第101話 魔王軍行進
魔法都市を事実上の傘下に置いた魔族軍が次に目指すのは、神聖都市である。
神聖都市パラーン。
かつてこの世界に存在したという神々をいまだに信仰し、その教義を伝え、神聖魔法を伝授する都市。
当然、この都市だけは魔族とは相容れない。避けがたい戦闘が、そこに待っていた。
魔族軍は100万の大軍をほぼ全て、この都市の攻略に向けた。
魔法都市から魔族軍に転向した者が念のために降伏の勧告に出たが、彼は首だけになって帰って来た。
「人間はいつの間にか、我らよりよほど野蛮な種族に堕ちたようだな」
そう呟いたレイは、総軍による攻撃を開始した。
パラーンの城壁は魔法都市とは違って20メートルの高さがあり、施設も充実している。
巨人族による攻撃も、魔法の防御がこれを防ぐ。初日はほとんど、魔族軍のみの損害で終えた。
問題は、二日目を迎える前に起きた。
各部隊を指揮する聖騎士たちが、大量に暗殺されたのである。
犯人は全くの不明。目撃情報はなし。だが深夜にもかかわらず、神殿上層部は新たな配置を決める必要に迫られた。
そして二つ目の問題が起きた。
この神殿上層部の神官たちが、また暗殺されたのである。
疑心暗鬼の中、二日目の戦闘が行われた。
魔族軍の攻撃は初日に比べると穏やかなものだった。まるでこちらの弱点を探っているかのように。
それにもかかわらず、パラーンの損害は大きかった。
急ごしらえの指揮官が、適切な指示を行えなかったからである。
そして恐怖の二日目の夜がやってきた。
この日もまた、数人の高官が暗殺された。しかも今度は司祭たちがである。
篭城戦は、心の折れたときに負けが決まる。
その意味では三日目の昼までは、まだパラーンは敗北していなかった。
敗北が決定したのは四日目の朝だった。
厳重な警備に守られた最高司祭の枕元に、短剣が突き刺さっていたのである。
これは言うまでもなく、いつでもお前を殺せるというメッセージだった。
かくしてパラーンの上層部は降伏を決めた。
収まらなかったのは前線の兵士たちである。
それなりの損害を出しているとは言え、まだ城壁は完全に健在。指揮官も多少は減ったとはいえ充分な数がいる。
だが彼らも、五日目には戦意を喪失していた。
昨日まで指揮を執っていた聖騎士たちが、多くの数を減らしていたからである。
暗殺者の特定は、最後まで出来なかった。
まさかそれが、日頃から顔見知りの、無害な行商人によるものだとは誰も思わなかったからである。
パラーンは武装を解除され、一緒に戦っていた魔法都市の派遣軍は帰国を許された。
聖騎士たちはさすがに隔離され、しばしその自由を奪われることとなった。
かくしてわずか六日で、神聖を誇ったパラーンは魔族のものとなったのである。
だがレイは魔族を市内に入れようとはしなかった。市民感情というものがあると分かっていたからである。
彼女がしたのは、城壁の破壊。それと門の完全な開放である。
数々の神像が祭られている神殿には手もつけなかった。パラーンの住民は、ただ城壁のなくなった街で、心細く過ごしていくのである。
魔族軍の進撃は、ここで止まるわけではなかった。
約半数の戦闘力に劣る部隊を治安維持と補給路確保のため残し、残りの精鋭を大陸中心部、かつての帝国のあった場所に向けたのである。
そこには今、カサリアとレムドリアの部隊が失われた秩序を回復させるべく進軍している。
ここで初めて、レムドリアとカサリアによる、魔族との決戦が行われるはずであった。
一方、大陸東方である。
こちらはある意味、オーガス以上の平穏に包まれていた。
まず大森林には、魔族は決して手を出そうとはしなかった。これは以前から魔王直々の命令があったからである。
エルフとは相互不干渉。これは人間とエルフの関係にも似ていた。
イストリアにはそもそも、魔族軍と対決するだけの体力が残されていなかった。
10年に及ぶ内戦がようやく終結し、新王は奴隷の解放をその政策の一つに掲げていた。
その奴隷には当然ながら亜人も含まれており、そんなイストリアにとって魔族と協調するのは、決して難しいことではなかったのだ。
むしろ魔族領の農法によって、その荒廃した土地が速やかに甦っていくのだが、それはまだ後の話。
