第119話 最後の戦いへ

「リアちゃん」

 マールが踊っている。

 手足を軽妙に振るって、楽しそうに踊っている。

 これはいつか見た景色。

 猫の獣人たちが、リアたちを囲んで笑っている。

 これはいつか見た景色。

「リアちゃん」

 マールの姿が遠ざかる。

「子供たちをお願いね」

 待て。まだ早い。

 いつかは別れることになると分かっていた。だがそれは、今ではないはずだ。

 まだ早すぎる。

 マールは笑顔のまま姿を消し、そしてリアは目覚める。



「あ、起きたか」

 覗き込むようにシズナがいた。

「……どうなっている?」

 起き上がったリアは、あふれる涙を袖口で拭いた。

「移民は再開している。転移の魔法も使えるようになった」

「私はどれぐらい寝ていた?」

「丸二日だよ」

 寝台から立ち上がったリアは、よろめいてシズナに支えられる。

「皆はどうしてる?」

「それぞれの仕事をしてるよ。あたしは役に立たないから、ここにいたけど」

 それは半分は嘘だ。オーマから話を聞いたシズナは、ずっとリアの枕元にいたのだ。

「……マールは?」







 棺に納められたマールは、血糊も拭い取られ、まるで眠っているかのように見えた。

 その傍には、夫と子供たちがいる。家族を失った悲しみの中に、彼らはいる。

 イリーナはよく分かっていないのか、きょとんとした表情でマールを見ている。

「マール……」

 冷たくなった毛皮と、肉球を撫でる。

 悲しみだけが、リアの内を占めていた。

 怒りはまだある。だがそれは、自分に対する怒りだ。



 多分、自分はどこかで間違えた。

 どこで間違えたかはよく分からない。だが、これを避けることは出来たはずだ。



「しばらくは、宮廷にいるといい。一通りのことが終わったら、今後のことを考えよう」

 あふれそうになる涙を、上を向いて必死にこらえて、残された家族に向けてリアは言った。

「人間は大変だな。魂が転生していくんだから」

 オーマが心から同情しているように言った。神竜である彼女には分からないことなのだろう。

「言っておくけど、お前、八つ当たりにしてもやりすぎたぞ。移民がちょっと滞ってる」

 リアの攻撃で、地球はほぼ全域で大規模な気象災害が起こっているという。

 どれぐらいの人間が死んだのかと聞けば10億以上20億以内という幅の広い回答があった。



 何の罪もない人間……いや、人間以外も含めたら、どれだけの命を奪ったことになるのか。

 これは間違いだ。たとえ最後には地球ごと消滅するとしても、一瞬で消滅するのと、苦しんで死ぬのとは違う。

「まあ、結果はたいして変わらないけどな。悩むだけ無駄だ」

 オーマの考えは、リアには受け入れられないものだった。







 旅の仲間たちが、マネーシャの宮殿を訪れた。

 カルロスとルルーは連れ立って来た。

 カルロスの肩に顔をうずめ、ルルーは静かに泣いた。

 ギグは似合わない花束を持って、マールの遺体の傍らに置いた。

 イリーナは無表情で、マールの額をなで続けた。

 サージは最後にやってきて、疲れきった顔で棺の前に膝をついた。

 マールの家族、3人の子供たちは、まだ何が起こったのか正確には分かっていないのだろう。

 棺の中の母親を見て、父親にしがみついている。



 最後の別れを済ませた後、マールは埋葬された。

 それと共に、凄まじい虚脱感がリアを襲った。

 執務室の椅子に座って、何もせずに中空を眺めている。

「リア、たとえどれだけ悲しくても、為政者は自分の役割を果たさないといけない」

 ギネヴィアが言う。慰めではなく、現実の問題として。

「あなたにしか出来ないことが、目の前にあるのだから」

「ああ……そうだな……」

 ぎこちないながらも、リアは活動を再開した。目の前にある書類の山を、淡々と片付ける。だがこれは、自分に向いた仕事ではないだろう。

 刀を振るって問題が解決していたころが懐かしい。



「ギネヴィア、私はどこで間違えたんだろうな……」

「……強いて言うなら、地球の人間を助けようとしたことが間違いね」

 ギネヴィアはあまり優しくない人間だが、リアと違って物事を冷徹に見通せる。

「世界が接触した瞬間、神竜たちの力で地球を消滅させていれば、少なくともあなたの友人は……」

 その先は言わなくても分かっていることだ。だがアルスがそれを止めさせた。地球の人間を移民させるために。

「ひどい話だ……」

「そうね、救いようのない話だと思うわ。けれどリア、あなたには何も出来なかったはずよ。出来たとしたら……人魔大戦を起こして、こちらの世界の人間を減らすぐらい。それで死ぬ人間の中に、あなたの友人がもっといたかもしれない」

