第112話 竜の血脈
「あ、あれは……」
カーラの目の前で、リアの姿が変貌していた。
かつて命を賭けて戦った存在、黒竜。
だが今目の前にある体躯は、あの時よりもはるかに巨大だ。神にも匹敵するその全長は、成竜の比ではない。
「怪獣大決戦だ……」
魂が抜けたようにサージも呟く。だが、そんなスケールの話ではないだろう。
巨大な山塊にも似た存在が、その巨体を絡み合わせる。その一撃一撃が、一つの都市を破壊するほどの力を持っている。
「うわ、お前ら傍を離れるなよ? 一応守ってやるから」
オーマの言葉に従い、カーラとサージはその傍に寄る。確かに当たれば、人間の肉体など弾け飛ぶだろう。
見れば魔族の方へはテルーが居る。移動した気配さえ感じなかった。
「全く、おかしなことになったものだ」
そのテルーの代わりに、オーマの隣に浮かぶもの。
漆黒の髪に竜眼。リアによく似たその容貌。
暗黒竜バルスがそこにいた。
なぜここに、という問いもない。テルーの隣には、水色の髪の竜、ラナがいる。
絶大な力を誇る神竜にとっても、この戦いは他人事ではないということか。
「あの者は既にこちらの世界の存在のはず。なぜ元の世界にあれだけ執着するのか」
理解できない、というふうにバルスは頭を振る。
正直、同じ転生者であるサージにも完全には理解出来ない。
この世界には魔法がある。チートじみた自分の力で、今では貴族にまでのし上がってしまった。
前世では平凡な学生だった自分が、世界の首脳部と話し合える立場にある。夢が叶ったと言ってもいい。
だがリアは違う。
以前に聞いた話では、ちょっと変わった職種ではあるが自分で選択し、望んだ人生を送っていたはずだ。
その自分を育ててくれた世界を滅ぼすのには、躊躇があって当然だろう。
ちなみにかつてラビリンスに聞いた限りでは、彼女は生前登校拒否の女の子だったそうな。おかげで今も迷宮に引きこもっている。
そんなことを説明すると、バルスはそっと吐息をついた。
「記憶を消してやるほうが幸せかもな」
それはそれでどうだろう?
リアの行動は明らかに前世に引きずられている。それがなければ、ギフトがあったとしてもこの状況には至らなかっただろう。
バルスの後継者としての力を得るまで成長したかも怪しい。
「話すのは後にしたらどうだ?」
バルスの意識を目の前の光景に戻すオーマ。
決着がつこうとしていた。
神と竜の戦いは凄まじいものだった。
天地は鳴動し、落雷の雨が降り注ぎ、旧帝都の地下からはマグマが盛り上がってきた。風は嵐となり、地表を削っていく。
あまりの惨状に、バルスとラナが結界を張ったが、それをも時々貫いては地平線の彼方で爆発が起こる。
神の魔法はほとんど竜の鱗に弾かれ、流星雨でさえその防御を貫くにはいたらない。
一方の竜の力も、神にはほとんど通用していない。万物を破壊する闇のブレスでさえ、光に遮られて届かない。
結局は肉弾戦になる。
神の拳が、足が、頭突きが竜の肉体を打つ。
一方の竜は、その爪で、尾で、何より牙で神の肉体を穿つ。
神話に残る戦いを前に、カーラは己の身の内から湧き上がる衝動を覚えていた。
竜と神の血をその身に宿すカーラには、この戦いの行く末が見えるような気がした。
かつて竜は神を滅ぼした。
そして今、目の前で戦っているのは竜と神だ。
リアは、勝てる。
戦いの中で、リアの意識はおぼろげであった。
痛みも感情も無く、ただ本能のままに戦っていた。
その爪で、尾で、牙で。
至近距離から吐くブレスで神の肉体を露にし、そこへ牙を立てる。
修復されるが、確かに傷を与えている。
一方の神の力では、竜の鱗を貫くことが出来ない。
「滅びよ」
アルスの宣告と共に、虚無の刃が竜の肉体を切り裂く。
翼の一方が切り裂かれるが、それでも竜の攻撃は止まらない。
虚無の槍が肉体を貫いても、竜は生きている。
心臓を貫いても、竜は生きている。
「どうやったら勝てるんだ、こんなの……」
神の肉体のその中心で、アルスは頭を抱えていた。
かつてカーラやギネヴィアたちと共にマネーシャで竜と戦った時は、魔法で散々に竜の防御力を破って、カーラの剣が竜の心臓を貫いて止めをさした。
