第二部 神竜の騎士 イストリア
39 大森林へ
セイたち一行は、いったんアクアの都市に戻った。
ここで食料や飼葉を念のために補給し、馬の体調を整え、次の行き先を決めるためだ。
「距離的にはイストリアなんだけど……」
イストリア王国は広いが、王権の及ぶ範囲は狭い。
なぜならエルフの支配する大森林と、開発の手が入っていない魔境を領有しているからだ。
大森林は事実上エルフの支配下にあり、過去何度か行われたイストリアの侵攻は、全てあっさりと退けられている。
今では交易で友好関係を築いているが、エルフが排他的というのはそれほど間違った印象ではない。
だが、そこに一人、確実に勇者がいるのだ。
不死身の祝福を持つ、精神を病んでしまった勇者が。
「北レムドリアは魔境の開拓をした方が、長期的に見ていいんじゃないかなあ」
「その通りだが、大概の人間は目の前のことしか見ないものだしな。それに大自然が残されているということは、それだけリソースが残されているということだ」
リアも通信で加わっての会議である。
「移動するのは大変ですけどね」
「……お前らがラヴィの転移を使わないなど、私も気付かなかったんだ」
そう、今では移動は主にラヴィの転移に頼っている。
大湿原から都市連合の南端へ。そこから数度の転移を繰り返してアクアへ。
何度も繰り返すことで、ラヴィの転移も精度が上がっているようで、本人もちょっと得意そうに見えるのは……たぶん見間違いだろう。
「でも、山の中とか森の中には転移出来ないよね?」
ククリの問いに、ラヴィは頷く。
都市連合からイストリアに行くには、魔境と大森林を通過する必要がある。そこには道はない……はずである。
「4000年前とか5000年前にはあったかもしれんが、そんな古い道は既に森に埋もれているだろう」
実際にリアにもらった精密な地図にも、そんな道は載っていない。
「海岸沿いを行くしかないのかな……」
一応、海岸沿いに街はあるらしい。もっとも、主な交通手段は船らしいが。
「考えてみれば、海の上に転移した勇者がいなくてよかったですね」
「普通転移の魔法には、そういう無茶な場所を避ける術式が組み込まれているからな。今のところ大自然の中で迷って死んだ勇者はいないだろう?」
なるほど、そういう便利なものなのか。
確かにこれまでの勇者は、なんとか人里へ自力で辿り着いている場合が多い。…マコのような例外は除く。
「じゃあ、船で行くしかないですかね」
「そうだな。交易船があるはずだから、金に物を言わせて乗せてもらえばいい」
そういうことで、船を探すこととなった。
「見つけたよ」
あっさりと見つけてきてくれたのはやはりククリであった。
大型の船で、ストアという大森林間近の街に寄港するらしい。馬を乗せることも、料金は高いが承諾してくれた。
大商人の御用船で、相当吹っかけられたが、金には問題ないのだ、この一行は。
「海……」
珍しく何かを言おうとしてぷるぷる震えているガンツだが、その意図がつかめない。
「ああ、ドワーフは泳げないんだっけ」
ククリがそう言うと、ものすごい勢いで頷いた。
「悪いけど、これ以上有効な手段がないんだ。我慢してくれよ」
おそらくものすごい勇気を振り絞って、ガンツは頷いた。
「うーみだー!」
とりあえずといった感じで叫ぶマコ。まあ、気持ちは分からないでもない。
前回に来た時は、勇者への対策で、ろくに海も見ていなかった。
「やっぱり綺麗な海だなあ……って、そうでもないかな?」
アクアの街の下水は、ほぼ浄化せず海に垂れ流しである。
そんな街の海が美しいはずはなく、まあせいぜいが日本の海と同じぐらいの透明度である。
「あんたらが、お客さんかね? 子供ばかりだなあ」
船員が部屋を案内してくれたが、やはりそう見えてしまうものか。
