千年期
第97話 魔族侵攻
永久凍土の氷が溶けて、間もなくのことであった。
聖山キュロスの中腹に設けられた観測所は、地平線の彼方からやってくる、魔族の軍団を発見した。
その数、不明。10万や20万ではないだろう。
監視の兵は本部に対してこう答えた。
「敵が多すぎて、地面が黒く見えない! 敵が7分に黒が3分。繰り替えす。敵が7分に黒が3分だ!」
銀色に磨かれた甲冑を着た、オークやトロールが隊列を組んで砦に向かってくる。その姿は明らかに1000年前とは違った。それを知るアゼルは恐怖した。
(これか……。これがお前の自信の源か、アルス!)
魔族の大軍は矮小な砦の前で止まると、発声器官が人間と同じダークエルフが降伏勧告を始めた。
曰く、武装を解除し、食料を提供するなら、市民の財産に手をつけることはなく、乱暴な行為もしないと約束すると。
もちろんこれを信じる人間側ではなかったが、与えられた三日の猶予は充分に使った。
近隣の神聖都市に神聖騎士団の派遣を要請し、街の城壁を少しでも高くしようと魔法使いが手を入れたのである。
だがそれは三日目の時間切れとともに、全て無駄だったことを知る。
「な、なんだありゃ……」「巨人だ……」
ギガース族。サイクロプスほどではないが、巨大な体を誇る巨人が、砦へ向けて突進してきたのである。
木製の柵など、彼らの前には何の障害でもなかった。
その穴から魔族の軍隊が侵入してくる。せいぜい数千の兵がこもるのがやっとの砦に、数十万以上がである。
砦は一日で陥落した。
魔族軍はその後、軍を三つに分けた。
砦とその周辺に宿営地を作る部隊と、聖山を東西から迂回して進攻する部隊の三つである。
このうち東側から進攻する部隊は、魔法都市と神聖都市の合同軍によって、足を止められた。むしろ、自ら足を止めた。
本命は西側の部隊だった。
森を切り開き、道を作り、それはまるでコルドバの軍勢のように、魔族軍は聖山を迂回した。
ことここに至って、魔法都市はその名に恥じぬ大魔法を使う。
流星雨。
多くの魔法使いが儀式によって召喚した隕石の雨が、魔族軍に直撃した。
「おお!」「やった!」
城壁の上で湧き上がる将官たちの間で、一人アゼルは冷静だった。
(威力が低すぎる。これは向こうも対処をしてきたな)
確かに数千の損害を与えた。だが儀式魔法を使って、わずか数千である。
次の魔法を使うまでに、おそらく敵の先鋒は魔法都市の城壁に達しているだろう。そして魔法に長けたダークエルフや吸血鬼、ナーガといった種族がまだ出てきていない。
そして攻城戦になれば、あっという間にこの都市は落ちる。それは1000年前の経験から明らかだった。
(どれだけ被害を与えられるか、それとも市民を逃がすべきか……)
だがアゼルの判断は、それを求められることすらなかった。
「なんだ、あれは……」
森を抜けてやってくる、その集団。
一見するとゴーレムのようにも思えるが、ゴーレムにしては巨大すぎ、そして俊敏すぎた。
(あれか!? 馬鹿な! 量産まで終わっていたのか!?)
この時アゼルは、魔法都市の陥落を知った。
数十体のそれは、ゴーレムではない。ロボットだ。
科学と魔法を合わせて生み出した、魔族軍の切り札。
「迎撃をしろ!」「駄目だ! 早い!」「間に合わん!」
馬の何倍もの速度で突っ込んできたロボットに、城壁は蹂躙された。
将軍たちは慌てて避難したので無事だが、精神的な衝撃は大きかった。
ロボットは火球の魔法を全くものともせずに、こちらを攻撃してきたのだ。
「1000年か……」
ふとアゼルは呟いていた。
1000年間、人間は争い、調和し、また争ってきた。その中で発展してきたものもある。
だが魔族のこれは、明らかに違う。目的をもって作り出した、戦うための文明だ。
敗北感に襲われている暇はない。アゼルがここで死ぬのはいいとしても、市民たちを巻き添えにするわけにはいかない。
「非戦闘員は学園に非難させろ! 魔法使いたちは破壊された城壁の修復作業に当たれ!」
幸いというべきか、ロボットたちは城壁の内部には入らず、その破壊の後には後退していった。
おそらくこちらの消耗を待っているか、あるいは示威行為か。どちらかというと後者のように思える。
あれとは、とても戦えない。戦えるとしたら高位の魔法使い数人がかりでようやくか、あとはアゼル本人ぐらいだろう。
さすがに魔王本人が使っていた物に比べると魔法への抵抗力も低いが、それでも並大抵の魔法は効果がないだろう。
そしてあの装甲。おそらくそのままの武器の攻撃は通用しない。
トールの使っていた聖剣でさえ、完全なダメージを与えることは出来なかったのだ。
そして三日後、魔族軍本隊がやってきた。
オークやゴブリンといった数の多い種族が、破壊された城壁から入ってくる。巨人族が修復された城壁をまた破壊する。
それは蹂躙だった。
「降伏せよ! 降伏したものは命は保証する!」
