27 封印の勇者

 約束の日、セイはマコを伴い、クライアの王城を訪れた。

 そして見事にリアの予想した通りの展開となった。



 そもそも、北レムドリアの侵略は、食料を確保するための要素が強い。今回も東にある集落で略奪を行うと、速やかに退いていった。

 他の物資や人間も略奪していくのだが、それを奪い返すほどの力は、連合にはない。

 あったとしてもその気にはならないだろう。軍を編成して侵攻し、北レムドリアと対決する。これほどの労力に見合ったものは得られないのだ。

 もちろん長期的に見れば愚策である。東方の地域の農民は田畑を捨て、都市に流れ込む。そして多くはスラムの住人となり、治安は悪化する。



 さて、治安が悪化した状況で、凄まじい力を持つ腕利きの護衛を、権力者は手放すだろうか。

 答えは否である。



「そのような訳で、もう少しだけリョウを傍に置いておきたいのだ。すまぬ」

 講和がまた破られそうで、紛争が激化するかもしれない。そこで権力者の暗殺などが起これば、また治安は乱れるだろう。理由はそんなところだった。

 下手に出るようでいて、全くこちらとの約束を守っていない。セイは己の甘さを知った。

「しかし前回の約束では、10日後には彼を解放すると仰っていましたね?」

 にこにこと笑いながら、セイは約束の部分を強調する。

「まことに申し訳ないが、国家のためにはリョウの力は得がたいものであるのだ。もう少し、時間がほしい」

 具体的な期間も口にしない。おそらくこの男の器量では、連合を確固としたものとし、北レムドリアに対抗することは無理なのだろう。

 隣で怒っているマコを制して、セイは言った。



「国家をその双肩で支える閣下の立場は理解出来ます」

 セイは沈痛な顔をして、グエルスに同情してみせた。

「しかし我々も、以前に言った通り、勇者を放置しておくわけにはいかないのです。下手にこのまま勇者を抱え込んでいると、竜の怒りを買うかもしれません」

「竜など……」

 グエルスは肩をすくめて笑った。

「こちらには勇者がいるし、軍もある。古の伝説の竜に襲われても、そうそう屈することはない」

 そう考えたネオシスは滅ぼされたのだが、しょせん他人事なのだろう。神々と戦っている国を滅ぼすほどの力を持つ竜のことを、軽く考えすぎだ。

「分かりました」

 セイは諦めた。

「しかし彼自身に注意しておかなければいけないことがあります。少し三人だけで話をしても構いませんか?」

「うむ……」

 しばしの逡巡の後、グエルスはそれを了承した。







 部屋の外に一名、天井裏と床下に3名ずつ。

 セイのマップには、それだけの人員が隠れているのが分かった。

(なるほど、師匠は賢い)

