第144話 23 時を止める者

 荒い息を吐きつつ、街路を駆ける少年が一人。

 そう、少年ではあるが、彼は絶対的な力の持ち主であった。

 勇者として召喚され、強大な魔力を所持し、何よりも超越した祝福を得た彼。

 竜によって王国が滅ぼされ、転移した。その先でも、彼の力は絶対的だった。

 わずか数日でその街の裏側を配下にし、贅沢の極みを尽くした。



 彼が特に性悪というわけであったわけではない。むしろ彼は、善良なほどだった。

 暴力を振るう者を排除し、弱い者を助けた。その結果、裏の社会を制したにすぎない。

 祝福を誰にも告げず、慎重に行動してきた。金が入ってきたのは結果であり、それでも人の矜持を踏みにじることはなかった。もちろん悪人を除いて。



 その彼が今、追い詰められている。



 敵は、正面から乗り込んできた。

 勇者である彼と、さほど変わらない年齢。むしろ年下であったかもしれない。

 そいつは彼の護衛を軽く無力化すると、彼に迫ってきたのだ。

 自分と一緒に来い、と。

 彼は戦おうとした。だが彼の祝福は、そいつには無力だった。



 時間停止。



 一対一で接近戦を行うなら、これほど強力な祝福は、まずないであろう。

 それでも彼は慢心せず、祝福を検証し、接近戦の能力を高め、魔法の訓練をした。

 今では彼の祝福は、時間停止のレベル10となっている。10秒間、時間を停止させられるのだ。

 また対象を一人にしぼれば、その停止させられる時間は倍になる。

 20秒。それだけあれば、どんな相手であろうと殺せる。

 もちろん弱点もある。停止した時間と同じ時間、待機時間が必要となる。連続の使用は出来ない。

 だから相手が多勢であれば、魔法や白兵戦の能力が必要になる。それも考えて、彼は自分を鍛えてきたのだ。



 全てが無駄だった。



 壁に背をつけ、彼は息を整える。通ってきた街路に追っ手の気配はない。どうやら撒いたようだ。

「気は済んだかい?」

 頭の上から声がした。

 壁の上に立ち、こちらを見下ろす影。

「いつの間に……」

「まあ、君にはまだ理解出来ないよ」

「お、俺は悪いことはしてない! 少しは役得もあったけど、俺が来る前よりもずっと、この街は暮らしやすくなったはずだ!」

「そうだね。だから君を殺そうとか、傷つけようとかは考えてないよ。ただ、一緒に来て欲しいだけなんだ」



 そいつの声は静かで、こちらを落ち着かせようとしている気がした。

「どこへ連れて行くつもりだ……」

「とりあえずは仲間のところにね。君を保護したと伝えないといけないから」

「信じられるか!」

 短剣を抜く。スピードを重視した戦闘スタイルに、無骨な剣は必要ない。

 時間を止める。跳躍して、そいつの胸に短剣を突き刺す。

「無駄だってのに」

 止まったはずの時間の中で、背後から声を聞いた。



 軽く電撃を流され、彼は地に伏した。

「お、お前はいったい……」

 かろうじて声は出せる。それに対し、そいつは少し考えて答えた。

「大賢者……でもこう言った方が分かりやすいかな」

 全く殺意も敵意もなく、そいつは言った。

「君よりもはるかに詳しく、時間や空間について知っている者だよ」

 勇者は諦め、せめてこの街が安らかであれと願った。

「善良な人で良かったよ」

 そいつはそう言って、彼の体に触れ、その場から転移した。



 とある街で、数日の間に暴力と権力を乱用する集団が一掃された。

 彼はたった一人でそれを行い、そしてしばらくして姿を消した。

 街の住人は感謝し、後に彼の銅像を作り、広場にそれを置いた。

 徐々に風雨に削られた銅像だが、彼のなした善行は、長く伝えられた。

 彼が勇者であったことを知る者は、誰もいなかった。







「ああもう!」

 ベッドに飛び込み、ぐるんぐるんと回転する。

 それが終わると仰向きになり、天蓋を見つめる。

「疲れた……」

 呟いたセイの言葉は、誰も引き取ってくれない。



 あの日、迷宮踏破の日から、街はお祭り騒ぎだった。

 まずは街のメインストリートをパレード。それから有力者への紹介、パーティーの開催、講演の依頼。

 土下座せんばかりの太守のお願いを、セイは断ることが出来なかった。

「それはお前、利用されてるだけだ」

 連絡を取ったリアは、そう断言した。

「太守が、ではないぞ。街全体がお前らを利用している。ギルドは活性化し、街はお祭り騒ぎ、住人もそのおこぼれに預かり、太守は当然機嫌がいい」

 私の時もそうだった、とリアは溜め息をついた。



 オーガスの公爵であるという肩書きを持つセイは、なんとなく流されて日々を過ごしてしまった。

 もちろんその間に、戦闘や魔法の訓練もしているのだが、本来の彼女の目的は違う。

 勇者の捜索。ラビリンスに勇者レーダーとでも言うべき地図を作ってもらったので、相手が移動することを危惧する必要はなくなった。だが急ぐ必要はある。

 マコもそれは同意で、ククリとガンツも旅の再開を待っている。

 ケイオスはちょっとした休暇、とこのお祭り騒ぎを楽しんでおり、ネロは正式に探索者を引退した。

 今では講義や訓練の指導など、彼が一番忙しいだろう。