 それは、ますます救いようのない話だ。

「本当に大切なものは、手元に置いておくしかないのかもね……」

「お前にとって大切なものとは何だ?」

「息子と、この国。それだけよ」

 リアにも大切な者たちがいる。旅をした仲間、旅で出会った人々、故郷の家族、そして、この世界。



 戦争で顔見知りが死ぬのは何度も見てきた。

 コルドバの非道によって死んだ獣人もいた。

 それでも、この悲しみには例えようもない。

「弱いなあ、私は……」

「リア……」

 カーラがリアを抱きしめようとして、やんわりと拒絶された。

「今は慰めないでくれ」

 今何かに寄りかかってしまえば、自分はもう一人では立てなくなってしまう。

 この喪失感を胸に抱いたまま、自分は生きるのだろう。バルスの言葉通りなら、何億年もの時間を。何人もの、何十人もの、何万人もの人々を見送って。

 それに耐えられるのだろうか。リアには自信がない。

 その手を、カーラが握る。







 時間は過ぎていく。

 アルスの言った期限まで、あと一週間となる。

 そんな時リアの下を訪れたのは、シファカとバルスだった。

「浮遊大陸には300万人を収容した。残り時間を考えると、これが限界だろう」

 シファカが疲れた声で言った。かつて彼は、1万人の人間を連れて、この世界へやってきた。

 それに比べたら、今回は300倍もの人間を救えたことになる。それを多いと感じるか少ないと感じるかはそれぞれだ。

「そろそろ、祈りが満ちる」

 バルスが相変わらず抑揚のない声で告げた。

「祈り?」

 まだ何かが起こるのか、リアは警戒する。

「地球の神々が目覚めるのだ」

 それは前にも聞いていた。

 移民が間に合わなかった地球上の大半の人間が、神に祈っている。そしてその祈りの力を元に、神々が復活すると。

 バルスの邪魔をさせないために、地球の神々を滅ぼして欲しい。それが神竜の依頼だった。



「最後の戦いが始まる」

 戦い。

 それは、リアの得意とする分野だ。

 たとえ相手が神であろうと、むしろ神であればこそ、戦い滅ぼすのに良心の呵責を覚えずに済む。

 それは一報的な虐殺ではなく、命を賭けた殺し合いになるであろうから。







 成竜と古竜が、空に羽ばたく。

 黒竜、火竜、風竜、水竜。その数は万を超える。

 竜たちの後に続き、機械神が地球へと降り立つ。

 そしてわずかな、生身でも竜と戦える者たち。

 その間隙を縫って、地球からの移民が……避難民があちらの世界へと移動していく。

 結局地球から避難できたのは、およそ500万人ほどだった。

 たったの500万人。99%以上の人間は、地球と運命を共にする。



 リアはひたすら無感動でいようと己に強いた。

 そのすぐ傍にはカーラがいる。リアに声をかけるでもなく、ただ視線を送っている。

 先行した機械神の中から、一際目立つ黒い機械神がリアの横へ並びかける。

『やあ、少し話があるんだけど』

 アルスが念話で話しかけてきたので、リアも念話で返す。

『私のほうには話などない』

『じゃあ聞くだけでいいよ。もし万が一この戦いで僕が死んだら、魔族領の統治をお願いするよ』

 思わずリアは機械神の顔を見つめた。

『魔族領は文明化されたとはいえ、やはり魔王という絶対的な力の君臨者がいてこそまとまっている。血の気が多い連中も多いしね』

 リアは返答出来ない。オーガスよりもはるかに広大な魔族領を統治するなど、リアには出来っこない。

『君しかいないんだ。誰よりも強く、文明の恩恵を知り、種族を差別することなく、そして何より若い』

 それはあまりにも買いかぶりすぎだとリアは思った。

『私はオーガスの統治で精一杯だ。その上魔族領だと? 冗談じゃない』

『もちろん君一人でやる必要はない。官僚機構は作ってあるからね。残してきた部下にも伝えてある』

 この男は……またリアを一方的に使おうとしているのか。

『……お前は……まさか死ぬ気か?』

『それこそまさか。フェルナのお腹の子も見たいしね。ただ、万が一の時のことを考えておくのは、為政者の義務だろう?』

 それは確かに。

 リアもまた、万が一の時のためにギネヴィアには言い含めてある。

『魔族領が混乱したら、世界はまた混沌に包まれる。それでもいいなら強制はしないけどね』



 一方的に会話を打ち切って、アルスはまた前方へと移動した。

 リアが額を押さえていると、カーラが傍に寄ってくる。

「何かあったのですか?」

「面倒なことがな。後で話すよ」

 そこまで言って、リアはカーラを抱き寄せる。

「カーラ……死ぬなよ」

「ええ」

 女神のような微笑を浮かべ、カーラは何の心配もなさそうに応えた。







 竜が地球の空を舞う。

 西洋では悪魔にも似た存在である竜だ。多くの人々が膝を地に着け、それぞれの神に祈る。

 人の祈りが形を取る。大地から生まれるように、それは出現していた。

 異なる土地の、異なる神々。

 神話の中でしかありえなかった存在が、今その形を取る。

 それは何らの希望でもないものだが、人々はそれに縋ろうとしていた。



 神々の動きに合わせて、大地も鳴動した。

 巨大な地震、津波、嵐、雷、それは天空を行く竜ではなく、むしろ地上の人々に襲い掛かった。

 出現したのは、神々だけではなかった。

 かつて他の宗教によって悪魔とされた存在。

 それさえもが出現し、竜へと戦いを挑む。



 最後の戦いが始まった。

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