あれは成竜だった。1000年前にも見たから間違いない。
だが目の前のこれは、成竜などはるかに及ばぬ力と肉体を持っている。
まさか神竜。いや、さすがにそれはない。1000年前に目にしたバルスの力は、さらに上だった。
本当の最後の切り札が、アルスにはある。だがそれは、今ここで使っていいものではない。
「降参、降参、こっちの負け!」
神の腕が竜をタップするが、その攻撃はやまない。
ブレスが魔法の障壁を破り、その牙が首筋に突き立てられる。
いや、突き立てられようとした時。
黒竜よりもさらに二回りは巨大な竜が、その動きを封じていた。
暗黒竜バルス。
その腕がリアの首と翼をつかみ、アルスの上から遠ざける。
いまだ暴れるリアの上に、さらに三体の竜が乗りかかる。
四柱の神竜。
千年紀でさえ顕現しなかった、四柱の神竜。
巨山をも超える巨体が、リアの肉体を抑えていた。
竜となったリアはそれでも暴れようと身動きしたが、バルスがその魔力を吸い取っていく。
魔力を失った竜の体は霧散し、あとにはぼろぼろの鎧を纏ったリアが、ガラッハを抱くようにして倒れていた。
目を開けると、天使がいた。
「目が覚めましたか、リア」
いや、それは良く見慣れた顔。
カーラに膝枕されている体勢だと分かった。
「いったい……何が……」
そう言いながらも、記憶が戻っていく。殺意と戦闘衝動に支配された記憶が甦り、ひどく気分が悪い。
額に手を当てると、じっとりとした汗が滲んでいた。その汗を、カーラがハンカチでふき取っていく。
「私は……負けたのか?」
最後の記憶が定かではない。だが、力は膠着していたような気がする。
「いや、君の勝ちだよ」
顔をそちらに向けると、地面に座り込んだアルスがいた。
「私が……勝った?」
「そうだよ。僕が降参した。それでも攻撃を止めようとしない君を、神竜の方たちが止めてくれたんだ」
なんだ、それは。
決闘の決着としては、どうにも締まらないものではないのか。
「バルス達は?」
「こっちだ」
リアが顔を反対に向けると、四柱の神竜と、立会人たちが立っている。
「それで、勝者の権利はどうする? 命を寄越せとか言われたら逃げさせてもらうけど」
アルスはおどけたように言って立ち上がる。敗者にしては、随分と余裕のある態度だ。
「私は命を賭けた戦いのつもりだったんだがな……」
ふらつきながらリアも立ち上がる。習慣的に腰に手をやって、そこに刀が無いのに気付く。
「虎徹は?」
ガラッハの存在は感じる。リアの中にそれはいる。
だが虎徹がない。手の延長のように使えた刀がなくなっている。
「一応回収出来たけど……」
そう言ってサージが差し出したのは、真ん中で真っ二つに折れた愛刀の姿だった。
思わず泣きそうになるリアに、アルスが手を差し出す。
「貸して。直してあげるから」
「直せるのか?」
そもそも和解した訳でもない相手の武器を直すというのが不自然なのだが、虎徹は武器としてはアルスにとって脅威ではない。
「復元」
本来人体に使うはずのその魔法で、虎徹は元の姿を取り戻す。
「1000年も生きていたら、こういう魔法も使えるようになるんだよ」
不思議そうにそれを見ていたリアに、アルスは柄を向けて虎徹を渡す。
一瞬に斬ろうと思えば斬れる間合い。わずかな緊張感の中、リアは残り少ない魔力で作り出した鞘に、虎徹を納めた。
大げさに安心の吐息をつくアルスを、リアは半眼で睨みつける。
「どういうつもりだ」
「別に……。それぐらいなら、ついでに直してもいいと思っただけだよ」
肩をすくめるアルス。だが、珍しく真顔で見つめてくる。
そういえば、いつもかすかな微笑みを浮かべていたような印象がある。
「それで、君はどうしたいのかな?」
「どうしたいのか?」
「勝者の権利だよ。人魔大戦を起こすか、それとも……大崩壊を起こすか。どちらにしろ、神竜は君にも僕にも味方しないよ。それは確認してある」
正直リアは、勝てるとは思っていなかった。1000年前の勇者にして、当代の魔王。自分とは力が隔絶していると思っていた。
勝った今も、その実感がない。
いや、実感がないのは別の理由か。
自分が竜になったのは覚えている。だが、あれは自分の力と言っていいのだろうか?