 座ったリョウに対面したのはセイである。少年はマコの視線から逃げるように、セイだけに注意していた。

「坂本君、転移してからのことを教えてくれるかな?」

 セイの説得は、迂遠な部分から始まった。



 リョウは比較的、恵まれた状態からスタートした。

 クライアのすぐ近くに転移し、街に入った。冒険者ギルドに登録し、仕事を探した。

 絡まれることもあったが逆に相手を叩きのめし、使える冒険者だと認知された。

 受ける依頼は主に護衛。討伐も考えたのだが、魔物を解体して魔石を回収するだけでも面倒そうなので、護衛を選んだのだという。

 何度か無事に任務を果たし、少し余裕が出てきた頃。

 盗賊の襲撃を受けた。

 暗闇の中の戦闘で、リョウは奮戦した。だが運悪く、依頼者の一人を誤って殺してしまったのだ。

 状況からして、法的にリョウが罪に問われることはなかったが、クライアに帰って彼は呆然とした。

 それは己の賞罰欄に刻まれた、殺人の記述である。



 依頼者の説明もあって、この国でリョウが罪に問われることはない。だが彼が街に出入りする際には、必ずその確認がなされるようになった。

 その少しの面倒さが、彼を堅実な護衛任務から遠ざけることとなった。

 街中での依頼なら問題はないし、討伐の依頼でも、大きな獲物なら面倒を省みても、充分収支はプラスになる。

 しかし殺人という賞罰が、彼の精神を次第に追い詰めていった。そんな彼に、声がかけられた。

 護衛の騎士として大公に仕える気はないかと。



 リョウの活躍、つまり封印の祝福を使った異常な戦闘力は、そこそこ有名になっていたらしい。

 賞罰欄の殺人も、調査の結果事故だと判明している。

 対人戦闘で恐ろしいほど強い彼を護衛にしようというのは、使う側からしたらいい判断である。

 実際、彼はよく働いた。

 真面目で勤勉で、他人に対する姿勢も柔らかい。騎士の中でも彼の評価は高くなった。

 何より本人に野心がないのがいい。

 そうしてリョウは忠実に大公に仕え、幸いにもこれまで戦場に出向くこともなかった。







 ある程度の推察を交えて、セイはリョウの話を聞いていた。

「日本に帰りたくはないのか?」

「もちろん帰りたいさ。だけど僕は、この世界で自分がしてしまったことの、償いを終えていない」

「あ~……」

 セイは片手で顔を覆った。リアの推察していたパターンの一つと、完全に一致していたのだ。

 無駄どころか、害悪でしかない責任感。必要ないのにも関わらず存在する、罪悪感。

 これを説得するのは、少々骨が折れる。だが想定済みだ。

「君がここに残ることによって、二つの世界が危険に晒されるということは理解しているのかな?」

「それは……分かってる。だけど僕は、償いたいんだ」

「償いになってないよ」



 突き放すように、セイは言った。

「このまま残っていて、君は何をどう償うのかな? 償うとしたら、誤って殺した男性の家族にだろう?」

「ああ、だから僕の給金は全て、あの人の奥さんに渡している」

 なるほど、ちゃんと形として償っているわけだ。

「じゃあその人達が一生暮らせるだけの金を、こちらで用意しよう。だから君は今すぐ、地球に帰って欲しい」

「そんな! だってそれじゃ僕は、何も償っていることにならない」

「君の自己満足と、二つの世界の安定、どちらを優先したらいいか分かっているかな?」

「分からないよ……」

 リョウは頭を振った。セイも頭を抱えたい。



 面倒だな、殺してしまおうか。



 一瞬だけそんなことを思ったセイだが、それは法的にも倫理的にも間違っているだろう。

 リアやカーラは、むしろそれでもいいと言うかもしれない。価値観の問題だ。大のために小を切る。二人なら迷わないだろう。あの優しいカーラでさえ。

 問題は……一国の元首の護衛を白昼堂々と殺すなど、今後の活動に支障が出るかもしれないという、自分にとっての有利不利である。

 法的にも倫理的にも間違っているので、今後の行動が縛られるかもしれない。それはまずいと二人も言うだろう。

 よし、もう少し頑張ってみよう。



「君は今護衛の任務に就いている。だけど前線に出ろと言われたらどうする? 戦争で人を殺すのか?」

 違った方面からのアプローチに、リョウはまた身を震わせた。

「閣下はそんなことは命じられない。だからそんな仮定は無意味だ」

 いや、充分にありえると思うが。

 要人の暗殺などにも、封印の祝福は最適だろう。

「じゃあ君は閣下が死ぬまで護衛するのか? それともさすがにそうなったら職を辞すのか?」

「……もし他の勇者が全員帰還したなら、僕も帰還してもいい」



 話にならない。だが、少しだけ譲歩した。

「あのさ、俺、何度も死ぬような目に遭って、何十人も人を殺してるんだよね」

 セイの告白に、リョウは驚愕の表情を浮かべた。正確には、何度も殺されているのだが。

「そんな俺から言わせてもらえば、リョウは優しい上に甘いよ。そのくせ自分勝手だ。ネアースと地球のために奔走している俺の、簡単な願いさえ聞いてくれない」

「それは……でも……椿さんはどうなんだ?」

「他の勇者の情報を得るため、戦力にもなるため、一緒に行動してもらっている。だけど期限が迫れば、一番最初に帰還してもらうと約束している」

 10年。いや、二人は帰したから、12年か。

 なんとかなるだろうという気もするが、もしもセイが失敗すれば、それでマコとはお別れだ。さらに地球は破滅だ。



「本当のところ、あんたの償うという金銭をこちらで用意して、一緒に他の勇者を探す旅についてきてほしいとも、最初は思っていた」

 実は今咄嗟に思いついたことだが、アプローチの方向を変えてみよう。

「だが話していて確信した。あんたは向いていない。地球に帰って、日本に帰って、不特定多数のためにでもいいから、誰かのために動くべきだ」

 これは本気だ。この甘ちゃんなくせに強大な力を持つ少年は、地球に帰して平和で幸福な生活を送ってほしい。

 どうだろう。そろそろ折れてくれないかな。さすがに説得材料も少なくなっている。

