第116話 愚か者たち

 冬にも関わらずリアは夜明け前に起き、サージがぐっすりと眠っているのを見ると、素早く着替える。

 縁側から庭に出て、虎徹を抜いた。

 変わることのない朝の鍛錬である。刀を振るうたびに、空気の裂ける音がする。

 型をなぞる。何度もなぞる。自分の脳内の理想のイメージを、ゆっくりとたどっていく。



 気配を感じて、そちらに刀を向ける。足音も立てずに、静かに菊池が縁側からリアの様子を見ていた。

「どうやら、本当に田村のようだな。また組手でもしてみるか?」

「ありがたいお言葉ですが……」

 リアは転がっていた小石を一つ拾うと、指で粉々に砕いた。

「もう半分以上人間じゃないんで、やめておきます」

「今のが魔法か?」

「いえ、単純な握力ですよ。ダイヤモンドでも握り潰せますね」

「そりゃまた、人間じゃないな……」



 庭に出てきた菊池と、武術談義に華を咲かせる。菊池が知りたがったのは、あちらの世界で実際に武術が役に立ったのかということだった。

「そうですね。むしろ日常で役に立ちましたよ。戦争では馬に乗ってることが多かったんで」

「戦争か……。けっこう殺したか?」

「直接斬ったのは……300人ぐらいですかね。いや、使ったのは槍の方が多かったですけど」

「弓とかはどうなんだ? 実際の戦争では一番死傷者が出たはずだが。それと、銃はないのか?」

「人間相手に弓はあまり使いませんね。遠距離からなら魔法の方が確実でしたし。銃は……そういえばありませんけど、これまた魔法の方が確実ですしね」

「お前も魔法を使えるんだよな?」

「そうですね。こんな感じに」

 その場でリアは浮かび上がった。ゆっくりとした速度で、菊池のすぐ傍に着地する。

 菊池は顎が外れそうなほど驚いていた。







「田村さん、朝食の準備が出来ました。お連れ様もいっしょにどうぞ」

 お手伝いさんの呼び声に、サージを蹴り起こして服装を整えさせると、座敷に向かう。御前と対面するように二人は座った。

「おお~、久しぶりの日本食!」

 目を輝かせるサージは、いただきますと言って朝食の攻略にかかる。

「それでな、田村……いや、もうこの呼び方はどうもしっくり来ないな」

「リアと呼んでください。もうその呼び方で定着してるので」

「じゃあ、リアさんよ。昨晩のうちに、まあ人を集める手配はしておいた」

 正確には魔王の宣言から、毎日会議は行われているのだが。

「実際に国を動かしている連中だ。俺もついていく」

「分かりました。何時からですか?」

「昼飯が終わってからだな。それまで何か予定でも入れとくか?」

「……そうですね。家族には会ってみたいですが……この姿だと、分かってもらえそうにないですね」

 分かってもらうにしても、相当の時間がかかるだろう。午前中だけで終わるとは思えない。



 予定の時間まで、リアは御前と色々と政治向けの話をした。

 魔王の宣告により各国がどういう反応を示しているかだが、やはりアメリカは自由と正義の名の下に、地球を守ると主張している。これになんとロシアと中国も賛成しているというのだ。もっとも内心では未開拓のフロンティアとしてあちらを侮っている節があるという。

 日本はアメリカ追従だが、アルスの指定した場所が日本の国会議事堂ということで、あちらの世界と何かつながりがあるのかと問い詰められているらしい。

「先に一報入れてくれれば、まだ対処のしようもあったんだがな」

「それはそうですね。ですが彼には、そんな気遣いの必要もありませんから」

「魔王ってのは、そんなに強いのか?」

「彼自身も強いですが、一応強さだけを言うなら俺の方が強いらしいです。ただ、あちらは魔族の国がありまして、文明のレベルが違います。勝てません」

「……お前さんが魔王を倒したら駄目だったのか?」

 今思えば、その手段もあったと思う。

 だが地球とつながると知った時は、もう外堀を埋められていた。それに何より、神竜が魔王を支持しているのが決定的だ。

「魔王の狙いが分かったときには、もう手遅れだったんです」

 そう、人魔共生の理想。それは今では素晴らしいことだと思っている。

 大崩壊で他の世界を破壊すると言っても、リアは魔王に賛成した。それが地球だと知らされた時は、もう魔族と戦争など出来ない状態だった。魔族にも自分の国民にも、愛着が湧きすぎていた。

