第115話 地球へ……
「く……臭い……」
地球へ降り立った二人が感じたものは、まずその大気の臭さであった。
「え~、地球ってこんな感じだったっけ?」
鼻をつまんでサージが大げさにもだえる。
「いや、確かに東京の大気は田舎と比べると臭かったというか化学薬品ぽかったとは思うが……。あちらの世界には大気汚染はほとんどなかったからな」
ドワーフの里では炭を焼く煙の独特の匂いがしたが、それでもここまでではなかった。
「私はともかく……お前は大丈夫か?」
竜の血脈を持つリアには、悪臭耐性というものもある。通常は活火山などで活動するためのものなのだろうが。
「うん、まあ、慣れるよ」
本来顔を隠すために持ってきたマスクをして、サージは応じる。
「それにしても……ちゃんと都内に転移出来たのか?」
二人が今いるのは、小さなビルに挟まれた路地裏だ。時刻は分からないが、夜であることは間違いない。
「それは大丈夫だと思うけど……ちょっと寒いね。今何月なんだろ?」
薄い外套を通して、冬の寒さを感じる。サージは素早く火魔法で手元を暖めた。少しだけ心配していたが、地球でも魔法は問題なく使えるようだ。
リアは暑さにも寒さにも耐性があるので問題はない。軽く跳躍して、ビルの屋上に飛び移る。サージも転移でそれを追いかけた。
「東京タワーとスカイツリーがあるから……世田谷区は向こうか」
「まずは実家?」
「いや、実家は横浜なんだ。生前世話になった方の所へ行く。あの人なら政界にも財界にも顔がきくからな」
「……姉ちゃん、どういう前世送ってたのさ?」
「偶然知遇を得られる機会があってな。ちなみに虎徹をくれたのもその人だ。日本のフィクサーだな」
なるほど、とサージはまたリアを理解した。日本で剣術や武術に生涯をかけた変わり者には、怖い人との関わりがあっても不思議ではない。
「では飛ぼうか」
リアは飛翔し、サージは飛行の魔法を使って、東京の夜空を舞った。
「ここだな」
リアが案内したのは、ちょっと立派なお屋敷といった感じの日本家屋だった。門構えこそあるが、正直サージのイメージしていた、お城のような豪邸とは違う。
「ここ? 正直もっと大きな家を想像してたんだけど……」
「私の死ぬ直前には、もう半分引退されていたからな。この家と鎌倉を往来されていた。さて、こちらにいるかどうか……」
ちなみに現在時刻は午後の9時である。途中のコンビニで、年月日と時刻は確認した。
普通にインターホンを鳴らすと、しばらくして応答があった。
『はい、どなたでしょうか』
『夜分恐れ入ります。もし御前がいらしたら、かつて虎徹をいただいた者があの世から帰ってきたと伝えて欲しいのですが』
『……いたずらですか?』
『いいえ。その声は前田さんですか? もし都合が悪ければ、また明日にでも出直しますが、空に見える世界の件で来たと伝えていただければありがたいです』
『……少々お待ちください』
やがて門が開いて、リアにとっては久しぶりの老女が一人現れた。
『……あなたが?』
訝しげにこちらを見る視線も懐かしい。
リアはフードを下ろし、素顔を露出させた。
『お久しぶりです。こんな姿になっていますが、田村雄三です』
「姉ちゃん、そんな名前だったんだ……」
今更明らかになったリアの名前に、サージはどうでもいい感想しか持たなかった。
『田村様は4ヶ月前の震災でお亡くなりになったはずですが……』
『はい。ですがあちらの世界では』
リアが指差したのは空に浮かぶもう一つの世界。
『もう20年ほども時間が経っているのですよ。信じられないのも無理はないかもしれませんが、あちらの世界で生まれ変わったんです。今回の世界と世界の接触について、御前のお力を借りたくて、急は承知でやってきました』
そう言いながら、リアは腰から鞘ごと虎徹を抜いた。
『これはあちらの世界で虎徹を真似て作ったものです。御前に見ていただければ分かると思います』
『……まずはお入りください』
全くの無表情になりながら、お手伝いさんは二人を玄関へと案内した。
『こちらでお待ちください』
