37 怒りの聖女
神殿に並ぶ、人の群れ。
「何これ……」
マコは唖然とし、セイはひどく納得した。
「昨日から並んでる人がこんだけいるんだってさ。あ、おいら何か食べるもの買ってくるね」
ククリはすかさず列を離れる。まあ、いてもらっても意味がないので、それはいいのだが。
「毎日数千人治して、それでも並ぶのか……」
セイは考え込む。万能治癒の能力が聞いた通りなら、半日でこれを全部捌けるのだろう。
「意外と軍隊にとっては、一番有用な祝福じゃないのかな」
戦争による軍事力の低下は、死者だけでなく負傷者によるものも大きい。それを完全に治癒できるなら、邪神たちとの戦いでは一番必要とされるのではないか。
もっともその場合、暗殺の危険度が上がる。少数精鋭の悪魔に襲わせれば、おそらく殺せる。
時間になると、人の群れが動き出した。
ほとんど停滞なく、順調に進んでいる。出口から出てきた人々は、皆一様に明るい顔をしている。
途中で衛兵から、注意がなされる。どれだけ感謝しても、すぐに出口へ進むこと。治らないなどということは想定してないらしい。
「まあ、そうなんだろうな……」
神竜でも出来ると聞いているので、不思議はない二人である。
むしろ神竜でも出来ないことを教えてほしい。
列は順調に進み、神殿の奥が見えてきた。
ほとんど作業的に、聖女が病人や怪我人を癒している。
「本当にすぐ治るんだな。俺もあれほしいな」
「不死身のくせに何言ってるんだか」
マコは勘違いしているが、不死身で高速で再生すると言っても、痛いものは痛いのだ。
瞬間的に治るなら、その方がいい。まあ無理な話だが。
神竜のくれた祝福も、万能治癒より不死身の方が上だろう。仲間がいると、万能治癒もありがたいが、既に致命傷を負っていても息さえあれば治癒できるまで、治癒魔法は教えられている。
そういえば蘇生魔法は教えてもらっていない。やはり聖女のように人が周りに集まりすぎるのを考慮したのだろうか。
考えてみれば試練の迷宮を踏破した時もそうだった。パレードなどのタイムロスがなければ、あの三人は戦争の前に帰還させることが出来たのだ。
だがそうするとラヴィと出会わなかった可能性もある。まあ過去は過去として、これから活かせばいいことだ。
……あれ? ラヴィの転移を使えば、この旅って相当ショートカット出来るんじゃね?
ラヴィに確認する必要がある。いくらいい馬車でも、整備されていない街道を行くと尻が痛いのだ。
セイがそんなことを考えている間に、順番は回ってきた。
「次の方」
「桂木さん、椿真子だけど、覚えてる?」
聖女様に話しかけないでくださいと護衛が言っているが、マコはガン無視である。そして聖女の方は、激烈な反応を示した。
「椿さん! ああ、良かった。他の皆は……」
「帰る手段が見つかったんで話したいんだけど、どうかな?」
「ええ? ええ! 今日の午後、時間を空けますから、元首の館に来てください。話は通しておきますから!」
護衛の衛兵に背中を押されながらも、マコはひらひらと手を振っていた。
「もう少しだからね~。頑張ってね~」
ほとんど叩き出されるような感じで神殿から出たが、接触には成功した。
「さて、あとは午後まで待つだけだけど」
マコはあの反応に良好なものを感じているが、セイは少し気になることがあった。
「すぐに街を出る方法を考えておいた方がいいな」
「え? なんで?」
「聖女を消したと思われる俺たちが、どういう扱いを受けると思う?」
その言葉を理解したのか、マコが目に見えて落ち込む」
「面倒だね……」
「ラヴィの転移がどれだけ使えるかで、面倒の差は激しく違うな」
確認しよう。それから策を考えるが……いざとなったら強行突破だ。
適当な物資を補充したら、昼近くになった。
元首の館を訪問する前に確認したら、ラヴィの転移はあまり使い勝手が良くない。
見える範囲ならほぼ確実に。行ったところもまず間違いなく転移できるが、地図で転移をしたら、かなりずれる場合があるとのこと。
それでも脱出の手段として、セイとマコ、それにラヴィの3人で、元首の館に向かった。
武装はしていない。完全な丸腰であると周囲には見えるだろう。実際は二人のアイテムボックスに収納されているのだが。
また何か予想外のことが起こるかと思ったが、3人は普通に元首の館の別館に通された。
部屋に控える侍女がこちらをちらちら窺ってくるが、その視線の先はラヴィである。
完全な白い髪と赤い瞳と言うのは、この世界でも珍しいものだ。
そしてそういった物珍しさを超越した、石像のような表情のない美貌。
(神竜って別嬪だよなあ)
