第117話 魔王降臨
魔王が宣言した時刻に、日本の国会議事堂は人に溢れていた。
直接乗り込んできた各国、地域の元首もいれば、外交官を出席させ、モニター越しに議場を見つめる者もいる。
そして海内外のマスコミ関係者も壁際に大量にいる。
この様子は各国に中継され、日本での視聴率は既に80%を突破していた。
「ご苦労様」
国会議事堂の警備員たちは、決して油断していたわけではない。
ただ、転移してきたアルスたちを、幻覚のようにとらえてしまった。
黄金の仮面に、黒尽くめの衣装。それは確かにあの日空に浮かんだ人物であった。
咄嗟に止めようとした警備員は、そこから動けなくなる。リアの竜眼が発動していた。
建物の中に入ったアルスは、同じく警備員を見つけて声をかける。
「議事堂まで案内してくれるかな?」
うろたえる警備員だったが、相手が何も武器を持っていないのを見て、勇気を振り絞る。
「こちらです」
震える足を必死で動かし、アルスたちを先導する。
最後の扉を開け、アルスたち一行は議事堂へと踏み込んだ。
通路からアルスたちが姿を現した瞬間、議場はどよめきに包まれた。
先頭を歩くのは仮面の魔王アルス。そしてその後ろには、ダークエルフのレイと三眼人の男が続く。
そして次にはレムドリア王ホリンとシオン王子、そしてレムドリアとは同盟関係にあるケンタウロス族の長。
三番目にはリア、カーラ、そしてオーガキングが続いた。
明らかに人間ではない種族を見て、場内は沸騰した。
「椅子ぐらい用意してくれていてもいいだろうに」
愚痴りながらもアルスは、何もなかった場所から8つの椅子を取り出す。
異世界からの種族はそれぞれ椅子に腰を収めたが、ケンタウロス族の男だけは立ったままである。
「さて改めて、地球の皆さん、こんにちわ」
その言葉は術理魔法の「翻訳」で、全ての言語となって議場に響いた。
「私は魔王アルス。あちらの世界で最大領域を治める者です。そしてこちらがリュクホリン王、あちらがリュクレイアーナ大公、あちらの世界では2番目と3番目の国力を誇る国の王です」
ゆったりとした動作で紹介した後、アルスは腰を下ろした。
「さて、話し合いを始めましょう」
最初に発言を求めたのは日本だった。ちなみに議長も日本人が務めている。
「アルス陛下、まずは先日のあなたの発言の真意を問いたい」
アルスは首を傾げた。真意も何も、あれが全てだ。
「質問の意味が分かりませんね。我々は生き延びるために地球を破壊する。その際にあちらの世界で許容可能な人数の地球人の移民を認める。それだけです」
ざわざわと議場がどよめく。その中で早くも発言したのはアメリカの大使だった。
「つまりあなたがたは、地球に対して宣戦布告をするというわけか?」
「ああ、やはりそう考えますか」
仮面の下でアルスは苦笑した。
「これは戦争ではなく、生存競争と考えたほうがよろしい。そして既に勝敗は決していて、移民というのは我々から地球の人間への温情です。使う兵器の破壊力が違いすぎて、戦争にはならない。それとも私が知らないだけで、地球には惑星を破壊するレベルの兵器があるのかな?」
アメリカの大使は沈黙する。リアたちが伝えたあちらの世界の情報を、果たしてどれだけ与えられているのか。
「あなたは6億の移民を受け入れると言うが、この地球には70億の人間が住んでいる。60億以上の人間を殺すつもりか」
また違う発言者がいたが、アルスの回答はぶれない。
「その通り。人間だけでなく、地球の動植物は、地球と運命を共にしてもらいます」
ゆったりとした口調で、アルスは冷然と言い放つ。
「一神教の言葉を使うなら、これは最後の審判といったところかな」
アルスの言葉と共に、胸の前で十字を切るものがいた。神よ、と呟く者もいた。
「ちなみにあちらの世界では、本物の神がいる。一神教の信者を貫く人には、移住はお勧めしません」
