第95話 最後の冒険
「もうすぐだね」
ある日何気なく、アゼルがそう言ったので、サージは聞き逃しそうになった。
「え? 何がですか?」
「永久凍土が溶け出した」
それはつまり、千年紀の始まりと言うことで……。
大陸暦3002年冬。その予兆が現れた。
永久凍土が、冬にもかかわらず後退していくのだ。そして明けて3003年、その傾向はより顕著なものになっていった。
各国首脳はそれぞれ連絡を取り、これに対して連携をとることを模索したが、上手くいかなかった。
内戦で疲弊したイストリアはともかくとして、新興国でありながらその国力の高いオーガスが、中立的な立場を取ったのである。
これには、サージがアゼルから教えてもらった情報も、影響を与えていた。
また国内では、摂政ギネヴィアの意見も大きく、女王リュクレイアーナもかつてのオーガを例にとり、すぐさまの敵対行動を避けたのである。
当然直接魔族と接するカサリア、何より魔法都市と神聖都市は、これに猛反発。
魔族の侵攻を前にして、人間側は意志を統一出来ていなかった。
魔法都市においても、オーガスのこの態度は批判を浴びていた。
オーガス出身のサージも、その実力ゆえ正面から何かを言われることはないのだが、どこか今までより遠巻きにされている。
しかし当の本人は、オーガスから来た手紙を読んで頬を緩ませていた。
二年前のカーラとシズナの出産に加えて、今年はまた、フィオの一人目とシズナの二人目の子供が生まれたのだ。
どれも女の子というのも、サージ的には美味しいことである。
「可愛いんだろうな~。どうせなら写真の魔法で送ってくれたらいいのに」
それにしても、リア女王、頑張りすぎである。
この三年間で公式に四人の子供とは、どれだけ好色と言うか、ばっちり当たると言うか、英雄色を好むと言うか。
しかしカーラが現在は妊娠していないというのは、さすがに考慮したのだろう。
竜殺しが妊娠中で戦えませんでは、笑い話にもならない。
そこへノックの音がして、やってきたのはクリスであった。
「サージ、今いいかしら?」
「うん、大丈夫だけど」
手紙は特に隠すものでもない。普通に封筒に入れて、そのまま机の上に置いておく。
「……オーガスから?」
「うん、姉ちゃんの子供がまた生まれたっていう話さ」
サージはアゼルから知りえた情報をリアに送っているが、リアからサージに重要な情報を送ってくることはまずない。せいぜい、どういった情報を知りたいかという程度である。
「それで、どうしたの?」
「次の遠征の話」
いつの間にかクリスの敬語もなくなっている。それだけ親しさが増したということなのだろうが。
「ああ、ヒュドラを狙うって話ね」
この二年で、クリスの実力は相当なところまで伸びていた。もちろんそれはサージの適切な誘導があったからだが、今やヒュドラの撃破も視野に入れている。
「それで、最後にしたいの」
え?
最後って何を?
「あなたは、オーガスに戻って。あなたの力を必要としている人が、そこにはいるでしょう?」
「いやいやいや、ちょっと待って。一人で完結しないで」
オーガスの国としての動きは、当然クリスにも知られていた。
だが彼女の振る舞いは、それまでと全く変わらないものだった。
それだけにこんな急なことを言われるのはたまらなかった。
「あのさ、クリス。この街は人類の領域では、最も魔族領に近いところにあるんだよ。そんな危険なところに、君たちを置いて帰るわけにはいかないだろ」
アゼルも言っていたが、この街はおそらく滅びるだろうと。
それまでに非戦闘員は出来るだけ逃がしてやりたいとも、アゼルは言っていたのだ。
そう説明しても、クリスは頑なだった。
「私には、もう戦う力があります」
なるほど、これは失敗だ。
この程度で戦える力と思っていられては、困ってしまう。
ヒュドラ一匹倒せる程度の力など、本当の強者の前では何の役にも立たないのだと。
「クリス、君の力はもっと、後方で役に立てるべきだ。とてもリュクレイアーナ女王の横に立って戦うことは出来ない」
「それはやってみないと分からないのでは?」
駄目だこりゃ。
「分かったよ。じゃあ、次の遠征で、最後にしよう」
サージの言葉に、びくりとクリスは震えた。分かっていても、それは悲しいことだった。
「そこで、君がいかに戦争に向いてないか教えてあげるよ」