ラヴィをマコ越しで見ながら、そんな関係ないことをセイは考えていた。
リアもあれで美人は美人だったし、最初にこの世界に来たときに見た神竜は、小汚い格好をしていたオーマを除いて、皆美人だった。オーマもあれは、磨けば光る素材だ。
(するとカーラ先生は、人間ではぶっちぎりに美人だなあ)
竜殺しの聖女の詩を聞いた後も、セイのカーラに対する評価は変わらない。
いわゆる一つの、完璧美人である。
「遅いなあ」
「まあ、本来なら貴族とかを治療してる時間なんだろ? ゆっくり待てばいいさ」
そう言ってすぐに、廊下から複数の足音が響いてくる。
侍女がドアを開けると、聖女が飛び込んできた。
その後ろには護衛が4人。咄嗟に鑑定して見たら、レベルが70もあった。
「椿さん、良かった、会えて。それで早速だけど帰る手段って――」
「ここからは日本語で話しましょう」
聖女の勢いを止めて、セイは言う。
これから話すことは、聖女の消滅に関することだ。周囲の護衛に聞かせるとまずい。
よって日本語で話す必要がある。なんといっても日本語が通用する地域は少ないのだからして。
「椿さん、この人は?」
「話すと長くなるんだけど、地球の神様に頼まれて、君たちを帰還させるために来たんだ」
セイの言葉に聖女は喜色満面で、話の続きを促した。
勇者の存在が、双方の世界にとって害悪であること。まずこれを話した。
聖女はショックを受けたが、納得はしたようだった。
もう一度確認したが、聖女の帰還の意思は間違いない。
「ギルドの隅で治癒してたころはまだ良かったのよ」
聖女は鬱憤を吐き出し始めた。
格安で治癒をする。これは民間の治癒士との軋轢ともなったのだが、呪い付きの高名な冒険者を治癒したことで、身の安全は確保出来た。
「ここに連れてこられてからは最悪だわ。聖女に相応しい品格をとか、あたしはただの一般人だっつーの!」
生活レベルは良くなったらしいが、行動の自由が制限された。
「街に出ることも出来ないし、いつでも護衛が付きまとう。一日の半分はアホの貴族の治癒に回されてさ。自業自得の成人病のデブなんて、さっさと死ねばいいのに」
う~ん、それは納得出来る意見である。
「まあ、庶民が癒されて感謝されるのはいいんだけど、キリがないのよね。あたしは一生ここで聖女として生きていくのかなんて考えると、死にたくもなったわよ」
大げさな身振りでいかに自分に自由がなかったのか、彼女は続けて言った。
「だいたい毎日働かせるなんて非常識よ。この世界には休日の概念もないのかっつーの。ブラック企業でももう少しマシじゃない?」
実際には働いているわけでもない。ただ、手をかざせばそれで治るのだ。
「便利な道具みたいなもんよ。それであたしが何か要求すると、それは聖女には相応しくないとか言われてさ。まあ下手に敵を作るとまずいと思ったから、我慢してたのよ」
そこで聖女は、ものすごく冷たい目をした。
「それにさ、あたし3回ほど食事に毒を混ぜられていたのよね」
おそらく政治に関することだろう。死の病に取り付かれた貴族を癒したことで、その政敵の恨みを買ったのだ。
「もちろん自分で普通に解毒出来たんだけど、それに気付くまでの苦しみは辛かったわ」
ふーと聖女は息を吐いた。
「とりあえずあたしの話はこんなとこ。治癒マシーンとして毎日を送っていたわけなんだけど、そっちはどうだったの?」
マコが餓死直前で保護されたというところから、話は始まった。
「そりゃ辛いわね。食事抜いたら死ぬんでしょ?」
「死ぬまではいかないけど、一日でほぼ動けなくなるからね」
そこから他の勇者を探す旅に出たのだが、盗賊となった少年の話で、眉をひそめた。
「……殺しちゃったの」
「言い訳するなら、相手は盗賊として何人も殺していたから、殺した」
「ひどい話だわ。こんな誰も頼れない世界に飛ばされて、盗賊に身を落とすしかなかったなんて」
聖女の価値観からしても、悪いのはセイたちらしい。だが責めるわけでもない。人を殺したら、殺される可能性も考えないといけないだろう。
それに分身の能力を考えたら、犯罪に手を染めなくても、色々な手段はあったろう。
都市連合地方に来てから、戦争に巻き込まれた勇者の話もした。
「あ~、やっぱり戦争に巻き込まれるわけね。ちょっと状況が変われば、あたしも戦争に連れ出されるかもね」
「いや、それはないと思うよ」
セイの言葉に、聖女は目をぱちくりとした。
「自分たちの病気を確実に治してくれる聖女を、前線に向かわせるわけがない」
貴族ならば普通はそう考えると、セイは言った。
「吐き気がするわね……」
