第96話 力を求めて

 大陸暦3003年も一月が終わった頃。

 サージは一つの決意を秘めて、アゼルの塔を訪れた。

 ソファに寝転んで本を読んでいたアゼルは、その表情を見て、薄く微笑した。

「結論が出たようだね」

「はい。おいらは……」

 一度止める。

「私は、大賢者になります」



 準備としては何も必要がない。ただ、時間が三日かかるので、それだけは連絡しておく必要があった。

 サージが案内されたのは、入ってはいけないと言われていた四階以上の部屋だった。

 そこは、一言で言えば、科学の色があった。

 基盤を走る銅線のように、壁一面が幾何学模様で覆われている。それが天井までずっと続いているのだ。

 これは科学だ。魔法ではない。

 いや、魔法も含めた科学なのか。

「大賢者になると言うのは、つまりは知識の継承だ。そしてそれを継承した者はまず例外なく、世界を見守っていくことになる。下手に干渉するのも自由だが、あまりお勧めはしない」

 そう言いながらアゼルが案内したのは、部屋の真ん中に置かれたカプセル状のベッドだった。

「これを頭につけて、あとは寝るだけだ。目覚めたとき、君は大賢者と呼ばれる存在になっている」

 ごくり、とサージの喉が鳴った。

「知識を得ることで、君のレベルは飛躍的に上がるだろう。その力も含めて……受け入れる準備は出来たかな?」

 サージは何度か深呼吸した。どうもこの機械、洗脳マシーンのような気がしないでもない。だがそれでも、サージには守りたいものがある。力が必要だ。

 頷いたサージは、カプセルの中に入る。随分と大きなカプセルだ。考えてみれば人間以外の種族が大賢者になることもあるのだろう。

 ヘルメットを頭に付けて、サージは寝転んだ。

 やがてまどろみがやってきて、そして知識の奔流が始まった。



 それは歴史だった。

 千年紀にいたるまでの、人間の歴史。そして魔族との戦い。

 アゼルがいる。黒髪のあの人が勇者だろう。魔王は魔族の姿をしていた。

 ひどい戦いだった。

 永久凍土の向こうから現れた魔族は、ただ飢えていた。

 飢えが、行進を続けさせていた。

 それが千年紀の真実だった。

 人間も動物も、大きなものは全て食らい尽くされる。それが大陸中において行われた。大森林でさえ、その外延部が侵された。

 人間の街はほとんどが滅ぼされ、東南の諸島部と、帝都、そしてわずかに守りに適した街が残った。

 竜がいた。

 暗黒の色をした巨大な竜バルス。

 そのかすかな吐息が地平線の彼方へ至り、山をいくつも破壊していた。

 黄金の竜もいた。

 その竜は帝都を守り、近づく魔族を全て光のブレスで消しつくしていった。

 やがて人と魔物の数が、10分の1どころか100分の1にまで減った頃。

 勇者と魔王の決戦が行われた。



 1000年紀。サージはその姿を知った。

 さらに歴史はさかのぼる。人々の暮らしが、今とは全く違う都市で行われている。

 そしてまた、2000年前の1000年紀が訪れる。

 サージは絶叫していた。

 だが、歴史の流れは止まらない。

 また、繰り返される。永久凍土の向こうから、また魔族たちがやってくる。

 人が、魔族が死に、魂が循環する。

 その流れが、血に彩られた中で奇妙に美しい。

 リアに良く似た女性を見た。

 彼女は暗黒竜の背に乗っていた。

 大剣を持った勇者と、魔族の魔王の戦いは、また勇者の勝利で終わった。



 そして、3000年前。











 サージは大崩壊の真実を知った。











 三日が過ぎていた。

 連絡は受けていたが、クリスはずっと心配をしていた。

 なにしろただ、三日間留守にするとだけ聞いていたのだ。

 食事も喉を通らない、というわけではなかったが、夜ふと、目が覚めることがあった。

 サージはどこで何をしているのか。

 人には無理をするなと言っておいて、何かとんでもないことをしているのではないか。

 だからその晩、寝巻きの上に上着を羽織った姿で庭に出たのも、ただの偶然ではなかった。



 門扉を開けて、入ってくる者がいた。

 不寝番が通しているのだから、それは屋敷の者に決まっている。

 その人影は、魔法使いの杖を持っていた。

「サージ!」

 小さく叫んで、思わず駆け寄る。

 サージは己を抱くようにして、クリスの方を見た。

「どうしたの? 大丈夫?」

 そう言って近寄ったクリスを、サージは抱きしめた。



「全ては魂の循環なんだ……」

 震える手。震える声で、サージはクリスを抱きしめ続けた。

「そりゃそうだよ。そんなこと無理に決まってる。でもあの人は出来ると思ってるんだ。姉ちゃんだって……」

 うわごとのように呟き続けるサージを、クリスも抱きしめ返す。

 サージの震えが止まる。熱い吐息が、クリスの首筋を撫でていった。

「ごめん、もうしばらくだけ、このままで……」

「ええ……」

 二人は支えあうように、そのままの姿勢でいた。







 その日から、サージは変わった。

 物思いするように、遠くを見つめる時間が増えた。

 そして時々は一人で魔物の森へ行き、何日かを過ごすことがあった。

