第104話 慶事と凶事

「やっちゃった……」

 ベッドの上で目の覚めたサージが目にしたのは、メガネを外したクリスの寝顔だった。

 まだあどけなさを残すその顔が可愛らしくて、サージはしばし見とれていたのだが……。

 床に落ちた服を手に取ると、音を立てないように静かに着ていく。

 だがそれは無駄だったようだ。

「サージ……?」

 メガネはあくまで魔法道具。起き上がったクリスが胸元を隠し、サージの方を見やってきた。

 諦めたサージはクリスに近寄ると。その頬に接吻した。

「体はもう大丈夫?」

「ええ、それもう。あ、でも……」

 シーツの汚れに気付いて、顔を赤くするクリス。サージはそれを魔法使い特有のやり方で綺麗にした。

「俺は一度部屋に戻るから、食堂で話そう」

「ええ、サージ……」

 そのままやはり胸元まで赤らめて、クリスは言った。

「昨日は私、幸せだった」

 いちいち可愛い彼女だった。



「ああもう、可愛いな、ちくしょう!」

 自室のベッドの上で、サージは悶えた。

 昨日は初めてだから、普通にしただけだった。でも、次はどうだろう? あれぐらいはしてもいいだろうか。あれはちょっとまずいだろうし、あれは体型的に不可能だ。あれをしたらさすがに怒るだろうし……。

 いちいち昨日の記憶を反芻しては、反応してしまってしばらく起き上がれなくなり。

 結局食堂へ行ったのは、身の回りを整えたはずのクリスの方が先だった。

 そしてなぜか、同じ席にギネヴィアがいる。

 普段ならとっくに執務室にいるはずの時間だが、なぜか、なぜかここで書類をさばいている。

 そしてクリスの顔は真っ赤だ。

「昨夜はお楽しみでしたね」

「ごふ」

 サージは34ポイントのダメージを受けた。

 そして二人はギネヴィアの手伝いをさせられることとなった。







 ジェバーグに戻ったリアとカーラは、昼間に魔族の町を訪問していた。

 ゴブリンやオークと言った種が多いが、中にはダークエルフ、下半身が蛇のナーガなどと言った種族もいた。そしてなんと人間も。

 空から飛来した二人に、最初は戸惑った魔族たちだが、やがて何事もなかったかのように動き出す。

 そこには街があった。若干田舎な感じもするが、むしろ人間の街よりよほど清潔だと、二人は感じた。

 適当に歩いている魔族を捕まえて聞いてみると、アスカの住んでいる政庁らしき建物があった。

 もっとも、当然のことだが吸血鬼の彼女は現在就寝中で、会うことが出来るのは夕方以降だということであった。

 そこで二人は連れ立って、魔族の町を歩くことにした。



「驚いたな」

 それが二人の感想だった。

 まず田舎と感じたのはまだ開発が途中の場所で、政庁から少し離れた官庁街や商店街は、作りかけとは言えマネーシャ以上の大きさを持つ建物が少なくなかった。

 もしこれが魔族の街でなく人間の街であれば、すぐさまジェバーグは寂れてしまうのではないだろうか。そうとさえ思えた。

 それに各種族の仲が良い。

 もちろん体のサイズや下半身の形態によって違いはあるのだが、棲み分けがきちんと出来ている。これに比べれば人間に統一された規格の人間の街の方が、よほど暮らしにくいだろう。

「そろそろ夕方だ。行くとするか」

 カーラも頷き、二人は軽食を食べてから、政庁に向かった。



 政庁はマネーシャなどと同じ、レンガ細工で作られていた。

 中に通された二人の前に、さほどの間もなくアスカが現れた。

 彼女には珍しく、その姿には憔悴の色があった。

「ようこそ。仮の政庁へ」

「これが仮ですか。随分と立派なものですが」

 カーラは心底から感心していたが、魔族にとってはこれでもまだ満足の行く出来ではないのだろう。

 二人はテラスのようなところに案内された。実際そこからは、夕暮れを急ぐ街の住人たちの姿がよく見えた。

「魔族には夜行性の種族も多いからね。眠らない街よ、このヌルジェバーグは」

 ジェバーグの近くという意味か。それだけこちらに気をつかっているのだろう。



「それで、話は何?」

 ワイングラスに注がれた血を飲みながら、アスカは問いかけた。

「魔王に会いたい」

「無理よ。どこにいるか、あたしたちも知らないもの」

 そういえば、以前にもそう聞いた気がする。

「でも、近く現れてくれるわ。そんな気がする」

 実際にはこの頃、魔王はファルサスの戦いで使う新型のロボットの整備で、魔族領に戻っていたのだが。

「こちらの方には、黒猫の首領がやってきたぞ」

「げ、何か変なこと言ってなかったでしょうね。あの人たちと陛下は犬猿の仲なんだから」

 実際はその程度のはなしではないのだが、そうでも言わざるをえない。

 それに関してはカーラがまとめて説明した。

 アスカは溜め息をつく。



 結局新しく分かったことはなかった。ファルサスの戦いで人間の連合軍が勝ったことにも、アスカはさほどの衝撃を受けた様子を見せなかった。あるいは既に知っていたのかもしれない。

