第141話 20 最後の階層へ
9階層は密林のような場所であった。
光が天井から降り注ぎ、植物が繁茂している。動物や虫はほとんどいないか、いても小さい。
マップで確認したセイは、この階の強大な魔物は一匹しかいないと分かっている。
「ここまでは、俺も来たことがあるんだ」
ネロがそう言って、ケイオスも頷く。
「ヒュドラか……」
セイの鑑定によると、レベルも高い。再生能力が厄介そうだ。
「下手な武器や魔法は通用しない。まあさっきの兵器を使えばさすがにダメージは与えられるだろうが、すぐに再生する魔物なんだよな」
「倒す方法は?」
「首を全部落として、再生出来ないように傷口を焼く。ただ、それでも徐々に再生はするから、難しい魔物なんだよ」
ネロは溜め息をつきつつ頭を振る。結局撤退するしかなかった、苦い過去を思い出す。
ヒュドラ。多数の首を持つ巨大な蛇の魔物。
一匹で小さな街を破壊してしまう災害指定生物。倒したものには『大蛇殺し』の称号が与えられるという。
「まあ、なんとかなるでしょ。ただ俺が死んだら、皆は撤退して」
「正面に立つつもりか?」
ケイオスの怖れの混じった声に、セイは軽く答えた。
「だって俺、不死身だから」
中央には巨大な沼があった。
下草が長く伸び、視界が悪い。とりあえずセイは火の魔法で植物を焼き払い、戦うための足場を作る。
その魔力に反応したのか、巨大な気配が近づいてくる。
「戦闘準備」
セイの声に、斥候の二人は後ろに下がる。一応弩は用意してあるが、巨大な魔物には効かないだろう。
やがてざぶりと沼の中から、巨大な蛇が姿を現す。
それも一匹ではなく八つ。胴で蛇はつながっている。これがヒュドラだ。
『魔法防壁』
ヒュドラは酸や毒の息を吐く。それに対抗するため、魔法の防壁を盾や鎧にかける。
予想通り、ヒュドラは毒の息を吐いてきた。毒耐性のあるセイは、それを隙と見てヒュドラに接近する。
『属性剣』
これも刀のギミックの一つ。魔法の属性を刃に持たせるというものだ。
もちろんこの場合、選択するのは火だ。
ヒュドラの首を断とうとしたが、鱗が硬い。半分もいかずに受け止められる。
さらに鋭刃魔刃のギミックを使い、ようやく一本を落とす。
切断面はこんがりと焦げている。まずは一つ。
ヒュドラは強敵だった。
毒や酸の攻撃を別にしても、物理的な牙、突進の攻撃力が高い。
ケイオスは必死で防御に専念する。重心の低いガンツは盾で受け流し、戦斧の反撃を行っている。
それでも一撃で首を断つには至らず、反撃をまた盾で受け流す。
「ギミックを使って!」
セイの声に、マコとガンツは素直に従う。現状のレベルでは、とてもヒュドラを倒すことは出来ない。普通なら軍が出てきて討伐するような魔物なのだ。
貫通や破壊といったギミックで、ダメージを与えることは出来る。だが再生能力はそれ以上だ。高速生命力回復という祝福は伊達ではない。
そんな中、セイは確実に首を落としていく。
鑑定によると、生命力は回復するが、体力は回復しない。おそらく体力を削りきったら、再生も止まるだろう。
そして首を落として焼くというのは、普通に攻撃するよりダメージが大きい。
ネロとククリは後方から、地味にヒュドラの目を攻撃している。視界が一瞬でも失われれば、それだけ前衛は楽になる。
現状一番辛いのは、ヒュドラの攻撃を正面から受け止めているケイオスだろうか。
刃の長さの問題で、一撃で首を落とすのはセイにしか出来ない。マコの槍は伸びるが、それは柄の部分が伸びるだけで、刃は伸びないのだ。
『長刃』
セイはまた刀のギミックを発動させた。魔力を吸収して、長い刃となる。
