第100話 暗黒竜との対話
そこには、巨大な竜がいた。
いるというだけで人を畏怖させる、神聖にして混沌たる、暗黒竜バルス。
その巨大さにも、クリス以外は膝を屈することはなかった。
「鎮静空間」
サージの魔法で、クリスにかかっていた圧力が阻害される。それでようやく、クリスは立ち上がった。
「大丈夫?」
「ええ。ごめんなさい」
自分ひとりが弱い。それをクリスは痛感していた。
「良くぞ来た」
その声にまた、圧力が込められている。魔法の補助がなかったら、サージも膝をついていただろう。
「バルスちゃん!」
イリーナが叫び、その姿を認めたバルスは、またその巨体を小さくさせていく。
あの時と同じように、リアに良く似た人間の女の姿がそこにあった。
「千年紀に、何をしに訪れたか」
ここで前に立ったのはサージだった。
「暗黒竜バルス、俺は大賢者の称号を継ぎました」
バルスは応えない。それは見るまでもなく分かっているのだろうか。
「それで、千年紀の意味も知りました。だけど、大崩壊の意味だけがよく分かりません」
バルスは頷く。そして話を続けさせる。
「大崩壊の意味を教えてください」
「人間には意味がない」
バルスは答えた。
それは答えではない答えだった。
絶句するサージに代わって、リアが進み出た。
「今、上の世界では千年紀が始まっている。これまでと違い、魔族と人間は争わず、共生の道を探っている。これは、大崩壊への道ではないのか?」
「その通り。やがて大崩壊が訪れる」
「その大崩壊というのは、この惑星が崩壊することではないのか?」
「違う」
明確に、バルスはサージの推理に反対した。
「では何が起こる? それが知りたい」
「それは、まだ知るべきではないだろう。聞きたければ、魔王となった勇者に聞くがいい」
バルスは頑なだった。
なぜかそれを教えようとしない。それはなぜなのか。
おそらく教えたことにより、何かが起こったからだ。
その何かとは何か?
おそらくそれが、魔王に教えたことなのだ。
「大崩壊を、人間は生き延びることができるのか?」
リアは質問を変えた。
「分からん。だがごく少数の人間は、生き延びることができるだろう。かつてエルフやドワーフ、亜人たちがそうであったように」
やはりそうか。
リアは予測を立てた。かつて、大崩壊と呼ばれる何かがあった。
そしてそれは、他の世界に接触するようなものであった。勇者が異世界から召喚されるように。
人間もまた、その異世界からやってきたのだという。すると、その元の世界はどうなった?
それこそ、崩壊して消滅したのではないか?
「バルス、あなたに最後に一つ聞きたい」
リアの疑問は、その回答で氷解するだろう。
「あなたの力は、この惑星を破壊することが出来るか?」
「……出来る」
幾分かの逡巡を交えて、バルスは答えた。
リアの疑問は解けた。あとは、皆で話し合えばいいだろう。
だがその皆に、含まれていない者が一人いる。
「その三人は、初めてここへ来たな」
アスカとクリス、カーラの二人に、バルスの視線が向けられた。
「祝福を与えよう」
その瞬間、二人の魔力が急激に高まった。
「願いがあれば、叶えよう」
「では私には、更なる力を」
迷いなくアスカは答えた。
バルスが頷くと、アスカの魔力が限界まで高まる。それに耐え切れず、彼女はその場に倒れこんだ。
「おい、馬鹿だな。しっかりしろ」
リアがそれを介抱するのを見て、クリスは答えた。
「出来るなら、不老不死を」
不老不死。
それは呪いともいえる力。
やがては死を望むようになると言う、呪われた祝福だ。
「駄目だ! クリス! ただ老いないだけなら、魔法でどうにでもなる!」
止めるのはサージだった。しかしクリスは首を振って否定した。
「あなたは、永遠に生きる覚悟があるのでしょう?」
違う。サージはただ、力を求めただけだ。
不老不死なんて、それに付随したものにすぎない。いざとなれば火口にでも飛び込んで自殺してしまえばいい。
だが、クリスは自らそれを選んだ。
「一緒に永遠を生きる人が、一人ぐらいいてもいいでしょう」