剣術でも体術でもない、この世界に生まれたときにあったギフトの力。それはリアの力ではあるが、前世の自分とつながった力ではないと思う。
「どうしようか……」
腕を組んで悩むリアを見て、またアルスは呆れたように首を振った。
「決めてないのに、どうして決闘なんかしようと思ったの?」
「姉ちゃん、基本的に先のことは考えてないから……」
失礼なサージの物言いにも、リアは文句をつけない。普段ならともかく、今回は先のことは考えてなかったのは確かだからだ。
戦えば、分かると思っていた。少なくとも自分が死ねば、悩むことはないと思っていた。
「まあ、選択肢はほとんどないけどね。僕に協力して地球と戦うか、僕と対して人魔大戦を起こすか。……あと地球の味方をするという選択もあるけど、これはお勧めしない」
何度も考えていた選択を、アルスは突きつける。結局その中から選んだのは地球を滅ぼすというものだったのだが。
「地球を守ってこの世界と戦うなら、我々と戦うことにもなる」
静かにバルスが言ったが、それは死刑宣告だ。自己満足で地球に味方しても、結果は見えている。
「それに元々、地球という世界は滅びかけている」
それは新たな事実だった。
「初耳だけど……」
「言っていなかったか? そもそも地球は強い魂を持つ者が転生出来なくなって、そのくせ人間が世界に溢れかえっている。転生したり召喚されたりする者がほぼ同じ時代から来るのは、熟した果実が落ちるように自然なものだ」
なんだ、それは。
それは何もしなくても、結果は変わらないということではないのか。
21世紀から転生してくる人間ばかりというのは、時間の流れが違うにしても、おかしいとは思っていたのだが、それを追究することはなかった。
「それを先に教えてくれていれば……」
「誰かが教えていると思っていた」
平然とバルスは言って、アルスと他の神竜がうんうんと頷いている。
「おいらも初耳だけど……」
「まあ、21世紀はぎりぎり乗り切れるかどうからしいけどね」
アルスが説明するに、2000年以上前から、太い幹である世界の地球は、人間の住む限界を迎えつつあったそうな。
人口の爆発的増加が究極的な原因らしいが、確かにこの1世紀で人口が急増したというのは教育番組でも見た記憶がある。
その結果、地球という環境では人間全てを賄うことは出来なくなるらしい。
「地球にも千年紀に似た現象、つまり戦争で人口を減らすということは起こってたけど、全世界から見ればたいした規模じゃなかったからね」
「しかしエネルギー問題も食糧問題も、解決の糸口はあったはずだ」
原油の代わりに原子力やメタンハイドレート、食料に関しては遺伝子操作による増産もあったはずだ。
「だが地球は滅びる。枝がその先にもう伸びていないのだ」
冷然とバルスは宣告した。
なんでそんなことが分かるのかと問いただしても、分かるから分かるのだろう。
「だからさ、地球から移民を受け入れるのは、むしろ温情だと思うんだよ。機械文明はあまり発達してないけど、魔法の力を使えばその分はかなり補えるからね」
「それじゃあ元々、選択肢は一つしかないじゃないか……」
リアは溜め息をつく。
地球を、滅ぼすしかない。
「あ、いや、きみの力を使うなら、もう一つだけ方法がある」
指を立てたアルスの提案はろくでもないものだった。この男の言うことは、基本的にろくでもないのだが。
「竜になって地球へ行き、その力で人口を減らしていけばいい。10億人ぐらいに減らせば、少しは延命出来るんじゃないかな」
お勧めは中国とインドを無人の地にすることだ、とまでアルスは言った。確かに人口で言うならその地域が多いのだが……。
「あとアメリカも資源の消費という点では選択に入れるべきなんだけど、あの国がなくなると世界のパワーバランスが崩れるからねえ……あ、むしろそれで戦争を起こさせたほうが……いや、ロシアを残すとろくでもない結果になりそうだ」
「地球の問題をあちらで解決するなら、この世界は魔族を他の大陸に移民させて、バランスを取ることは可能だ。接触した世界を離すことも無理ではない」
バルスの言葉を受けて、アルスがまたぴこんと指を立てた。
「それはいいね。地球の人口が減ることは同じだけど、彼らは故郷を失わなくて済む。こちらの世界は人魔大戦を起こさなくて済む。自分で言ってなんだけど、これが一番いいんじゃないかな?」
やはりこの男の命に対する考えは軽々しい。数字でだけしか判断が出来ていない。
それが魔王の宿命なのだろうか。
「地球と……戦おう」
小さな声で、リアは呟いた。
「そして移民を受け入れよう。地球には滅びてもらう」
語尾に至るにつれて力強くなっていくリアの言葉に、アルスは情けない顔をする。
「どうしてそうなるかな? 僕の案の方が、よっぽど楽だと思うけど」
「我々としては、地球を滅ぼした方がありがたい。この世界の寿命は圧倒的に延びるだろう」
バルスはそう言うが、リアはもちろんそんなところで判断したわけではない。
「移民としてこちらに来れば、地球の人間もこちらで面倒を見なければいけない。ただ数を減らすだけというのは無責任だろう」
我ながら無茶苦茶な理論だと思うが、アルスは諦めたように頷いた。
「共感は出来ないけど、理解は出来るよ。為政者としてはそんな面倒なことはやりたくないけどね。まあ、勝者の言葉に従うよ」
リアの中の血が、彼女自身に語りかけてくる。
この世界を守れと。それがお前の宿命だと。
世界を守るべき存在である竜の血が、リアを縛ろうとする。
「まったく……ひどい話だ……」
スターリンも毛沢東も真っ青の大量虐殺だ。おそらくこの選択で、リアの名前は人類が存在する限り、永遠に歴史に刻まれるだろう。
いや、自国の民を殺したわけではないので、その点だけはマシかもしれないが。
とにかくこの物語にハッピーエンドはない。ただ、悲劇として永遠に伝えられるだろう。
「リア」
その肩を支えるのは、カーラ以外にはいない。
何も言わなくても、カーラは傍にいてくれる。何をしても、背中を守ってくれる。
「愛想をつかしてくれてもいいんだぞ?」
「それこそありえない選択です」
微笑を浮かべるカーラに向かって、リアは苦笑を浮かべた。
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