イストリア王はその領土に正式に魔族の移民を認め、事実上の同盟を組んだ。このあたりはオーガスと同じ関係である。
大陸南部の国は、当初他人事だった。
だが魔法都市が陥落し、神聖都市が陥落するにおよび、かつての千年紀の伝説を思い出したのだ。
帝都と東方の諸島を除き、ほとんどの人間が大陸から抹殺されたということを。
大陸南西部のルアブラは、既に名のみの存在。それを保護していた大部族の長が、人類側として援軍を発することとなった。
南部のカラスリは商人たちの取り付け騒ぎにより、軍が動かせないという情けない状況だった。これを魔王が長年かけて行った策であると、人間側は知らない。
南東部の七都市同盟は、レムドリアとの長年の戦争の後にもかかわらず、これを支援することを決定した。もっとも軍を編成するのは難しく、主に後方支援が担当になったが。
かくして決戦の準備は整った。人間側はレムドリアとカサリア軍それぞれ50万に、南西部の援軍が10万、そして中小国家軍が合計で10万の、合計120万。
これはもちろん人類史上最も多い、ありえないほどの大軍勢であった。
総司令官は、レムドリアのリュクシオン王子。若干21歳の若さながら、かつて父王リュクホリンが落とせなかった城塞を陥落させたという戦上手であった。
だが彼はその戦闘勘ゆえに、この大軍がまともに動けるとは思っていなかった。
レムドリア軍が正面から敵と戦闘。カサリアとその他の軍で包囲という、ごく単純な作戦を立てたのだ。
舞台はかつて帝国領の北であった地。
ファルサスという名の地で、その決戦は行われる。
一方その頃、レムドリアの首都にある黒猫の本部では、もう何回目になるかも分からない会議が開かれていた。
「我々はこの戦争を傍観する」
いつもなら最後に発言するヤマト ―― 聖帝リュクシファーカが口火を切った。
「いいのか?」
色んな意味を込めて、トールがその問いをかける。
シファカは頷いた。
「我々が戦闘に手を出したところで、アルスがあれを持ってきたら、結果は同じだ。むしろとばっちりを受けた両軍が、被害をうけるだろう」
「もう、大崩壊を避けるのは諦めるのかね?」
こちらも普段は無口なアルヴィスが口を挟む。
彼こそが1200年前、竜翼大陸より生き残りの人類をこの大陸に率いてきた、もう一人の大賢者だった。
「諦めるわけではない。だが、現状手がないのだ」
既に何もかもを諦めているような、そんな目をシファカはしていた。
「目の前の戦いだけなら、あたしが爆裂魔法を使えば人間側が勝てると思うけど……」
普段は活発なシャナも、この事態に至っては元気がなかった。
「それは意味がない。たとえ目の前の50万の魔族を倒しても、まだ50万の魔族が残されている。それに……」
シファカは手を組んだ状態のまま、その事実を述べた。
「おそらく魔族領本国には、10倍以上の軍が残っている」
それは事実であった。
100万の魔族の軍勢。だが魔族という種族の戦闘力の高さを考えれば、その多くが戦闘に向いているはずなのだ。
この戦いは黄金竜クラリスを失った時点で、人間の敗北は決定していたと言っていい。
「バルスはどうなんだ? 以前には人間側の陣営で戦ってくれたが」
半ば分かっていながらも、アゼルは問わずにはいられなかった。
「クラリスを失って、バルスまで失っては、大崩壊を乗り越えられない。手を貸してもらうわけにはいかない」
その言葉は、唯一大崩壊を乗り切った人間の言葉だけに、反論を許さなかった。
「結局、何も決められないわけか」
トールが溜め息をつく。しかしそれを、シファカは否定した。
「私がリュクレイアーナ女王に会ってみようと思う」
普段は動かないシファカの、それは珍しい言葉だった。
「アゼルも同行してくれ。出来れば竜殺しのカーラごと、こちらの陣営に取り込みたい」
そう、シファカは諦めていない。
おそらく魔王と並んで聖帝こそ、この世で諦めから最も遠い人間なのだ。
「そしてクオとも話をしよう。この事態に、大森林だけが無事で済むはずがないのだから」
その老いたはずの目に、確かな輝きが宿っているのを、仲間たちは確認した。
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