第92話 二年目の始まり
「なあサージ、聞いていいか?」
二年目ともなると、こうやって親しく声をかけてくる友人も出来てくる。
「んあ、答えられることならなー」
サージの方も適当な返答だ。何しろ借りていたノートを写すのに必死なのだ。
「お前とクリスってデキてんの?」
ぶーっ!
思わず机に突っ伏してしまったサージだが、この反応だけを見て事実を判断してはいけない。
「勘弁してくれ……」
相手は居候先の娘さんで、とても手を出していい存在ではない。
そういう説明をすると、相手も納得するのだが、なにしろ最近、クリスは急に大人びてきた。
元からサージの価値観からすれば美人の部類に入るのだが、背が急に伸び、体つきが丸みを帯びて、女らしくなってきている。長いストレートの黒髪の艶まで増しているようだ。
背が小さめのサージにとっては、少々コンプレックスを刺激されるのである。
「じゃあ、俺がアタックしてみてもいいわけだよな?」
「おいらは構わないけど、止めといたほうがいいと思うよ~」
サージの忠告を無視して、少年はクリスに声をかけに行く。
なにしろこの世界、結婚年齢が早い。それに貴族ともなれば、相手もさっさと決まるものだ。
家同士のつながりでくっつくことがほとんどとは言え、恋愛結婚がないわけではないのだ。
だがやはり、少年はクリスに対して玉砕した。
クリスに話すには、まず何より魔力が足りない。
そんなクリスはいまや、ほとんどをサージと同じ授業を取っているのだ。
サージは止めたのである。
そもそもクリスの魔法の才能は、どちらかというと戦闘に向いたものではなかった。研究に向いた、分析し、解析し、理論を求めるものだったのだ。
それでもすぐ目の前に千年紀が迫っているとなると、学者でいることには耐えられなかったのだろう。父伯爵や導師たちは翻意を促したが、彼女の強固な意思は変えられなかった。
おそらくだが、伯爵は気付いているだろう。
何がそこまで、彼女を変えてしまったのか。
ある日、呼び出された温室で、サージは言われたのだ。
「学園は楽しいかね?」
「ええ、なかなか自分では気付かなかった刺激があります」
「そうか、それは良かった。カーラ殿の手紙にはくれぐれもと書いてあったのでね」
伯爵は剪定ばさみでバラの棘を切っている。こちらの世界のバラにも棘があるのだ。
「……時に君は、クリスをどう思うかね」
来た!
これにどもったり、なんとも思ってないような返答をしては失格である。
「とても優秀な方だと思います。親切にしてもらっています」
これは無難な答えだと思うのだが。
伯爵は声を出して笑った。笑う要素があったのか。
「頭でっかちで無愛想、それがあの子に対する、大概の評価だよ」
「それは彼女に対する嫉妬と、表面しか見ない人間の感想だと思いますよ」
「つまり君は、嫉妬もしていなければ、内面をきちんと見てくれているということかね」
うむ、少し失敗した。
「あれもな、君の事を、悪くは思っておらん。正直、好みの激しい子だけに、意外だった」
それはカーラのおかげではないのか。なにしろ子供の頃、今は亡き母と一緒に面倒を見てくれたのはカーラだったのだから。
しかしそれも違うのだという。カーラは確かに優しい人間だが、あくまでも一介の学生としてクリスには接していたのだ。
そして、ついに伯爵は本題を口にした。
「いざという時には、あの子をオーガスまで逃がしてやってくれんか」
伯爵は淡々とそう言った。
「わしと息子は、貴族としての義務を果たさねばならん。だがあの子は女だ。他の家に嫁ぐ身だ」
「閣下、それは……」
そのいざという時が何であるか、もう知っているのだろう。
「頼まれてはくれんかね?」
「彼女自身が、それを望まないでしょう」
「無理やりにでもだ。君なら出来るだろう」
「彼女自身が望むなら、全力でそれを助けます。しかし彼女自身が望まなければ……」
サージは首を振った。
「今の僕の力では、まだ無理です。ですが、もしその時までに力が足りていれば……」
今度は強く頷いた。
「彼女を助けます。命を賭けて」
アゼルから魔法都市への上層部へ、千年紀の至る時間は告知されたようだった。
学園の授業でも戦闘訓練がなされるようになり、サージは臨時でその講師としてまで勤めることになった。
アゼルの塔へは毎日のように通っては、主に時空魔法の勉強をした。
そしてその学んだことを、またクリスに教えるのだ。サージの教え方が上手いのもあるが、彼女自身のギフトの影響もあり、その腕前はメキメキと上がっていった。
だがそれでも。
それでも、サージですら敵わないあの相手には、全く歯が立たないだろう。