さらにギミックを幾つも同時に発動させて、またヒュドラの首を切断する。セイの豊富な魔力があってこそ、成立する攻撃だ。
長期戦となった。
マコは退いて、ケイオスやガンツのダメージを回復させる。セイが防御の魔法をかけ直す際には、セイと前衛を交代する。
ケイオスとガンツが盛大に注意を引き付けてくれるため、セイは確実に首を狙える。
時々攻撃を受けてしまうが、即死でなければ問題はない。自然治癒と治癒魔法を合わせれば、全くダメージにならないのだ。
作業的に、確実に首を落として焼いていく。
ヒュドラの体力がほぼなくなった時には、首も残り一つとなっていた。
一際巨大な首だ。おそらくこれがヒュドラの本体なのだろう。
まずネロとククリが弓でヒュドラの目を狙う。これはただの牽制だ。
セイの周囲に魔法の矢が浮かぶ。50本ほどのそれを、四方からヒュドラへ放つ。
しかし、それもただの牽制。
跳躍してセイは、空中で魔法の矢を足場にし、ヒュドラの首へ横から迫る。
「やああああっ!」
強烈な斬撃に、ヒュドラの最後の首が落ちた。
鑑定で確認すると、確実にヒュドラは死んでいる。
セイは仲間の無事を確認して、回復や治癒、歪んだ装備を復元で直していく。
それからヒュドラの解体に移るのだが、これがまた一仕事であった。
ヒュドラは血に毒を含んでいる。よって毒に耐性のあるセイしか作業が出来なかったのだ。
巨大なヒュドラをネロの指示で解体するには、戦闘よりもはるかに長い時間がかかった。
「こいつがヒュドラの魔結晶か……」
感慨深くケイオスが見つめる魔結晶は、ヒュドラに相応しく巨大なものだった。
ヒュドラの皮も剥ぎ、牙も取る。肉や内臓が大量に余る。
「ヒュドラは血も毒だから、食べられないな」
ネロはそう言うが、マコは無視してヒュドラの肉を焼いていく。
「おい、死ぬぞ」
「ん~、あたしの祝福のレベルが上がったから、毒でも大丈夫だと思う。万一の時には、解毒してね」
そしてマコの暴食が始まった。
焼いたヒュドラの肉を、次々と食べていく。内蔵も問題なく食べていく。普通なら毒の塊の肝臓も、おかまいなしだ。
味自体は美味しいらしい。
「あ、毒耐性が上がったね。……高速生命力回復もゲットしたみたい」
セイの鑑定によると、他にも体力や生命力の上限が大幅に上がっている。
毒をどうにかしたら、ヒュドラの肉や内臓は大変効率よく能力を上げてくれるようだ。
もっともマコの暴食の祝福があってのことだろうが。
巨大なヒュドラの肉は、全てマコの腹の中に収まった。
またもあんぐりと口を開けるケイオスとネロだが、もはや何も言うまい。
確実にマコよりも大きなヒュドラが、どうして胃の中に収まるのか。
おそらくそれがファンタジーなのだろう。
沼の中央にある鏡に向かう、一本の細い道があった。
第10階層。最終層へ向かう道である。
「まさか、最後の階層まで来るとは思わなかったぜ……」
感慨深くネロは呟き、ケイオスが頷く。
最後の関門となるのは吸血鬼だ。かつては違う魔物が君臨していたようだが、ここ80年は吸血鬼に変わっている。
そしてこの80年、吸血鬼を攻略した者はいない。
「大丈夫だとは思うけど……」
鏡の前で、全員が情報を共有する。
吸血鬼は物理攻撃がほぼ無効。魔法に対しても強い抵抗力を持つ。
空を飛び、強大な魔法を使い、魅了の視線でこちらを惑わせる。接近戦の能力は個体により違うが、総じて怪力なのは間違いない。
そして血を吸う。幸い血を吸われて殺されても吸血鬼化はしないようだが、精神的なダメージも受けるらしい。
吸血鬼に殺されて、探索者として再起不能になった者もいるという。