アルスの言葉に含まれた情報に、各国の大使は本国との連絡に動く。あるいは周辺の席の各国と話し合う。
無駄なことだろうな、とアルスは冷めた目で見ていた。
「一つよろしいか?」
「何か?」
「この、二つの惑星が接した状態を維持することは出来ないのか? 科学的には信じられないが、事実二つの惑星は、大気圏同士で接している」
「それは無理です。異世界同士の反発力に加えて、あちらからの魔法の力で状態を維持しているにすぎません。本当なら接触した瞬間、我々の世界の神が、地球を破壊していた。それを止めたのが私です」
「ならばあとどれぐらいこの状態を維持していられるというのだ?」
「45日です」
それはつまり、45日で地球が存在しなくなるということ。
最も大きいざわめきが、議場を満たした。
これほど突然に、世界の終わりが訪れるなど、誰が考えていただろうか。
「でたらめだ! 魔法の力など、存在するはずがない!」
口角泡を飛ばすその代表の前に、アルスは一瞬で転移していた。
「これが魔法だ」
囁くように言って、また席に戻る。
それは議場の全ての人間が見ていた、魔法の発動だった。
「さて、今のを見ていただいて分かったと思いますが、我々の世界は部分的に地球よりも優れた技術を持っています。これを踏まえた上で、我々とどう対応するかいただきたい」
「その前に!」
大きな声で注目を浴びる男がいた。
「移民と言うが、その割り当てはどうなるのだ!? 先進国だけで独占する気ではないだろうな!?」
「それはない」
アルスは即座に否定した。
「あちらの世界に移民してもらうとして、文明のレベルはしばらく落ちるでしょう。肉体労働の出来ない人間には、厳しい環境だと言える。それなら一思いに死んだほうが楽かもしれないでしょう」
「なんと傲慢な……」
呟いたのが白人だったので、ちょうどいいとアルスは考えた。
「傲慢とは、自らの歴史を振り返ってから考えるといいですね。南北のアメリカ大陸やオーストラリア大陸で起こったことを、私が知らないとは思わないことです」
そもそも前提からして、地球は敗北している。
戦力という面でもそうだが、情報で圧倒的に後手に回っているのだ。転生者や転移者のいない地球は、あちらのことを何も知らない。
「移民の割り当てはどう考えているのかな? 人口の割合に従って決められるのか?」
「それはありません。あちらの世界に有害と思われる思想の持ち主は、こちらで弾かせてもらいます」
「人種的な区別はあるのかね?」
「我々を見ていただければ分かるように、そもそも種族の違いがあります。人種で差別することは……それほどありません」
「それほどということは、少しはあるということか?」
「現状この地球において、他の人種や民族に害を与えている場合は、こちらで選別させていただきます」
顔色の青くなる者達がいたが、自業自得である。
「それにしても……45日というのはあまりにも短すぎる。一日に数千万単位で輸送しなければ、とても間に合わない」
「ふむ」
アルスは顎に手を当てて考える仕草を見せた。確かに浮遊大陸の輸送力を使っても、それは不可能に近い。神竜は協力してくれないだろう。ならばどうするか。
簡単なことだ。移民する人数を減らせばいい。竜骨大陸以外の大陸は、魔族領からの移民で埋めてもいい。用意した6億人分の食料が浮けば、それだけでも助かる。
「それはそちらの努力次第でしょう。こちらとしてはどうしても地球の移民を受け入れなければいけない理由はありませんので」
その時、リアが立ち上がった。
「我が国は、転移の魔法で一日あたり数万人の人間を移動させることが出来る」
リアとカーラの魔力に、サージの時空魔法を使えば、確かにそれは可能だ。理論上は、だが。
「それでも6億には満たないぞ! これは事実上の宣戦布告だ!」
怒鳴り声が響き、それに唱和する声が連なる。リアは焦燥に駆られたが、アルスは座ったまま平然としている。
ああ、まただ。