ダークエルフの女将軍、レイが声をかけているが、魔族に降伏する人間なぞいない。
それは両者の間に育まれていた、恐怖と憎悪の感情に寄った。
結局は気絶したものや重傷を負って戦えなくなったもののみが、捕虜となっていく。
「大賢者を探せ! 彼の意思であれば、人間も降伏するだろう!」
そして魔族軍の中には数こそ少ないものの、人間の兵も混じっていた。
彼らは建物に篭城する同胞たちに、魔族領では人間も魔族と共に暮らしているのだと説得する。
だがこれも無駄だった。魔族に対する人間の感情は、それほどまでに偏っていたのだ。
辱められるぐらいなら死を選ぶ。そういった兵たちが何人も、何十人もいた。
それを見てレイは強く唇を噛んだ。彼女の敬愛する魔王の、言っていた通りのことが起こっている。
人間は魔族と同化しようとはしないと。
だから魔族の側から、強引にでも同化するしかないと。
そのためには、戦争に勝たなければいけないと。
全て言うとおりだった。
「いいかい。東に派遣した軍と神聖騎士を連れて戻ってくる。だから決して、早まったことはしないように。たとえ一度は捕虜となっても、必ず助けるから」
学園に篭城した守備隊の隊長に、アゼルは自分でも信じていないことを言っていた。
魔王は確かに魔族に秩序を与えた。人間と同化するというのも、魔王の理想はそうなのだろう。
だが、末端までその意識が浸透しているとは思えなかった。人間同士でさえ、戦争とはそういうものなのだ。
分かってはいたが、今はアゼルは逃げることを選んだ。この敵の強さを、皆に知らせなければいけない。
知らせたとして、勝てるのか。
1000年前と同じ、暗黒竜バルスの力をもってしなければ、人間の勝利はありえないのではないか。
そう思いながらも、アゼルは天に舞い、まずは東方へと向かうのだった。
人間は愚かだ。レイはそう思った。
なぜいたずらに死を選ぶのか。わずかであっても、そこに希望があれば縋ろうとしないのか。
いや、と思い直す。
それは全て、魔王が与えてくれたものだ。
最初は力による強制であったという。
それから次に、法による支配があったという。
そして今では、倫理や道徳と言ったものが、魔族を支配している。
あるいはそれは、魔王という権威があってこそのものなのかもしれないが。
魔族軍は市街地に侵攻すると、まず食料庫を手に入れた。
100万にもなるというこの軍勢を維持するのに必要な食糧は、魔族領から輸送するだけではギリギリでしかない。
よって魔族軍は食料を現地調達すると共に、屯田制を試験的に導入する考えだったのだ。
元々魔族で最も多いゴブリンは雑食であるし、オークもそうである。肉食よりも穀物を育てたほうが多い人数を食わせられるのは常識である。
一方の学園に立てこもった人間軍は、早晩食糧不足に陥ることは目に見えていた。
それでも万一の希望を託して降伏しないのは、アゼルが神聖都市の援軍をつれてきてくれるという、儚い妄想に縋っているからだ。
実際にはこの時、東部に派遣した魔法都市の軍と、神聖都市からの援軍は、聖山の東部で10万からなる魔族軍と対峙していた。
いくら神聖都市と魔法都市が大きな都市と言っても、限度がある。10万の魔族軍とは対抗できない。
結局アゼルは、魔法都市を見捨てた。
魔法都市の派遣軍を、神聖都市へと合流させたのである。
そのままでは前後から挟み撃ちにあうという危険もあるため、仕方のない措置ではあった。
魔法都市の学園に立てこもった人々は、それでも半月は持ちこたえた。
だが敵の司令官であるダークエルフの女が、武器も持たずに入ってきて説得をするにあたり、ついに陥落した。
降伏した人々は、特に虐待を受けることもなく、薄い粥を与えられ、それまでどおり一箇所に集められていた。
そしてその食事を運んでくるのは、気のいいゴブリンだったり、愛想のいいコボルトだったりして、次第に両者の隔たりはなくなっていった。
やがて守備兵や重傷を負っていた兵たちもその中へ加わり、手厚い看護を受けたことを知ると、もはや悪意を抱いていられるのは難しくなっていった。
それでも身内をなくした人間はたくさんいたので、やはり時間はかかったのだが。
ある日、偶然生き残った伯爵が、敵の司令官であるダークエルフに問いかけた。
「ダークエルフ殿よ、そなたらは我らに、何を求めているのか?」
ダークエルフはまず名乗った。
「レイ・ブラッドフォードである」
そしてレイは、魔王の理想を語った。
人魔共生。
それは夢物語のようなものであったろう。
だが魔族領では、既に実際に成功しているのだと。
だからこそ魔族軍の中には人間もいるのだと。
戦争の中で息子を失ってしまった伯爵にも、それは理解できてしまった。
この日、魔法都市は本当の意味で陥落した。
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