それよりは付与魔法でも学んで、前線の戦士のもつ武器防具に魔法をかけるとか、そっちの道に進んだほうがいいとも思うのだが。
クリスは頑なに戦闘のための魔法を望んだ。悪いことに、そちらの才能もそれなりに備えていた。
同じく攻撃の魔法を学んでいたはずの兄を、あっという間に追い抜くほどに。
「いったいあれは、なんででしょうね?」
「それは、やはり勇者の従者を目指しているんじゃないのかな?」
アゼルの塔で、ラダムの用意した茶を飲みつつ、二人は語る。
語りながらも、魔力の押し合いをして、訓練をしている。
「1000年前にもいたよ。シャナ・ミルグリッド。勇者の供をして、魔王を倒した大魔女さ」
「ああ、そういえば」
魔王を倒して旅立った勇者を、追いかけようとして振られるという、サーガでは可哀想な役どころだ。
「そういえば、その人は最期どうなってんですか?」
「生きてるよ。この間も元気に魔王と戦ってた」
歴史上の人物が、実在の人物として平然と語られる。
暗黒竜バルスの時にも感じたが、不思議な感覚だ。
「魔王と戦ったはずの勇者が、今は魔王なんですよね。いったいどうしてそんなことに?」
バルスにも尋ねたことだが、満足のいく回答は得られなかった疑問だ。
「うん……つまり、君にとって人間とは、どこからどこまでを指すのかな?」
「エルフやドワーフも人間に入るのか、ということですか?」
「その通り。どうだい?」
「う~ん、オーガもいるし、獣人もいるし……。基本的に、こちらと意思疎通が出来れば、人間の範囲に入れていいんじゃないかと」
「そう。勇者もそう考えた。そしてゴブリンやオークといった知能の低い種族を、何年も……何百年もかけて、教化して人間と共生しようと考えた」
それがこの間聞いた、人魔共生か。
聞けば聞くほど理想主義者な、善人のように思えてくる。
「協力しなかったんですか? あるいは逆に止めようとか」
「うんどちらにしろ、失敗すると思っていたからね。けれどどうやら、成功したらしい。そしてあんな物を作ったんだからね……」
「あんなもの?」
「ゴーレムさ。トールはロボットと言っていたけどな」
それは機械。つまり、科学の力だ。
科学と魔法の融合。それを、1000年かけてやったのか。
それは強いだろう。二つの世界の力を合わせているのだ。いくら大賢者と言えど、そうそう勝てはしないだろう。
「どうするんですか! 負けちゃいますよ!」
魔力の押し合いを中止して、サージは叫ぶ。
「負けるさ。この間も言ったろう? 問題は、負け方と、負けた後だ」
「……大崩壊ですか?」
それは何度もキーワードになっている。だが、何が起こるのか明確が答えは誰も教えてくれない。
神話の終わり。世界の始まり。それが、大崩壊であるという。千年紀よりもはるかに多くの生命を消滅させたという。
「大崩壊について詳しく知ってるのは、人間では世界で二人しかいない」
特にこだわるでもなく、アゼルは教えてくれた。
「聖帝リュクシファーカと、放浪の大賢者アルヴィスだ。エルフも入れたら大森林のクオルフォス。そして、竜だね」
歴史上で最も有名な人間と、全く聞いたことのない人間の名前を、アゼルは同時に出した。
「聖帝って3000年前の人じゃないですか? まだ生きてるんですか?」
「私だって1000年生きてるんだ。無理じゃないだろう?」
そういえば歴史の授業で習う聖帝の最期は、隠遁生活に入ってそのまま死亡と言うものだった。
歴史の教科書さんが泣いているぞ。
「あと、そのアルヴィスさんという人は……」
「他の大陸が滅びたときに、生き残りを連れてやってきたのさ。彼は3000年も生きてなかったはずだけど、色々と知ってるよ。拠点を決めていないけれど、私よりもはるかに強いから、もし会えたら指導してもらうといい」
アゼルでさえ歯が立たないのに、更にその上にいる大賢者。そして魔王はそれより強い。
だが、と思うのだ。
だがリアならば何とかしてくれると思うのだ。
「姉ちゃんなら……カーラさんと姉ちゃんなら、魔王にだって勝ってくれる」
「ああ、聞いた話によると、その二人で戦えば、あるいは勝てるかもしれない」
アゼルは途端に気だるげな表情になった。
「戦ってくれたらね」
そう、リアなら戦わないかもしれない。
オーガと語らい、吸血鬼と話し、しかし人狼とは戦い、ゴブリンやオークは虐殺する。
リアの中ではそれは矛盾のないものなのだろう。
「おいらも……おいらも強くならないと……」
「ふむ、じゃあ今日は、ラプラスと戦ってみるかね?」
「あ、それはなしで」
微妙にへたれなのは変わらないサージだった。
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