡してきたのは、ガラス瓶に入った液体だ。

「何これ?」

「MPポーション。回復したら、もう一発さっきの撃てるでしょ?」

「いや、魔力はもう回復してるよ」

「え? あんな魔法使って?」

「……修行のおかげでね。魔力はすぐ回復するようになってるんだ」

 思い出す修行の日々。普通に眠りに就くより、殺されるか気絶する回数がはるかに多かった日々。

「へえ、凄いのね」

 そう言うライラも、風の魔法で魔物を大量に狩っている。

 エルフのイメージ通り、彼女はあまり火魔法が得意ではないようだ。もっとも、火力ではやはり火魔法が一番効率的なのだが。



 立ち上がったセイは、戦場跡というよりは、巨人が無節操に耕したように見える大地を見やった。

 まだ魔物の数は残っている。それでも、当初の3割ほどには減っている。

 これだけ無駄に侵攻して、まだ進もうという意図が分からない。

「いつまで続くんですか、これ」

「全滅するまでだよ。一度氾濫した魔物は、死に尽くすまで止まらない」

 クオルフォスはそう言って精霊を使役している。精霊術、これはどうも魔力はあまり使わないらしい。ただ体力を微量に使うようだ。

「じゃあ、もう一発いきます」

 そう言ってセイは、本日二度目の流星雨を使った。







「ああ、どうやら今回の騒ぎの元凶は、悪しき神々のようだね」

 そう言ったクオルフォスの視線の先を見つめても、セイには何も見えない。

「千里眼を使ってみたまえ。神の姿が見えるはずだ」

 術理魔法の千里眼。実は焦点を合わすのが難しい魔法だったりする。

 それでもセイが見つけたのは、魔物の群れの向こうにある、3体の巨人。

「巨人ですか?」

「うむ、あれが神だ」

 周囲の樹と比べると、おそらく身長は50メートルを超えるのだろうが、はっきりとは分からない。

 そしてなぜか、鑑定が出来た。レベルはどれもおおよそ200前後。相手にするには厳しいだろう。



「倒してみるかね?」

 軽い口調で、クオルフォスは言った。

「まさか。俺たちのレベルは、最高の俺でも165ですよ」

「私が削って補助すれば、さほどの問題はないだろう」

 クオルフォスはどうもセイたちに神と戦ってほしいらしい。だが、その意図は何なのか。

「何か、俺たちに戦ってほしい理由でもあるんですか?」 

 率直に尋ねると、ごく簡単な理由が返ってきた。

「レベルアップしてほしいだけだ。今後も世界を巡るなら、強さが必要となる場面は必ずあるだろう」

 本当にそれ以上の理由はないといった態度で、クオルフォスは言った。

 確かに、レベルが上がるのは安全である。



「相手は神と言っても、下級の神だ。神竜であれば幼くとも勝てるだろうし、君の不死身を突破する方法もない。そちらの彼女は、私が見ておこう」

 神にも階級があるのか。それは確かに、テレビで見た雲にも達する神とは、力の差はあるだろう。

 マコに目で問うてみると、彼女は頷いた。

 ラヴィは分からないが、否定はしていない。

「分かりました。やってみます」

「そうか、それでは周辺を片付けよう」



 クオルフォスの精霊術が、風と炎となって巨人の周辺を蹂躙していく。

 足場をしっかりとさせるため、大地が平坦になっていく。なんとも大規模な魔法だ。

「では行くとしようか」

 クオルフォスの言葉と共に、セイとマコは宙に浮かんだ。

 どういう仕組みなのか分からないが、風圧を感じることもない。精霊術は相当に役に立ちそうだ。

 ラヴィがこちらから見て左の神へ向かっていく。

 中央をマコ、右をセイが引き受ける。それぞれの間隔は広いが、神の巨大さで少し感覚が麻痺している気もする。

「さて、戦闘開始だ」

 刀を手に、セイは神に立ち向かった。

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