 自分には神竜に命じられた役目があると、セイは太守に告げた。

 それでもどうにか留まるように、説得と哀願を続ける太守に、いい加減セイも切れた。

 自分に命じられた任務は、世界の破滅に関するものである。邪神や魔神程度の脅威ではないと。

 最初から強気で威圧すれば、そもそも面倒には巻き込まれなかったのだ。

 そもそも踏破の内容を講演するなら、この街に残るネロがいるのだ。

 オーガスという超大国の公爵。その地位が、彼女をこの地に縛り付けたのだ。



 出立を告げられた仲間は、おおむね好反応を示した。

「次は何処へ行くのだ?」

 ケイオスの問いに、セイは答える。

「レムドリア。勇者が3人いる」

 レムドリア地方は、かつては神聖レムドリア帝国という超大国の領土であった。

 それが内戦や内乱、独立運動などで、南北のレムドリア帝国と、小規模の国家群に分かれた。

 小規模の国家に一人、南北のレムドリア帝国に一人ずつ、勇者の反応はある。

「ならば故郷へ帰る道中だ。私も同行させてもらいたい」

 ケイオスの言葉はありがたいものだった。正直セイは純粋な剣術では、まだケイオスに及ばない。道中で訓練相手となってくれるならありがたい。



「そうか、寂しくなるな……」

 ネロはここでお別れだ。長年の付き合いのケイオスとも、もう会うことはなくなるだろう。

「リザードマンの戦士には、外の世界を見て回る者もいる。機会があれば、連れてこよう」

「そりゃいいな。初心者には色々と教えてやるよ」

 ケイオスは有限実行の男だ。必ずまた会いに来てくれるだろう。

「ネロはプロポーズするんでしょ? 頑張ってね」

「お、おう」

 茶化されたようにマコに言われ、彼は耳を掻いた。







 ククリが手綱を握り、箱馬車が都市の門を出る。

 太守がプレゼントしてくれた物で、側面には堂々とパーラ公爵家の紋章が描かれている。

 揺れも少なく、座り心地がいい。馬も4頭に増やされ、馬力も速度も上がった。

 多くの人々が、それに向けて手を振った。もちろんその中には、ネロの姿もあった。

 丘の向こうへ馬車が消え、そしてネロは呟いた。

「さて、と」



 途中で花を買った。ちょっとしたお値段の花束だが、今の彼なら問題としない金額だ。

 ネロが向かったのは街の薬屋だ。

 迷宮都市では薬屋は必要不可欠の存在だ。迷宮で怪我をする者が多いため、常に傷薬は売れるし、魔法のポーションも売っている。

 その扉を開け、ネロは店に足を踏み入れた。

 広い店だ。主に待合室が広い。処方を待っている客が何人もいる。

「あらネロ、渦中の人物の登場じゃない」

 そう声をかけてきたのは、店頭の売り子のキャスだ。

 ネロは少し深呼吸して、キャスに歩み寄る。



 花束を捧げ、彼は言った。

「キャス、結婚してくれ」

 待合室のほぼ全員の視線が集まる。だがネロの注意は、目の前の白い猫獣人にのみ注がれている。

「……あたしは、探索者とは結婚したくないわ」

 探索者と付き合いのある彼女は、その過酷さを知っている。

 たとえ甦る迷宮だとしても、その死の瞬間に耐えられず、精神を病むものは多い。

 それでなくとも、辛い顔で迷宮に挑む者たちを、彼女は見たくなかった。



 だからこれまでキャスは、ネロのアプローチにも、きっかり断りの返事をしていたのだ。ネロがいい男なのは、充分承知していたのだが。

「探索者は引退した。これからはギルドで後進の指導に当たることになった」

 その言葉に、キャスは目を丸くした。

「……夢は叶ったのね」

「どうかな。夢から醒めたのかもしれない。ここからは現実を生きていく」

「そう……」



 キャスはネロの花束を受け取ると、目を細めた。

「いい香り……」

 うっとりと目を細めるキャス。ネロの心臓は破裂しそうだ。

 キャスはまだ返事をしていない。促すようなことはしないつもりだ。なんなら出直してもいい。

 すぐに決められることではないのだから。

「分かったわ。あなたのお嫁さんになったげる」



 その迷いのない返事に、ネロは一瞬反応出来なかった。

 やがて喜びが身の内からあふれ、声を上げようとした時、後ろから衝撃があった。

「はは、おめでとうよ、ネロ!」

 待合室の客全員が、ネロの顔見知りだと気付いたのは、ようやくここまで至ってからだった。

 手荒い洗礼を受け、それでもネロは嬉しそうだった。

 早く上がったキャスと一緒にネロは酒場に向かい、取り巻きの連中と一緒に、ぐでんぐでんになるまで飲んだ。

 そんなネロの頭を膝に乗せ、キャスはネロの頬の傷を撫でていた。



 あいつらは、どこまで行くんだろう。



 夢うつつの中で、ネロは考える。

 人間の少女二人、どちらも化物じみた力を持っていた。これからの道中でも、色んなことに巻き込まれるだろう。

 それとも邪神や魔神と戦うのだろうか。伝説の英雄のように。

 そんな英雄たちの冒険の端に、自分の名前が刻まれたらいい。

 ネロはそう考えながら、空の酒盃を掲げた。



   迷宮都市編 了

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