 クリスが気付いたのは、サージのまとう魔力が、静かになっているということである。

 普通魔力というのは、その呼吸に合わせたように、揺らぎがあるものである。これは魔力の強弱とは関係なく、どの人間でもそうなのだ。

 だが、今のサージは違う。

 水溜りに波がないように、魔力の動きが感じられない。

 それは魔力を完全に制御しているのだということだが、それは賢者と呼ばれる人々の中でもごく一部にしか出来ないことだろう。事実、クリスは他に知らない。



 気になったら、聞くのがクリスである。

 何しろあの夜、生まれて初めて父と兄以外の男性から抱擁を受けたのだ。それぐらいは問いかけてもいいだろう。

 だが聞けない。

 あの三日間で、サージは何十年も年を重ねたように、老成した表情を見せるようになった。

 何があったにしろ、とても他人には言えないことだろう。

 そう思った。

 だが教えてくれた。サージのほうから、告白するようにクリスへと、ある日の東屋で。



「アゼルフォード様の後継者になったんだ」

 それはさほどの驚きではなかった。

 サージのこの数日の悩みようを見ていれば、それぐらいのことはあってもおかしくはなかった。

 だからそれだけではクリスは驚かない。続けて言われたサージの言葉でようやく驚く。

「おかげで不老不死にはなるし、ほとんどの魔法の使い方が分かるようになるし、3000年分の歴史を知ることになるし……」

「サージ……」

「いまだに頭がこんがらがってるよ。でもまあ、自分で選んだことだしね」

「私に……出来ることはない?」

 だがサージは首を振った。

「今は何も……でも、そのうち、とてもひどいことを頼むかもしれない」

「あなたの頼みなら、何でも聞くわ」

 お嬢さん、それは男に言っちゃいけない台詞ですよ。

 おっぱい揉ましてって言われたらどうするのよ?

 そ、それどころか一晩付き合ってとか言われたら……。

 いや、言わないよ? 本当よ?

「その時には、本当に頼むよ」







 その夜、サージは伯爵の書斎へと呼ばれた。

 応接も出来るようにソファの置かれた一室には、二人だけ。

 それだけでサージには話の内容が分かる気がした。

「都市の魔法使いに、動員がかけられることになった」

 魔法都市は寡頭制である。貴族の選んだ元首が、政策方針を決める。

「もちろん学生はまだ対象外だが、いずれは学徒動員もされるかもしれん。いや、いざとなればそうせざるをえない」

「その前にクリスを?」

「頼めるかね?」

 それはサージにとっても都合のいいことだった。だが、名目をどうするのか。

「オーガスに向けて、魔法の交流と、対魔族戦線への強力を呼びかける。その中の研修生の一人として、クリスを紛れ込ませた」

 それは父親としては許されることだろう。だが、貴族としてはどうなのか。

「伯爵は……」

「私と息子は残る。それが、貴族としての役割だ」



 正直、貴族としての誇りや役割など捨てて、オーガスに亡命してほしいという気持ちはあった。

 だがそれは、伯爵の生き方に反することになるのだろう。

 数日後、オーガスへの特使が発表された。

 その中にはクリスの名前も入っていた。

 その護衛として、サージはオーガスへ戻ることとなる。



 その数日前、サージはアゼルを訪ねた。

 相変わらずの本の山の中に、珍しくワインなどを傾けて、アゼルはサージを待っていた。

「行くのかい?」

「はい。あそこは故郷ですから。それに知りえた事実も、女王に教えなければいけません」

 千年紀の意義は分かった。魂を循環させることにより、この世界をより健全に維持することだ。そのためには、多くの命が犠牲となる。

 そしてそれを防ごうと苦しんでいるのが、かつて勇者であった魔王なのだと。

「今更かつてのような千年紀を繰り返そうとしても、おそらくは無駄だよ。この1000年で、魔族領は比べようもない技術と力を手に入れた」

「でも、すると……」

 あの、大崩壊を迎えるというのか。

「それすらも含めて、魔王は戦う気だよ。この世界の運命とね」

 それはあるいは、単純に千年紀を迎えるよりも、よほど難しいことなのだろう。

 今でもまだ、サージにはどちらが正しいか分からない。



「今度君が来るときには、この塔のマスター権限を君にも移しておこう。もし私が死んだら、三体の僕は、君の命に従うようにしておく」

 それは事実上の遺言だった。

 サージの瞳が揺れた。

「そんな顔をしないでくれ。私はもう充分以上に生きた。1000年というのはね、人間にとっては一つの限界なんだよ」

 アゼルは笑った。疲れから解放された、すがすがしい笑顔だった。

「今はもう、早く敵が来てくれることを祈るだけさ」



 この三日後、オーガスに向けた使節の一団は旅立った。

 馬車の中からいつまでも、クリスは送迎の一行を見ていた。

「大丈夫」

 そんなクリスの手を握って、サージは力強く言った。

「俺がついてるよ」




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