ケイオスがいてくれたありがたみを、今更ながらに感じる。
4人部屋に5人が入れられるが、文句も言えない。これ以上条件に合った船がなかったのだ。
「フォルダの中に、魔法の船でも入れておけばよかったかな」
「セイ、どちらにしろ運転できる人がいないよ……」
少し現実逃避をするセイの背中を、ぽんぽんとククリが叩いた。
色々と不満と不安がある海の旅だが、それほど問題はなかった。
船酔いの可能性も考えたが、そもそも揺れるのは馬車で慣れていたし、酔い止めも飲んでおく。
夜には港に寄港するので、そこでリフレッシュも出来る。
特にガンツには、揺れない地面というのが必要らしかった。
「あ~、あれが魔境かあ」
甲板に上がり、セイは海岸にまでせり出している森を見つめていた。
「レムドリアでも聞いたけど、魔物の氾濫があったんだよね。中身はどうなってるんだろ」
「そういやそうだったな。都市連合の方は大丈夫みたいだったし、まあ風物詩なんじゃないかな」
レムドリアも都市連合も、もう過ぎ去った場所としてセイの中では完結している。
だがククリは少し考えていたらしい。
「あのさあ、魔物の氾濫とかの裏に、邪神の手が伸びてたりしないかな?」
「え……いや、そんな余裕があるなら、地元にその戦力を投入するだろ」
邪神たちの勢力と、人間、亜人、魔族の勢力は竜爪大陸では邪神有利、竜翼大陸では拮抗、竜牙大陸では人間たちが有利に戦っている。
ここで戦力を竜骨大陸に割く意味があるのだろうか? 竜骨大陸は確かに安定しているが、他の大陸の邪神に対抗している国に、軍事力を提供しているわけではない。
「冷静に考えると、お前の言うとおりだ」
通信機で連絡を取ると、リアはそう言った。
「だが待て。ちょっとバルスの記憶を探す……そうだな、魔境にはそこそこ強力な悪しき神が、何柱か封印されている」
「え、まずくないですか?」
「悪しき神々は基本的に連携して動かないからな。邪神や魔神あたりは相当賢いらしいが、わざわざ他の神を復活させようとはしないだろう」
悪しき神々は、基本的に身内同士でも争いあうことが多かったらしい。
何故かと言うと、アホだから。
それに比べるとまだ、善き神々はマシらしい。人間に敬ってもらえると、それだけでそこそこ満足するからだ。
それでも勇者召喚の儀式を伝えるという、度し難い神がいるのだが。
「まあ、お前の考えることではないよ。本当にやばくなったら私が……いや、ラナの方が動くかな? あいつはリザードマンと約束しているらしいし」
「リザードマンの集落は安全なんですか」
「ああ、仲間だったリザードマンの心配か? それなら大丈夫。ラナはリザードマンを守るからな。私がオーガスを守るように」
何かが、世界の裏で動いている気がする。
だがそれは、セイの関知することではないのだろう。セイはこの世界の住人ではない。求められるのは、勇者の帰還。
「ククリは文句を言うかもなあ」
そんな呟きと共に、セイは甲板から船内へと戻っていった。
「ああ、動かない地面……」
ストアの街の地面に四つん這いになり、ガンツは彼にしては珍しいほど長い言葉を紡いでいた。
「ほらほら行くよ。さあ立って」
街から出て、馬車を出す。久しぶりの地面に馬たちのテンションも高い。
「さあ、行こうか」
箱馬車に乗って、一行は大森林への細い街道を行く。
そしてその夜には、街道の終点の村に着いた。
「短っ!」
思わずセイは叫んでしまったが、この村は時折エルフが訪れるらしい。
そしてエルフとの交易のため、小さな商店もある。宿もある。
風呂はなかったが、村の外れに風呂魔法で風呂を作った。久しぶりにゆっくりと汗が流せる。
「う~ん、極楽極楽」
マコのおっさんくさい言い方にも、セイは同意するだけだ。
ほっこりとして宿の女将さんにエルフの里への道を訊くと、意外な答えが帰ってきた。