それはサージに対する呪いでもあった。
バルスの放った光を浴びて、クリスは永遠の時を生きる道を選んだ。
「馬鹿だな……。多分不老不死なんて、ろくでもないものなのに」
時折、アゼルの表情の老いを見たサージは知っている。
だがクリスが知っているのは、その道をサージが選んだと言う事実だけだった。
それにサージには分かっていない。
故郷を後にしたクリスに残されているのは、サージだけだということを。
そして最後にカーラが残った。
「私が望むのは、ただ一つ」
リアを見つめる。切ない気持ちになりながら、リアもカーラを見つめ返す。
「彼女と、永遠に一緒にいたいだけ」
それは不老不死よりもさらに長い呪縛。
だがそれを、二人は望んだ。
「我の力の及ぶ限り、それを果たそう」
そしてカーラもまた、バルスの黒い光を浴びた。
「では、我からも問おう」
願いを叶え終えたバルスは、次に自分の願いを口にした。
「リュクレイアーナ、我の後継者となる覚悟は出来たか?」
「出来たかも何も……そうするしかないだろう? 幸い、それに付き合ってくれる物好きもいるし」
肩をすくめて、リアは応えた。
物好きな銀髪の美女は、それに対して微笑した。
「ならば行くがいい。次に会うのは、全てが終わる時であろう」
そしてバルスは、リアたちを地上へと跳ばした。
暗黒迷宮の入り口に、六つの姿があった。
その中の一人、亜麻色の髪の少女は、ずっと俯いたままだった。
「あたしは行くわ。もう別に、人質の意味も少ないでしょ」
都合のいいことに時間は夜だ。飛んで行くことは無理ではない。
「ああ……」
リアの短い答えに、アスカは黒い翼を出して、空の彼方へと去っていく。
「あいつ、無理しやがって」
そしてその場には、人間側の五人が残った。
「さて、まとめないといけないな」
リアが言って、皆が意見を出し、千年紀と大崩壊についてまとめる。
千年紀については、もう全てが分かった。魂の循環。これによって、世界を保つというものだ。
そして魔王が殺し合いを拒否したことにより、この摂理は失われることとなる。
これにより、大崩壊が起こる。この大崩壊についてが、未だにはっきりとしない。
だがバルスの言葉とサージの推理から、惑星自体が破壊されるわけではないと分かった。
そしてサージの記憶によると、1万人の人間が、四つの大陸に別れていったという。
今、この世界には四つの大陸がある。
最大の竜骨大陸がここ。そして、竜牙大陸、竜爪大陸、竜翼大陸で四つだ。
しかし今、人間が住んでいるのは竜骨大陸しかないと言われている。
他の三つの大陸の人類がどうして滅亡したかはともかく、1200年ほど前に、他の大陸からの移民が大陸の南東部に住みついたという。
現在の七都市連合である。
原因も理由も分からないが、今この世界には、この大陸しか人間が住んでいない。
大陸の人口は、およそ6億人と言われている。これは人間だけの数だ。
千年紀でそれが100分の1まで減ったとして、それでも600万人は生き残る計算になる。
だが、大崩壊で残ったのはわずかに1万人。
世界と世界が接触し、片方の世界が滅びて、ようやく1万人だけが生き残ったと考えると……。
千年紀で殺しあう方が、大崩壊より600倍マシということか。
笑えない事実である。
それにバルスは、生き残れるかどうか分からないとまで言った。
そして世界の崩壊を否定しなかった。
他の世界と無限につながりを持ち、そして殺しあう。大崩壊とはそういうものだろうか。
「頭が痛いな……」
リアは本当に頭を抱えた。今更魔族と殺しあう訳にはいかない。
アスカの例を見るまでもなく、彼らは人間以上に人間らしい。今更とても、凄惨な殺し合いなど出来ないだろう。
「魔王に会う必要があるな」
どこにいるかも分からない魔王。だが、彼の持っている知識が、必ず必要になる。
結局、リアの出した結論はそれだった。
魔王アルスに会う。
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