第98話 ジェバーグ侵攻

 その日、はるか遠くの山道から、ジェバーグへ向けて侵攻してくる軍団が発見された。

 既に予測されていたそれは、速やかに報告され、遠話の魔法で中継され、すぐにマネーシャまで届けられた。

 その数、数万。

 山道を通ってきただけあって、魔法都市に襲来した軍団よりははるかに少ないが、それでもジェバーグを陥落させるには充分な数であった。

 しかもその中には一体、深紅に塗られた巨大ロボットが鎮座している。

「参ったな、こりゃ……」

 ジェバーグ軍の指揮を執るバルガスは、内心で頭を抱えていた。

 リアからは、こちらから戦端を開かないようには言われている。だがそれを無視しても、攻めようがない。

 だが魔族軍は、宿営地を作ると、こちらをただ包囲するだけだった。



 翌日、マネーシャからリアとカーラが飛んで来た。文字通り、空を飛んで来たのだ。

 そして夕暮れを待って、魔族軍からも使節が現れた。

 その中には、亜麻色の髪の少女、吸血鬼のアスカの姿もあった。



「悪いわね、こんな時間に」

 アスカの第一声がそれだった。吸血鬼は昼間はろくに行動が出来ない。アスカほどの強い吸血鬼でも、それは同じだ。

 魔族軍の陣営とジェバーグの門の中間で、天幕が広げられた。

 オーガス軍はリアとカーラに数名の官僚、魔族軍はアスカの他は武官らしき者ばかりであった。

「話の前に、まず三年前のことを聞いておきたい。あの狼男は、どういうつもりだったんだ?」

 そのリアの声には怒りがこもっている。最も大切な者を壊されかけて、怒らないほうがどうかしているのだ。

「あれは……悪かったわよ。こちらも監視の目が届いてなくて……。一応陛下が、ぎりぎりで間に合ったらしいけど」

 リアの刀を止めたのは、確かに魔王だった。あのタイミングなら、確かにカーラを助けることも出来たのだろう。



 だが、リアは納得しない。

「正直私は、あんなのを飼ってる魔王を信じていいか迷っている」

「あたしもあんなのはさっさと死ねと思ってたけど……まあ、陛下に対する忠誠心だけは確かだったからね。それにまあ、あんなのにでも家族がいたわけで……」

 そうか、家族がいたのか。

 あんなのにでも、家族がいた。

 今や人の親となったリアには、ほんの少し残された家族を哀れむことが出来た。

「奥さんが13人に子供が25人だったかな?」

 訂正。哀れまない。

「なんだそりゃ。どんだけ女好きなんだ」

 そういうリアは既に妻が3人に子供が4人いるわけだが。

 背後のカーラが、それでも表情を変えなかった。



「それで、あなたたちは何を求めているのですか?」

 当事者のカーラが、話を進めた。あれはもう過去のことだ。当人の中ではそれで終わっている。

 その言葉に、アスカもほっと表情をゆるめた。

「私たちは、人間との戦争を望んでいない」

 それは確かなことだった。こっそりとカーラが使っていた虚言感知の魔法にも引っかからなかった。さらに隠蔽している可能性はあったが。

「私たちは、あの山からこの周辺までの土地が欲しい。そこを耕して、街を作りたい」

 これも嘘ではない。もっとも嘘をつけば、この吸血鬼の少女なら、すぐに顔に出そうではあるが。

「そしたら、私たちと人間の共生を認めて欲しい」

「ふむ……」

 リアは考えこむ。魔族との共生。それはこの三年以上、ずっと考えていたことだ。

 カーラの件で一度はご破算にしかけたが、冷静になると、今ここで敵と戦っても、多大な被害が出るだろう。

 それに、何より気になることが一つ。

「魔王は今、どこにいるんだ?」



 それは最重要な情報と言えた。

 もしこの会談を近くで見ているのなら、リアとカーラが単身の力で魔族軍を倒したところへ、襲い掛かってくるだろう。消耗した二人では、あの男には勝てそうにない。

 そうなるとリアの好悪はともかく、魔族軍の言い分を認めるしかなくなる。

「それは……あたしにも分からない」

 声が弱々しくなる。しかし。

「だけど、必ず必要とされるところにいる。陛下はそういう方よ」

 逆にその言葉には、絶対の信頼が込められていた。



 リアには選択肢があまりなかった。

 大きく分けると、戦うか否かである。

 戦うなら単純でいい。この、目の前の顔見知りとなった吸血鬼も含めて、リアとカーラ、そしてジェバーグの戦力を合わせれば、勝てないことはないだろう。だが、犠牲が出るのも確実だ。

