第80話 憤怒

 リアは怒っていた。

 それは戦いの中で感じる、相手に対する殺意に似た感情ではない。

 純粋な、ただ、この存在をこの世から消し去りたいという怒り。

「つま先からじわじわと切り刻んで、なぶり殺しにしてやる」

 むしろ平静な声で、リアはそう言った。



 カーラの傷を、深いところだけ治癒する。

「リア……」

 来てくれた。その喜びを消し去ってしまうほど、今のリアは怒っている。

「すぐ終わる」

 それだけ言って、リアは立ち上がった。



 虎徹が抜かれる。

 その動作に、オルドは恐怖を感じた。

 圧倒的な存在に対する恐怖。たとえば竜。あの時は、魔王に救われた。

 魔王を怒らせて、一度だけ同じ感覚を感じたこともある。

 すると目の前の女は、魔王と同じということか。



 ありえない。

 あいつは、あの人は、もっと絶対的な存在のはずだ。

「ああああっ!」

 オルドは吠えた。

 恐怖から逃れるための、必死の咆哮だった。

 それに対してリアは流れるように間合いを詰め、オルドが反応も出来ない速さで刀を振り ――。



 そして、それが止められた。



 金色の、オリハルコンの長剣。



 リアとオルドの間に。



 金色の仮面の男が立っていた。







 唐突な登場だった。

 だが、それはリアには関係なかった。

 敵を守るものは敵。それが当たり前の考えだった。

 だから何者かなど聞かなかったのだが、それはオルドが教えてくれた。

「陛下……」

 そうか、これが魔王か。

 不思議とリアは納得していた。自分の一撃を簡単に受け止めてしまう。それぐらい出来ないと、魔王は務まらないだろう。

「邪魔をするな!」

 袈裟切りの攻撃を、長剣が受け止める。そのまま鍔迫り合いになって、相手の黄金の仮面がよく見える。

「謝るから、剣を引いてくれないかな。僕はまだ、彼を失いたくないんだ」

 魔王は気弱そうに言った。

「無理だ」

 端的に言って、リアは離れた。

 目の前の男は強い。おそらく今までに会った、どの敵よりも強い。

 だが今のリアは、なんでも斬れる。

「頼むよ。君の方が彼より強いのは間違いない。だけど僕も、彼を守りたいんだ」

「ふざけんな!」

 その絶叫は、オルドの口から放たれた。

「俺はあんたに守られたいんじゃない! あんたの横に立ちたいんだ! いつまでも守られてる立場じゃないんだぜ!」

 魔王はかすかに肩を落としたようだった。そしてリアに向けて、一言。

「他には邪魔はさせない」

 そう言って、引き下がった。

 結果なぞ、初めから分かっていた。

 それでも、オルドの誇りを守る。己の命より、誇りを守る男だ。それが歪んだ誇りでも。



 リアは今度こそ、オルドに向かって刀を振るった。

 爪が迎え撃つ。両手の爪だ。だが、遅い。決定的に技がない。

 跳ね飛ばし、斬る。

 右手が半ばから切断されていた。

「ぐああああっ!」

 絶叫が洩れる間に、今度は左手を肘から切断する。



 怒りが、足りすぎている。

 むごたらしく殺すには、怒りが多すぎて自分を止められない。

 両手を失った男に、袈裟切り。

 真っ二つになって、男の胴が斜めに落ちた。







 もはや何の興味もなくして、リアはカーラに駆け寄った。

 切断された右手を拾う。治癒魔法は得意ではないが、カーラの回復力があれば、無事にくっつくことだろう。

「リア……」

「喋らずに」

 呼吸器には異常がないようだ。美しい肌があちこちで裂けている。痕が残らないように、ゆっくりと治癒していく。

「私は大丈夫です、それよりも……」

 カーラの視線の先で。4つに分割されたオルドの体を、魔王が抱き上げていた。

 彼はゆっくりとこちらへ向かってくる。もし戦いになれば、おそらくリアでは勝てない。

 この、足手まといになった自分たちを守っては戦えない。

「すまなかった」

 魔王はかすかに頭を下げた。

「そして戦士としての最期を彼にくれたことに、感謝を」

 仮面の奥で、魔王は深く悲しんでいるようだった。



 刀で命を奪ったとき、リアの怒りは霧散していた。だが、それが魔王と戦わないという選択肢にはならない。

 むしろ、戦ってみたい。

「あんたの名前は、アルスか?」

「それも、一つの名前ではある」

 あっさりと魔王は肯定した。

「地球では、アリスガワ・ハルトと呼ばれていた」

「なぜ人間を助けたり、傷つけたりする?」

「全てを助けたいと思う。だが、力が及ばない」

 魔王の声は静かだ。

 おそらくはこの場の全ての人間を、殺すことが出来るであろうに。

「彼も、救ってやりたかった」

 腕の中で、もはや人間の姿に戻ったオルドを見つめつつ、魔王は言った。嘆くように。

「だが彼は、僕に守られるより、君と戦うことを選んだ」