またこの男に騙された。
「45日間なぞ、私は聞いてないぞ」
「聞かれなかったからね」
思わずガラッハを抜きかけたリアだったが、寸前のところで思いとどまる。あれを振るえば、魔王はともかくこの場の人間に犠牲が出る。
「リア」
その名を呼び、カーラがリアの肩に手をかける。
リアの怒りが鎮まったと思った彼女は、猛々しく叫び声を挙げる群集に対して、鎮静の魔法を使った。
青い光が放たれ、議場の人間は急におとなしくなって席につく。
前に出たカーラは、その鈴のような声で告げる。
「広く平坦な地に、最低限の荷物を持って集まりなさい。準備が出来たところから、転移させていきます」
振り返ったカーラに、リアは頷くしかない。
「それでも不満があるなら、武力に訴えてもいいでしょう。私たちは、あなたたちを必要としているわけではないのです」
その言葉は、カーラ自身をも傷つける。
戦場においては、たとえ敵であろうと命を奪うことを躊躇うカーラ。それが無辜の民衆を前にして、そのような発言をせざるをえない。
「ホリン陛下はどうします?」
気楽な口調でアルスは問いかけ、ホリンは髭をいじりながら無造作に答えた。
「元より私はこの世界に興味はない。魔法使いを貸して欲しいなら考慮するが、レムドリアに害がないなら、中立を保たせてもらう」
その背後のシオン王子も頷く。
為政者として、この判断は正しい。王とは自らの国の国益を第一に考えるもので、たとえ一つの世界が滅びて何十億もの人間が死のうが、自国の利益を優先するのが筋だ。
それに一番耐えられないのは、地球の記憶が新しいリアとサージだ。アルスなどは1000年の時の中で、ほとんど地球の思い出など風化している。
「三日後の同じ時間に、また話し合いの場を設けましょう。もっとも、あまり有意義な話は出来ないでしょうが」
まとめにかかっているアルスに、今のリアは反対することが出来ない。
この男は、邪悪ではない。そんな言葉で言い表せられるような存在ではない。
9人が転移した先はマネーシャの宮廷。そこでリアは恐ろしい形相でアルスを睨みつける。
「お前は……魔王じゃない。そんな簡単なものじゃない……」
仮面を外したアルスは、素早くリアと距離を取る。
「45日の件に関しては、本当に僕も直前まで知らなかったんだよね。だから本当に6億人分の衣食住の用意はしてたし、開拓用の魔道具とかも準備してあったんだ」
ならば神竜が悪いというのか。
その場にいたのはオーマだけだった。彼女は行儀悪く床に座り、木の実の炒ったのを食べている。
「いや、あたしも知らなかったね。他の神竜は多分知っていたと思うけど、どうしようもないんじゃないかな。人間を選別して6億も転移させるのは、さすがのバルスも無理だと思うよ」
全く悪気のないオーマの言葉に、リアは頭を抱える。
どうすればよかったというのだ。
おそらくこのまま転移や浮遊大陸による輸送を行ったところで、救えるのはせいぜい万の単位だろう。70億の人間が……そしてそれよりもはるかに多い動物、植物たちも、全て消滅する。
「人魔大戦を起こしておくべきだったのか……」
軍事力として見た場合、魔族領の力は圧倒的だ。だがリアがアルスを殺しておけば、魔族軍は瓦解し、人間の戦力でもある程度は戦えたかもしれない。
たとえその結果、人間や亜人の99%が死亡したとしても。
地球を丸々犠牲にするよりは、マシだったのではないか。
「ではレムドリア王、王城へお送りします」
「うむ、よろしく頼む」
アルスが転移し、魔族も魔族領へと転移する。
残されたのはオーガスの首脳陣と、リアの個人的な友人だ。
「どうしたの?」
イリーナが問いかけてくる。いずれ神竜となるはずの彼女も、おそらく何も知らされていない。
リアはほとんど絶望しながら、アルスの話した内容を伝えた。
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