38 大湿原

 大陸の南東部には、大きな湿原が広がっている。

 そこはリザードマンの王国だ。広い地域に多くの部族が住み、互いに連絡を取っている。

 人間や魔族の侵攻も受けたことがない。ただでさえ湿地で軍が動かせないことに加え、領土化しても旨みがないのだ。

 一応魔物が棲む領域があるので、そこで狩った素材や魔石を人間の商人と交換するため、交流が完全にないわけではない。

 だが人間の文明を導入するには、湿原はあまりに広く開発が難しいため、有史以前からこの地域は、リザードマンの文化が変わらず残っている。



 そして今、セイたちは歩いていた。

 湿原の近くまでラヴィに転移してもらい、そこからは馬車を収納して、馬を引いて徒歩である。

 本当なら湿原の中でも、地図の点がある近くに移動したかったのだが、それはケイオスが反対した。

「湿原の中には底なし沼も多い。そんな中に転移してしまっては、身動きが取れずに死ぬ」

 なるほど、セイが不死身であっても、底なし沼にはまっては…いや、土魔法でどうにか出来るとは思うが、他の皆が大変だ。

 そこでケイオスを先頭に、比較的しっかりした土地を、一行は移動しているのだ。



「これは…文明のレベルが違うとかどうというレベルじゃないね…」

 マコが言うと、セイも頷く。今までに見た他の国々と比べても、ここは異質だ。リザードマンしかいない。

 そしてセイが驚いたのは、言葉が通用しないということだった。

 もちろん共通語が使えるリザードマンもいる。だが集落から出ない彼らには、6000年以上も前から使っている特有の言語が残っているのだ。

 ケイオスが話せるのはもちろん、勇者であるマコも、万能翻訳の祝福で会話が出来る。

 だが他の4人は話せない。ラヴィは念話というテレパシーのようなものが使えるので問題ないが、それでも半数は喋れないのだ。







 湿地をケイオスが先頭で進む。すぐにリザードマンの部族と遭い、会話をして去る。

「何を言ってたの?」

「いや、なぜ他の種族がいるのかと言われただけだ。だが問題ない。どうやら件の勇者は、全部族にその存在が知らされているようだ」

「へえ、結構広い土地なのに、そんな連絡網があるんだ」

「いや、水竜ラナ様からの神託が、各部族の巫女に伝えられたそうだ」

 水竜ラナ。リアがオーガスの面倒を見ているように、かの神竜もリザードマンを守護している。

 その最初の理由は既に昔過ぎて分からないが、とにかくラナは信仰され、それなりの恩寵を与えているということだ。

 ラナは勇者が転移した際、すぐにその者を保護することを命じたらしい。

 ケイオスの部族ではないが、彼も知っている部族に、今は保護されているという。



「きっついなあ…」

 セイは夕食を食べながらそう呟いた。

「うむ、かなり無理があるだろうな」

「おいらもちょっとやだな…」

「そうだね、あたしもこれは…」

 ガンツは無言だが、どこか沈痛な色を表情に表している。

 全く何も変わらないのはラヴィだけだ。



 野営を決めたセイだが、近くの集落のリザードマンが、うちの集落に泊まってもいいと言ってくれたのだ。

 じめじめした湿地よりはマシだとお言葉に甘えたのだが、見かけたリザードマンの生活は、正直…原始的なものだった。

 採取、狩猟を食生活の中心とし、さらに獲物は基本生で食べる。

 味付けは何もないか、塩。

 ここに飛ばされた勇者は、保護されたということ以外はかなり運が悪かっただろう。

 ケイオスもリザードマンの生活が、他の種族とかけ離れていることは分かっているのだ。



 翌日も湿地を歩き、地図と合わせて進路を取るのだが、これが上手く行かない。

 沼や池、道のない部分が多くあるため、直線でそこを目指せないのだ。

「先に私の集落に着くな。そこで案内が出来る者がいないかどうか聞いてみよう」

 故郷に帰って来たケイオスは、かなりご機嫌の様子である。

 しかしこの環境から離れて異国を旅し、また元の環境に戻るのは辛いのではないだろうか。

「ケイオスは、やっぱり部族に帰るの?」

 そのセイの問いを、ケイオスは少し違った意味で捉えた。

「心配するな。湿原が終わるところまでは送っていく」



 ケイオスの旅は、終わろうとしている。

 それはそうだ。元はリザードマンのくせに水の魔法が使えないという、通常ならありえない欠陥を補うための旅だったのだから。

 この戦士は本来、集落で狩りを行い、湿原の中で生涯を終えるはずだったのだ。

 即ち、彼とはここでお別れだ。

 歴戦の戦士、頼りになる兄貴分。それがいなくなる。

 セイだけでなく、皆が同じ気持ちを共有しているだろう。いや、ラヴィは分からないが。







「暑い…」

 襟元に空気を入れながら、セイは呟く。

 既に大湿原に入ってから10日が過ぎたが、次第に気温が上がってきた。

 防具に温度調整の機能を付けてくれていたリアには大感謝である。

 地味に密林のような場所もあって、そこには魔物が棲むという。

 そして馬の調子も悪くなってきた。一応飼葉はちゃんと用意してあったのだが、普段食べるような青草があまりない。そもそもこんな、高温多湿の地域で生息する生き物でもないのだ。