同意したのか、聖女は何度も頷いた。
「さて、早速帰還させたいんだけど、ちょっと問題があってさ」
聖女の存在を消すことによって、セイたちがどうなるか分からないということを説明した。
「最悪逃げ出すことは出来るんだけど、上手い手段はないかな?」
「う~ん……」
聖女は考えるが、そう簡単に上手い手段など考え付かないだろう。セイたちもそうだったのだ。
「まあ、それなりの舞台装置を用意しましょうか。その帰還石ってのを額に当てて念じればいいわけでしょ?」
「そうだけど、いい考えが?」
「最善じゃないとは思うけど、あたしの意思で帰るということを、伝えておいた方がいいと思うんだよね」
聖女の言葉は頷けるものだ。
「元首閣下は忙しい? 緊急の要件があるんだけど」
護衛に言葉をかけると、すぐに部屋を飛び出していく。
それを横目に、聖女は彼女の考えた舞台を告げた。
元首の執務室に、聖女と3人は案内された。
「これは聖女様、緊急の要件と聞きましたが……」
ちらちらと背後の三人を見やって、元首は問うてくる。
髪型も口髭もきっちりとセットした、少壮の紳士だ。だが貴族の見た目は信用出来ないと、既にセイは知っている。
「帰還の時が来ました」
先ほどとは全く違う、芝居がかった声で聖女は告げた。
「私はこれより、本来の世界に帰ります」
それは願いでも要求でもなく、宣言。
途端に元首の顔色が変わる。
「それは、どういうことですかな」
「言葉の通りです。本来私はこの世界にいてはいけない存在。やっと迎えが来たのです」
元首は平静を装いながら、立ち上がって聖女の方へ歩いてくる。
それに対して、聖女は手を上げた。
「そこまでです。近づいてはいけません。あなたも巻き込まれます」
実際はそんなことはないのだが、貴族の自己保身の心が、元首の歩みを止めた。
「遠くの世界から、あなたたちを見守っています」
そこで聖女はセイに向かい、セイは帰還石を聖女の額に当てる。
帰りたい。そう願うだけで、聖女の姿はそこから消えた。
「聖女様が……」
元首は沈黙していたが、護衛たちは激しく狼狽していた。
聖女。この国にとっては、元首などよりもはるかに尊い存在。
それが消えた。
「お前たちは何者なのだ……」
元首が搾り出すように言った。消えた聖女を追うならば、まずその原因になったであろう、目の前の存在から情報を引き出さねばならない。
聖女は帰還と言ったが、高度な転移魔法にも思えた。目の前の少女3人から、その秘密を探る。なんとしてでも。
聖女の存在は、政治的なカードとしても有効に使えるのだから。
「問われたなら答える。私はラヴェルナ」
珍しく前に出て、ラヴィが告げた。
「天竜ラヴェルナ」
「ふざけるな! 聖女をどこへやった! あれは代わりのきくものではないのだぞ!」
元首の怒りにも、三人の少女は動じた様子はなかった。むしろ呆れたような顔で、元首を見つめてくる。
「彼女の言った通り。勇者の存在はこの世界に危機をもたらす。よって帰還させた。二度とこちらへは来れないし、来たとしても聖女としての力は失っているだろう」
珍しく長文で喋るラヴィだが、見た目の説得力は、彼女が一番高いのだ。
「聖女が失われただと……。そんな……」
うろたえながらも、必死で何かを考えている元首。それに対して、ラヴィは告げる。
「私たちの用は済んだ」
ドアに近づこうとする3人を、護衛が咄嗟に阻止する。
「ラヴィ、転移を」
頷いたラヴィが魔法を行使する。当然のように無詠唱で、強大な転移の魔法が発動する。
館の結界を突き破り、3人は一気に都市の城壁の外へと移動していた。
「よし、かなり近いな」
セイは周囲を確認する。門から少し離れた場所で、既に馬車は待機していた。
3人が乗り込むと、それなりのスピードで発車し、草地から街道へと合流する。
「追っ手が来ないかなあ」
「その余裕はないと思うけど、最悪ラヴィにまた転移を使ってもらうさ。大丈夫だよね?」
「大丈夫」
一行は南へ向けて逃走し、結局追っ手が現れることはなかった。
ミレネスの広場には銅像がある。
かつてこの街に天から降臨したという、癒しの聖女の像だ。
彼女は無償でありとあらゆる種族を区別なく癒し、そして天からの使者と共にその故郷へと帰っていったという。
聖女に癒された高名な冒険者の声で、有志が資金を集め、聖女の銅像を立てた。
それはやがて伝説になり、この街を訪れて己の健康を祈る者が絶えなかったという。
聖女の人間としての人格は、全く伝わらなかった。
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