とりあえず案内された座敷で、二人は待たされることになった。
「姉ちゃん、足痛い」
あちらの世界では正座などしたことがないので、この姿勢には無理がある。
「無理するな。気さくな方だ」
そういうリアは平然と正座を崩さない。この体勢から抜刀する技などもあったため、それなりには慣れている。
さほどの間もなく、襖を開けて一人の男が現れた。年は40絡みだろうか。
『田村を名乗ってるのはどっちだ?』
『俺です。菊池さんも、お久しぶりです』
その男もまた、リアの知る人物であった。今は視線に殺気さえ漂わせて、リアを見ている。
『田村なら……こいつを抜いてみろ』
リアの虎徹をそのまま渡す。リアはその場で座った姿勢から、抜く間も見せず虎徹を振りぬいていた。
『田村より腕がいいんじゃないか?』
『あちらでも修行しましたから』
ふむ、と菊池は頷いて、ちょっと待ってろと言ってまた部屋を出て行った。
「あの人、ボディーガード?」
「分かるか?」
「レベルはともかく、スキルが結構すごかったから」
確かに前世では組手の相手をよくしたものだ。実力はほぼ互角だったか。
もっとも剣術のレベルは低いはずだ。代わりに棒術のレベルが高いと思う。
それほどの間もなく、ゆったりと老人が現れた。着物を着て、サングラスをかけている。相当高齢ではあるが、背筋は伸びていた。
瞬間リアは座布団から後ろずさり、ぺたりと畳に頭をつけた。
『お久しぶりです。御前』
『……田村、お前女になっちまったのか。しかも随分と別嬪になりやがって』
老人は笑った。心底楽しそうな、無邪気とさえ言える様な笑いだった。
『実は完全に女というわけでもないんですがね。紹介します。こちらは同じく日本からあっちに転生した友人です』
サージはすっくと立ち上がり、宮廷儀礼にのっとった挨拶をした。
『サジタリウス・クリストール・クロウリーと申します。どうぞサージとお呼びください』
御前は手を振ってサージを座らせると、自分も座ってリアに頭を上げさせた。傍らには菊池が佇んでいる。
『生まれ変わった割には、随分と大きいじゃねえか。そこんとこどうなってるんだ?』
『こちらとあちらでは、時間の流れが違ったようです。21世紀から2000年前に転生した知人もいますよ』
『そんで名前は? それも変わってるんだろう?』
『リュクレイアーナ・クリストール・カサリア・オーガスという長い名前ですが、リアと呼んでください』
『ほう、なんだか偉そうな名前だな。あちらには貴族でも居るのかね?』
『ええ。民主制の国はほとんどないですね。俺は今、あちらの世界で3番目に大きな国の王様をしています』
『田村が王様か! こりゃ驚いた!』
二人の間で会話が続く。それはかつての地球での話で、まるで記憶をすり合わせるような作業だった。
それに続いて、リアが前世で死んでからの細かい話になった。リアは独身だったが家族がいなかったわけではない。その話も聞けて、リアは個人的な重石がどけられたような気がした。
『それでお前さん、何をしにここまで来たんだ? まさか昔話だけをしに来たわけじゃないだろう?』
それまでの歓談から、急激に空気が重くなる。あちらの世界ではサージもよく感じた、傑物の威厳とも言える様な威圧感だ。
リアは空を指差し、圧力にも動ぜず会話を続けた。
『魔王の言葉は、御前も聞いたと思います』
『ああ、ふざけた話だがな。地球を壊すって……本当に出来るのか?』
『出来ます。あちらにはそういう力を持った生物……神竜がいるのです。単に人類を滅ぼすだけなら、俺一人でも充分なんです』
『竜……いやそれより、お前さん一人でも、世界を滅ぼせるってのか?』
『多少は見逃すでしょうが、一ヶ月もあれば、地球の大都市全てを廃墟に出来ると思います』
『どうやってだ? いくらお前さんでも、剣で何億もぶった切るわけにはいかねえだろ』
『魔法を使います。世界中に映像を流して言葉を翻訳したように、向こうの世界には魔法がありまして、一人で核攻撃と同等の破壊力を持つ魔法が使える者が、片手に余るほどいます。集団で手分けすれば。もっと多いでしょう』