「あんたも、私と戦ってみるか? 正直、私の女を傷つけられて、怒りが収まりきってないんだ」



「やめよう。千年紀と、大崩壊を前に、君と殺しあうわけには行かない」

「このまま無事に帰してもらえると思うか?」

 魔王は頷いた。

「一つ、教えてあげよう」

 それは取引材料だとでもあるように。

「千年紀は、三年後だ」

 それは聞く人が聞けば、恐ろしい宣言に聞こえただろう。

「それが過ぎれば永久凍土は溶け、魔族の侵攻が始まるだろう。準備をしておくがいい」

 なぜそれを話すのか。

 魔王は宙に浮かぶ。そのまま逃がしてなるものかと思ったリアの足を、カーラが弱々しくつかんだ。

 リアの治癒魔法がなければ、このまま死んでしまう者達がいる。今は魔王を追えない。



「僕は、千年紀を乗り切りたい」

 魔王は呟く。しっかりと、聞こえるように。

「そしてその後の、大崩壊も」

 そこには確固たる信念があった。

「君たちも、もっと強くなってくれ。それが、犠牲を最小に抑える手段だ」

 どこか悲しみさえたたえたような声で、彼は言った。

「また会おう」

 そして、空の彼方に飛び去っていった。



「リア、サージたちを」

 言われて初めて、リアは周囲の惨状に気が付いた。

 マントをかけてカーラの裸身を隠すと、倒れた騎士たちの下へ急ぐ。

 サージはよくやってくれた。彼の魔法で連絡がなければ、間に合わなかったかもしれない。

 幸い脳震盪を起こしただけで済んでいた。だが、自分の無力さに沈んでもいた。



 騎士たちも、それほどひどい怪我のものはいなかった。最初の襲撃以外は、確かに手加減されていたのだろう。

 戦えない者は殺し、戦えるものを残す。

 その異常さに、改めてリアは気付く。

「大崩壊って……なんなんだ?」







 コルナダから遠く離れた森の中に、ハルトは着地した。

 ここなら、見られることもないだろう。

 オルドの遺体を、火葬していく。彼の妻子にどう言うべきか、ハルトは頭が痛くなる。慣れたくもないが、慣れてきてしまった。

 それでも、追跡者には気付いていた。

「あなたが、魔王だったんですね」

 気付かれてしまった。あんなに慌てて宿を出れば、それは気付きもするだろう。

「フェルナさん……」

「私を、だましてたんですか?」

 剣を抜き、その切っ先をハルトへと向ける。

 色々と言い訳は思いつく。だがそれは全て、言い訳にすぎない。

「すみません」

「私は ―― あなたと!」

 戦わなければいけない。そのはずなのに。

「戦いたくない……」

 力なく、フェルナは呟いた。



 ハルトは仮面を外した。そこにあるのは、いつも通りの穏やかな顔。

 だがいつもと違って、どこか困った表情を浮かべている。

「戦いたくないなら、戦わなくてもいいんです。僕はそうやって、戦わずに済む世界を作ってきましたから」

「あなたは世界の敵だ!」

「違います。人間の敵であって、世界の敵は……いや……」

 ハルトは首を左右に振った。

「確かに、世界の敵かもしれない。けれど、このまま千年紀を素直に迎えるつもりはない」

 その瞬間のハルトの目を、フェルナはよく知っている。

 人生に疲れた、不老不死の者たちの目だ。

 だがその瞳には、すぐに力が戻る。

「あなたは、千年紀を許容しているのか? 魂を循環させるための、人と魔族の殺し合い。何も新しいものを生み出さない、このシステムを許すのか?」

 思わずフェルナが圧倒されるほどの、それは強い意思の瞳だった。

「僕は許さない。僕は、戦う」



 ああ、これは怒りだ。

 世界の理不尽に対する怒りだ。

 フェルナが既に忘れてしまった、否、忘れようとした怒りだ。

「あなたは、危険な人だ」

 そう思いながらも、フェルナの体の奥底から、湧き出てくる思いがある。

 この人なら、と。

 あんな殺人鬼さえ許容する、この人なら、千年紀の大殺戮も許容できるのではと。

「でも、あなたなら、私たちの仲間になれるかもしれない」

「黒猫とは、袂を分かちました。アゼルもシャナも、僕には付いて来ようとはしなかった」

 褐色の肌の青年と、緋色の髪の少女。かつて共に魔王の暴虐に立ち向かった仲間を、ハルトは思い出す。

 無理もない。当たり前のことだろう。そうやって、この世界は千年紀を乗り越えてきた。大崩壊を避けるために。

「ならば、私が共に行きます」

 はっきりと、フェルナは言った。

 偽りのない感情。こちらを見つめてくる、真摯な瞳に、ハルトは驚く。

「あなたが?」

 黒猫に育てられたはずの、この少女が。千年紀の意味を良く知る、この少女が。

「はい」

 フェルナは強く頷いた。

「あなたと一緒に、行かせてください」

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