 レムドリアを事実上の敗北である講和に導いたことといい、彼はリアの生まれるはるか前から、慎重にことを運んできたのだ。

「すると、野郎がきてからが、交渉の本番ってわけだ」

「交渉になるかどうか……。手強い相手であるのは間違いありませんが」

 味噌汁をすすりながら、リアははるか彼方の男のことを思った。







 国会議事堂の厳重に警備された一角にある会議室に、十数人の男が集まっていた。

 それはあるいは現職の大臣であったり、高級官僚であったり、経済界の大物であったりした。確かに日本を動かしていると言える面子である。

 その大物たちが、御前の入室と共に立ち上がり頭を下げる。引退したと本人は言っても、その影響力に衰えはない。

「まあ、顔を上げてくれや」

 その言葉に従った一同は、御前の後ろに従って入ってきた二人を見て驚く。

 一人は黒髪をなびかせ、黄金の瞳でこちらを圧倒する美女。そしてもう一人は、少年としか言いようがない年齢の男。

「とりあえず紹介しようか。あちらの世界から来たリアさんとサージ君だ」

「オーガス大公国大公、リュクレイアーナ・クリストール・カサリア・オーガスだ」

 リアはパンツスタイルのスーツに着替えてここまで来ていた。威嚇のためにはあちらの正装で来ても良かったのだが、あまり目立つのは避けたかった。

「オーガス大公国男爵、サジタリウス・クリストール・クロウリーです」

 会議室の男たちを御前は一人一人紹介していったが、正直覚えるのが面倒なリアだった。

 サージはどこからともなく取り出したペンと手帳で、その情報を書き込んでいく。

「さて、じゃあ話を始めるか」

 御前とリアが着席し、それに続いて一同が着席する。

 長い話し合いが始まった。



「それで……まずあちらの世界の話を聞きたいのだが、あなたは……閣下と呼べばいいのですかな? 日本語は大丈夫ですか?」

「閣下でもリュクレイアーナでも構わないが、陛下と呼ばれることが多いな。ちなみに日本語で大丈夫だ」

「では陛下、まずあなたの世界のことをお聞きしたいのですが……」

「サージ、地図を」

 サージが空中に竜骨大陸の略地図を映し出す。一同を驚かせたまま、リアは説明を始めた。

「この青い、一番大きな土地が魔族領。魔王アルスが治めている。そして南の二番目に大きなのがレムドリア王国。西にある三番目に大きなのがオーガス大公国だ。他にも国はあるが、とりあえずこの三つで話を進めたい」

「その、陛下、魔王とあなたは仰るが、つまりそれは、悪魔の王とか、そういう意味で仰っているのでしょうか?」

「そこから話さないといけないのか」

 リアは頭を掻いた。確かに人間しかいない地球人には、理解出来ないことだろう。

「まずあちらの世界の知的生命体は、大きく三つに分類される。人間、亜人、魔族だ。この中で人間が一番新参の種族だが、数はおそらく一番多い。亜人と魔族はさらに細かく分類される。そしてその魔族を治めているのが魔王だ」

「その、魔族というのをもう少し詳しくお願いできますか。人間に敵対しているとか……」

「かつては敵対していたな。今でも文明化されていない、一部の魔族は敵対している。しかしそういう蛮族は、同じ魔族からも野蛮人と見られる傾向にある。加えて言うと、人間の中にも野蛮人はいるな」

「魔族というのは……具体的に、人間とどう違うのでしょう?」

「その分類は難しいな……。人間と違う亜人のうち、人間に敵対していたのが魔族というのがこれまでの定義だったが、当代の魔王の侵攻で、人間と魔族の講和が成立してしまったからな。それでもあえて一例を挙げるなら……吸血鬼は魔族だ」

 その言葉にざわめきが起こる。

「吸血鬼……ですか?」

「地球で有名なのを挙げると、ゴブリンやダークエルフ、人狼もそうだな」



 それからも関係者の知的好奇心からなる質問は続いたが、それは本来、今日の本題ではなかったはずだ。

「するとその魔王が積極的に地球を破壊しようとしているのですかな?」

「お膳立てをしたのは魔王だが、地球を破壊しようとしているのは神竜だ。正確に言うと……神竜が地球を破壊せざるをえない状況にしたのが魔王だな」

「その、神竜というのは?」

「神殺しの竜だ。あちらの世界で数十億年を生きてきた、文字通り世界の神だ。あちらの世界を守るためには、当たり前のように地球を破壊するだろう。それを制止して、地球の人間を少しでも移民させようとしているのが、今の状態だ」