 これに対して人間が強気に出る可能性があるので、しばらく街の住人は外へ出ないように通達すると、素直に頷いた。

 ここまで来て新しく得た情報はなかったが、魔族の街をこの目で見たのは大きな収穫だった。

 それは余計に、魔族と人間は戦ってはいけないという確信を持たせた。







 ジェバーグのバルガスに街を頼むと、二人はまたマネーシャへと戻った。

 そこで二人は、サージに目出度い話を聞くことになる。

 クリスとの結婚である。



 この非常時に、という気もするが、この非常時だからこそ、ということもある。

 実際千年紀が始まって以来、役所への結婚の申請数は激増しているのだ。

 いつ死ぬか分からないのだから、思いを残しておきたくはない。そう考える者が多いのだろう。

「なるほど~、うんうん、なるほど~」

 頷きたいだけ頷いた後、にまにまと笑顔になって、リアは問いただした。

 プロポーズの言葉は何ですか? いつどこでどちらから言い出しましたか、など、どこぞの芸能レポーターかである。

 それに対してクリスは頬を染めた沈黙で、サージはぶすっとした表情で答えた。



「あのさ、せっかくの目出度い話で悪いんだけど」

 その場所にはギネヴィアも一緒にいて、サージをおもちゃにしていたのだ。

「クリスのお父様が生きてらっしゃったのだから、そちらの許可ももらわないといけないわよ」

 この世界の貴族の場合、結婚には家長の承諾がいるのだ。それをもらえないと、駆け落ちということになる。

「その、実はお父様は、いざという時にはサージの元に身を寄せるようにと……」

 伯爵、侮りがたし。

「それじゃあ女王の許可がいるわけだけど、いいわよね? 女王様」

「いやじゃいやじゃ。まろは初夜権を行使するぞ」

 こちらの世界の人間には全く分からないやりかたで、リアは駄々をこねた。



「いったい何が不満なんですか、あなたは」

 呆れたようにカーラが問う。するとリアはわざとらしく振り回していた腕を止める。

「このくそ忙しいときに幸せになっている人間が憎い」

「三人も妻がいる人がいうことですか」

「だってその子も可愛いじゃないか」 

 そこではっとして顔になる。

「いいかいクリス、サージがもし浮気したら、私のところにおいで。女同士なら浮気にならないから」

 なるなる。この場合はなります。

「い、いえ、それは……。それに貴族でしたら、側室の何名かは持って当たり前だと思います」

「え! いいの!?」

 途端に冷たい視線を浴びせられるサージだった。



 元々予定されていたサージの昇爵の儀式が執り行われる間に、今度はファルサスでの連合軍の敗退が知らされた。

 これによって連合軍はいったん解散、それぞれの国に戻ることとなる。

 事実上帝国の北部は魔族領となったわけだ。

 そしてこれで、荒廃していた帝国北部も復興することになる。これ自体は望ましいことであるが、魔族が繁栄するというのは、はやり人間にとっては恐ろしいことだろう。

「魔族と人間の間の橋渡しを、私たちがしなければいけませんね」

 カーラはそれでも冷然と呟いた。



 しかし魔族と人間との間にある溝は、そう簡単には埋まらない。戦争による結果だけでは埋まるはずもないのだ。

 大陸暦3003年の冬、魔族領からは続々と後続の軍勢が、非戦闘員と共にやってくる。

 それはジェバーグの近辺でも同じことで、ささいな衝突がおこることになった。

 原因は猟である。

 魔族の中には主食が肉である種族も多く、それだけ多くの獲物を必要とした。それが人間の猟師の領域とかぶったのである。

 その場は魔族側が譲ったことにより速やかに諍いは回避されたが、このような態度はやがて、人間に考えてはいけないことを考えさせることになる。

 即ち、魔族とはそれほど恐れるものではないのではないかと。

 この周辺では魔族よりも魔物の脅威の方が大きいのも、それを助長した。



 そしてついに、その日はやってきた。

 人間の猟師たちによって、コボルトの小集団が殺されたのである。

 原因は猟の獲物の奪い合いだったが、数の多さを頼んだ人間の傲慢さがこれを呼んだと言っていい。

 リアはこの問題に対してジェバーグの自治領ではなく、自らの手によって処分を下す必要に迫られた。

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