 これはケイオスがいてくれなかったら、道に迷って詰んでいたかもしれない。



 そして大湿原に入り込んで15日後、ようやくセイたちはケイオスの部族と接触した。

 セイの知らない言語で、集落の者に声をかけるケイオス。

 それに応えてそのリザードマンも発音するが、やはり分からない。

「なんて言ってるの?」

「う~ん、久しぶりだな、兄貴。帰ってきたのか、弟よ。って感じ」

 あの喉を鳴らしたような声に、そういう意味があるのか。

 祝福を持っていなければ、人間がリザードマンの言語で会話するのは不可能かもしれない。そう考えると、流暢に共通語を話すケイオスは凄い。

「皆、付いて来てくれ。長に話を通す」

 ケイオスの先導で、一行は集落の奥を目指す。ちなみにさっきのリザードマンも、それに付いて来る。

 喉を鳴らしたような声でリザードマンが問いかける。それにケイオスは首を振る。

 マコが顔をしかめたので、またセイは意味を訊いてみる。

「その馬は食べ物かって…」

 確かにこんな湿地では、馬を活用する方法などないだろう。

 住環境の違いが価値観の違いにつながるのだと、セイは思った。



 長の住居も、他の住居とほとんど変わらない造りだった。せいぜい入り口に、植物で飾りがあるぐらいだろうか。

 あまり広くもないので、セイとマコ、そしてククリが入る。ラヴィとガンツは馬のお守りだ。

 長も共通語は使えないので、自然とケイオスが通訳することになる。

「その勇者は、ここから一週間の距離にある集落で、保護されているということだ」

「だが病気なのか疲労なのか分からないが、体調を崩しているらしい」

「リザードマンの治癒では治らないので、困っているということだ」

「その集落まで案内出来る者がいるので、明日にでも出発しよう」



 ケイオスの言葉に、一行は納得する。この環境で日本人が生活するのは、本当にきつい。

 それもセイたちのように準備を整えているわけではなく、ほとんど心づもりもなく転移で飛ばされたのだ。

 リザードマンは、正直言って、顔が怖い。

 その中で人間が唯一人生活するのは、相当のストレスになるだろう。



 その後も、帰って来たケイオスのために簡単な宴を催そうと言ってきたらしいが、それはケイオスが止めたようだ。

 勇者を保護し、帰還させる。その後に集落に戻ってきたら、その時はぜひ騒ぎたいと言ったらしい。

 大湿原から都市連合の土地へは、ラヴィの転移が使える。

 つまりケイオスとは、勇者を帰還させた時点でお別れだ。







 早朝、既に湿度で暑苦しさを覚える中、一行は出発した。

 案内してくれるリザードマンは、ケイオスの兄らしい。だが、本当に兄だとは限らないということ。

 ここまできて判明したのだが、リザードマンの文化は、本当に全く人間とは違う。

 まず、両親の概念がない。

 同じ繁殖期に卵から生まれた子は、全て兄弟で、その年に卵を産んだ全てのリザードマンが全て、母となって育てる。

 同じ部族で繁殖する弊害は分かっているらしく、一人前のリザードマンになったら他の部族に婿入りするか、嫁入りするのが大半らしい。

 ケイオスも帰って来はしたが、おそらく他の部族に婿に入るだろうということ。

 根本的な価値観が人間と違うので、最初は本当に戸惑ったものだと、ケイオスは笑った。



 目的地への道のりで、ケイオスは多言だった。

 リザードマンの文化に関することや、セイの剣術に関することなど、色々と話をした。

 本来ならリザードマンは、槍を使うのだ。金属を使うことはほとんどないので、ケイオスが鎧をまとっているのも、実は不自然らしい。

 そんなケイオスは、既に鎧を脱いで腰ミノをつけるという、部族本来のスタイルに戻っている。

 やはり腰ミノぐらいは付けるのかと、セイはなんとなく頷いたものだ。



 そして一週間が過ぎた。

 途中で魔物や、危険な野生動物に襲われるというハプニングもあったが、戦闘面ではさほどの苦労はなかった。

 集落の入り口でケイオスがリザードマンを捕まえ、件の勇者の話を聞く。

