第91話 一年目
「え? 試験ですか?」
たおやかにクリスが問いかけた。
「はい。全く準備をしていないようですので、何か秘訣でもあるのかと思いました」
はい、ありません。むしろそんなものがあることを知りませんでした。
夕食の席で出た話題で、慌ててサージは書類を確認する。
確かに書いてありました。年に一度の試験。これに落ちると留年です。
しかももう期限が一ヶ月を切っているじゃありませんか。
いくらカーラさんのご威光でも、それを落ちたらさすがにまずいでしょう。
むしろ推薦入学で入った身分、これを落ちたらカーラの顔に泥を塗ることになる。
しかもこの試験。
・筆記試験において魔法における不正が発覚したら退学処分とする
ごくまっとうな規定がありましたとも。
時空魔法ならなんとでもなるかと思ったが、魔力感知自体がなされるそうで、編入試験の時の温さは何だったのという次第。
そんなドタバタと部屋で調べ物をしていると、クリスがそれを見にきていた。
考えば編入してからまだ一ヶ月。試験の準備なんて出来ているわけがありません。
思わず心配になって、この離れまでやって来たのでした。
「あの、サージ……?」
「……ふぁい?」
思わず死んだような声を上げたのか、少しクリスは怯えていたが。
「もし良かったら、一緒に勉強しましょうか。同じ課程の部分だけですが……」
「神様仏様クリス様ー!」
その場でサージはジャンピング土下座をしたのであった。
これで授業の半分近くはどうにかなりそうである。
残りの半分は ――。
「助けて! アゼルえもんー!」
必殺! 理事長先生への泣き落とし。
「別にいいけど、タダでしてあげるのもねえ」
いいのか! 理事長!
まあ、元は巨大な私塾の発展ではあるのだし、それでもいいのかもしれない。
「まず、これとこれは、実戦で役に立つから、きちんと試験を受けなさい。これとこれは、私の手伝いで交換しよう。あと、これだな」
トントンとアゼルが叩いたのを見て、サージも首を傾げる。
実戦魔法学。
どうして実戦にペーパーテストが必要なのかいまいち不明だが、あるのだから仕方ない。
「これは休み期間中に導師が生徒たちを連れて実際に魔物と戦うから、これをサポートしてほしい」
魔法学園には定期的に休みがある他に、三ヶ月の連続した休みがある。
これは学園の入学試験や、ある程度まとまった時間が必要な授業を、確保するために存在するのである。
その中に、実戦魔法学の実技演習があった。
テストで良い成績を取れば参加の義務はないのだが、逆に言えばテストに自信がなければ、こちらを選択するべきなのである。
前日までふらふらの状態でなんとか筆記試験を終えたサージは、翌日の実技演習への参加の準備をしていた。
と言っても、探索者時代を思えばお遊びのようなものである。特に武器などの制限もないし、今ならヒュドラでも単独で倒せる自信がある。
それにしても、である。
クリスまでも演習に参加するとは思っていなかった。
なんでも、自分は頭でっかちなので、実技演習にはぜひ参加してみたかったそうで、父伯爵も勧めていたそうだ。
「フラグキター……」
こっそりとサージは呟いた。
実技演習は聖山キュロスと北の永久凍土の狭間にある、森の中で行われる。
定期的に実戦訓練が行われているので、それほど多くの魔物が棲んでいるわけではないのだが、北の永久凍土に近づけば危険がないわけではない。
よって演習の前には契約書に遺書なども念のために用意されるのだが…。
「サージ、手ぶらですか?」
「杖と魔法の袋があるから、他に何かいるかな?」
他の生徒がピクニック感覚であるのに対し、サージはご近所への買い物感覚である。
だが足元をしっかりと固め、ローブも頑丈なミスリル繊維製の物だとは、見る人が見れば分かるのである。
実際は魔法の袋すらいらないのだが、それは秘密である。
「よし、準備は出来たな。じゃあ行くぞ!」
引率の導師が声をかけ、冒険もどきは始まった。
そして、一日目は何もなく終えた。
「さ、サージ……あなたよく平気ね……」
メガネがズリ落ちてるクリスは、そういえばサージと同じで一番の低年齢であった。体力のないのも不思議はない。
「だって、ほとんど歩いただけだし」
森の中と言っても、密林ではない。また、案内人として斥候の獣人がちゃんと付いていてくれるのだ。
だから大変なのは、本当に森に慣れているかどうかということだ。そして純粋な体力、持久力。
大牙猪が実際に襲ってきた時は、上級生もヘロヘロになっていて、サージが一撃で、風弾で猪を倒すしかなかった。
うん、確かに皆、頭でっかちだ。
足元がでこぼこしているだけで、これほど体力が消費するとは思っていなかったのだろう。
案外これは、面白い試験なのかもしれない。
サージのような森の中の農村育ちでは、全く辛くないのだが。