『魔法とはまた、随分と胡散臭いものが出てきたな』
『そのために彼をつれてきました。サージ、軽く転移してみてくれ』
「了解」
異世界の言葉で応諾し、サージは短距離の転移を行った。
さすがに日本を裏から支配した男も、これには驚いた様子を隠せなかった。
『たまげた。本当にたまげた。幻覚の類じゃないよな?』
『なんなら証明のために、どこか一つ小さな国を滅ぼしてきましょうか。日本にとってうっとうしい、例のあの国とか』
『いや待て。冗談でも待て』
リアは待った。御前が情報を整理するのに、それほどの時間はかからなかった。
『それで、もう一度聞くが、お前さんは何をしに来たんだ?』
『あちらの世界への移民ですが、魔王アルスは日本人を最優先に考えています。なぜなら彼も日本人だからです。しかも俺のような生まれ変わりでなく、日本人のままあちらに召喚された』
『すると野郎は、自分の故郷をぶっ壊そうってのか?』
『日本で過ごした15年と、あちらの世界の1000年。彼にとっては、あちらの世界の方が大切だということです。それにどの道、もう選択肢はありません』
リアも竜眼に力を込める。
『日本以外の国の人間には気の毒ですが、これは魔王が決め、私も賛同しました。あちらの世界では、既に9割以上がそれを認めています』
『そうか……。病人や老人の移民は認めないとか言ってたが、あれはどうなんだ?』
『言葉通りです。基本的に60歳を過ぎた人間は全員弾く予定です。御前のような影響力を持つ人間はともかく、いわゆる老害は向こうでは必要ありません』
その説明に御前は絶句していた。
『……俺のような年寄りはともかく……60過ぎならまだまだ働ける人間は多いだろうに』
『ですから基本的には、と申しました。特殊な技能を持っていたり、研究をしていたりする人間は、こちらで選別します』
『……田村よお……お前さん、随分と偉い立場になったもんだなあ……』
低い声音で御前は呟く。
『一方的に殺すと言っておいて、一方的に選ぶと言っておいて、それでこちらが納得すると思ってるのか?』
『椅子にふんぞり返って偉そうな態度でいる人間は、あちらでは必要ありません。現場で働く人間と、一部の指導者がいれば充分なのです』
『お前……』
『あちらの世界には、基本的人権などという言葉は存在しません。魔王はともかく、各国の王でさえ理解出来ないでしょう。魔族領はともかく、数少ない民主制の国家でも、人権の説明などしても鼻で笑われるでしょうね』
『進むも地獄、残るも地獄か……』
『それで話は戻りますが、御前には移民の選別に力を貸していただきたいのです』
『無茶を言うぜ……第一アメリカがどう言うか……』
『アメリカの技術者や科学者も、日本に次いで優先的に選別する予定です。ですがキリスト教を信仰する人間は、なかなか難しいでしょうね』
『難しいどころか、不可能だろうよ。日本人でさえ、進んで行くようなやつがいるかどうか……こりゃ戦争になるぞ』
『そうでしょうね』
『軽く言うな……。あちらの世界でも戦争は多いのか?』
『この間までは人間と魔族の戦争がありましたが、今は平和です。小さな争いは起こりますが、それは地球でも同じでしょう』
御前は腕を組み、長考に入った。リアは静かにそれを眺めていたが、サージは退屈だった。魔法を使ってあちこち眺めているが、次第に眠くなってくる。
『どのみち、俺一人で判断できることでもねえ。とりあえず今日は泊まっていけ。他に何か用事はあるのか?』
『いえ、それではお言葉に甘えさせていただきます』
こうしてリアとサージは、久しぶりの布団で一夜をすごすことになった。
寝巻きを借りて、木材の天井を見る。目を閉じたまま、サージが話しかけてきた。
「姉ちゃん、なんだか大変そうだね」
「まあ、そうだろうな。突然世界を滅ぼすと言ってるんだ。そう簡単にことが運ぶとは思ってないさ」
懐かしさを感じる天井を見ながら、リアはすぐさま眠りに落ちた。
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