準備は念入りに行われた。何しろ獲物はヒュドラである。
集める傭兵も、準備するものも、いつもよりずっと厳しい目で見られる。
そしてそれにサージは手を出さない。全てクリス一人でやるのだ。
サージの目で見ても、その準備に不足はなかった。戦士を五人雇い、それに斥候。学園の知り合いから、治癒魔法の得意な人間も雇ってきた。
ヒュドラの毒の対策もしっかりしている。確かにこれなら、ヒュドラも倒せるだろう。もっとも、倒した後が問題なのだが。
早朝、一行は出発した。
リーダーはクリスである。サージは基本、見ているだけだ。
足取りもしっかりと、一行は目標地点を目指す。そこにはヒュドラの目撃情報のある沼があるのだ。
探索は順調に推移した。
もうクリスも、トイレや水浴びで弱音を吐いたりはしない。実際に自分で覚えているからというのもあるが。
そして森の中に入って五日目。
一行は目標の沼に辿り着いた。
用意しておいた動物の血を、沼に流す。ここで減点一。足場を確保するため、森を少し焼き払うべきだった。
血の匂いに誘われて現れたのは、6本首のヒュドラであった。
「うお……」「でけえ……」
かつてサージが一人で相手にしたのは、5本首のヒュドラであった。難易度は、少し上か。
「解毒!」
クリスの魔法が戦士たちに飛ぶ。はい、減点二。
ヒュドラをもっと沼から離さないと、逃げ込まれる可能性が高い。
まあヒュドラは好戦的な生き物なので、そうそう逃げる可能性は高くないが。
戦闘は順調に推移した。
戦士たちと斥候がヒュドラの攻撃を受け流し、クリスの魔法が少しずつヒュドラにダメージを与え、治癒魔法使いがフォローする。
最初の一本の首を落とすのが大変なのだが、そこからは一気に楽になる。
「風刃烈覇!」
最後に残った首を風の魔法で切り裂いて、戦闘は終わった。
そう、戦闘はこれで終わりだ。
戦士たちはその場でしゃがみこみ、クリスも杖を支えにどうにか立っている。治癒魔法使いは膝をつき、全員が全力を尽くした状態だ。
そのクリスにサージは近づく。
「見ましたか、サージ! 私たちだけでやりとげましたよ!」
「うん、でも失格」
サージの手には短剣があり。
その先端は、クリスの喉元に当てられていた。
「全力を出して戦って、その後に喉を掻っ切られる。これが戦争だよ」
冷然とした声で、サージは言った。
クリスはサージを見つめている。
ただ、見つめている。その言葉に納得した雰囲気ではない。
仲間たちも何が起こったのかは分からないが、とりあえずサージがクリスに短剣を突きつけているという現実だけは見て取れる。
「たとえ、おいらが不意打ちをしなくても、ここからおいら一人を相手にして、勝てるかな?」
それは、難しい。はっきり言って全く消耗のないサージと戦うなど、こちらが全力でも、勝てるかどうか。
「これが戦争だよ。クリスには向いてない。後方で支援をするのが、君の役目だと思う」
「……でも、あなたは戦うのでしょう?」
そう言ったクリスの目には、涙が溜まっていた。
「あなたは戦って、危険な目にあうのでしょう?」
ああ、そうか。
勇者の従者なんてのは、ただの言い訳か。
クリスも一緒に、サージと一緒に、戦いたかったのか。
「おいらが? なんで?」
きょとんとした目で、クリスはサージを見つめなおす。
「え?」
「おいらは戦争では後方担当だよ。兵站管理で出世したって……言ったよね?」
サージは短剣を戻すと、クリスの肩に手を置いた。
「魔法の腕より、そっちの方が得意なんだよ。だから、前の戦争でも戦わなかった」
戦ったのはカーラを襲った、あの人狼の時だけだ。
「だからクリスも、無理して戦う必要なんてないんだよ」
そう言われたクリスは、こくんと頷いた。
まだ頭がしっかりと働いていないだろうが、とにかく納得したのだ。
「よし、じゃあ野郎供!」
立ち上がったサージは、そろそろ体力の回復してきた戦士たちに向かって叫んだ!
「素材の剥ぎ取り、開始だー!」
「ひゃっはー!」
かくして魔法都市における最後の冒険は終わった。
だがサージ自身には、結論を出さなければいけないことが、一つ残っていた。
そう。
アゼルとの約束である。
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