「よし、それじゃあ今日はここでキャンプを張る」
導師のその言葉に、ベテランの斥候さんが何か言おうとしたが、結局は黙ってしまう。
まあ言いたいことは分かるが、自分でどうにでもなると思ったのだろう。
だがサージは違う。出来るだけ危険は避けておきたい。
「先生、もうちょっと見晴らしのいいところを探すか、さっきの河原までもどりませんか?」
サージの経歴を知っている導師は、無闇にその意見を却下しない。
敵の攻撃を避けるため、河原まで戻ることとした。斥候さんとは目が合った。
河原で皆は携帯食を食べているのだが、サージだけは先ほど獲った獲物を食料とする。
大牙猪である。マールほど上手くはないが、サージだって農家の子。この程度の解体は出来るのだ。
血抜きがいまいちなので味には期待できないが、なにしろリアがダンジョン飯の人だったから。
最初はグロテスクな様子に腰が引けていた生徒たちも、いざ料理となってしまえば話が違う。
「本当は何日か熟成させるのがいいんだけどねえ……」
出来上がったのは、芋と野菜と肉のシチューに、肉のあぶり焼きである。
その匂いにごくりと唾を鳴らす生徒や導師に、サージは気前よく料理を提供した。もちろん斥候さんにもである。
「うめえ!」
「なんでこんなにうめえんだ!?」
それはね、身近で獲った物を、野趣あふれる場所でたべているからですよ。
サージは自分もまずまずの出来に満足しながら、いつもと違ってぱくぱくという速度で食事をしているクリスを見ていた。
「そういや、マールの飯はもっと美味かったなあ」
その台詞に、クリスのスプーンが止まる。
「どなたです?」
「昔の……いや、今も仲間かな。一緒に迷宮に潜ったりしてたんだけど、今は結婚して奥さんしてる」
「……どんな方だったんです?」
「黒い猫獣人でね、パーティでは斥候をしてくれてたんだ。個人的にはそれよりも、美味い料理を作ってくれた方が嬉しかったかもな」
「獣人ですか。あまり魔法都市では見ませんね」
獣人には魔力の高い者が少ないので、自然と魔法都市の生徒にも少なくなる。中にはマールのように妖精の目を持った特別な者もいるのだが。
「クリスは学園を卒業したら、どうしたいんだ? なんなら世界を巡って……いや、先に千年紀か」
リアがかつてそうだったように、サージもまた、この世界を巡って歩きたいと思っている。
だがその前に、千年紀があるのだ。忘れてはいけない。
「千年紀ですが。本当にくるのでしょうか……」
自分の皿のスプーンを見つめて、クリスはそんなことを言った。
「それに、来るにしてもあと何年かかるか……」
それに対して、サージはぽつりと言った。
「三年以内だよ」
え? とクリスが思わずこちらを見てきて、サージは自分の失言を悟った。
「いや、それぐらいに、永久凍土が溶け出す兆候が見えているんだって」
「それは! 確実じゃないですか!」
普段は物静かなクリスが叫び、視線を集めてしまう。
慌てて彼女も声を潜めるが、おかげでサージと顔が近くなる。
「いったい誰にそれを?」
「いや、国の上層部の特に上なら、誰でも知ってるんじゃないかなあ」
誤魔化せたとは思えない。だが、信じたくないのだろう。
千年紀とは、過去人類の人口を10分の1以下にまで減らしてきた戦争だ。もしそうなれば、北方のこの地は、すぐに戦争になるだろう。
「この演習が終わったら、詳しい話を聞かせてもらえますか?」
珍しく厳しい声でクリスが言ったので、仕方なくサージは頷いた。
「その代わり、そちらも内緒だよ。お父さんにも話しちゃ駄目だよ」
「それは……」
「内緒だよ?」
「……分かりました」
結局、この二泊三日の間起こったことは、特筆すべきことは何もなかった。
強いて言うならなぜかヒュドラが出てきて、サージの経験値となったくらいである。
サージには「蛇王殺し」という新たな二つ名がついたが、それはどうでもいい話。
サージは結局、クリスにはほとんど全てを話した。
と言っても、魔王の配下がカーラと戦うあたりの話からだが。
「なるほど、魔王自身が……」
これ以上はないというソースである。
「もしそうなったら、クリスたちも伯爵様と一緒にオーガスに来るといいよ。あそこなら、そう簡単に魔族に攻められる場所じゃないし」
色々な意味で。
だがクリスは、ぶつぶつと何やら呟き、サージの話を聞いていないようだ。
まあ、いいだろう。実際にその時になったら、カーラの縁を辿って、オーガスにやってくることになるのだろう。
しかしクリスの出した結論は、サージの斜め上を行っていた。
「決めたわ! 私も来年は攻撃魔法を修めて、勇者様の仲間になるの!」
―― どうしてそうなった。
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