「陛下の話だと、わざわざ移民など受け入れずとも、地球を破壊できるように聞こえますが……」

「その通りだ。だからこれは、魔王の……個人的な感傷と言ってもいいな。彼は元日本人だから」

「日本人!?」

「彼は15歳の時に向こうの世界に召喚され、先代の魔王を倒した勇者だ。その後バラバラになった魔族をまとめて、文明化させた。1000年かけてな」

「あちらの世界では、人間が1000年生きられるのですか?」

「魔法を使ったり、神竜に頼めばそれも可能だ。私自身、寿命は数億年を超える予定だ」

 数億。

 人類の歴史はせいぜい万の単位である。驚愕の表情を隠せない一同が静まるのを、リアは待った。



 本題にようやく入る。

 そもそも日本人を優先的に移民させることを伝えるのが、リアの役目だった。

「そもそも数千万人をどうやって空の彼方へ移送すればいいのか……」

「それに関しては、こちらに手段がある。浮遊大陸を使えば、一度に数百万は移送できる。それを10回も繰り返せば完了だ」

「浮遊大陸……」

「全長120キロの飛ぶ島だ。宇宙にも行ける、そもそもは外宇宙探査船として作られたものらしいがな」

「しかし、施設や設備などは……」

「こちらで用意しよう。10年も経てば、少なくとも1980年代レベルの生活には持っていけるはずだ」

「馬鹿な」「そんなことを国民が納得するはずがない」「あまりに一方的だ」

 向けられる敵意の視線にも、リアはなんら痛痒を感じない。

「諸君らは勘違いしているようだが……」

 リアは立ち上がって竜眼を向ける。それだけで、圧力が一同を椅子に縛り付ける。

「これは交渉でも、請願でも、命令でもない。ただの提案だ」

 微笑すら浮かべて、リアは言い放った。

「ただの提案だ。地球ごと全ての地球人が消滅するか、それとも少しの地球人が生き残るか、選ぶのは二つに一つ」

 会議室に沈黙が落ちた。

「少し、考える時間を取ろうか」

 それまで無言を通してきた御前が発言した。

「リアさんたちには、少し外してもらってな」



 自動販売機でコーヒーなぞ飲みながら、リアとサージは壁に背を預けていた。

「……どうなるかな?」

「今日中には答えは出ないだろうな。アメリカと話し合うんじゃないか?」

「アメリカか……。中国とロシアはどうするんだろ」

「どちらも無視していいだろう。特に中国は、本土からの移民は受け付けないしな」

 アルスと話し合って決めたことだ。中国からは移民の受け入れはしない。台湾は別だが。独裁政権には慣れているだろうが、共産主義をあちらの世界の人間は受け入れないだろうし、支配者階級にとっても邪悪だからだ。

「問題はイスラム圏だよね~」

「メッカが存在しなくなるわけだからな。それを言うならキリスト教圏も問題だが」

 敬虔なキリスト教徒なら、最後の審判と思って素直に死んでくれた方がいい。まあアメリカが抵抗してくることは間違いないだろうが。

「大陸弾道弾ミサイルでも防げるんだよね?」

「多分大丈夫だろう。あちらの世界の防御は、神竜に任せた」

 実際のところ、神竜は世界を守る存在であって、人間や魔族を守る存在ではない。

 しかし人間が減りすぎては困るのも確かなのだ。そのあたりは確認してある。



 一時間弱の後、リアとサージは会議室に呼び戻された。

 そこで出された結論は、半ば予想されたものだった。

 保留。

 同盟国であるアメリカと話し合って、方針を決めるという。リアは軽く頷いた。

「もちろんそれでも構わないが、アメリカの軍事力を頼みにするなら、やめておいた方がいいとは言っておく」

 好意的な笑みを浮かべて、リアは魔王と同じ宣言をした。

「こちらに攻撃をかけてきた場合、その国は地図から消滅するだろう」







「それでは、ここで」

 国会議事堂を出て、リアは御前に別れの挨拶をする。

「どこへ行くんだ?」

「家族のところへ。最悪でも、身内だけは守りたいので」

 サージともいったんここで別れる。果たしてどれだけこちらの言うことを信じてくれるか。

「御前もあちらの世界へ連れて行く人員をまとめておいてください」

「……世界中を相手にして、本当に勝つつもりか?」

「勝負にもならないでしょうね。これが占領を目的としているならともかく」

 ゲリラ戦を仕掛けられたら、確かに長引くだろう。だが魔王や神竜の目的は、地球を破壊することだ。領土や資源には興味がない。

「じゃあ、先に行ってきます」

 サージは転移した。目の前から前世の故郷へ。

 リアも軽く一礼すると、その場から上空へ飛翔した。

 見送る一同は、唖然としている。それへ向けて、御前は声をかけた。

「さあ、働くとするか。無理はあるが、それでも残された希望だ」

 最後のご奉公だな、と御前は心の中で呟いた。

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