 その犠牲を、リアは許容したくなかった。

「街を作ることを認めてもいい。だが、かなりこちらに都合のいい条件となる」

 アスカは無言で促した。

「まず、城壁の建設は許さない。いざというとき、魔族の拠点になるのを防ぐためだ。柵レベルまでだな」

「いいわよ。それで」

「与える土地だが、ジェバーグからはもう少し離れた位置にしてもらう。何かあった時に、こちらの防衛体制を整えるためだ」

「それもいいわ」

 リアとアスカはともかく、その背後の部下たちが緊張していく。

「そしてこれが一番の問題となるかもしれないが……」

 リアはアスカを見つめる。嘘は許さないという、強い視線で見つめる。

「こちらがそちらを安全と認めるまで、何人かの人質が欲しい」



 アスカは溜め息をつくと、うんうんと頷いた。

「分かったわ。あたしと他に何人か、弱そうなのをそちらに任せます」

「いや、お前はいらない。強すぎるから」

 がくりとアスカが崩れた。

「人質の人選は……その後ろに立っているやつらでいいのか?」

「え、いやそれは困る。軍が回らなくなるから」

 オークやゴブリンもいるが、それが幕僚なのだろう。

「じゃあお前でいいか。昼間は弱いもんな」







 かくして大陸暦3003年、オーガスと魔族の間における非戦協定、ジェバーグ条約が結ばれた。

 これは当初1年間だけの条約であったが、両者の合意により延長されることになる。



 魔族は力の強い種族が多く、ジェバーグから徒歩で一日の位置に、すぐに集落が作られていった。

 それに伴い、ジェバーグを包囲していた魔族軍は移動し、リアの指定していた土地を耕作することになる。

 リアは自らの目でもって、それを見物もした。

 やがてジェバーグから、魔族の集落に向かって、隊商が出ることになった。

 これには当初、必ずリアかカーラが同行していた。何かあったときの抑止力のためである。

 しかし本当に、何もなかった。

 魔族たちは黙々と土地を耕し、人間の知らない知識で、不毛と思われていた土地に作物の芽を出させた。

 ジェバーグのアスカもおとなしいもので、時々監視の者を連れては人間の街を見て回っていた。

 もっともそれは、昼間の間、吸血鬼の力が出せない時間に限られていたが。



 そうやって、日々は穏やかに過ぎていた頃。

 マネーシャから一つの情報が送られてきた。

 サージが帰国したのである。



 最初その情報を聞いたとき、リアはただ嬉しそうな顔をしただけだった。

 だがサージが至急リアとカーラと、そしてギネヴィアまで合わせて話がしたいと聞いて、不審な顔になった。

 サージからは定期的に手紙を受け取っていたし、連絡員から話を聞いたりもしていた。

 それがこの急な要請である。

 悪い予感がした。

「アスカ、一緒に来てもらっていいか?」

「あたしは構わないけど、そちらこそいいの?」

「ここにお前を残していくのは危険すぎるからな」

 現在アスカ専用の戦闘ロボットは、ジェバーグの中にしつらえた天幕の中にある。

 もしあれで戦闘を起こされたら、それだけでジェバーグは壊滅するだろう。

 アスカのことは信用しているが、万一の危険を考えるのは為政者の務めだ。



 リアとカーラ、アスカの三人は、空を飛んでマネーシャへ急行した。

 王宮の中庭に到着すると、そこには懐かしい顔があった。

「姉ちゃん!」

 だが、懐かしいのは顔だけ。

 サージの身長は、リアを優に追い越していた。

「お前、でかくなったなあ」

 170センチは軽く超えているだろう。リアも女性にしては充分高いのだが、ここまでではない。

「積もる話はあるけど、とりあえず……アスカさんも一緒なの?」

 既に日は没し、残光も残っていない。でなければアスカは飛べないのだが。

「あたしが一緒でまずいなら、どこか見学でもさせてもらうけど?」

「いや……むしろ魔族側の人がどれだけ知っているか、それも知りたいし」



 ギネヴィアも合わせた五人は、城の応接室に集まった。

 消音で声が洩れないようにする入念の入れ方に、他の四人は不思議にさえ思ったのだが。

「何から言えばいいのか……」

 サージは迷っているようだった。その表情には、かつてあった幼さは残っていない。老成ささえ感じさせる。

「まずは結論を言え。話はそれからだ」

 リアが促す。その率直さが変わってないことに、サージは喜びを感じた。

「じゃあ、言うよ」

 それでもごくりと唾を飲み込んで、サージは告げた。

「このままだと人類は……いや、世界は滅亡する」

 それが大崩壊の真実だった。



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