「地球の神様も、この世界の神様も、俺もマコも、君の帰還を望んでいる。望んでいないのは、大公だけだ」

 うん、これは我ながらいいアプローチだ。

 実際にリョウも愕然としている。

「でも僕の償いは……」

「それは神様に命じられた俺が代わる。だから帰ってくれ。二つの世界のために。頼む」

 頭まで下げた。さあ、これでどうなるか。

「……分かった」

 小さな声で、しかし確実に、リョウはそう言った。

「地球に帰るよ……」

 何かから解放されたように、そう言った。



 閣下には話しておかないと、と言うリョウをセイは止めた。

「まずその、殺してしまった人の奥さんの住所を教えてくれ」

 これはちゃんとしておくべきだろう。約束したからには、守らないと。ここの閣下と同じ人間にはなりたくない。

「それと閣下には話すべきじゃない。絶対に君を手放そうとはしないだろう。口先で言いくるめられるだけだ。俺との約束を反故にしたことを考えても、そうだと思うだろう?」

 リョウは頷いた。素直なことだ。この調子だと日本に帰ってもだまされるような気もするが、そこまで責任は持てない。

「じゃあ、帰りたいと思ってくれ」

 帰還石を取り出して、セイは言う。その時になって、リョウは笑った。

「なんだ?」

「いや、今更だけど、君って男みたいな言葉遣いだなって。どうでもいいことだけどね」

 どうでも良くはないことだが、セイは何も言わなかった。ちょっとむすっとしただけだ。

 そしてリョウは、地球へと帰還した。







 どたどたという足音が聞こえてきたのは、そのすぐ後だった。

 ノックもなしにドアを開け、グエルスは室内を見回す。

 おそらく見張りの報告を聞いてやってきたのだろうが、一足遅かった。このタイミングの悪さも、彼に運命の女神が微笑まない証明かもしれない。

「リョウは……」

「帰りましたよ。彼の意志で」

「約束が違うぞ!」

「最初に約束を破ったのはあなたでしょう」

 セイは余裕の表情である。全く疲れさせてくれた。下手に戦うよりよっぽど消耗した気分だ。



「用事は済みましたので、私は失礼させていただきます」

「待て! この責任をどう取るつもりだ!」

「責任? 帰ったのは彼の意志で、私はちょっと背中を押しただけ。約束破りはお互い様。そもそも一人の護衛に、あなたは執着しすぎですよ。いずれは暗殺者にでもする予定だったのですか?」

 そう、もしリョウが向こうからセイを暗殺しようとしたら、おそらく相当に苦戦しただろう。

 不死身は封印出来ないとしても、動きを封じられて五体を切り裂かれて閉じ込められれば、それで無力化は完了だ。だからセイは、説得という手段を取ったのだ。

 顔色を青黒くするグエルスに、少しはアフターケアをしておかないといけないだろう。



「私はこれから、北レムドリアに向かう予定です。そこにも、勇者が一人いるので」

 その言葉の意味を、グエルスは理解しなかった。

「もし勇者が北レムドリア帝国に加担して、この国を攻めようとしていた場合、それは私が止めるでしょう」

 ここまで言われて、ようやく理解したようだ。

「北にも……いるのか。リョウのような勇者が」

「実は南にもいたんですけど、この10日間で回収できました」

 リョウのような分かりやすい戦力ではなかったのだが、そこまで言及する必要はないだろう。

「勇者は規格外の存在です。これからも私は勇者を回収する予定です。もちろん閣下の敵に回った勇者がいたとしても」

 グエルスの顔色が元に戻る。そして視線がちらちらと動いた。

「勇者を帰還させた後、オーガスからこの国に鞍替えする気はないか? 待遇は悪くないぞ」

 どこまで図々しいのかとも思ったが、この面の厚さも為政者の条件の一つかもしれない。しかしオーガス以上の待遇など、そもそも用意できないだろうに。

 そう思うとセイは許せた。

「魅力的な提案ですが、私も勇者を帰還させた後、故郷へ帰らないといけませんので」

 そして颯爽と、セイは城を後にした。







 未亡人へ「リョウはいなくなった」と簡単な説明をし、充分すぎるほどの金銭を渡し、セイたちはクライアの街を出た。

 ドワーフの里を出発する前に、軽く国を買えるぐらいの金銭や宝石をリアから渡されていたのだが、ようやく役に立った。

「賄賂にも使えるし、どうしても必要な物を買うにも、現金がないとな」

 確かに。お金は大切だ。というか、武器になる。

 金がなければリョウの説得は不可能だったろう。いや、どうせ迷宮で手に入れた金があるので、そのくらいはどうにでもなったのだが。

 ……今更だが、ちゃんと未亡人に金銭を渡すのを確認しなかったリョウは、本当にお人よしだと思う。

 まあ、それでも悪人ではない。日本に帰って彼が平和に暮らすためにも、頑張らなければいけない。



「なんだか今回は精神戦だったね……」

「全くだ。俺みたいな頭の悪い人間には、勘弁してほしいよ」

 リアとカーラとの綿密な打ち合わせがあってこそ、今回の説得は成功したと言ってもいい。

「セイは頭悪くないと思うよ?」

「……俺のステータス、知力が一番低いんだよ」

 レベルが上がると知力も上がるのだが……正直伸びは悪い。詳しくは言いたくないが、マコよりも低い。

 そう考えると、知力とは何なのかとも思う。記憶力? 洞察力? 判断力?



「おいらとしては勇者と壮絶に戦って、新しい詩の題材を作ってほしかったな」

 ククリは気楽に言うが、正面から戦ったら負ける可能性が高かった。

 いや、精神的な問題で、リョウがまともに戦えたかという疑問は残るが。

「今回我らは何もしなかったな」

 腕組みをしたケイオスが言うと、ガンツも無言で頷いた。情報収集も立派な仕事であるのだが。

「そういえば、あたしも気になったんだけど……」

「なんだよ」

「どうしてセイは、男の子みたいな言葉遣いなの?」

「あ~、それはまたの機会にな」

 妙にしつこいマコの追求に辟易しつつ、馬車は街道を行く。

 目的地は北レムドリア。強大な力を持つ勇者のいる地である。

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