「え? エルフの里には入れないよ」
なんでも特殊な結界が張っているらしく、エルフの里に行こうとする人間は、必ず迷って元の場所に戻るらしい。
「ちょっとそれっぽくなってきたね」
鼻息荒くマコは言うが、迷いの森を進む方法など、あるのだろうか。
「エルフなら知っているらしいけど、おいらも知らないよ」
物知りのククリが知らないというなら、神竜様はどうであろうか。
「多分、行ける」
ラヴィはこてんと首を傾げながらもそう答えた。
大森林へ進む準備をする。
何しろこの森、大森林と言われるだけあって、ものすごい広さがある。
北海道の面積の10倍を軽く超えると言えば分かるだろう。まあ普通に歩いて突破するには無理がある。
そして馬車も使えない。
森の中である。道なき道を進むということはなく、なんとなく道筋はあるのだが、馬車が通るのは無理だ。
そして馬も使えない。ククリとガンツに加え、ラヴィも乗馬の経験がない。
すると徒歩しかないわけだ。無理である。
何ヶ月かかけて突破をするなら可能であろう。食料と水を充分にして…いや、現実を見るべきだろう。
これは現実的に見て無理であると言っていい。
「という訳で、助けて下さい」
「まあ、確かに歩くのには無理があるか」
リアがエルフに用事がある場合は、普通に空から訪れていたという。
転移も使えない。エルフの結界が強力すぎるので、下手に破ると大きな被害が出るのだという。
「エルフの人はどうやって外と交流してるんですか?」
「まあ、森の浅い部分に住むエルフもいるし、あいつら空間曲げてくるからなあ。だけどこっちは空間曲げられないんだよ。エルフの結界の作用で」
「じゃあ、無理じゃないんですか?」
「だから、空から行けばいいだろう」
「俺、飛ぶ魔法は教えてもらってませんよ?」
「ラヴィの背中に乗せてもらえばいい。まだ若いとは言え、お前たちが乗るぐらいなら大丈夫だろう。馬は村に預けていけばいい」
ラヴィの背中に乗る。つまりは竜になってもらうというわけだ。
神竜。この世界の秩序を守る者。
だが実際の姿を見た者はいない。リアの真の姿すら、セイは知らないのだ。
「ラヴィ、そういう訳で頼む」
「女の子はいいけど、男の子は嫌」
セイの頼みに、ラヴィは予想外の答えを返した。
「え、それはどうして?」
「嫌だから」
「……」
ラヴィは無表情だが、その意志は硬いらしい。
「あ~、確かに私も男を乗せるのは、どちらかというと嫌だなあ」
通信機で連絡を取ると、リアもそんなことを言った。
「何か理由があるんですか?」
「元男のお前には分かると思うが、男に乗られたらどう感じる?」
「そりゃ……嫌ですけど、乗られるだけですよね?」
「嫌なことには変わりないだろ? 歴史に残る人を乗せた竜は多いが、ほとんど女だな。まあオーマみたいに気にしないやつもいるんだが……」
竜ごとにその度合いは変わるらしく、運の悪いことにラヴィは絶対に男を乗せたくないらしい。
「というわけで、二人にはここで待っていてほしい」
セイの言葉に、ククリが反対した。それはもう、彼の持つ語彙の全てを込めて反対した。
反対の理由が、彼もエルフの里を見たいから、というのだから無視してもいいのだが。
「だからな、ラヴィが嫌だって言ってる以上、方法がないんだよ」
次にククリはラヴィを全力で説得するのだが、ラヴィはククリの言葉を右から左へだ。
意志が硬いと言うより、もうほとんど本能的なものなのだろう。
半日をかけた説得を諦めたククリは、せめてエルフの里を詳細に見てくるように、セイとマコに頼んだ。
吟遊詩人の彼としては、それだけは絶対に譲れない線だったのだろう。
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