 一行はやはり長の住居に案内され、簡単な説明を受けた。



 水竜ラナの神託に従い、勇者を保護したということ。

 住居を一つ与え、食料も提供したのだが、リザードマンとは食べれるものが違って、段々と弱っているらしい。

 言語が通じないので、精霊を媒介とした、簡単な意思の疎通を行っているということ。

 今はほとんど立つことも出来ず、与えられた住居の中で寝ているとのことだった。

 マップと鑑定を合わせて見ると、勇者の状態は「衰弱」となっている。



「ギリギリだったかな」

 セイはすぐにその勇者の住居へ案内される。

 既に位置は分かっている。そして祝福も。

『絶対魔法防御』

 ありとあらゆる魔法の攻撃を防ぐという、リアやカーラに言わせれば、全く役に立たない祝福。







「全く役に立たない…ですか?」

「だってお前、物理的に殴れば死ぬんだぞ?」

「えっと…接近戦の能力を上げまくれば、そこそこ役に立ちませんか?」

「じゃあお前、自分は魔法もなんでもありで、刀だけの私に勝てると思うか?」

「…無理ですね」

「念のため攻略法を教えておくと、足元に巨大な落とし穴を作れ。魔法自体は防げても、魔法で作った地形には意味がない。高低差で殺せる」

 リアだけでなく、カーラも同じ意見であった。もちろん集団で戦うならそれなりに役に立てる祝福だが、一対一なら何も問題はないと。

 これに封印で自分の魔法を封印されたりしたら、かなりの強敵になるのかもしれないが、封印はそもそも単独で強力な祝福だ。

「勇者の祝福は、一対一を前提とした祝福が多いな。無限魔力や即死眼は多数相手に使えるが…」

 どちらにしろ、邪神や魔神相手には全く役に立たない。封印された善き神々の愚かなことよと、リアは乾いた笑みを浮かべていた。



 結局、この祝福は対策を得る必要さえなかったわけだ。

「竹田君、大丈夫? 地球に帰れるよ!」

 朦朧とした意識の少年に、マコが強い声をかけている。

「あ…椿さん? なんだこれ…夢か…」

 少年の額に帰還石をくっつけると、セイも耳元で怒鳴る。

「帰りたいと思うんだ! 地球に帰るんだ!」

「ああ…帰りたいな…」

 小さく、だが確かに呟くと、少年の姿は消えていった。



「終わったか?」

 住居の中をケイオスが窺う。それに対してセイは、大きく息をついた。

「終わった。なんとか帰せたよ」

「そうか…」

 住居から出てきた二人に、ケイオスは声をかける。

「それでは、ここで別れだな」

 その声の優しさに、セイとマコは泣きそうになった。



「転移、大丈夫?」

「一度通った道なら問題ない」

 確認されたラヴィは、相変わらず抑揚のない声で応えた。

「ククリ、この中で一番旅慣れているのはお前だ」

「分かってるさ。任せておきなよ」

 ケイオスの言葉の意味を、ククリは正確に理解している。

 戦闘力には問題のない人間が揃っているが、旅はそれだけでは済まない。



「ケイオス…」

 セイ、マコ、ククリ、ガンツと、ケイオスは握手していく。

 ラヴィは指先をちょっとだけ握った。

「ありがとうケイオス! 元気で」

「こちらこそありがとう、友よ!」

「じゃあ行く」

 ラヴィの宣言で、一行は転移した。

 誰もいなくなった空間を、しばしケイオスは見つめていた。それに対して、どうしたのだ弟よ、とリザードマンが声をかける。

 なんでもない、とケイオスは応えた。リザードマンの言葉では、この感情を言い表せられないだろうと思ったから。







 神竜の騎士という物語がある。

 原典はハーフリングの詩らしいが、世界を駆け巡り冒険をした騎士のその物語は、人間の間でも広く長く親しまれた。

 その中に、騎士の仲間として一人のリザードマンが出てくる。

 リザードマンの社会では埋没したその名は、皮肉なことに人間の中で長く伝えられた。

 その名はケイオス。勇敢で誇り高い戦士と。



   レムドリア編 了

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