「そういえば、セイの不死身って、ここで殺されたらどうなるの?」
マコの素朴な疑問に、セイは答えられない。
死んでも甦る。死んだら外に出される。どちらが優先されるのだろう。
「殺されてみないと分からないなあ。少なくとも心臓を破壊されても死なないから、頭の防御には気を付けるよ」
心臓を破壊された程度では死なない。修行の途中で手に入れたセイの祝福、超再生の能力である。
リアに頭を破壊された時は間違いなく死んでいるが、それでも破壊された部分が再生されていくそうなので、やはりこの迷宮に留まることはできるのだろうか。
「まあ、まずは魅了の視線への対策だね」
精神に対する攻撃、それを考えて、一同は作戦会議をした。
鏡から転移すると、そこは青白く光る洞窟の中であった。
一箇所下に下りる階段がある。ここには他に何もない。
「螺旋状の階段があって……その終点が広大な空間になってる。吸血鬼も発見。……不死の王じゃない。普通の吸血鬼だ」
「レベルは?」
ネロの確認に、セイは少しだけ言いよどんだ。
「125……」
この一行の中で一番レベルが高いのはケイオスである。それでも85だ。
「ただ、能力値自体は俺とマコと同じぐらいかな」
「化物には変わりないな」
くくくとネロは笑った。ここまで非常識な仲間なら、なんとかしてしまうだろう。そんな予感がある。
「じゃあ行こうか」
止める者はいない。セイを先頭に、一行は階段を降りていく。
「そういえばネロ、この迷宮を踏破したら探索者を引退するというのは本気か?」
ケイオスの問いに、ネロは軽く頷いた。
「そもそも慎ましやかに生きていく分には、充分稼いだしな。今回のこれで、大金持ちだ」
セイが死んだらそれもパーなのだが、この少女は殺しても死なない。
「……お前は何のために、探索者をしていたんだ?」
「最初は夢があった……。だが今は、生活のためだな」
どんな夢だったかさえ忘れてしまった、とネロは呟いた。
「そろそろ踏破者へのプレゼントも考えないとね」
ククリが嬉しそうに言う。この迷宮の主であると言われている女神は、踏破者の願いを叶えてくれるという。
直接神に、願いを叶えてもらえるのだ。神聖魔法のような貧弱なものではないだろう。
「取らぬ狸の皮算用」
セイがこっそりと呟き、マコはくすくすと笑った。
「なんだよ、皆は考えてないのか?」
むすっとしてククリが言うと、マコはすぐさま答えた。
「あたしはもう決まってる」
「うむ、私もだ」
マコとケイオスが言う。ケイオスの望みは水魔法を使えるようになること。ささやかだが、本人にとっては重要なことだ。
「おいらはどうしようかな。ちょっと悩んでるんだよね」
ククリが頭の後ろで手を組む。願いが多くて大変なのだ。
「セイとネロは?」
「俺は、この旅に役立つ道具を作ってほしいんだよな。今のままだと効率が悪すぎる」
世界各地を巡り、勇者を探す。既に二人見つけたが、これは運が良かっただけだ。
「俺はオリハルコンの剣を作ってもらう」
ネロの願いは即物的だった。
「それでその剣を太守に買い取ってもらって、庁舎に飾ってもらうんだ。俺が迷宮を踏破したことを、誰にも忘れられないように」
それは、夢の残滓。
有名になり、金持ちになり、幸せに暮らしたい。そんな当たり前のことを、ネロは願う。
「まあ、目の前の敵を倒してからだね」
一行の前には巨大な門があった。
階層主の部屋へと至る、巨大な門。
「さあ、戦闘準備だ」
セイの言葉に、全員が頷いた。
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